act.16『ここから……はじまる』

 大講堂2階観覧席のほぼ中央、その最前列にすわる私立松藤学園生徒会会長代行の松葉晴美まつばはるみは、誇りっぽい空気の向こうに舞台を眺めて思案していた。

 学都歌斉唱はすでに終わり、講堂内は先程までの騒然とした空気を取り戻し、彼の周りでも忙しく準備が進められている。

 隣にすわる同高生徒会役員の荒冷あられも、後ろの席にすわる後輩の五百蔵いおくらと、手にした小冊子プログラムを指さしながら打ち合わせている。途中、何度か声を掛けられたものの、松葉はまるで知らん顔。ほどなく荒冷も諦めたように五百蔵とだけ話し出す。

「なかなか面白い見世物だったな」

 背後から掛かる声に、松葉、荒冷、五百蔵の3人はほぼ同時に振り返る。私立英華えいか高等学校生徒会会長代行の花園寿男はなぞのとしおである。

「花園? 久しぶりだな」

 先程までの思案顔とは一変、松葉は穏やかに挨拶を返す。その邪魔をすまいと荒冷は軽く会釈するに留め、五百蔵もそれに倣う。

「相変わらずのお澄まし顔で」

 先程までの松葉の表情を知らない東山冬吾ひがしやまとうごの皮肉に、荒冷は 「知らぬが仏」 と内心で呟くものの、素知らぬ顔をして五百蔵と打ち合わせを続ける。もちろん松葉も、その程度の皮肉に負けるはずがない。

「東山も、相変わらず花園と一緒か。女子のあいだじゃ、2人のあいだが妖しいってもっぱらの噂だ」

 すると東山は不快感も露わに、花園に尋ねる。

「こいつ、ぶっ飛ばしていいか?」

「やめたほうがいいんじゃないかな? 帰りにシンパに闇討ちされるよ」

 もちろんシンパとは、松葉ファンの女子たちのことである。

「どっからでも掛かってこいや!」

「女子相手に、本気で殴るつもりか? 英華うちのイメージダウンになるからやめてくれ。そうでなくても男子校で、女子の扱いに慣れてないっていわれてるんだから」

 一緒に帰る花園にはいい迷惑である。

「俺も花園に賛成だな。桑園くわそのさんと違って、俺のシンパは女子ばっかりだからな」

 余裕たっぷりに謙遜の欠片も見せない松葉に、東山は 「マジで殴りてぇ」 と拳を握りしめる。

「そんなに生け贄が欲しいなら、そのうち天宮あまみやを差し上げるよ。ちょっと時間が掛かりそうだけど」

「あいつはいらねー」

 ケッと吐き捨てる真似をしてそっぽを向く東山。その理由は松葉もわかっているらしく 「まぁこっちもそれなりに犠牲を払うことになりそうだが」 と苦笑を浮かべる。

「東山、そのへんにしておけよ。関係者以外立ち入り禁止とはいえ、報道陣マスコミときたら壁に穴でも開けて入ってきかねないからな」

「同感だね。想像力が逞しいといえば聞こえもいいけれど、有ること無いこと書き立てられちゃさすがに迷惑だ」

 それこそ巻き添えは御免だとばかりの松葉に、東山はさらなる怒りを駆り立てる。

「お前なんざ、かじの餌食にでもなりゃいいんだよ」

 府立松林しょうりん高等学校生徒会会長の梶紀夫かじのりお。盗聴魔の別名を持つ彼は、案内役コンパニオンという名目で付けられた監視役の風紀委員を振り払い未だ行方知れず。大講堂からは出ていないということしかわかっていないという。

「だいたいなんであんな馬鹿、呼んでんだよ?」

「まぁ執行部も、呼びたくて呼んだわけじゃないだろうな」

 我関せずという顔をする松葉に、花園は苦笑を浮かべる。

「相変わらずの腹芸だな。先代の桑園さんも結構な腹芸人だったけど」

「あの人と比べれば、俺なんてまだまだ。さすがの俺も、男色とか両刀とかまでは言われたくない」

 なんのためにわざわざ共学を選んだのかとまで言う松葉のぼやきに、男子校の2人は、花園は苦笑を浮かべるに留めるが、東山の怒りは沸点に達する。

「喧嘩売ってんだろ、お前?」

「安売りはしないよ、暇じゃないんでね」

「桑園さんのあの噂、本当のところはどうだったんだ?」

 興味半分に尋ねる花園に、松葉はわからないと首をすくめてみせる。

「謎は謎のままのほうがいいだろ?」

 松葉もそんな噂を楽しんでいた1人であり、謎は謎だからこそ色々憶測を呼んで面白いわけで、真相がわかってしまえばそれで終わり。だから本当のことは知らないほうがいいのである。

「ところで本題だが」

 松葉がおもむろに切り出すと、それまで彼の隣にすわっていた荒冷が、後ろの席にすわっていた五百蔵に耳打ちをし、2人して席を立つ。なにやら相談しながらトイレに行くという2人を見送った視線を、花園と東山は正面に見える舞台に移す。口を開いたのは、本題に話題を移した松葉ではなく、花園である。

「予想外もあったが、それなりに良い出来なんじゃないかな?」

「つまり、そっちも知らなかったわけだ、女学院の登場は」

 自治会執行部が紅梅女学院に書状を送り、何かしら仕掛けてくることは知っていた松葉だが、さすがにこういう形で彼女たちが登場してくるとは予想外。驚きこそ見せなかったけれど、含みのあるその言葉に、花園ではなく東山が、いつものように少しおちゃらけたように答える。

克也かつやが口を割ってくれなくてさ」

「情報は公平だったということで恨みっこなし、ね……。

 それにしてもさすが菊原きくはら女史。お1人でお出ましとは」

「こういう場合、案外女子のほうが根性あんだよ。

 なにはともあれ、女学院も出席して無事明日の入都式ってわけだ。めでたし、めでたし」

 安易に結論づける東山だが、すかさず松葉が水を差す。

「それはどうかな?

 本来なら伴奏は榎木戸えのきどだろう? 奴らはどこにいるんだ?」

 いわれて初めて気づいたらしい東山は、広い講堂内をゆっくりと見回すが、伴奏予定者はもちろん、いつの間にか榎木戸学院生徒会役員までが姿を消している。

 実はこのあと、本部実行委員会や風紀委員会からも、榎木戸学院の生徒が姿を消していくのである。おそらく生徒会から指示が出たのだろう。

 本来ならば、自治会本部の仕事をしている時の指示は自治会執行部が出すもの。これは執行部の指示にない勝手な行動であり、明らかな違反行為である。

「どうやって追い出したんだ、あの連中を」

 驚きをそのままに尋ねる東山だが、松葉がそれを知っているはずもない。

「たかがピアノ伴奏、されどピアノ伴奏。執行部が何をしたかは知らないが、明日の入都式当日に榎木戸がどう出るか、楽しみだな」

「お前、根性悪すぎ」

 心底嫌うような顔をする東山だが、彼に嫌われようと痛くも痒くもない松葉は平然としたもの。そんな2人のやり取りを穏やかに見守っていた花園だが、全く気にならないわけではない。

「明日、入都式本番で榎木戸が仕返しをしてくるとでも? 理事会や組合のお偉いさんも出席するのに?」

「執行部は、自治会内の泥仕合をお見せすまいとわざわざ今日仕掛けたが、そんな配慮が理解出来る奴らとは到底思えないからな。

 執行部もある程度は覚悟の上だろうが、俺たちも少しは覚悟しておいたほうがいいかもしれないな」

 私立榎木戸学院が所属するのは中央区。そして英華高校は代表議会中央区の代表校、すなわち央都で、松藤学園は副代表高、すなわち副都の1高。理事会や教職員組合が、直接彼らに何かを言ってくることはないだろうが、直接お叱りを受ける執行部から八つ当たりされることは容易に想像がつく。監督責任がどうたら……と、難癖の付け方まで想像がつくというもの。

「いいんじゃないかな? いい機会だし、旧年度の落とし前を付けてもらうってことで、区議会を招集して榎木戸を吊し上げるのも」

 前向きな発想をする花園だが、すでに松葉も考えていたことである。

「わざわざ区議会を招集するまでもないだろう。入都式の反省会があるんだ」

 存分に吊し上げ、これまでの憂さを晴らす気満々である。執行部から要請があれば、代表議会にも榎木戸学院生徒会会長代行の首を喜んで差し出すだろう。

「馬鹿な奴ら。わざわざ袋だたきになるネタを自分たちで作るなんて」

 少しばかり榎木戸学院に同情してみせる東山だが、決して助けるつもりはない。

「そういえば代行の佐藤、魔窟まくつぬしに晒されてたな」

「お前ら第5卯木うつぎだろ? 知ってたくせに、よく言う」

 もちろんそういう松葉も寮生活を送っているが、彼は第1ひまわり男子寮である。

主殿ぬしどのが徽章の件に目をつぶったのは意外だったが、そろそろそっちの件にもケリをつけて欲しいところだな、執行部には」

「ケリをつけるも何も、天宮がとぼけまくってんじゃん。松藤そっちで吊せよ」

「あんな怪力馬鹿、まともに相手をしたところでこっちが怪我をする。わかっていてやるほど馬鹿じゃない」

「いずれにしても……」

 言いたい放題が止まらない東山と松葉を止めるべく、花園がゆっくりと口を開く。

「執行部は御多忙ってわけだ」

「奴らは忙しくさせておいたほうがいい。暇を与えるとろくなことを考えないからな。

 今回の件も、俺たちは部外者扱いだ。だったらこのまま高みの見物を決め込もうじゃないか」

 意地の悪い松葉の提案に、花園も穏やかに 「お手並み拝見だね」 と応じる。そんな2人に呆れる東山がふと思い出す。

「そういやお媛さん、どこ行ったんだ?」

 講堂内のそこここで交わされる先輩方の会話など露知らず、朔也子さくやことともに大講堂を出た柊は、その額を閉じた扇子で打たれていた。

「……サクヤ君、痛いんだけど?」

 少しばかり赤くなった額をさも痛そうにさする柊だが、実際に痛かったのは叩かれた瞬間だけ。赤みもすぐに引く。

「神経が通っておられまして、ようございました!」

 朔也子が何に怒ってるかなど、言うまでもないだろう。さすがに講堂内では人目もあり予行演習が終わるまで遠慮した朔也子だったけれど、今は周囲に人影は見当たらない。ここぞとばかりに抗議する。

「あれはなんの真似でございましょう?」

「あれって、あれ? うーん、なんだろうねぇ」

「そのような言葉でごまかせるとお思いですかっ?」

「全然誤魔化せてないでしょ?」

 もちろんわかっている柊は苦笑を浮かべる。

「執行部には執行部のお考えもございましょう。それはわたくしにもわかりますが、あのようなやり方は得心が行きませぬ」

 珍しい朔也子の怒りに、さすがに柊も両手を挙げて降参する。

「俺も執行部の一員です、総意には逆らえません。

 もちろんサクヤ君にそれを理解しろとは言わないけれど、この件については後日、ちゃんと執行部のほうから説明させてもらいます。それまでもうしばらく、この茶番に付き合ってもらえると助かるんだけど?」

 すかさず閉じた扇子の第二打が柊の額を打つ。

「……だからサクヤ君、痛いって……」

 一度は下ろした手で再び打たれた額をさする柊だが、その前に立つ朔也子は顔を真っ赤にして怒り心頭。当分、許してくれなさそうな勢いである。

「まだ続けると仰いますかっ?」

「続きますよ、総代選挙が終わるまで」

 一度は言葉を切った柊だが、すぐさま 「全ての選挙が終わるまで、かな?」 と訂正する。

「サクヤ君の安全は執行部で請け負います。

 とりあえず仕掛けが終わったから、松葉さんが納得すれば松藤を使えるから、警護も女子に代えます。他に要望があれば、可能な限り融通します」

「松藤学園生徒会も加わっておられるということでしょうか?」

 朔也子は怪訝そうに柳眉を寄せる。

「加わっているというわけじゃないけど、状況は理解出来たと思う。

 正直、あの人が無条件で手を貸すとは思えないけど、サクヤ君は初代の娘だし松藤の生徒。生徒会としては動かざるを得ないというのが実情だからなね」

「では申し上げましょう。自分の身は自分で守れます故、警護など必要ございませぬ。

 ましてわたくしが申し上げたいのはそのようなことではなく、筋がちごうておりますこと! まずは説明をした上で全てを行うべきでありましょう」

 説明があとになるとは何事か? しかもまだ説明出来ないなどと、自分たち都合ばかり。そんな勝手が通ると思っていることに、朔也子が得心がいかないと主張する。

「サクヤ君の言いたいこともわかります。だから俺が生け贄になって、大人しく叩かれてるでしょ?」

「その程度のこと、如何ほどになりましょう?」

「ならないね」

 言って柊は少し困ったように首を傾げる。

「サクヤ君の意に沿わないことはわかってる。だからサクヤ君はサクヤ君の好きにすればいい。

 当然執行部は、都合に合わないと判断すればサクヤ君の邪魔をするわけで、そこはちょっと覚悟して欲しいんだけど、逆に、執行部の意に沿わなくても、サクヤ君はサクヤ君のやりたいようにする権利がある」

 柊の話を自分なりに考えた朔也子は、一呼吸ほど置き 「つまり」 と言葉を返す。

「シミュレートされる側になるか、シミュレートする側になるか? ということですね」

 すると柊は爽やかだが、どこか胡散臭げな笑みを浮かべて大きく頷く。

「ここは学園都市桜花、生徒のために創られた広大な模擬社会シミュレーションフィールド。可能性と試すために在る」

「お話はよくわかりました」

 柊の話に、伏し目がちに小さく頷いた朔也子は、次の瞬間、意を決したように顔を上げて宣言する。

「わたくしはわたくしの思うままにさせていただきましょう。この藤林院寺朔也子、如何に桜花自治会執行部と申しませど、意のままに操れるとは思わぬことです」

 柊もまた、少しわざとらしい拍手でその宣言を受ける。

「結構です。サクヤ君はそうでなくちゃね。

 納得してもらえたところで見せたいものがあるんだけど、帰る前にちょっと付き合ってもらえる?」

 いつもの薄笑いではない柊の笑みに、朔也子は駐車場で待っている小川青年にメールを一通送信。それから柊の案内で向かったのは、桜花大講堂正面玄関前にある大階段。

 来る時は前の広場に大勢の報道関係者が集まっていたため見られなかったけれど、改めて見るその段数に朔也子は表情を強ばらせる。

「……見事な段数ですね」

 その高さはもちろんだが、幅も約15メートルと広く、一段一段が低くて急いで上るには非常にやっかいな造りをしているが、冬には 「大階段上り」 なるイベントが行われるという。

「ご心配なく。下りるわけじゃないから」

 そう言って笑う柊に、朔也子は、それでは何のためにここに連れてこられたのかと振り返る。

 だが柊は優しく笑いながら、ただ朔也子の背後を指さすだけ。階段の向こうに広がる景色を……。

 首を傾げるように向き直った朔也子は、先ほどは足下に広がる階段に気をとられてその景色に息を呑む。

「!」

 夕闇が刻一刻と色を濃くする中、ほんのりと青みを帯びた白い霞がそこここで、冷たい風にふわりと柔らかくたなびいている。桜花の象徴、桜の花である。

 島中で見られる桜並木が、まるで雲海のように町を覆い、風に散る花びらがたなびく霞のように見えるのである。1年に1度、ほんの限られた時季にしか見られない絶景に朔也子は感嘆の声を上げ、目を見張る。

「……これは……」

「まだ満開には少し早いんだけど、どうしても朔也子に見せておきたくて」

 息をするのも忘れて絶景に見とれる朔也子に、柊も満足そうな笑みを浮かべる。

「気に入った?」

「とても!」

「場所が場所だからみんな足下ばっかり見ちゃって、結構気づいてないんだよね」

 毎日のように多くの生徒が忙しく行き交う大階段だが、気づく間もなく散ってしまう儚く美しい花。

「なんともったいない……」

 すっかり花に心を奪われている朔也子は、遙か遠くまで広がる花の雲海を望む。

 だが人目のある場所。あまり長居はできないと考える柊はさりげなく周囲に気を配るも、不思議と誰も階段を上ってこようとしない。明らかに人の気配はあるのに……。

 切れ長といえば聞こえもいい細い眼をさらに細めて凝視してみれば、木の陰や外灯、電柱の陰には確かに人影が見える。彼らはひっそりと息を、気配を潜めつつも、大階段に近づく者を遠ざける。誰の指示かはその制服を見れば一目瞭然。借りを作るのは不本意なところだが、その場を動こうとしない朔也子を見て諦めたように小さく息を吐く。

 そんな柊の内心など知らない朔也子はゆっくりと目を閉じると、両手を広げて大きく息を吸い込む。まだ少し冷たい風を胸一杯に吸い込み、一気に吐き出すとともにゆっくりと双眸を見開き、眼下にはなの雲海を望む。

 その心の中で呪文のようにつぶやく。


 ここから始まる、と……


       ~project method Ⅱ~ 前哨戦プレシーズンマッチ  終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

前哨戦(プレシーズンマッチ)~project method Ⅱ 藤瀬京祥 @syo-getu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ