act.10 『魔窟の主』

 小川が運転する朔也子の車で寮まで送ってもらった柊は、手早く制服に着替え、今度は歩いて出掛ける。

 第6丹英たんえい女子寮と同じく、彼らが生活する第5卯木うつぎ男子寮も新入生の入寮で慌ただしく、多くの寮生が行き来する玄関近くに差し掛かった時、寮生の1人が柊に気づいて声を掛けてくる。

「天宮、今から出掛けるのか?」

 少し髪に癖のあるその寮生は身長170㎝くらい。柊と同じ私立松藤学園高等学校の1年先輩で、名前は国兼芳久くにかねよしひさ。つい先程会った国兼李緒くにかねりおの兄である。

 どうやら人の好い彼はここで、新入生を迎える新米寮長と新米上級生たちを助けていたらしい。サボっていた妹とは大違いである。

「本部にちょっと」

 いつもの愛想笑いを浮かべて返す柊に、芳久は 「入都式の準備か」 と、なぜか申し訳なさそうな顔をする。

「留守中に大変だったみたいだが……」

「部屋ですか? 貴勇たかいさおが粗方片付けてくれていたみたいで、あとは帰ってからで十分です」

 それこそ今夜寝る場所に困るわけでもなく、問題はないと笑ってみせる柊に芳久は言いづらそうに 「その……」 と切り出す。

「朔也子さんを迎えに京都まで行っていたと藤真ふじまにきいたんだが、ひょっとして寮に……」

「もちろん送り届けてきましたよ」

 ここまでは普通に答えていた柊だったが、すぐに 「ああ」 と声を上げる。

「会いましたよ、妹さん」

 笑って返す柊だが、芳久はがくりと肩を落とす。

「まぁいつものことですし、先輩がお気になさる必要はないと思います。サクヤ君も慣れてますから」

 慣れているどころか、歳下であることを自覚しろと言われるほど歳上の李緒を馬鹿にしたのである。さすがの柊も芳久が気の毒なのでそこまでは伝えないけれど、芳久は芳久で、2人のあいだに何かあったことぐらい想像がつくのだろう。

「その、いつも申し訳ないと思ってる」

「2人とも背も低いし、サクヤ君なんかそのへんに親近感を覚えている感じですけど?」

 無論朔也子に聞いたわけではないけれど、柊の率直な感想で嘘ではない。

「そうならいいんだが……」

 国兼家と藤林院寺家の関係は、芳久と李緒の祖母の旧姓が 「藤林院寺」 ときけばすぐにわかるだろう。すでに外戚となり、本来ならば今のように近い付き合いが出来る関係ではない。

 だが彼らの祖母と、先代の藤林院寺家当主の仲がよく、その誘いで一門の集まりなどに繁く顔を出しているのだが、やはり両親は立場などを気にしているらしい。特に好き勝手し放題の長女と次女の行動にかなり頭を悩ませている。そんな両親を見ていると、やはり長男としても気にせずにはいられないのだろう。

 妹の李緒は小柄な外見に反し、態度も声もデカく謙虚という言葉を知らない。姉の杏子きょうこはすでに短大を卒業しアパレルの販売員をしているのだが、まるで仕事の憂さを晴らすように朔也子を着せ替え人形のようにしているのである。せめて妹の李緒ですればいいのだが、彼女が姉の趣味に黙って付き合うような性格かと言えば、間違いなくいなである。

「お互い、兄弟のことでは苦労しますね」

 苦笑を浮かべる柊に芳久も苦笑を浮かべる。

「本当に。これから2年間、朔也子さんにはいい迷惑だろうな。

 あいつも、少しは自分の立場を弁えてくれればいいんだが。加減を知らないから、そのうち桜花を追い出されかねない気がして……」

「第6丹英たんえいの寮長にも会いましたけど、心配ないんじゃないですか? 上手くやってくれそうな感じでしたよ」

 それに今、朔也子のもっぱらの関心は桜花総代選挙と三房の下がり藤みつふさのさがりふじである。いくら同じ寮で毎日顔を合わせても、あまり李緒のことは気にならないに違いない。

 そもそも藤林院は、学都桜花に対する干渉を自ら禁じている。如何に李緒が気に入らなくても、現在の当主である藤林院寺貴玲とうりんいんじたかあきらは彼女を桜花から追放することなど出来ない。それこそ、どれほど高子たかいこを苦々しく思っても、その権をもって彼女から桜花総代の地位を剥奪することもしなかったのだから。

 もっとも李緒と朔也子を本当に引き離したければ、国兼くにかね家の経済状況を悪くするのが最も有効な手段であり、莫大な財産と強大な権力を持つ藤林院には造作もないこと。当主たる貴玲にも一番簡単で確実な手段であり、桜花不干渉の禁も守られるこの上ない上策である。

 妹の李緒はともかく、柊の知る芳久ならばこの程度のことはわかっているに違いない。この場でそこまでを言わないのは下世話だとわかっているからだろう。

 もとより所詮は子供の喧嘩である。何人もの生徒を自主退学、強制退学に追い込んだ高子に比べれば李緒のしていることなど可愛いもの、例え朔也子が泣きついてきても、父親である貴玲は李緒を学都桜花から追放しようとは思わないだろうし、国兼家に対してもなんら制裁を加えたりはしない。

 未だ国兼家が藤林院と関わりを持つのは先の当主・藤林院寺善三郎とうりんいんじぜんざぶろうが妹を可愛がってのこと。自らも人の親である貴玲もその気持ちは十分に理解出来るし、藤林院の秘事さえ守られるならば、黙認するのは彼なりの親孝行だろう。芳久などは、そんな老人の我が儘に巻き込まれただけだというのに、何とも気苦労なことである。

 そんな芳久に見送られて寮を出た柊は、本来の目的地とは違う方向へと足を向ける。立ち止まったのは台5卯木男子寮近くにある緑地の中。

 桜花島内には防音や環境保全のため、こういった緑地を方々に設けており、立ち入り禁止にせず生徒たちに解放しているものの、ベンチなどが設置されているわけでもない。ただ草木が鬱蒼と茂っているだけである。

「ラギ」

「よう」

 その緑地の中で柊は、待ち受けていた2人の男子生徒に声を掛けられる。去年の夏に繁茂し、刈り残されてすっかり枯れてしまった下草を踏みならしながら歩いてきた柊に声を掛けたのは2人の男子生徒で、1人は立って木の幹にもたれかかるように腕組みし、もう1人はその足下にしゃがみ込んでパンを頬張っている。

 2人とも180㎝くらいある柊と変わらない長身で、私服姿。どこかに出掛けていた帰りらしく、しゃがみ込んでいる方はもとより、立っている方も組んだ腕にコンビニの袋を下げている。

「はるばる京都まで、ご苦労なことだな。

 ちょっとは媛と進展あったか?」

 立っている男子生徒が茶化すように尋ねてくる。

「あるわけないだろ? あんな人だらけの屋敷で」

 柊は少し投げ遣りに返すが、どうにも演技臭い。

「わざわざあんな遠くまで行って、それはないだろ? 甲斐性なしめ」

 罵り半分に言うのはしゃがみ込んでいる方である。

「遠くって、うちも京都だって、お前ら、忘れてないか?」

 呆れ半分、苦笑いの柊。天宮家も藤林院寺家と同じ京都に居を構えているが、京都府北部。京都市内にある藤林院寺家とはかなり離れたところである。

「あ? そうだっけ?」

「同じ京都でも、藤家の屋敷には行っても、自分家じぶんちには帰ってないんだろ?」

「俺1人いなくても問題皆無。ってか、邪魔だろ」

 やはり柊は呆れ半分、苦笑いで答える。

「何? お前んのお兄様方も相変わらずですか」

 しゃがんだ方が少し皮肉交じりに訊いてくる。彼の様子に機嫌の悪さを察した柊は 「まぁね」 と答えるに留め、視線を立っている方に戻す。

「久々にゆっくり風呂には入れたよ」

 集団生活を送る寮の風呂では、人間関係を円滑にするためにの長風呂は禁物。湯船でその長い足を伸ばそうものなら顰蹙ものである。

 だが藤林院寺家の趣ある檜風呂は、高級温泉宿の内風呂並みに広く、ゆっくり浸かっても文句一つ言われない。長い足を伸ばして湯に浸かり、英気を養ってきたという柊に立っている男子生徒は皮肉げな笑みを浮かべる。

「それはそれは結構なご身分だな」

「そういうノスケこそ、コンビニで国兼さんとデートか?」

 彼は桜花南区にある私立松藤学園涉成しょうせい高等学校新参年生、兼栄慎之介かねえしんのすけ、通称ノスケである。

 もちろん柊がいう 「国兼」 は兄の芳久ではなく妹の李緒のこと。つい先程第6丹英女子寮で会った国兼李緒が下げていた袋と同じコンビニの袋を下げた2人。そして第5卯木男子寮と第6丹英女子寮の、丁度中間当たりにそのコンビニはある。

「文句あるか?」

「ノスケにはない。

 けどザブローまで行くなよ。野暮な野郎だな」

 寮で暇をしていたところに李緒から電話があり、コンビニに呼び出されたという2人。だが李緒と付き合っているのは慎之介である。もう1人の男子生徒、ザブローこと阪本信三郎ではない。そのことを指摘する柊に、信三郎は悪態を吐く。

「野暮で悪かったな。コンビニデートなんて色気もへったくれもない」

「お前、自分の相方のことをよく言えるな」

「安心しろ、ザブローの言うことは彼女のいない奴の僻みだ」

 信三郎が信三郎なら、慎之介も慎之介である。だが2人は決して仲が悪いわけではない。

「だいたい彼女云々言うなら、ラギ、お前のやってることはなんだ? わざわざ媛の寮を報道マスコミ連中に流して、何がやりたかったんだ?」

「ちょっと注目度を事前リサーチしておきたくて」

 慎之介から返される言葉に、柊はいつもの薄笑いを浮かべて答える。もちろん情報の漏洩は柊の独断ではないし、慎之介たちも彼の背後に意志があることはわかっている。

 だが釈然としないのである。こんなことをしなくても、彼らにはある程度の騒ぎは予想出来ていたはず。あの大評議会から学年末考査、卒業式、終業式を経てなお収まらなかった報道関係マスコミの情報合戦。名前はすでに知られていたとはいえ、写真の1枚でも手に入らないかと報道関係マスコミの彼ら彼女らが躍起になっていたのは誰もが知っていること。何度となく誤報が流れたのは、その勇み足からであることは言うまでもないだろう。

 柊の背後にある意志、自治会執行部はそんな状況を承知の上で、さらなる混乱を招くべく今回の情報漏洩を意図的に行った。慎之介にはそう思えてならないのである。

「お前らさ、暇してるんだったら寮長の手伝いでもしてやれば? お前らの陰謀で選ばれた可哀相な生け贄なんだ、ちょっとは大事にしてやれよ」

 それこそただの上級生である芳久よしひさより、前寮長である慎之介がすべき仕事のはず。

 だか彼には彼なりの言い分がある。

「俺、放任主義だから」

「3学期の終わり頃だっけ? 寮生巻き込んで渉成しょうせいの後輩からかって遊んでただろ? 例の裏技使って。なんで俺にあんなこと聞きに来るかと思ったら、しょうもないことを」

「そのお礼に、今回、情報の裏流しを手伝ってやったじゃん。いつまでも恩に着せるなよ」

 信三郎緒が少し怒ったように言うと、フォローするように慎之介が被せる。

「ちょっとは鍛えてやらないと、続かないだろ? 新入生の歓迎なんて、まだまだウォーミングアップみたいなもんだし。あいつには歴代寮長最強になってもらいたいと思ってるからさ」

「「ノスケを超えるのは無理」」

 偶然被った柊と信三郎の声は一言一句違わず。その見事なシンクロに、慎之介も 「お前ら……」 と呟いた先が続かない。

「どうせ俺が出て行ったら、連中びびりまくって仕事どころじゃなくなるじゃん。なにもしないでやるのも先輩としての気遣いのつもりなんだけど?」

 開き直りにも似た慎之介の言葉に、柊も 「勝手にしろよ」 と応じてみせる。

「だがお前はどうする?」

「俺?」

「桜花の外に彼女がいるってことはすでにカミングアウト済みだが、その彼女が桜花に入ったんだ。次の執行部役員選挙、女子票が減るぞ」

 それこそ落選する可能性もあるのではないかと心配半分の慎之介に、信三郎も言う。

「いっそ彼女が媛だってことは隠しておいた方がよかったんじゃないのか?」

 しかし柊は少し笑みを浮かべ、首を横に振る。

 学園都市桜花生徒自治会執行部書記、天宮柊あまみやひいらぎ

 それが今の柊の持つ肩書きの1つだが、票の大半を占める女子生徒が藤林院寺朔也子とうりんいんじさくやこの存在を知れば、次の選挙では他の候補者に投票するのではないかと危惧する慎之介と信三郎。だが柊は怯まない。

「まぁね、社会に出ればそういうこともしなきゃならないこともあるだろうし、言えば朔也子も納得するだろうけど、今の俺にとっちゃ、執行部であることはそれほど重要じゃない。ここは生活のかかった実社会でもないし、執行部でなくなったからといって出て行かなきゃならないわけでもない。

 実際、執行部でなくなっても俺は俺だし、朔也子との関係も変わらない。お前らともな。

 別に票を得るために桜花中を騙すことぐらいなんでもないが、そうまでして執行部にいたいかって訊かれれば、答えはいな。確かに執行部は面白いが、朔也子を傷つけたり辛い思いをさせてまで居続けることに俺は意味を見出せない。

 桜花を出ればそういうこともあるだろうってことは俺も朔也子も承知の上だが、今はその時じゃない。だったらなにが自分にとって一番大事な物か、見誤りたくないんでね。

 権力ちからに執着するあまり、全部失った馬鹿を散々見てきたんだ。同じ轍を踏むほど馬鹿にはなりたくないね」

 かといって反則技を使って票を集めたいとも思わないし、落選を覚悟して立候補を辞退するつもりもない。正々堂々と戦った結果として潔く舞台を降りる。それもまた、どうあっても譲れない柊のプライドであり、彼の定めたラインである。

「ラギの決意は決意として、裏央都うらおうと松藤まつふじがそれを黙認するとは思えないが?」

 2人が通う涉成高校は、柊の通う松藤学園の姉妹校である。中央区ではなく南区に所属するが、本校とはなにかと交流もあり協力関係も結んでいるため、南区との狭間で微妙な立場に立たされることもしばしば。

 桜花内には他に、中央区にある文化文藝ぶんかぶんげい高校と文化慶楽ぶんかけいらく高校、そして北区の星風せいふう一高と南区に星風二高が姉妹校の関係にある。特に星風高校は一高が北区副都、二校が南区副都を務めているため、現在は交流こそあれど協力体制はほとんど取れていないと言ってもいいだろう。

 涉成高校は役職を務めていないとはいえ、やはり所属区と本校との板挟みは避けられない。生徒会役員はもちろん、クラス委員すら務めていない2人だが、少なからず気に掛かるらしい。

「俺、松葉まつばさんと仲良くないんでね。

 それに松藤うちには磯辺いそべもいるし、俺1人落選してもたいしたことじゃないと思うけど?」

「どうかな?」

 言った慎之介は、眼下の信三郎と視線を交わす。

「個人的感情で動いているようじゃ、トップは務まらないだろ」

「ノスケが言っても説得力がない」

 笑い飛ばす柊に、慎之介は少し諦めたように溜息を吐いてみせる。

「ま、勝手にすればいいさ」

「けど覚えておけよ。俺たちは、お前には執行部にいてもらいたいと思ってる」

「どういう意味だ、ザブロー?」

 言ったのも問われたのも信三郎だが、慎之介が答える。

「俺たちも好きにするってことさ」

 柊もそれには 「なるほど」 と一応は納得して見せたものの、すぐさま 「で?」 と先を促す。

「あまり時間がないんだ。そろそろ本題出せよ」

「せっかく媛とのんびりしていたのに、戻った早々災難だったな」

 慎之介の遠回しな切り出しに、柊は顔をしかめる。

「目的はわかっているから問題はない。部屋も粗方、貴勇たかいさおが片付けてくれたしな。

 まさか空き巣見舞いが言いたくて、こんなところで待ち伏せか?」

「誰が漏らしたか、ネットじゃ大騒ぎだ」

 柊の内心の苛立ちなどお構いなしに、信三郎は少し茶化すように言う。

「お前の部屋の盗品でも出るんじゃないかって、女子どもがオークションに張り付いてるって話だぜ。もてる男は辛いねぇ」

 信三郎と慎之介、2人して笑うのを見てようやく柊もピンとくる。

「……お前らが流したな?」

 もちろん彼ら自身ではなく、彼らの意図で別の誰かが流したのである。

 実はこの2人、桜花内ではかなりの有名人なため、時と場合によって表に名前を出すことが出来ないのである。

 もちろん今回も 「誰が漏らしたか」 わからないようにしてあるということは、理由、あるいは目的あってのこと。そこに危惧を抱いた柊は、細い目をさらに細めて2人を見る。

「なにを考えてる? 被害者は俺と貴勇だぞ」

 柊は探りを入れるように問い掛ける。

「お前と藤真ふじまって、仲がいいんだか悪いんだか、よくわかんねー」

 茶化すように信三郎が言うと、本題を慎之介が受ける。

「さっき、目的はわかってるって言ったよな? つまり誰の仕業かも、お前にはわかてるわけだ」

 口の端を上げて薄く笑う柊に、慎之介は言葉を続ける。

「ま、俺たちだって見当はつくさ。女王陛下だろ? 簡単なことだ。

 だが俺たちにとっての問題は、直接手を下した奴が寮内にいるってことだ」

 前寮長である慎之介はそこが面白くないらしい。すでに第5卯木男子寮の寮長は新2年生に代わってるものの、未だこの慎之介が実権を握っているといっても過言ではない状況にある。

「大方、女王の下僕にでも弱味を握られていうことを聞かされたんだろうが、俺のテリトリーで勝手な真似をしくさって、無事に済むはずがないだろ」

 学都桜花付属学生寮最悪の魔窟・第5卯木男子寮。その前寮長であり、現在も実権を握り続ける慎之介は、さしずめ魔窟の主と言ったところだろうか。

 柊に始まる多数の有名人が在寮する第5卯木男子寮は、当然のように寮内を自由に行き来出来る寮生が、その立場を利用し、有名寮生のプライバシーを侵害することがしばしば起こる。ひどい時には部外者を寮内に手引きし、当事者の不在時に勝手に部屋に入って荒らしたり、写真などを撮影するなどの暴走もあり、寮長だけでなく、有名寮生たちを散々悩ませてきた。

 そこで慎之介の前の寮長がとった方法が、魔窟と呼ばれる本来の由来である。

 その寮長の後を受けた慎之介はさらなる過激な方法をとり、桜花中から非難を浴びたのは一度や二度のことではない。だが彼らはその手を緩めなかった。そしておそらく今回も……。

「てめぇの握られたちっせぇ弱味ばらまかれたほうがどんだけ楽だったか、思い知るだろうさ」

「せいぜい豪華にもてなしてやるよ」

 すでに情報を流して布石は敷き終えてある。あとは犯人を捜し出すだけ。これは自然と寮生たちがあぶり出してくれるので、慎之介たちは彼らをじっくりと観察するだけである。実行犯が捕まれば、その口から指示を出した奴もわかる。そうしてさらにその口から前総代・高子たかいこの目的も……。

 もちろん高子がなにを狙って柊の部屋を荒らしたのか、そんなことに慎之介たちは興味はない。彼らの目的はあくまで、テリトリーを荒らしたことへのお仕置きである。

 だが柊には、進行する事態に支障を来すのは面白くない。ことが露呈しても無難に収拾する方法はすでに用意済みだが、魔窟の主の折檻に巻き込まれるような形での公表は自治会執行部の望むところではない。早々に何かしら手を打つ必要があるが、さて、どうする?

「どんな豪華さか、訊いてもいいか?」

「もちろんはりつけ、獄門の刑」

 江戸時代、首切り刑にあった者の首を、獄門の前にさらしたことから付いたこの刑。柊の問いに答える信三郎は、自分の首を切る手振りをしてみせる。

「さらし首……また非難の嵐が起こるか」

 苦笑する柊だが、慎之介は 「それがどうした?」 と堪える様子を見せない。

「他の寮なら好きにすればいい。俺たちの知ったことじゃない。

 だが第5卯木は、卒業するまで俺たちのテリトリーだ。誰であろうと勝手は許さない」

 そう言う慎之介は笑っていない。

「それも1つの愛寮心ってか? 実際、俺たちは助かってるが、やり方は感心しない」

「俺たちは無駄なイタチごっこはしない。一度できっちり片を付ける」

 ここで手を緩めれば元の木阿弥。以前のように、内部の寮則違反に留まらず、外部からの迷惑な干渉を多大に受けることになるだろう。だからやり始めたことは最後までやり通すのである。

「丁度新入生も入ってきたし、第5卯木の作法を教えるのにいいじゃないか」

 むろん、その過激なやり方について行けないとしても、寮を替えてもらうことは易くない。まず無理と言ってもいいだろう。寮長の方針について行けない、そんな個人的理由で寮を替えてもらえるなら、某双子の姉妹などはとっくに別の寮に移っているはずだから。

 コンビニで買ってきたパンを全て食べ終えた信三郎は、用は済んだとばかりにさっさと歩き出す。それに続こうとした慎之介を柊が呼び止める。

「また何かあったのか?」

 その問い掛けに一瞬訝しげな顔をした慎之介だったが、すぐに理解したらしい。

苦笑を浮かべてみせる。

「お義姉から呼び出しがあったみたいだな。あっちのお義姉さんじゃないから大丈夫だろうと思うけど」

 いくら仲がいいとはいえ、さすがに兄弟関係ともなれば慎之介も一緒について行くわけにもいかず、そこで何があったのかを知ることは出来ない。

 柊も少なからず信三郎の家庭事情を知っているため、小さく息を吐く。

「出来ることがあれば言ってくれ。あいつ、自分からは絶対俺に言わないから」

「だろうな」

「すみれさんも心配してる」

 柊の口から出てきた女性の名前に、慎之介は力なく笑う。

「あの人もお節介だよな。ザブローのことも嫌ってておかしくないのに」

「そうじゃないのがすみれさんなんでね」

 柊は肩をすくめてみせる。

「でも助かるよ。その時は連絡する」

 そう言って軽く手を上げた慎之介は、ゴミを入れたコンビニの袋を振り回しながら 「帰るぞ、ノスケ!」 と声を上げる信三郎の元に早足に向かった。

 そんな2人と別れた柊が向かったのは、桜花島のほぼ中央にある桜花中央公園。その公園のほぼ中央、小高い丘の上に立つ桜花大講堂は建つ。

 通称 「大階段」 と呼ばれる、大講堂正面玄関に続く長い階段を上り終えた柊は正面玄関を入り、入都式準備に追われる本部実行委員たちが行き交う玄関ロビーを早足に通過する。

 桜花島にはこの大講堂以外にも桜花付属施設が多数あり、一部の体育館などは定期的に一般開放も行っているが、この大講堂だけは関係者以外立ち入り禁止。学都桜花の生徒とその関係者しか立ち入ることが出来ない。理由は桜花三大組織全ての本部、あるいは事務所が置かれているからである。

 柊が向かったのはその1つ、3階にある自治会本部。朔也子を送っていった第6丹英寮で1通目を受け取った柴からのメールは、すでに2通目が着信していた。さらに3通目の着信に気づいた柊が足を止めた時、前から掛かる声があった。

「柊」

「まぁたお前か」

 やれやれ……と言わんばかりの柊だが、相手の男子生徒も仏頂面のまま。

徽章きしょうを付けろ」

 言われて自分のブレザーの襟を見た柊は 「忘れてたな」 と、少しおどけてみせる。そしてすぐブレザーの内ポケットに手を突っ込み、小さな桜の形をした薄紅色のバッジを襟に付ける。

 直径が1㎝程度のそのバッジの中央には 「書」 という文字が刻まれ、自治会執行部書記を示している。少し傷が入って古びたそのバッジは代々継承されてきたもので、自治会発足以来 「書」 の文字が刻まれた徽章は、柊と柴が持つ2つしか存在していない。

「これでようございますか?」

 少しふざけてみせる柊に仏頂面の男子生徒は 「結構だ」 と低く応え、何事もなかったように柊の横を通り過ぎようとする。

「執務室もやられたらしい」

 すれ違いざま、彼はそう柊の耳元で囁く。本部風紀委員会の1人である彼は、私立松藤学園高等学校新弐年生、藤真貴勇ふじまたかいさお。柊の同級生であり同居人、そうして藤林院一門の1人である。

 慎之介、信三郎と別れてからこの大講堂に着くまで、歩きながら携帯電話を使ってネット上の情報は一通り目を通した柊だったが、それらしい話は書き込まれていなかったはず。

 だからといって貴勇が嘘をつくとは思えない。いつものように澄ました顔をしていた柊だったが、考えるまでもなく出てくる答えに小さく鼻を鳴らし、止めた足を再び動かす。もちろん向かった先は、学園都市桜花生徒自治会本部執行部執務室である。

「遅くなりました」

 そう言って柊が部屋に入ると、並んだ机には3人の役員が、それぞれ自分の席に着いていた。

「お疲れ様」

 桜花はもちろん、日本全国でも珍しくない黒の詰め襟学生服を着た男子生徒が、柊の挨拶に穏やかに応える。だがすぐに継がれる言葉は、いつものように毒を帯びている。

「今日はサボるつもりかと思ったよ」

 桜花東区にある私立瑞光ずいこう高等学校新2年生の柴周介しばしゅうすけ。柔和な顔立ちに中性的な雰囲気を醸すが、身長は175㎝くらいあり、決して線も細くない。今日は3月末にしては暖かいため、ボタンを外した襟には学年章と共に、柊と同じ 「書」 の文字が刻まれた桜の徽章が付けられている。

「柴、お前さ、あんだけガンガンメール送ってきておいて、それはないだろ?」

「もちろんちょっとした嫌がらせだよ。今日は有村さんが休みだから、サボる可能性はかなり高いと思って」

「どうせお前、報告するチクるだろ」

「俺がしなくても、竹田さんがするかもね」

 普通教室より少し広いくらいの桜花自治会本部執行部執務室。そのほぼ中央には灰色の事務机が、顔を合わせるように並べられており、柴はその一席にすわっている。隣の席に、脱いだ上着を椅子の背に掛けた柊が話しながらすわろうとすると、向かいにすわる男子生徒が声を上げる。

「濡れ衣着せんなや、柴」

「冗談ですよ」

 机の上で開いたノートパソコン。その脇に置いた原稿の、赤くチェックされたところを見ながらパソコンに打ち込む柴は、しばし手を止めて肩をすくめてみせる。

「お竹さんは冗談通じないから、気をつけたほうがいいぞ」

 横から柊が言うと、すぐさまお竹さんこと竹田は 「アマ、お前もな」 と付け足す。

 竹田が着るのは白いブレザーが特徴的で、白いカッターシャツに焦げ茶色のネクタイ。同色のズボンという制服で、桜花北区にある私立星風せいふう学院第一高等学校男子のもの。彼は同高の新3年生で、フルネームは竹田敦たけだあつし

 ブレザーの襟には校章、学年章と並んで薄紅色をした桜の徽章が並んでいるが、その中央に刻まれた文字は 「会」 である。今はすわっているが、その身長は柴と同じくらい。スポーツマンらしく体格がいい。そのもじゃもじゃ頭は天然パーマで、口の悪さは執行部一。

「おひぃさんは無事に入寮したみたいやな」

「事前リサーチ、やって正解でした。予想以上の騒ぎになってますよ」

「無駄に騒ぎ起こした気ぃもせぇへんぇけど、やってしもうたことはしゃあない。

 せやけどおひぃさんも、なんぞやらかしたらしいな」

「挨拶ですか?」

 机の上に立てて並べたノートや辞書、ファイル、続いて引き出しの中を見ながら柊は応える。

「凄い騒ぎになってるよ。ネットもテレビも、速報で映像流してる」

 隣の柴は 「視る?」 と笑う。

「あとで視るから、録っとけ」

「多分、しばらくエンドレスで流れるだろうから、寮に戻ってから自分で録画してもいいと思うけど」

 減らず口をたたきながらも、柴はDVDをパソコンにセットしていたから、おそらくダビングしているのだろう。

「お前、そこおったんやろ? わざわざそんなもん、視てどないすんねん?」

「俺も映ってました?」

「映っとった」

 竹田が応えると、後を柴が受ける。

「最初の速報が流れた直後から、天宮あまみや親衛隊やファンクラブの掲示板ばんが大荒れ。今後も支持するか、他に鞍替えするかで非難合戦をしてるっていうか、複雑な構図になってるよ」

 自治会が管理する桜花ネットワーク内でのことである。

 柊に彼女がいることを知っていて今まで応援してきたのだから、今後も応援し合おうといった呼びかけや、鞍替えの主張を 「尻軽」 と非難する意見など、実に様々な意見が飛び交い、一言で表現するのは難しい有様となっている。

 それこそそっちの方を確認したらどうかと柴は言うけれど、柊は 「興味なし」 で終わらせる。

「それで、左近さこんは無事にお遣いを済ませたんですか?」

 柊の問い掛けに、ダビングし終えたDVDを差し出しながら柴が簡潔に事の顛末を説明する。

 学園都市桜花生徒自治会の使者として、親書を届けに桜花西区にある私立紅梅こうばい女学院を訪ねた新宮左近にいみやさこん。その時の出来事を柴から聞いた柊は小さく肩をすくめてみせる。

「大立ち回り、か。まぁ左近を使えばそんなもんだな」

「お遣いそのものはちゃんとしてくれたし、怪我人も出ていないから多少のことはいいんじゃないかな?」

 もちろん本人からの報告だけれど……と柴は付け加える。

「当たり前や!

 これで怪我人なんぞ出してみぃ。話にならんわ」

 それこそ女学院を怒らせるだけだという竹田だが、柊と同じく澄ました顔の柴が返す。

「大勢で行っては女学院を警戒させますし、かと言って単身では危険な可能性もあります。そう言う意味では、新宮さんは適任だったと思いますが?」

 本部実行委員会には警備部会があり、当然女子生徒も所属している。だが仕事の内容は親書を届けることであって、警備部会所属委員がすべきことではない。それこそ女子生徒であっても、わざわざ武技に秀でた警備部会所属委員を使えば喧嘩を売りに行っているようなもの。女学院を警戒させるだけに留まらず、間違いなく怒らせていただろう。

「危険なんぞあるかい」

「ですが実際、女学院側は長刀でしたっけ? 武力で制止をかけてきたと聞きましたけど?」

 まだ口頭での報告しか聞いていない彼らだが、立場をよくわきまえている新宮左近はありのままを報告。柴や金村と共にその場で聞いていた竹田は、ややばつが悪そうに切り返す。

「ほな何か? お前の人選やったんかいな?」

「推薦は本部実行委員会副委員長です」

くすのき? なんやあいつ、役目に失敗した時は自分とこで責任とるつもりやったとでも言うんか?」

 自治会の本部実行委員会も3年生が卒業し、現在は在校する新3年生が中心となって運営されており、卒業した委員長の代行を旧年度の副委員長が務めている。

 それが私立松藤まつふじ学園高等学校新参年生の楠正也くすのきまさなりで、今回、紅梅女学院への使者を務めた新宮左近や柊の上級生に当たる。

「殊勝な行いじゃありませんか」

 先輩の行いを称える柊だが、竹田は 「阿呆」 と罵る。

「新宮いうたらお前の親戚やろ? 澄ました顔しとるけど、新学期が始まって事が露呈したら、また生徒会からなんぞ難癖付けられるんちゃうんか」

「親戚云々は別に関係ないですけど、桑園くわその先輩と違って松葉まつばさんは細かそうですからね。難癖はともかく、苦情はきそうですね。

 おまけに俺、あの人には嫌われてますから」

「もうえぇわ」

 竹田はやや投げやりに柊の言葉を遮る。

「そういうややこしいことはアリに任せる。

 えぇかアマ、お前は余計なことするなや。お前が手ぇ出すと余計ややこしぃことになるさかい、鬱陶しいてかなわん。これ以上の面倒は御免やで」

 忙しく電卓を叩いていた竹田だったが、その手を止めて柊を指さす。

 だが柊はそれをかわすように 「ご心配なく」 と言いながら席を立つと、壁際に並んだロッカーの1つから分厚いファイルの1冊をとって席に戻る。

「俺もサクヤ君の相手で手一杯ですから」

「嘘つくなや」

 笑顔で応える柊だが、その胡散臭さは竹田でなくても見てわかる。

「お前やったら、両手が塞がってても足の指で電卓叩けるやろ」

「褒め言葉と受け取っておきます」

 のらりくらりとかわす柊に、竹田は諦めたように小さく息を吐く。そして再び電卓を叩きながら 「で」 と新たに話を切り出す。

「状況はどないなっとんねん?」

「明日の予行演習リハーサルまでに終わらせるのは無理ですね、あの状況では」

 竹田の問い掛けに柴が答えると、後に柊が続く。

「俺も今さっき見てきましたけど、床にシートだけでも敷き終えさせて、明日は椅子を並べながら予行演習リハーサルですね」

「大講堂のことちゃうわ!」

 大講堂内での入都式準備の様子を口々に話す柴と柊に、竹田は苛立ったように声を荒らげる。もちろん2人ともわかっていて言っているのだから、本当に性格の悪い書記コンビである。

 柊はいつものように薄く笑みを浮かべながら 「そっちですか」 とわざとらしい。

「お前ら、わかっとって言うてるんやろ? どんだけ根性悪いねん?

 柴まで調子に乗りくさりおって」

 まぁまぁと宥めようとする柴の横から、柊が竹田の欲した答えを告げる。

「思うところがあって俺の手元にはありませんが、間違いなく取り戻しましたので問題ありません」

「思うところってなんやねん? 今、どこにあんねん?」

 竹田はやや性急に答えを求める。

「安全なところです。高子たかいこが絶対に手を出せないところ」

 保証すると言って柊はにやりと笑う。

 もちろん納得出来ない竹田はさらに問い詰めようとするけれど、柊は手を挙げ、竹田が何かを言う前に制する。

「状況が状況ですから、今は黙秘で。壁に耳あり障子の目ありって言いますからね」

 悪戯っぽく笑ってみせる柊だが、どうも胡散臭くて仕方がない。

 だがさらに竹田が問い詰めるより早く、柴が 「そう言えば」 と割って入る。

「このあいだ、柊葉しゅうようの会長代行に会ったんですが、なにを思ったのか、今さら秋梅の変しゅうばいのへんについてしつこく聞かれました」

「柊葉いうたら、東区副都か」

 竹田の問い掛けに柴は 「そうです」 と答える。柴が通う私立瑞光ずいこう高等学校が所属する桜花東区。その東区代表議会の副都を務める1校が私立柊葉高等学校であり、もう1校が瑞光高等学校である。

 ただの好奇心なのか?

 あるいは何かしら思うところがあってのことか尋ねる竹田に、柴は 「さぁ?」 と曖昧に答える。

「なんや余計なこと言うてへんやろな? 目的がわからんうちは、適当にシラ切っとけや」

 竹田に言われるまでもなく、柴はすっとぼけておいたという。そのへんは金村と違い、抜かりはない。

 ただ柴が気になったのは、その席に彼が通う私立瑞光高等学校生徒会会長代行を務める新3年生の奈良松義久ならまつよしひさが同席していたということ。

 いや、これは問題ではない。つまり両校で示し合わせ、執行部の内情を探るべく柴への尋問をセッティングしたとも考えられるわけだからだが、問題はなぜ副都2校なのか、ということ。

 そう。柴が一番疑問に思ったのは、なぜその席に東都とうとである私立竺学館じくがくかん高等学校に同席していなかったのか、ということである。

権力ちから関係で言えば、竺学館は実備三強に入る強豪校。会長代行の青垣あおがきさんも先代に勝るとも劣らない堅物だし、あそこの生徒会は協議制でちょっとちょっと変わってるからな」

 柊が言うと、柴も思い出したように話す。

「やり方とか考え方が合わないらしくて、柊葉の徳間とくまさんとうちのあずま先輩とはよくやり合ってたみたいだね。

 代行の青垣さんはよく知らないけど、竺学館がああいう学校だから、似たり寄ったりかな?」

「熱血体育会系じゃ、芳正館ほうせいかんほどやないけどな」

 西区にある私立芳正館高等学校を引き合いに出してくる竹田に、柊は 「あそこはただの筋肉馬鹿です」 と冷ややかに返す。

「そういう中央もなんや、裏と表の央都おうとにご機嫌伺い言うて腹の探り合いしとるんやて? どいつもこいつもご苦労なこった」

 その点、執行部は各地区の権力争いには縁がない。それぞれの動向に目を配りつつも、独自路線で画策を練っている。まるで他人事のように言う竹田に、柊が 「そういえば」 と思い出す。

「サクヤ君も何かしてるみたいですよ」

 そう言う目は、机の上に広げたファイルに落としたまま。並んだ細かい文字を追っている。

「なにかて、なんや?」

「さぁ、そこまでは。おっとりさんのくせに、結構ガードが堅くて。

 ただ子飼いが動いているので、なにか調べていることは間違いありません」

「子飼い?」

 隣の席の柴が眉間にしわを寄せる。

「そ、子飼い。藤林院とうりんいんは、知られてる以上に色々いるからな」

「ああ、藤の付かない親族とか?」

「それもあるけど、他にも色々。血族だったり一滴の血縁もなかったり。

 俺の立場じゃ全部は把握しきれないけど、今回は誰が動いているかわかってる。サクヤ君にバレなきゃ止める手もあるけど、あいつは忠実すぎて無理」

 それこそ足の一本でも折って、実際に動けないようにでもしなければ止められないという柊に、隣の柴は 「過激だね」 と笑う。

「あのおひぃさんも結構なカリスマやし、油断出来へんのちゃうか? 大丈夫なんか、アマ?」

「誰に言ってるんですか? お竹さんも心配性ですね」

「その自信はどっから来てもえぇけど、お前、遊びが過ぎるから心配しとんのや!」

 松藤学園の一部の生徒に見られる傾向なのか、柊の先輩に当たる同高生徒会会長代行の松葉晴美まつばはるみも後輩の五百蔵光彦いおくらみつひこに同じことを言われていたが、当事者同士はそのことを知らない。そんな2人の関係が微妙なのは、一種の同族嫌悪とも考えられる。

 竹田の指摘をいつもの薄笑いでかわした柊は 「ところで」 と切り出す。

「俺も訊きたいことがあるんです。

 ここにも入られましたよね?」

 もちろん空き巣のことである。関に着いた柊が、机の上に立てられたノートやファイルの並び、引き出しの中身や配置を見ていたのはその確認である。

 それこそいつ誰が言い出すか待っていたものの、一向に話題がそちらに行かない。これ以上は待っていても時間の無駄と切り出した柊に、竹田は小さく息を吐く。

 柴の説明によると、最初に発見したのは風紀委員だったという。連絡を受けた竹田が駆けつけ、執務室内を確認。犯人はともかく、空き巣の目的はすぐにわかったので、風紀委員には口止めをして追い払ったという。

「片付け、大変だったんだよ」

「せやけどなんでアマ、知っとんねん?」

「途中で貴勇たかいさおに会いまして、奴から聞きました」

「たかいさお?」

 呟く竹田は眉間にしわを寄せるが、柴はすぐに気づいたらしい。

「確か藤真ふじまの下の名前だっけ? 風紀委員で天宮あまみやの同居人。

 つまり風紀委員会では回覧されてるってことかな?」

 言って竹田を見ると、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「あいつらぁ~」

「風紀委員にしては口が軽いね。内部犯もちょっとは疑ったほうがいいかもね」

 それこそ第一発見者が怪しいのではないかと言い出す柴だが、柊は別のことを言い出す。

「内部犯だとしても、風紀は目的を口外出来ない。それこそ自分が犯人だと名乗るようなもんだからな」

 それでも第一発見者や、その場に居合わせた風紀委員をチェックするべきではないかという柴の意見に、竹田と柊は風紀委員会の反発を予想する。

 ただ口止めが聞いていないことには抗議。その際、名前を聞き出してはどうかと提案する。

 さらに柊は問題を提起する。

「実はちょっと困った事態になりそうです」

 その言葉に、柴、竹田はほぼ同時に手を止める。が、ここで金村までが手を止めて顔を上げてしまい、竹田に注意される。

「お前はえぇから続けんかい!」

「ちょっとは休ませて下さいよぉ~。もう朝からずっとなんですから」

 実は柊が来る前からずっと執務室にいた金村だったが、口を開くことを竹田に禁じられ喋ることが出来なかったのである。

「何? お前、まだ終わってなかったのか?」

 わざとらしいほど大げさに呆れてみせる柊に、隣の柴も笑う。

「あれだけ言ったのに、ちゃっかり春休みに帰省なんてしてるから。自業自得だよ」

 桜花自治会執行部で会計を務める竹田と金村。先輩でもあり、算盤とあだ名されるほどの竹田の予算管理能力は高いのだが、如何ともしがたいほどの悪筆が玉に瑕。それも暗号と言わざるを得ないほどのレベルで、年度末に行われる理事会の会計監査にそのままの帳簿を提出することが出来ず、竹田の後継となるべく次席に入っている金村が責任をとらされ、帳簿の書き写しを命じられたのである。

 すでにその作業を始めて1ヶ月以上が経っているが、全部で8冊ある帳簿はやっと7冊目が終わったところ。春休みも返上して作業を続けるよう言われていたにもかかわらず、彼はこっそりと実家に帰省……ならぬ逃亡を謀ったため、未だ終わっていないのである。竹田が怒るのも当然だろう。

 もっとも、竹田が悪筆を直せばいい話なのだが、こればかりは一朝一夕はなんともならず。さらには竹田に直す気がないから始末が悪い。

「金村は作業継続。どうせお前が聞いても対処出来ないから」

 冷ややかに言った柊は、竹田と柴に本題を切り出す。

「今回の1件で、魔窟の主まくつのぬしが立腹です」

 これだけを聞いただけで他の3人はほぼ同時に 「あ!」 と声を上げる。

「そういえばネットに書き込みがあったっけ?」

 すでに準備を終えていることに気づいた柴が言うと、竹田は頭を抱えるように机に突っ伏す。

「またあいつらか! 勘弁せぇ~や!」

「で、でも、でもさ、ほら、寮長代わってるんでしょ? もうあの人たちじゃないじゃん。だったら……」

 何度か顔を合わせたことのある魔窟の主、兼栄慎之介かねえしんのすけ阪本信三郎さかもとしんざぶろうのことを思い出したのか、少し怯えるような金村は救いを求めるように柊を見るも、彼は 「残念でした」 と冷たい。

「まさか新寮長もひどいとか?」

 あるいは前寮長コンビよりひどいのかと案じる金村に、柊は 「外れ」 とやはり冷ややか。

「役目そのものは新寮長に代わってるけど、魔窟の主はあの2人のまま。今のところ、新寮長はあの2人の傀儡みたいなもんだから」

「流石って言うべきかな? 天宮たちの部屋が荒らされたのは今朝のことなのに、すでに協力者を使ってネットに流し終えてる。あとは見つけた犯人を晒すだけ。犯人は桜花中から制裁を受けるっていう、いつものパターンだね」

 感心半分呆れ半分に柴は続ける。

「しかも天宮と藤真のシンパって過激なのが多いから、犯人、ちょっと悲惨かもね」

「俺、死んでも魔窟の主には関わりたくない」

 泣き言を言う金村を、柊は 「へなちょこめ」 といつものように馬鹿にする。

「安心しろ、あいつらの関心はあくまで第5卯木うつぎ。余計なことさえしなけりゃ、お前みたいなへなちょこなんざ歯牙にもかけねぇよ」

「でもさ、第5卯木の魔窟の主が晒しをするのはいつものことじゃない? それが執行部俺たちになんの関係があるのさ?」

「忘れてたけど、お前、ただのへなちょこじゃなかったっけ?」

「さすが金村だね」

「もうえぇわ! お前は黙って帳簿写しとれ!」

 竹田の言葉に柴と柊も同意するが、金村は 「なんで?」 と未だわからない様子。

「お馬鹿なへなちょこ君が可哀相だから説明してやる。

 魔窟の主は実行犯だけじゃなく、指示を出した奴も吊し上げるつもりだ」

 柊の少し偉そうな態度の説明に、金村は大きく頷いてみせる。どうやらここまでは理解出来ているらしい。

「そんなの、いつものことじゃない。あの2人、徹底してるし。

 犯人だって、どうせ前総代の親衛隊だろ?

 軽口を叩く金村に、柴は苦笑を浮かべる。

「それがわかってて、そこから先がわからないのが金村だよね」

「どういう意味だよ?」

「どういう意味だよ?」

「魔窟の主に捕まった実行犯と女王陛下の下僕が、目的を黙ってると思う?」

「目的って……あぁ!」

 声を張り上げた金村は、驚きのあまり立ち上がってしまう。

「まずいよ!」

 ようやくのことで事態を理解した金村は、すぐにでもどうにかしなければと竹田、柴、柊の顔に忙しく視線を送る。すぐさま柊は 「うるさい」 と、手元にあった赤ペンを金村に投げつける。それを見事に額に受けた金村は、手で押さえつつ恨めしげに柊を見る。

「だって、どうするつもり」

「いずれ公表することだ、それほど大騒ぎすることじゃない。理由もすでに用意してある。

 だが今はそのタイミングじゃない」

 まして魔窟の主の晒し騒ぎに巻き込まれるなど、最悪のタイミングである。実際よりも大騒ぎになるのが目に見えている。

「すでに主たちは晒す気、満々です。晒しそのものを止めることは出来ません」

 柊はつい先程、当人たちから宣言を受けたばかりである。まだ彼らは家捜しの目的を知らないはずだが、何かしら勘づき、あえて柊に宣言した可能性は多いにある。だとすれば口止めは容易ではないかもしれない。

「奴らより先に犯人探し出せや」

 投げやりに返す竹田に、柊も柴も苦笑を浮かべる。

「見つけ出して、晒し首にならないよう守ってやるから黙っているように、とでも口止めしますか?」

「どうやって守ります? 寮内に干渉するなら、相応の理由が必要です。そこの捏造から始めるには時間がありません。

 そもそも馬鹿の下僕には、今回の一件を黙っている必要がありません。それこそ執行部俺たちを陥れるつもりで、得意げにバラすでしょう。まぁ手元に物がないから状況は悪いですし、多分、馬鹿の意志に反しますからあとでこっぴどくお仕置きされるでしょうけど」

「そうだね、ここで事が公になるのは前総代も望むところではないだろうね」

「ですが言われるままに動くだけの駒に、その判断が出来るとは思えません」

 つまり簡単に口を割ってしまうだろうという柊に、柴も頷いて同意する。

「実行犯にしても、どんな弱味を掴まれたか知りませんけど、簡単に脅しに屈するような馬鹿ですし」

「第5卯木で外部干渉を手伝えば、魔窟の主の逆鱗に触れることぐらい桜花の人間なら誰でも知っていることなのに。それでも脅しに屈しちゃうような。金村並みのへなちょこ君じゃ、魔窟の主の顔見ただけで自分からベラベラ喋っちゃうじゃないかな」

「せやからあいつらより先に見つけぇ言うてるやろ!」

 言いたい放題の後輩たちに、竹田は苛立ったように少し語気を荒らげる。

「無理ですよ、第5卯木は魔窟の主のホームですから」

「ホーム言うたらアマもホームやろうが!」

 紛れもなく学園都市桜花付属第5卯木男子寮の住人である天宮柊。だから彼は言う。

「じゃ魔窟の主と取引でもしますか?」

 それこそ普通に黙っていて欲しいなどと頼んだところで、聞き入れる相手ではない。彼らはただ、第5卯木男子寮への外部干渉を徹底的に排除したい、それだけで、犯人たちの目的などどうでもいいのである。

 柊に続き柴、金村と集まる視線に、竹田は眉間に深くしわを寄せて思案する。

 総代が不在の現在、自治会執行部は副総代代行を中心に動く。その1人が竹田である。指示を仰いでくる3人の後輩に、竹田は切羽詰まったように眉間のしわをさらに深く、深くしてゆく。

「……とりあえずアマ、お前は動くな。何度も言うてるけど、お前が動くと事態がややこしなってかなわん。例の件は、お前以外にどないもしようがなかったから任せたけど、ここで魔窟の主と喧嘩なんぞされた日ぃには、目も当てられんわ」

「それはありませんけど」

 泣き言にもにた竹田の指示に柊は苦笑を浮かべうるが、あえて魔窟の主との関係を話すこともなければ意見もしない。

「魔窟の主と取引、お前らの考えはそれでえぇやな?」

 竹田の念を押すような問い掛けに、柊と柴、2人の後輩は企みを潜ませているような笑みで以て応える。

「他に提案があるなら是非にもお伺いしたい」

「俺も興味がありますね」

「どこまで性悪やねん、お前ら」

 苦虫を噛み潰す竹田は小さく息を吐く。

「タイミングだけの問題ですから、あいつらもそう駄々をこねるとは思えません。機嫌さえ損ねなければ、条件次第ではあっさり呑むような気もしますけど?」

「お前らの考えはわかった。

 せやけどわしにはよう判断が付かん。元々副代なんて柄やないし」

 そう言う竹田の目がチラリと柊を見る。本来その席に着くべきだった柊が、外聞を憚って辞退したことで竹田に回ってきた副総代代行の席。その恨み言でも言いたげな目である。

 もちろん気づいた柊だが、いつもの薄笑いで以てその恨み言を跳ね返す。

「お前、ほんまに根性悪いな」

「竹田さんこそ諦めが悪いですね。その件については皆、納得しているはずですよ。今さら蒸し返さないで下さい。あと1ヶ月ほどですし、せいぜい頑張って下さい」

 その言い方がさらにムカつくと竹田を怒らせる柊だが、沈黙の薄笑いで以て跳ね返すだけ。

 やがて竹田も諦めたように小さく息を吐くと、話を本題に戻す。

「お前らの考えを踏まえた上で、判断はアリに任せる。あいつも第5卯木やし、魔窟の主とも同じ3年や。アマよりましに話も出来るはずや」

 3人の新2年生を見る竹田の目が 「異存は?」 と問うも、誰も意見を返さなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る