CHAPTER 2 『蔭に蠢く』
act.6 『東海林要の受難』
「やっと松藤が動く」
「おっせーんだよ! 遅すぎるっての!」
松藤学園生徒会の使者として、親書を届けに来た
「そうそう」
花園は不意に思い出しように言って、今度は東山を見る。
「彼は
「それ、さっき本人から聞いた。
ってかお前、わざとやってるだろ?」
「そうだったかな?」
照れ笑いを浮かべる花園に、東山は 「この狸野郎」 と罵る。
「剣道部2年の東海林って、あれだろ? 去年の大運動会剣道の部、男子団体戦の先鋒。
1年のくせに、決勝まで1本勝ちで決めてくれた勝利の立役者。俺でなくても知ってるっての」
それこそ
「全ては先輩方の、日頃のご指導の
「ちなみに荒冷は松藤の剣道部員で、お前に1本負けした1人。
どう考えても
松藤学園生徒会会長代行を務める
「まさか東海林と会うとは思っていなかっただけだろ? まぁ偶然っていうのは、得てして怖いモンだが」
実際、要が荒冷と校門で出くわしたのは偶然である。しかも要は、荒冷から声を掛けられるまで彼が門前に立っていたことにすら気づかなかったのだから、本当の本当に偶然である。
「だいたいこいつ、同じ寮じゃん。知らないほうがおかしいだろ?」
今朝も食堂で会ったばかりだと東山に言われるが、花園は 「そううだっけ?」 とすっとぼけてみせる。
彼らが生活するのは学園都市桜花付属第5
さすがに数百人いる寮生全員を覚えるのは難しいが、自校の後輩くらいは知っていて当たり前だという東山は、あくまですっとぼけようとする花園を 「お前、俺のこと馬鹿だと思ってる?」 と睨み付ける。
「部員自慢もたいがいにしろよな、この狸!」
「狸は松葉だろ? 松藤は狐もいるから、大変だろうな」
「狐? ああ、あいつか。校内で狸と狐が化かし合ってる分には、俺たちには無害だから放っておく」
「あの、先輩、ひょっとして松藤の狐って……その、まさか
「他にいるか?」
あっさりと肯定する東山に、要は 「やっぱりですか」 とうなだれる。
「確か、天宮は少し目が悪いんです」
「そういや寮で眼鏡掛けてるの、見たことあるな。でもいつもは掛けてないってことは、そんなに悪くないってことか。
寮で思い出したけど、今年の新入生にお前と同じ苗字がいたな」
400以上ある学都桜花付属学生寮は、学校別でもなければ学年別にもなっておらず、出身地にもかかわらず1つの寮に様々な学校の生徒が、3学年交えて生活している。
唯一配慮されるのは保護者の経済的負担で、兄弟親族は同じ寮にするのが原則。よって新たに第5卯木寮に入る 「東海林」 が要の親族である可能性は高い。
「はい、従兄弟です」
「なんだ、弟じゃないのか」
少しばかり拍子抜けする東山に、要は苦笑を浮かべる。
「2人とも自分の弟ではありません。似たようなものですけど」
「2人?」
怪訝な顔をする東山に、要は 「双子です」 と返す。
「学校は?」
「松藤です」
「2人とも?」
「2人共です」
東山が 「へぇ」 と感心したような声を上げつつ花園に視線を送ると、今度はその花園が口を開く。
「確か東海林には妹がいたと思うけど?」
「自分の妹ですか?」
桜花の外にいた従兄弟たちのことを2人の先輩が知らないのは当然だが、同じく桜花の外にいた妹のことは知っている。要でなくてもこれは疑問に思うだろう。戸惑う彼を見て花園は話を続ける。
「去年の大運動会の時、応援に来ていただろ? 結構可愛いって、1年が騒いでいたからな」
それで耳に入ったという花園に、要はなんと答えていいのかわからず 「はぁ」 と曖昧な声を出す。
「実は妹も、4月から松藤に通うことになりまして。先日、入都しました」
それを聞いて東山が 「頭いいじゃん」 と冷やかす。
もちろんだからといって要1人が、東海林の従兄弟たちの中で出来が悪いわけではない。私立松藤学園は文の面では全国でもトップクラスの進学校だが、武の面では英華高校に少しばかり及ばない。そして英華高校の偏差値も決して低くはなく、桜花トップを松藤学園に譲るものの、トップクラスには入っている。
「その大運動会に妹さん、誰かと一緒に来てなかったかい?」
何気ない花園の問い掛けに、一瞬の沈黙を置いて要は 「はい」 と答える。躊躇したわけではない。思い出していたのである。
「従姉妹です」
横から東山が 「またイトコか」 と口を挟むが、花園は無視するように続ける。
「
花園は変わらず穏やかだったけれど、要は一瞬にして顔色を変える。その表情が失言を激しく悔いている。だが悔いてばかりもいられず、さりげなく花園の少し後ろ、窓にもたれかかるように立つ東山を見つつ質問に質問を返してしまう。
「
上下関係の厳しい英華高校において、後輩である要が2人の先輩に質問を返すことなど本来は許されない。それでも聞き返さずにはいられない。それほど花園の質問にも、要の質問にも重大な意味がある。
先に口を開いたのは、問われた花園ではなく東山である。
「生徒会の情報網を舐めてもらっちゃ困る……と言いたいところだけど、大評議会で女王陛下と一戦交えたのは有名だ。俺はまだ顔は拝ませてもらっちゃいないけど、すっげぇ可愛いんだって?」
卒業した会長の代行と務める花園と違い、東山は旧年度役員の1人に過ぎず、あの大評議会に出席出来る立場ではない。
続く花園は 「それで?」 と自らの問いに対する返事を求める。数秒の沈黙で覚悟を決めた要は、真っ直ぐに花園を見て答える。
「ご令嬢のお母さんが、自分の父の妹にあたります」
つまり藤林院一門の外戚というわけだが、現在の桜花において、藤林院の関係者というのは実に微妙な立ち位置にある。もちろん全ては前総代のせいである。
藤林院一門の子弟については、すでに数名が学都桜花に在籍していることが判明している。そのほとんどが前総代とは無関係を主張し、自治会活動への私的干渉を控え、1生徒としてのみ参加していた。
だが前総代の例がある。彼女は1生徒を装って自治会執行部役員を1年務め、総代に就任したとたんその本性を顕し独裁者へと豹変したのである。それを考えれば、これまではともかく、新年度から誰がどう変わるかわからない。
まして新入生として新たに入都する一門の子弟もあり、1校を預かる花園や東山としては油断は禁物。おまけに要は自校の生徒である。獅子身中の虫ともなりかねないわけで、彼らが警戒するのはもっともな話だろう。
だが要もそれを承知で、藤林院との関わりを答えたのである。
「ご令嬢の母親の旧姓が東海林ということは、さっき話していた双子の従兄弟も令嬢の従兄弟ということか」
花園の、独り言とも取れるし問いかけとも取れる言葉に、要は律儀に 「そうです」 と真面目に答える。
「双子の父と自分の父も双子ですから」
「松藤には頭の痛いことだな」
今度は東山のぼやきに似た発言に、やはり要は律儀に 「ご心配には及びません」 と答える。
「外戚といいましても、自分たちの父親は普通の会社員です。自分も妹も従兄弟たちも、藤林院にとって利用価値はありませんし、ご令嬢以外とは面識もほとんどありません」
「女王陛下とは?」
東山の問い掛けに、要は苦笑を浮かべる。
「
自分たちも……その、何をされるかわからないところがあったので、昔から近づかないようにしてしました」
「率直に訊こう。ここで藤家との関係を明かせば、自分の立場が危うくなることはわかっていたはず」
「それをなぜ明かしたのか?」
先を口にする要に、花園は無言のまま大きく頷く。
もちろん要はわかっていた。だから失言に顔色を変えてしまったのだが、すでに覚悟は決まっている。
「もちろん退部なんて話にはならないが、話によって、
「もちろん必要とあらばおつけ下さい」
「東海林、それは答えになっていない」
「今更隠すべき事は何もありません。
ただ、どうお話ししたものか……」
「長話になりそうだな」
言って花園は東山を振り返る。すると窓辺に立っていた東山は、部屋の隅に片付けられていたパイプ椅子の1つを用意し、要にすわるよう手振りで示す。
普段は役員の執務机が部屋の中央に並べられているのだが、年度末で大掃除をしたあとの生徒会室は片付けられたままになっており、花園が掛ける椅子と、その前に置かれた長机があるだけで室内はひどくガランとしている。
「いえ、自分はこのままで」
「東山のことは気にしなくていい。罰ゲームだから」
よくわからないが、とりあえず要がすわらなければ話が先に進まないらしい。罰ゲームについての説明を求めることも出来ず、仕方なく 「失礼します」 と一礼してから腰掛けると、どこからどう話したものかと思案する。
「……先輩方が案じられますことは、自分ももっともだと思います。
ですがこれは先程も申し上げましたが、自分と前総代の高子さんとは全くと言っていいほど関係ありません。
自分自身、この1年、桜花総代としての高子さんを見てきましたが、あの所業はとても許せるものではありません。頼まれたとしても……いえ、あの、そんなことは絶対にあり得ないのですが、もし、もし頼まれたとしても、絶対に手を貸すことはありません」
「妹や従兄弟たちを人質に取られるかもしれない」
あえて冷たく厳しいたとえを持ち出す花園だが、要は少しばかり苦笑を浮かべるだけ。
「それは自分に限らず、兄弟のいる生徒、全員に言えることです。
前総代は票集めに、一般生徒の弱みを握っていうことをきかせているとも聞きますが。いずれにせよ、利用価値の高い生徒を効率よく動かす、高子さんならばそうすると思います」
要は剣道が強いという以外、生徒会役員でもなければ英華校内において、強い影響力を持つというわけでもない。つまり高子にしてみれば利用価値の低い、ただの一生徒に過ぎない。
「それに自分はさっちゃんの従兄弟です。自分や妹たちに何かすれば、嫌でもさっちゃんが関与してきますから、逆に高子さんとしては避けたいんじゃないかと思います」
「本当に犬猿の仲なんだな」
東山の呟きに要は 「はい」 とゆっくり頷く。
「自分は英華高生であることに誇りを持っております。本校での教えを信じてこの1年、剣の道に精進して参りました。
ここでその信念を曲げるは自らの剣を折るも同然。まして心にやましいことがないのならば隠す必要もございません。ですから藤林院との関係も隠す必要がないと思いました。
己の保身を考えて嘘を吐く。あるいは隠すことで一時的にしのぐことは出来ても、真実はいずれ明かされるもの。その程度の先も読めず、迷いに曇る剣で何が斬れましょう? 対すべき相手に勝てましょうか?
そのような愚で敗れるくらいなら、潔く剣を捨てるべきです。自分はあくまでも己の極めんとする道に真摯でありたいと考え、日々精進を続ける所存です」
己の保身を第一に考えて真実を曲げるなど、武を極めんとする者にあるまじき行為である。
卑怯な手管を用いて勝利しても、それは勝利ではない。卑怯な手段に手を染めた時点で己の心の弱さに敗れた、すなわち敗者となっているのである。
それが私立英華高等学校の教えならば、背くことは自らの胸に刃を突き立てるも同然。誰ともしれぬ手に握られし刃に、惨めに貫かれるならば潔く腹を切る。その覚悟なくて同校の門をくぐることは許されない。それが武道の名門・私立英華高等学校の強さであり、この強さをもって動向は、前総代・高子の独善的支配に与することを退けてきたのである。
「ですから先輩方には、どうぞ自分のことなどお気になさらず、学都桜花のため、ひいては我が校のため、後顧の憂いなく大任を果たされますよう」
「俺は、東海林のような後輩を持てたことを誇りに思うよ」
要の答えに満足したらしい花園の、まさに誇らしげな笑みに要は照れる。
「いえ、自分は本校の生徒として当たり前のことを言ったまでです」
「もちろん必要な時は手を貸してくれるんだろう?」
「自分でよろしければ、全力でお手伝いさせていただきます」
「じゃあまず、次の生徒会役員選挙に立候補してもらおうか」
率直な性格そのままに受け答えしていた要だったが、唐突な花園の要請に十分すぎるほど長く沈黙。ようやくのことで 「は?」 と間の抜けた声を出す。
「……あ……あの、せ、ん、い? その、今な、と?」
あまりに唐突すぎる花園の要請に、要の言葉は不自然なところで切れ切れになる。顔が強ばって、上手く言葉を発せられないのである。
「人の話はちゃんと聞けよ」
後ろから後輩を叱りつける東山だが、花園は気にする様子はない。それどころか楽しそうに笑っているではないか。
「じゃあもう一度言おう。
次の生徒会役員選挙に立候補してもらうと言ったんだ。必要ならば手を貸してくれるんだろ?
そんな難しいことじゃない。会計か書記で十分。
もちろん東海林が希望するなら副会長でも構わないが、そうなると必然的に次期会長だ。それなりに職務も忙しくなるが、俺としては東海林なら次期会長としても十分だと思っている」
それこそ要が望むなら自分の後継者として指名してもいいと言う花園に、目を白黒させていた要は慌てる。
「滅相も!
どうして自分がっ?」
無理難題としか言いようのない花園の話に、要は混乱気味に訊き返す。本来ならば下級生にあるまじき行為だが、花園も東山もそんな要の反応を楽しんでいるらしく、笑顔で大目に見てくれる。
「剣道部2年の中じゃ、東海林の注目度は高い。実際に去年の大運動会、団体戦の先鋒に1年だったお前を選んでも、同級連中はもちろんだが、俺たち2年どころか先輩方3年も誰1人、異議を唱えなかったほどだ。
もちろん強ければいいわけじゃないが、そのへんは1年、
花園の思わぬ褒め言葉に要は 「自分は、そんなことは決して……」 と恐縮するあまり言葉に詰まるが、続く東山に慌てさせられる。
「残念ながら
それこそ要に匹敵する部員がいれば推薦したいと言わんばかり。
「だいたいお前、わかってないだろう?」
「なにがでしょうか?」
「お前がどう思うと、花園がこの話を表に出せば当選確実。
今から覚悟を決めておくんだな」
「東山先輩? あの、それはどういう意味でしょうか?」
目を白黒させながら尋ねる要に、東山はにやりと笑う。
「花園の
ちなみに俺も賛成してるから」
「は?」
「ついでに克也にも頼んで推薦発言してもらうか?」
生徒会会長代行の花園は剣道部部長でもあり、個人的に知る後輩である要を推薦することに違和感はないが、空手道部部長である有村克也の推薦まで得ては、空手道部部員の顔を潰すことにもなりかねない。日頃、練習に使う第1、第2武道場の使用を巡って、決して良好とは言えない両部の関係をさらに悪化させる可能性もある。
「い、いえ、そんな滅相も! お忙しい有村先輩を煩わせるような……」
「新学期が始まればすぐに立候補受付が始まる。そのつもりで準備を進めてくれ」
実際には、桜花自治会総代選挙が終わってから旧年度生徒会は解散。同じく総代就任をもって解散する自治会執行部役員選挙と、ほぼ同時進行で行われる。立候補受付は4月末頃でまだ1ヶ月ほどあるが、それまでの行事の多さを考えればあっという間のことだろう。
思わぬ話に驚き恐縮するばかりの要だったが、彼の意志に関わりなく全ては決定されている。上意下達、それが英華高等学校である。抗う術を持たない要は呆然とするけれど、花園はお構いなしに新たな話を切り出す。
「
なんとか気を取り直した要は 「そうですね……」 と思案するように首を傾げる。
「自分が知っているのは、さっちゃんの他には松藤の
桜花自治会執行部前副総代を務めた
その藤原明に弟がいることは花園たちも知るところらしく、東山が 「
「松藤の藤真というのは風紀委員会の藤真かな?」
花園の問い掛けに要が 「はい」 と素直に答えると、またしても横手から東山が口を挟む。
「あいつだろ、藤真って。よく
すると花園は笑う。
「奴らなりのコミュニケーションなんだろう、あれが。性格がひん曲がってるから。
他には誰がいる?」
「他、ですか? そうですね……学校は知らないんですけど……あ、いえ、桜花にいるかどうかも知らないんですけど、確か藤林院の分家があって、そのどちらかに3人兄弟がいるはずです」
すると今度は東山が言う。
「それ、
「多分その人です。やっぱり桜花にいるんですね。
他には……」
思案した要はまた1つ心当たりに出くわすが、すぐさま気まずそうに眉間にしわを寄せる。
「なに?」
花園が反応すると、東山が続く。
「腹芸の出来ない奴だな」
要の顔を見ていた2人の先輩は、その表情の変化から彼の思考を推測したらしい。要もまた、無駄な抵抗などせず、すぐに諦めて話し出す。
「その、まだ中学生なので関係ないとは思うのですが、実は
「紅梅女学院中等部? 名前は?」
尋ねられた要は困ったように言い淀む。
「その、忘れてしまいました。
妹やさっちゃんと仲がいいので、あの2人より2学年下ということは覚えているのですが、確か
思い出そうとしきりに首をひねる要をよそに、2人の先輩は顔を見合わせる。
「紅梅か」
「うちは男子校だから女子校ってだけでも厄介なのに、よりによって紅梅」
「無視したいところだが、中2ってことは兄弟がいないとも限らないしな」
もちろん当人より歳下の兄弟なら問題はないけれど、上ならば高校生である可能性は十分にある。何気ない東山の呟きに、ハッとした要は反射的に 「います!」 と一際大きな声を上げる。
「確かお兄さんが2人。上にお兄さんは自分よりずっと上なので全然覚えがないのですが、もう1人が同じくらいだったはずです」
それこそ上の兄は会ったことがあるかどうかもわからないくらいだが、下の兄とは確かに会ったことがある。顔もろくに覚えていないけれど、同い年か一歳違いくらいだったはずだから現在高校生の可能性は十分である。
「東海林ぃ~思い出せぇ~」
大股に近づいた東山は、要の前に立ったと思ったらおもむろにその大きな両手で要の頭を挟み込むように掴み、前後に激しく揺さぶり始める。
「おら、思い出せや!」
「ちょ、せんぱ……やめ、止めて下さいよ! む、無理です、無理ですって!」
こんなことをされては思い出せるものも思い出せない。そう抗議する要だが、東山は止めようとしない。
「東山、あまり乱暴なことをするなよ。東海林は次の役員なんだから」
「いえ、自分にはそんな……い、いて! 痛いです、先輩!」
要はなんとか断ろうとするも、東山はその頭を乱暴に掴んで揺さぶりながら言う。
「お前さ! 1年も剣道部でこいつの後輩やってて、まだ本性に気づいてなかったのか? 馬鹿じゃねぇの?」
「東山、人の可愛い後輩を馬鹿呼ばわりするのは止めてくれ」
「だいたい藤家ってのは、桜花に来るのが決まってるわけ?」
「そんなことはないと思いますけど……」
ようやくのことで頭を揺さぶるのを止めた東山だったが、両手はまだ要の頭を掴んだままである。
「さっちゃんが松藤を受けるのをおじさんは賛成していなかったみたいで、首席合格じゃなかったら入学させないって条件の出したそうですから」
現藤林院寺宗家当主・
「鬼か、あの人は」
思ったことをそのまま口に出す東山に要は苦笑する。
「お忙しいので自分などは滅多にお目に掛からないんですけど、普段はとても穏やかで優しい人なんですよ。さっちゃんにのこともとても可愛がっておられます」
その分、出された条件の厳しさに、娘の入都をよく思っていないことがわかる。
「素直に反対って言えばいいだけじゃん。なに、その無理難題」
「その条件を見事クリアして入都遊ばされるご令嬢も凄いよね。さすが親子って言うべきかな?」
苦笑交じりに言った花園は 「ともあれ」 と言葉を継ぐ。
「紅梅は考えものだな」
「西区のアホどもでも手出ししにくいところだからな」
私立紅梅女学院は桜花西区にあるのだが、現在の同校は桜花自治会内においてひどく微妙な立場にある。
「西区の連中はアホだから手出し出来ないんだよ。そもそもあそこまで事態を悪化させた一因は西区にもある」
穏やかに辛辣なことを言ってのけた花園は、不意に手にした封筒に視線を落とす。
「ここはやはり協力を仰ぐか?」
「絶対普遍不動の
「女王陛下の当選に松藤の
「どうかな? 松藤とはいえ、下手に藤家に手出しすればやばいのはわかってるはずだ。一門の名簿とか作れるほどの情報があるとは思えない。あの天宮が協力するとも思えないし」
「天宮は藤家じゃないだろう? 持ってる情報は東海林と変わらないんじゃないかな?」
言って花園が要を見ると、つられるように東山も要を見る。
「えっと……いえ、天宮の方がよく知っていると思います。あいつは将来的に一門に加わることが決まっていますし、そのための準備は始めているはずです」
あの柊が、ただその時が来るのをじっと待っているはずがない。それこそいつ来てもいいように、ぬかりなく手はずを整えているはず。そう考えれば要より藤家に詳しいはずだ。
これ以上、手持ちの情報がない要は役に立てないと考え決意するように切り出す。
「差し出がましいこととは存じますが、1つ、自分に提案があります」
「聞こう」
後輩である要からの唐突な申し出に東山は何か言い掛けたが、すかさず花園が応えるのを聞いて開きかけた口を閉じる。
「この度松藤学園に入学遊ばされます藤林院寺朔也子さんに協力を求められては如何でしょうか?」
思い掛けない提案だったのか、2人の先輩は少し驚いた顔を見合わせて無言で相談。ほどなく花園が要を見て口を開く。
「確かにご令嬢と前総代は不仲らしいね」
実際、大評議会での一戦を花園自身、その目と耳で見聞きしている。そこは疑う余地はないのだが、それだけではまだ足りない。
「だがあの不仲が、例えば性格が似ているがための可能性もある」
「先輩はさっちゃんが、
「可能性の問題だ。
あの場でご令嬢は、前総代の支配から桜花を解放するためなら助力を惜しまないと仰ったが、ご令嬢自身に野心がないとは限らない」
「その心配はご無用と存じます。高子さんとさっちゃんの不仲については、その、高子さんが藤林院寺宗家の相続を狙ってるらしくて。それでさっちゃんを蔑ろにしたがるというか、蹴落とそうとしているというか」
丁度いい言葉が思い浮かばす言い淀む要に、花園の後ろから東山が助け船を出す。
「つまり壮絶な相続争いをしてるってわけだ」
茶化すような言葉に、要はそれも少し違うと苦笑を浮かべる。
「自分たちの目には、一方的に高子さんがさっちゃんを敵視しているだけにしか見えませんけどね。なにしろさっちゃんは性格が、うちの妹よりおっとりしていまして。頭はいいんですけど、お嬢様育ちで世間知らずと申しますか。
お付きの人が……あの、高子さんに付いていた人たちとはちょっと違うんですけど、さっちゃんにもお付きの人が2人いるんですけど、その人たちとか、藤林院の人たちはさっちゃんのことを媛様って呼ぶくらいです」
「媛か。いいね。今後、俺たちも媛とお呼びしよう」
珍しく悪戯っぽく笑う花園に、お堅いイメージが強い英華高生徒会の中でも異彩を放つ東山はにやりと笑い 「OK」 とすぐさま同調する。
「いずれにしても、娘とはいえ今の当主に子供がいるんじゃ、女王陛下がどんなに頑張っても相続なんて無理だろ? ああいう古い家じゃ、婿養子を取ってでも血筋にこだわるっていうじゃん」
それこそどんなに高子が頑張っても無理ではないかと東山は言うが、曲がらないものでも曲げてみせるのが高子である。それでもどうしても曲がらなければ折ってしまう、そこまでやってのけるのが黒薔薇の女王陛下である。そうして夢破られ、桜花を去った生徒も少なくはない。
「先輩方の仰るとおり、裏央都・松藤学園の権勢は学都桜花随一。正直、央都である我が校ですらかなわないほど桜花中から支持を得ています。
それでも正直、藤林院の子供たちが動き始めたら抑えられるかどうかわからないと思います」
「言っておくが、松葉はそんなヤワじゃない」
よく知りもしないくせにと釘を刺す東山だが、要は話を続ける。
「他の役員はどうでしょう?
それに、それこそ兄弟を人質に取られないとも限りません」
松藤学園生徒会会長代行を務める
「桜花においては、さっちゃんもまだまだ新入生です。正直、1人ではどれほどのことが出来るか」
暗にどれほどのことも出来ないだろうと、要の口調は語る。
「ですが藤林院内では別です。
その……藤林院でも総代選挙には立候補でますよね? 止めることは誰にも出来ないと思います。
でも、多分、さっちゃんが桜花にいる、それだけで高子さんの真似は出来ないと思います。その、上手く表現出来ないのですが……」
「媛の目が黒いうちは、藤家から第2、第3の女王陛下は輩出させないってことかな?」
出される花園の助け船に、要はすがるように 「その通りです!」 と語気を強める。
「おそらく松藤といえど、藤林院の全員を把握することは出来ないはずです」
「だが媛はご存じだ」
花園の言葉に東山が続く。
「そういえばあの大評議会で、助力は惜しまないって言ってたっけ?」
「求められた協力をさっちゃんが必要と判断すれば、必ずや先輩方の助けとなりましょう」
「お前が媛と
東山の言葉に要は大きく頷く。てっきり東山は納得してくれたと思った要だったが、東山は 「ところで」 と言葉を継ぐ。
「その提案をするお前の狙いはどの辺にあるのか、訊いてもいいか?」
語尾に疑問符を付け、要に返答の選択権を与えているようにも聞こえるが、実際のところ、後輩である要に返答を拒否することは出来ない。それが武道の名門、私立英華高等学校である。
「もちろん
東山の問い掛けに、要は用意していたかのようにスラスラと答える。だが東山もそんな手には引っかからない。
「それは大義名分だろう? 本心は?」
表情で 「言えよ」 と迫る東山に、要は少しばかり躊躇するが、ここまで来て後戻りは出来ない。そう決意し、東山の問いに本心を返す。
「
唐突に、ここにはいない
「剣道部も有村? お前がいるのに、なんで?」
桜花生徒自治会執行部役員を務める有村克也は、東山と同じ空手道部で部長を務めている。これでは剣道部部長である花園の立場がないのではないかという東山だが、花園は余裕たっぷりに返す。
「当然だろう。俺はこのまま英華生徒会の会長職を継承するんだ」
選挙もまだだというのに、花園はすでに当選確実の自信を持っている。
「それに桜花総代は、自治会執行部経験者から選ばれるのが慣例だ。
英華生徒会の、会長代行を1ヶ月程度務めたくらいでそんな大役が回ってくるはずがないだろ」
もっとも、回ってきたらきたで、こなしてみせる自信は当然のように持っている。
だが桜花全区一斉投票という総代選挙の投票制度は、中央区以外ではさほど知名度が高くない花園には不利である。まして中央区にはすでに前総代高子の後継者として、松藤学園の
「しかしそのために媛君を危険にさらすというのはどうなんだ? 従兄弟として。媛君にご協力を要請すると、必然的に黒薔薇派から狙われることになるからね」
「もちろんさっちゃんとはちゃんと話しますし、納得してくれると思います。
もしそうなるならば、俺は全力でさっちゃんを守る覚悟もしています」
花園は 「なるほど」 と呟いて思案する。
「確かに媛君と有村さえ覚悟を決めてくれれば、かなり高い確率で総代選挙を勝てるだろう」
「もちろん2年の俺がこんなことをいうのは、差し出がましいと百も承知しております。
ですが有村先輩の、総代選挙立候補を望んでいるのは俺だけではありません。英華の生徒全員が望んでいると思います」
「言い過ぎだろ、そりゃ」
そう言う東山だが、親友を買ってくれる後輩に決して悪い気はしない。
だが素直に喜ぶことは出来ない。同じ中央区から候補者を擁立するということは、今川基春を落選させることが目的の対立候補。決して勝つことが目的ではない。そんな厳しい現実を彼らはあの日、前会長である
「前総代が親衛隊の1人を後継に指名したことで、お前たちが浮き足立つのはわかる。桜花中がそうだからな。
だがここで焦っては前総代の思う壺。安易に候補者を擁立しても、確固たる勝率がなければ完膚なきまでに叩き潰される。東海林だって前総代のやり方は知っているだろう? 事は慎重に慎重を期してなお足りないくらいだ。
だがお前たちの気持ちもよくわかる。有村にも伝えておくが、最後に決断を下すのは有村自身だ。
それに奴には自治会執行部役員という立場もある。だからお前たちの気持ちに、応えたくても応えられないこともある。それだけは理解してやって欲しい」
如何に有村が自治会執行部役員の中で、
穏やかに後輩を諭す花園の言葉に、要も異存はない。だが異存のあるの東山は言う。
「ってか、そういうことは自分で伝えろよ。同じ寮だろうが!」
学園都市桜花付属第5卯木男子寮には、ここにいる3人の他に有村克也、
「東山、苛めるなって言ってるだろ? 東海林は勇気と無謀の違いを知ってるんだ、お前と違って」
「サラリとひでーこと言ってんじゃねぇーよ、てめぇ」
「しかし媛君が松藤の生徒となると、松藤生徒会を無視しての接触は難しいか」
「気づかれたら最後、絶対邪魔してくるな」
「松藤の
「とりあえず会って話してみないことには、なんとも言えないところだな」
「本当に食えない奴だからな、松葉は」
「多分、松藤でも同じことを言ってるんだろうな」
声を上げて笑う花園に、東山は面白くないとばかりにそっぽを向く。
「ひょっとして先輩方は、松葉さんが立候補なさる可能性も視野に入れておられるということですか?」
「現時点では
「だが
「そういえば例の今川さんって、松藤の現役役員なんですよね? 確か総代選挙に落選しても、生徒会選挙には立候補出来るはずだから……」
「そう。総代選挙で奴を蹴落とせても、松藤生徒会からも消えてもらわないと意味がない」
「仰るとおりですね。
それでも松葉さんが総代選挙に立候補なさるなんてことになれば、天宮か磯辺が松藤生徒会に移らないと……」
要は大まじめに考えて話しているのだが、花園は声を出して笑い出し、東山は 「アホか、お前は!」 と声を荒らげる。
「あんな奴らに裏央都を牛耳らせるつもりかっ?」
「別の意味で怖いですね。すいません、失言でした。
ですが先輩方のお話を伺っておりますと、候補者乱立による票の分散が心配されますね。中央区はすでに今川さんが立候補を表明しておられるので、他地区が候補者を1人絞ってきたら不利になるのではありませんか?」
思わぬ失言に謝罪した要だが、続くその話に花園は大きく頷く。
「いいところに目を付けるな」
「わかっちゃいるけど邪魔が入るんだよな」
溜息交じりの東山のぼやきに、要は尋ねる。
「
「この際、反学派は放っておいてもいいだろう」
「今の奴らの拠点は東区。相手は東区の連中に任せるさ。せいぜい頑張ってもらおうじゃん」
「ところが黒薔薇派の拠点は中央区。これはどうしても無視出来ない、俺たち中央区にとって」
「黒薔薇派に気づかれずに票を取り纏めるには、黒薔薇派の生徒会への侵食が激しすぎます」
英華高校はともかく、前総代・高子の親衛隊、通称黒薔薇派を生徒会役員に持つのは松藤学園生徒会だけではない。
「ですが、なんとか方法を考えないと……」
視線を落として考え込んだ要だったが、すぐさま自分に向けられる2人の先輩の視線に気づいて顔を上げる。
「あの、なにか?」
「東海林、明日の練習が夕方からっていうのは聞いているな?」
「はい。入都式
「今朝、執行部から増員の要請が警備部にあってね。サッカー部や野球部からも募ったがどうにも人数が足りない。悪いがレギュラーも練習時間を削ることにした」
武道の名門・私立英華高等学校だがサッカー部や野球部はもちろん、男子校でありながら茶道部や華道部といった文化部もある。
もっとも本部実行委員会警備部に所属するのは武道部だけである。
「執行部の要請では仕方ありません」
「それでだ、練習が終わったら生徒会室に顔を出してくれ」
「自分が、ですか?」
意外そうに言葉を返す要だが、花園は穏やかな笑みを浮かべたまま 「そう、東海林が」 と繰り返す。
「旧年度の手伝いをさせて申し訳ないが、少しでも早く仕事を覚えてもらいたいし、実際手も足りない。他の役員とも早く馴染んでもらいたいしね」
学都桜花の新年度は4月1日に行われる入都式から始まるといわれるが、実際にはその前日、
もちろん行事を執り行うのは旧年度の役員たち。入学式や始業式新入生と在校生の対面式はもちろん新学期恒例の健康診断や体力測定など1ヶ月のあいだに行事が目白押し。しかも進行する関係委員会は仮の委員ばかりで不慣れ。その不慣れな仮委員たちを取り仕切るのは旧年度生徒会役員である。
要は役員として委員会に出席することは出来ないが、連絡係や手配などの裏方仕事を手伝って欲しいという。
「帰りは少し遅くなるが」
申し訳なさそうに言う花園だが、横から東山が茶化す。
「女じゃあるまいし、夜道が怖いなんていうなよ」
「大丈夫、ちゃんと一緒に帰ってあげるよ」
なにしろ帰るべき寮が同じなのである。断れるはずのない要は心の中で嘆きつつも答える。
「いえ、心配は無用です」
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