第113話 報復の論理

「敵艦隊発見。方位マルナナロク、距離三万四千。戦艦2、重巡2、軽巡2、駆逐艦4を伴う」

 見張り員からの報告に大和型戦艦二番艦、『武蔵』の艦橋は色めき立った。

 真空管の交換で復旧した旧海軍時代の電波探信儀が、事前に敵艦隊を捉えてはいた。しかしながら、目視で確認できる状況になったという事実は彼らを興奮させるには十分だった。


「敵艦隊は単縦陣のまま、我が艦隊を迎撃せんとするものと思われる」 


「やはり先ほどの偵察機は戦艦搭載の水上機ゲタバキだったようですね」


「そういうことだな。対空電探に感はないか」


 森下艦長は垂水の言葉に頷きつつも、考え込むような目つきをしている。


「ありません」


「ふむ、やはりこちらに撃墜されたか、燃料切れを起こしたか。向こうの指揮官は相当遠くから飛ばしてきたらしい」


「米軍らしい積極果敢さと称賛すべきですかね」


「向こうも必死、というわけさ。だが、これで敵艦載機に追い回される懸念はなくなった。さりとて、こちらの航空機も動けない。つまり、戦艦の時間という訳だ」


 トラック増派艦隊の指揮を執る男は、自らの本領を発揮できる喜びをあえて前面に押し出した表情で言った。


「しかし、向こうはサウスダコタ級とノースカロライナ級戦艦です。こちらが電探射撃をできないぶん、向こうが有利かと」

 垂水は立場上、あえて楽観論を否定する。


「向こうの電子機器とて、さきほどの爆発による影響を受けているはずだが」


 森下のやんわりとした反論に、垂水はさらに反論しようとしたが思いとどまる。

 指揮官に忠言するのも副官の役目ではあるが、それも指揮官の実現したい戦果を実現するためのものだ。これ以上の反論はその役割を超える。


「それに…我々はそもそもトラックを守るために派遣されたのだ。そのトラックがやられたとなれば、みすみす米艦隊を逃すわけにもいくまい。GFの命令、『米軍のトラック上陸作戦の阻止』は変更されていない」


 その命令が発せられたのは、『しらね』艦隊がトラック泊地に迫る米艦隊を発見した時点での話だった。トラック泊地の機能が停止している現在、順守すべき命令であるかは疑問符がつく。


 しかし、現実に命令が変更されていない以上、米艦隊の上陸用輸送船団を可能な限り撃破撃すべきという訳だ。


 正論ではあるが、指揮官の判断としては微妙なところだった。

 母艦航空戦力の大半を失った米艦隊は、戦場から離脱する動きを見せているからだ。


 追撃戦は大戦果が期待できる反面、いわゆる死兵による損害も無視できない。

 泊地防衛の意義に疑義が生じている今、無理な追撃を控えるというのもあながち間違いではない。


「なあ、垂水くん。君は未来知識とやらで知っているのだろう。あのきのこ雲の下で起きていることを」


「ええ、理解はしています。高熱と爆風で少なくとも半径5キロ以内にいた者は死亡、それより外側にいた人間も無事ではすまない」


「我々軍人はまだいい。だが、民間人もろとも焼き払うというのはどうなのだ」

 垂水は瞬間森下という人間から受ける迫力に、思わずたじろぐ。


「アメリカという国はもう少し理性的な国だと思っていたが。ならば、自分も精々派手にやろうじゃないか」


 森下は犬歯を剥き出しにしながら、吠えるように言った。

 短い付き合いではあるが、垂水はこのスマートな男が、これほどまでに闘志をむき出しにしているのをはじめて見た。


 垂水はそこでようやく、あのきのこ雲の下で起きている「この世の地獄」について考えを巡らせる余裕ができた気がしていた。


 ―今の今までこの俺はどこか他人事だった。あの雲の下で起きていることを想像してしまえば、その瞬間からただの軍人ではいられないと思ったからだ。


 それはたぶん言い訳に過ぎないのだろう。

 つまるところ、目の前の現実から逃げていたのだ。


「国家というものはつまるところこういうものなのだろうな。たとえ理不尽に斃れることがあっても、誰かが報復してくれる。そういう契約なのだ」


 森下の瞳はどこかを見ているようで、どこも見ていなかった。

 神託を告げる神官というやつは、こういう顔をしているのだろうかと垂水は思った。


 「復讐は空しい」、「亡くなった人は復讐など望んでいない」、垂水が触れてきたテレビドラマや映画で何度も耳にしたフレーズだ。


 個人の信条としてはそうした「赦し」は称賛されてもいいのだろう。

 だが、国家は報復という形で故人に報いるほかはない。

 

少なくともかつての歴史で人類が二つの陣営に分かれ、愚かにも地球を何度も滅ぼすに足る反応兵器を突き付けあっていた時代は、それが当然とされていた。


 だからこそ、巨額の国防費を割いて地下深くのサイロに大陸間弾道弾を配備し、あるいは深海に戦略原潜を沈めておくことが許容されてきたのだ。


「増派艦隊はこのまま米艦隊を追撃し、一撃を加える。トラック泊地艦隊にそう打電してくれ。向こうが追いつくなら協同作戦と行きたいが、たとえこちら単独でも攻撃は行う」


 森下の明解な命令に、垂水は頷くほかなかった。

 今は反応兵器に蒸発させられた将兵たちの報復のために、米海軍の将兵と輸送船団を深海魚の餌にする愚行を行うほかないのだ。  

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