第7話 師匠と弟子と召喚獣 その2


 ハル君が持ってきた本をぱらぱらと捲っていたアレクセイは、とあるページでぴたりと動きを止めた。

「ハリー」

 真剣、どちらかというと怖い表情で弟子を呼ぶ。一瞬で空気が変わったことを悟ったハル君も表情を固くした。

「この本どうした?」

 ハル君の顔色がさっと変わった。アレクセイはそれでも質問を止めない。

「どこかで買ったのか?」

「――いえ、それは貰ったんです」

「誰に?」

「――クラスメイトに」

 アレクセイは溜息を吐いた。

「この魔法陣はバハ・ラングースじゃない」

「そんな――」

 ハル君が慌ててアレクセイの元へ走り寄ってきた。私も、文字は読めないけれど同じく覗き込んだ。

 術式の方法と魔法陣の挿絵が全く別の召喚術に変えられているらしい。アレクセイは違いを丁寧にハル君に説明していたが私は全く理解できず、このページだけインクの色が濃い、ということぐらいしかわからなかった。

「こ、これは何の術式ですか?」

 不安な様子の弟子の問いかけにアレクセイは一瞬私を見遣り、すぐにまた視線を本に戻した。

「断定はできないが、おそらくリアニークスの召喚術だと思う」

 ハル君はその言葉で顔色をなくした。今にも倒れてしまいそうだ。

 意味がわからない私でもこの重い沈黙に耐えられなくなった。

「リアニークスって――?」

 呆然とするハル君の代わりにアレクセイが口を開いた。

 召喚術は召喚者が実際に術を行使し、成功して初めて「術」と呼ばれるようになる。そのため新たな召喚術を生み出すことも召喚術士の仕事らしい。

 昔、ある召喚術士が偶然の発見により魔力を持たない男を召喚した。しかしその召喚術には本来繋がっていなければならない異世界への道が閉じてしまうという致命的な欠陥があった。

 召喚されてしまった男は元の世界に帰りたがったが解決の手立てはなかった。召喚した対象をむやみに放置できないため召喚術士はとりあえず男と契約した。

 非力で魔力のない男は召喚獣としては役に立たないと思われていたが、豊富な知識と高い知力、そして巧みな話術で召喚術士を驚かせ、その噂は貴族や権力者の耳に入った。

 一風変わった召喚獣は、召喚術士共々有名になっていった。

 その頃、奇妙な殺人事件が発生するようになった。被害者は貴族や裕福な商人、聖職者や召喚術士等が大半を占め、その多くは周囲から人格者と評されていた。しかし捕まった犯人達は異口同音に被害者への恨みや妬みを抱いていた。

 不気味で得体の知れない事件は人々の心に暗い影を落としていった。

 あの召喚獣が裏で操っている、と事件の全容が明るみになるまでにかなりの時間を要した。

 召喚獣は人々から信頼を得る一方で、言葉巧みに人の心の奥に眠る負の感情を増幅させ、自分の手は汚さず悪意をまき散らしていた。国が豊かになり人々の暮らしに大きな格差が生まれていたことも、召喚獣に付け入る隙を与えていた。

 召喚術士は契約解除しようとしたができず、危険な召喚獣は処分された。

 その男は最期に笑って言った。

「もうどうしようもないから、全てを終わらせたかったんだ」

 その後、この召喚術は禁術となった。

「魔力のないこの男を、召喚術士はリアニークス持たざる者と名付けていた」

 魔力がないということは、この人も私と同じ異世界の人間だったのだろうか。

「召喚獣を帰せないという欠陥がある時点で禁術になるのは当然だが、リアニークスという存在は当時、相当恐怖だったようだ」

 目に見えずそれでいて自覚しないうちに負の感情に蝕まれることは恐怖だ。

 彼は帰れないと知って、持たざる者と見下され、だから自暴自棄になったのだろうか。

 でもそれだけで心が壊れるとは思えない。何かきっかけがあったのだろうか?

 他人を誑かし関係のない人を巻き込むことは理解できない。こんな大それたことや回りくどいことをするつもりもない。けれど、帰れないと知った時の悲しみや絶望だけはわかる気がする。

「ナツキさん、魔力は――」

 ハル君の震える声で思考は中断された。

「ないのよね、それが」

 自分の世界に魔力が存在しないことを伝えると、ハル君は膝から崩れ落ちた。私は駆け寄りその細い肩を手で支えた。

「お前はあいつと同じで禁術を使ったんだ」

 悲しみと苛立ちと苦しさを滲ませたアレクセイの声が、私とハル君の耳に突き刺さった。

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