第3話 帰るための召喚講座
人前で涙を流したのは何年ぶりだろうか。
久し振りに思い切り泣いたせいか、状況はちっとも変っていないけれど妙にすっきりした自分に驚いている。自覚はなかったけれど色々溜めていたようだ。ひと回りも年下の、しかも初対面の少年の前で思い切り笑って泣いて、醜態を晒したことについては恥ずかしさの極致だけど。
軽くなった体で深呼吸をし、気持ちを切り替えた。
「召喚獣が自分の世界に帰れる方法はあるの?」
落ち着いた声に安心したのか、ハル君は少し色の戻った顔で真剣に考えている。
「召喚者が召喚を解約した時や返還術を――」
「返還術って何?」
「召喚術士は自分の世界と違う世界を繋げることで異世界から召喚獣を召喚します。それを反対に作用させることで召喚獣を元の世界に帰――」
「じゃあそれ、やってくれる?」
「すみません。あの、色々あって」
「あ、ごめん」
説明してくれているのに片っ端から端折っていることに気が付き、困惑しているハル君に謝った。自分では冷静になったつもりだったけど、まだ混乱しているようだ。
もう一度深呼吸をして自分の両頬を手のひらで軽く叩く。驚いたように見上げているハル君に、意識して口角を上げ微笑んだ。
「ごめんなさい。もう一度、ひとつずつ教えてくれる?」
ハル君は嫌な顔ひとつせず頷いてくれた。
確かに元の世界へ帰れないことへの怒りや苛立ちはあったけれど、何故かハル君を憎む気持ちにはなれなかった。
「解約は、召喚者と召喚獣との間では交わした契約を互いの同意を得て解くことです。契約をしないと異世界の住人である召喚獣はこの世界で存在することができません」
「私は契約しているの?」
「契約はしていませんが、魔法陣の中にいれば大丈夫です」
足下に視線を落とすと、まだ魔法陣の中で浮いている。
召喚獣が契約せずに魔法陣から出てしまうと弱って消滅してしまうらしい。召喚者と契約し、召喚者からの魔力を与えられることで、この世界で存在できるようになるようだ。
まるで奴隷だと思ったが、流石に口には出せなかった。
「契約前や契約解除をすれば、召喚獣は魔法陣を通じて元の世界に帰ることができますが――」
小さな召喚術士は項垂れて言いにくそうに口ごもった。
「この魔法陣では帰れません」
小さな声が震えていた。
「どうして?」
「多分、失敗したからだと思います」
私は素直に自分の非を認めるハル君を抱きしめた。初めて触った彼は、華奢で小さくて今にも壊れそうだった。しっかりしているようで、まだ13歳だったのだと改めて思い知った。
「後悔しても始まらないよ。これからどうするか前向きに考えよう」
なるべく落ち着いた声を出してゆっくりと体を離した。
ハル君は真っ赤になって固まっていた。まるで時間が止まったように動かない。瞬きすらしない。
「ね?」
笑顔で返事を促すとようやくハル君はこくこくと頷いた。
真っ赤になって可愛いなぁ。
年下でも問題ないけどさすがに13歳は――否、そうじゃなくて!
そういう話じゃないでしょ、今は!
緩んでいるであろう自分の顔を、咳払いで誤魔化した。
「そうなると方法は返還術か」
私の声で我に返ったハル君は、真っ赤な顔のまま少し早口で説明を始めた。
返還術を使えるのは召喚獣だけで、その中でも『幻獣』と呼ばれる種族がいいようだ。ハル君が呼び出そうとしていたバハ何とかは、たしか幻獣の王だとか言っていた。
「幻獣は多くの知識と高い魔力を持っているので、ほとんどが使えるはずです」
「じゃあ幻獣を召喚して返還術使ってもらおうよ」
ハル君はみるみる暗い表情になる。
「すみません。僕の器ではいっぴ――あ、えっと、1人しか呼ぶことが出来なくて」
『1匹』と言おうとして『1人』と言い直すあたり、ハル君が気遣いのできる良い子だと分かる。間違いだったとはいえ、召喚したのがこの子で良かったと素直に思った。
召喚者の『魔力』は召喚獣にとって必要なエネルギーであり、その魔力が少ないと契約しても召喚獣はこの世界に留まれない。留まれないイコール消滅、すなわち死を意味する。召喚獣がこの世界で消滅したり死んでしまったりすると元の世界には戻れない。
『器』は召喚術士が自分で召喚獣を呼び出すことのできる限界であり、それが大きければ大きいほど多くの召喚獣を呼び出すことができるらしい。
「つまり」
私は部屋の中の小さな植木鉢を指差した。中には若い苗木が育っている。
「召喚獣は苗木、器が植木鉢。魔力は水で器が無ければ苗木は植えられないし、水がないと苗木が枯れるから――」
そこでまっすぐな視線に気が付いた。不安がよぎる。
「あ、違う?」
「ナツキさん、すごいです」
正しく理解していたようだ。
ほっとしたと同時に尊敬の眼差しで見上げる少年に、大人げなく小さな胸を張る。
「でもそれって、私がこの世界にいる限りハル君は召喚できないってことでしょう?」
植木鉢1つに対し苗木1つなら、私という苗木が邪魔で新しい苗木を植えられない。つまり、私が死なない限り彼は召喚できないことになる。
「でも器は魔力と違って訓練や経験で大きくすることができますし、それに」
僕はナツキさんを死なせたりしません。
真顔で言い切るハル君に、君がもう10年早く生まれていれば、と一瞬本気で思ってしまった。
「ありがとう」
嬉しさで笑顔を向けるとハル君はまた真っ赤になっていた。
「幻獣って多いの?」
ハル君は表情を引き締め首を横に振った。
「幻獣を召喚できる人はあまりいません。それに幻獣全てが返還術を使えるわけではないので」
「どんな幻獣なら知っているかな?」
「力の強い幻獣や賢い幻獣、長く生きている幻獣でしょうか」
「そういうのって」
幻獣自体も数が少ないですから、とハル君は申し訳なさそうに視線を下げた。
その雰囲気でどれだけ難しいことかがわかる。
「ま、そうだよね」
ここは異世界だけど、現実とはそう簡単にはいかないものだ。
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