第10話 カーリのパラドックス

コンコン コンコン


 眠るシエロは、誰かが頭を叩く感触で目覚めた。

 堅い物が、とても弱い力で何度も。

 止めてくれ。母さんもきれいだと言ってくれた、金髪がグシャグシャになるじゃないか……。

 そう思って見をよじるが、叩く衝撃はしつこくついてくる。

「起きなさい。シエロ・エピコス君。あなたが一番やさしく殴られたようですよ」

 心地よい眠気でぼんやりした頭に、涼やかな女の声が響いた。

 シエロが知らない声だ。

 今、シエロはとても充実した気分だった。

 体は疲労感もなく、暖かな布団の中でリラックスしている。

 まぶたの向こうからは、昼間の太陽の光。

 そして傷のことも、何の事だか分からなかった。

 分からなかったのだが。


「痛い! 」

 寝返りを打った途端、右の頬に激痛が走った!

 頭を叩いていた者の仕業だと思った。

「痛い! 痛いのだよ! 」

 やわらかく暖かい毛布を押しやり、両腕を振り回して打撃の主を追い払おうとする。

 だが寝ぼけ眼では、体も悔しいほどぎこちない。

 あわてて目を開くと、顔の横に奇妙な動くものを見つけた。

 手のひらサイズの緑色の影。

 人型ロボットが両腕をぐるぐる回している。

「このっ! 」

 シエロはロボットを捕まえようと、手をのばした。

 だがその腕に、激痛が走る。見れば、その腕には点滴の管が差し込まれていた。

 その隙にロボットは背を向けて逃げ出した。

 その尻には細長い尾が揺れ、四つん這いになって走る。

 猿のロボットだった。

 だがシエロの視線は、その背中にくぎ付けになった。


「ラン……ナフォン……? 」

 真脇 達美が自分のランナフォンを見せながら言っていたことを、何とか思い出せる範囲でならべてみる。

 元は、地球でヒーローとよばれる者たちに向けて作られた携帯電話。

 戦闘に巻き込まれて破壊されないよう、動物を模した逃げる機能を持つ。

 複数用意すれば、一個をコントローラーにすることでカメラやマイクもついた無人偵察機としても使える。

 背中にあるのがスマホとも呼ばれる携帯電話。

 厚さが3ミリしかない柔らかな有機半導体を土台に、蛍の光のような発酵作用を持つ有機物を利用して画像を表示する、布のようにしなやかな有機ELディスプレー。

 それにカバーがついている。


「ここは……どこだ……? 」

 シエロは、まだぼんやりした目で見まわした。

 横には、自分が指揮している兵士たちが並んでいる。

 腕や足を、いかにも間に合わせな鉄パイプや三角巾、包帯で固定され、全員が点滴を受けていた。

 並ぶベッドは、ほぼすべてが埋まっている。

 その間を、大勢の白衣の医師たちが患者を診ている。

 ベッドの布団に、違和感があった。

 前見た時、このベッドは長年の使用で破れ、つぎはぎだらけになった布団が乗っていたはず。

 それが、真新しい緑色のマットの上に、きれいな毛布を掛けられて寝かされていた。

 点滴の薬が入っているのも、ガラス瓶ではなく透明な布のような……ビニール。と、シエロは思い出した。

 そもそも、これほどの数の薬品が、この基地に備蓄されているわけがなかった。

 布団も薬品も、日本の物だと悟った。


「ここは、司令部中枢に近い、医療センターです」

 再び女の声。

 スピーカーを通した濁りもない、自然な声だ。

 と同時に、話しかけてきそうな女の姿がないことに気付いた。


(まさか、幻聴!? いや、待て! )

 シエロ・エピコスは落ち着いて考えることにした。

 自分は、チェ連軍のヴラフォス・エピコス中将の三男。 

 父は高山地帯や北極などでの戦闘を主にする、極限地師団の指令。

 自分は士官学校に通う18歳だが、この基地への応援として送り込まれた。

 異世界人の少年たちと同じ年頃の交渉係として。

 現在の役職は、司令部中枢の守備小隊長。

 とはいっても、若年兵や地元の地域防衛隊を35人集めた急増部隊だが。

 地域防衛隊とは、普段は他の仕事をしながら、有事の際は武器を持って戦う非常勤の特別職地方公務員だ。

 実態は実際に活動した時のみ報酬が支払われる、事実上、日当制のアルバイトである。

 確かに、この白いペンキがはがれた天上や壁も、4列に並ぶ40人分の錆びたベッドも、医療センターだ。

 天井に、見慣れないものを見つけた。

 薄くて丸い板のようなものが、金具で取り付けられている。

 それが裸電球の変わりに、太陽の光だと間違えた明るい光を放っていた。

 LEDランプ、と言う言葉をシエロは知らなかった。


 そして、話しかけている相手は……。

 たずねようとした時、目の前を赤い鳥が横切った。

 鳥ではない。またランナフォン。

 赤い物は、鋭いくちばしを持つワシ型だった。

 黒いカブトムシ型やクワガタ型もいる。

 黄色い羽を持つチョウチョウ型。青く細長い体のトンボ型。

 シエロは自分のまわりの床を見て、さらにぎょっとした。

 緑の猿型だけではない。

 白いイヌ型。

 茶色いウシ型。

 そのほか、様々な動物の姿をしたランナフォンが、1メートル間隔で走り回っている!

 

 壁際には、パワードスーツを着て銃を持った見張りが立っている。

 そのアーマーは、シエロ達にとって忘れることのできない、ドラゴンマニキュア・マーク4。

 それにドラゴンドレスやオーバオックスなど、ロボットパイロット向けに改造を施された、マーク4P。

 簡易とはいえ、3センチの防弾セラミックプレートで守られている。

 それに、頭全体を覆い、ガスマスクと無線・映像表示機能も備えたフルフェイスのヘルメット。

 ついでに言えば、今はポーチに収まっているが、背中から伸びる短いホースがある。

 このホースは、スーツとロボットに搭載された装置から温度を調整した水か湯を循環させることで、着用者の体温を調整するものだ。

 見張りのマニキュア4Pは全部で3着。それぞれ赤、シルバー、青に塗られていた。

 中枢を襲ったオーバオックスと同じ色だ。

 マニキュア4Pが持つ銃。

 オーバオックスのメイン火器でもある、RG9アサルトライフルに、異能力への対抗手段を施した、RG9S。

 SはSecred。聖なる改造と言う意味だ。

 銃の機関部に、左右から2つの弾倉を収めるようにした。これにより、銃その物が十字架の意味を持つ。

 艶のない黒い弾倉には、通常目標用のタングステン弾が。きらびやかな銀色の弾倉には十字架に使われた銀で作られた聖なる弾丸が込められ、状況によって切り替える。

 赤いマニキュア4Pの銃には、オプションが追加されている。

 レールガンのまわりに並んだ、6本の突起。

 これ一本一本が、レーザー兵器だ。

 ただ相手を焼き切る武器ではない。

 一定距離を跳んだレーザー同士を衝突、干渉させ、四方八方にレーザーをまき散らす。

(確か名前は、ドラゴンの清流)

 シエロは、ショックだった。

 達美が言っていた事が悉くただしかった!

(すると、ここにいるのが……メイトライ5! 達美以外の全員がそろっている! )


 医師や看護師たちは、それを気にすることもなく働く者と、びくびく怯えながら働く者がいる。

 おびえている方がチェ連の医師。怯えていない方が、自衛官の医師、医官だ。


「ランナフォンや地球人たちを怖がる必要はありません。ですが私は、あなた方が無茶な行動をしたら、お停めするように言われております」


(この、どこまでも礼儀正しい話し方。

 そして、この大量に居るランナフォン……)

「久 編美? 君は久 編美なのか? 」

 シエロは、リサイタルで真脇 達美が懐かしそうに話したアイドル仲間の一人を思い出した。

「ご存知でしたか」

 と女の声は答えた。

「あなた達は、達美たちに生かされたのですよ」

 達美? 達美‥…。女の声が示した名前が、まだぼんやりとした頭に漂う。

 それがやがて、はっきりと思い出された。





 チェルピェーニェ共和国連邦、マトリックス海南エリアの方面隊司令部、その中枢。

 水蒸気に覆われた白い視界。

 響く銃声と悲鳴。

 それを覆い尽くすような、レーザージェットの騒音。

 肉を打つ打撃音。

 シエロはその音を聞きながら、いつまでも装填係がロケット弾を持ってこないことに苛立っていた。

 まさか、すでに……。その恐怖が、最も安直な行動を取らせた。

 およそ6キロはあるロケット砲の発射機を、振り回したのだ。

 その重さに耐えかね、すぐに倒れそうになる。

 しかも足の下には砲塔の破片や小銃の薬莢などが転がっている。

 転ぶのを救ってくれたのは、皮肉にも発射機を受け止め、奪い去った者だった。

 6キロほどの物体を掘りの水に放り込む音が聞こえた。

 それでもエピコスは諦めず、腰からピストルを抜こうとした。

 直後、霧を突き抜けて視界に入ってものがあった。

 焼けただれ、ちぎれた紺色の袖。

 そこからのぞくのは、白く、ほんのりピンク色の女性的な肘だった。

 その腕は折り曲げられ、手のある方向からは青色い光が轟音とともに輝いている。

 光に加速された肘が迫る。

 その向こうに、にやりと笑う口元が見えた。

 そして響く、真脇 達美の声。

「ロケットエルボー!! 」





 壁にかかった時計を見てみる。

 もう3時間は寝ていたことになる。

(そういえば、地球の時計と構造も数字もそっくりだと騒いでいた奴がいたな)

 右ほおをさわってみる。

 大きな絆創膏の感触がした。

 ロケットエルボーで打たれた所だ。

「達美に生かされた? どういう事だ」

 シエロは周囲のランナフォンを見回しながら質問した。

「猫のお土産、と言う習性をご存知ですか? 」

 姿のない女の声に、シエロは首を横に振った。

「いや、ペットなど飼ったことがない」

 女の声には、恨みや怒りと言った響はなかった。

「そうでしたか。猫にとっては、飼い主である人間は親のようでもあり子供のようでもある、不器用で大きな猫と言う感じに見えているそうです。そこで猫は、人間に狩りの仕方を教えるために、自分が捕まえた獲物を生きたまま、持ってくるそうです」

 シエロは、達美が魔術学園の生徒ではなく、教材だという話を思い出した。

「我々は、狩りを教えるための、お土産だったというのか」

 そう考えれば、合点が行く。

 そもそも、彼ら魔術学園生徒会が、この星で最初に行った作戦だってそうだった。

 だが、今後を考えると、身震いがしそうだった。

 達美がいないところで地球人達は、どのような狩りをするのか。


 シエロの前に、ランナフォンたちが集まってきた。

「もちろん、それだけで達美があなた方を生かしたわけではありません」

 女の声は、シエロの予想通りランナフォンから聞こえてきた。

 ロボット頭に備えられた小さなハッチが開き、低出力レーザーが飛びだす。

 これは、達美のリサイタルでも見た。

 可視光レーザーで遠くの壁まで大きく、はっきりした動画を映し出す、プロジェクター。

 だが、このレーザーは違った。

 ヴーンと言う音が鳴る間に、複数のランナフォンから放たれたレーザーは空中でぶつかり合い、そのたびに枝分かれしたり曲がったりしていく。

 それを見た時、シエロは思い出した。

 先ほどの戦闘でチェ連側の攻撃を無効化した兵器、干渉レーザー狙撃システム、イルスと同じ技術だ。

 恐怖が、心臓をわしづかみにされたような感覚に変わる。

 だが、シエロはその恐怖に打ち勝った。

 口を真一文字に結び、その様子を見守った。

 レーザーは交差するたびに形を複雑に変え、直線だった部分は丸みさえ帯びていく。

 立体映像だったのだ。

「わたくしは、達美があなた方を助けたのを、彼女の内からくる優しさゆえだと信じています」 

 達美への尊敬の込められた声。

 それと共に現れた姿は、実に麗しい女性だった。

 その姿を見た時、シエロの心は震えた。

 背は達美より10センチは高い160センチほど。

 髪は背の半ばまで届くストレートで、その色艶は理想的な表現を施してある。

 白く透き通った肌に、深く黒く澄んだ瞳。

 手足や腰つきはほっそりしているものの、胸には母性を感じさせる豊かさがあった。

 シエロには、少女から大人へと変わる姿を、もっと理想化した姿に思えた。

 そんな彼女は今、ピンク色のナースキャップに白衣をまとっている。

 だがその美しさに赤く熱くなる頬も、彼女の映像化されない足元を見れば色を失う。

「オウルロード! ヒサ アミ! 」

 シエロの隣で寝ていた男が叫んだ。

 カーリタース・ペンフレット。

 チェ連の工業地帯、マトリクス地域を支える科学者の一人だ。

 普段運動もしない、機密にかかわる者の特権にあぐらをかき、ぶくぶく肥った男。

 それが、右腕を骨折していたにもかかわらず、跳ね起きて正座する。

 ベッドの横に小さい机があり、その上に彼のメガネがあった。

 それさえ腕の痛みに耐えながら神経質そうな目にかけた。

 そしてオウルロードに向き合った。

 この男は、シエロと共に真脇 達美の歌を聴きに行ったこともある。

 その時は、舞台を見ずに必死の形相でメモを取っていた。

 暗い観客席でカーリタースは、みたこともない日本への恐れを蓄積させていたのだ。 


「はい、そうです」

 編美に声をかけられたカーリタースは、青ざめた顔で話し出した。

「あなた様のことは、良く存知あげております!

 元は、ばーちゃる・りありてぃ・まっしぶりー・まるちぷれいやー・おんらいん・ろーるぷれいんぐげーむ……VRMMORPGの監視システムだったとか! 」

 Virtual Reality Massively Multiplayer Online Role-Playing Game。略してVRMMORPG。

 コンピュータの中に作られた仮想現実空間でアバターと呼ばれる自分の分身を作り出し、それを通じて視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚と言った感覚すべてフィードバックさせる。

 コンピュータは世界中のアバターや仮想空間に繋がっており、それを通じてゲームで遊んだり、現実を疑似体験したりできる。

 そのあまりの壮大さに、シエロは現実から破たんしていると思ったのだが。

 話している間に、カーリタースの顔がみるみる青ざめていく。

 それでも話し続ける。

「VRMMORPGは、なぜだか異世界への門を開く。

 これは……えーと」

 記憶に詰まったカーリに、シエロは助け舟を出すつもりで引き継いだ。

「VRMMORPGは、量子コンピュータを使っています。

 量子コンピュータとは、量子の持つ重ね合わせ。さまざまな可能性が重ね合わさっている性質を利用することで、高速並列演算を行う物です。

 この重ね合わせが、魔法などの異能力がある世界の量子状態と重なり合うと、異世界への門となる。

 と言う可能性があるそうですね」

 だがカーリ博士は、「ありがとう」も言わずにまくしたてる。

「それを監視する。これは大変な偉業であると認識しております!

 そのデータ量は天文学的でありましょう!

 その上ランナフォンにより、現実世界まで見守ってくださるとは!

 その優しき心!

 ご両親様であるアウグル! 久 健太郎様とイーグルロード! 久 広美様の御判断へも合わせて感謝申し上げます! 」


 シエロは、この色白い黒髪の青年が、口から泡を飛ばすのをただ茫然と見ていた。

 次に、編美を見た。その表情はきょとんとした、あっけにとられた人間のそれだった。

「あの、そこまでご存知でしたら、自己紹介の必要はありませんね? 」

 シエロは、それは違うだろう。と言おうとしたが、冗談だと思い直してやめた。

 だがカーリタースは、深く下げた頭をベッドから跳ね上がる勢いで、実際に跳ね上がって立てると再び、まくしたて始めた。

「申し訳ありません! アイドルグループ、メイトライ5のことを失念しておりました! 20年前、世界が不思議にあふれた時代に、最前線で戦った者たち。

 異能力者との歩み寄りも始まり、平和な時代になると、戦時の記録は忌まわしい物とされるようになった。

 そこで戦時時代の人間でも、創造的なことができると示すために生まれたチーム! ベースのあなた様。ギターでボーカルの達美様。プロデュ-サーにしてキーボードでもあるミカエル・マーティン様! ドラムスのスキーマ様! トランペットの広美様! 」

 その時、医療センターのドアが開き、1人の男が駆け込んできた。

 彼も、ここの見張りと同じマニキュア4Pをまとっている。色はオレンジだ。

 シエロには、彼の立ち振る舞いに歴戦の戦いで裏打ちされた凄みを感じた。

 親の仕事柄、幼いころから何人もの軍人を見てきた。

 そのレベルから見ても、今近づく男は相当高いレベルでまとまっているのが見て取れた。

 その手には一枚のA4コピー紙を持っている。

 目的地は、シエロとカーリタース。

 男は歩みを止めると、ヘルメットの前を上げて素顔を見せた。

 黒い髪に白い物が混じっている、日本人には珍しい大柄な男。

「松瀬 信吾マネージャー! あなたを忘れていました! 」

 そう言って、カーリタースはその男を凝視している。

 やって来た男は、けげんそうな顔をすると、シエロとカーリタースを見つめた。


 カーリタースは、土下座しながら、しばらく沈黙していた。

「こうなったら……」

 そうつぶやくと、血走った目でシエロを睨みつけ、自分の点滴の針を引き抜いた。

 そして、シエロに飛び掛かり、自分の折れた右腕を固定する鉄パイプで殴りかかった!

「な! 何をする! ペンフレット博士! 」

 頭をかばいながらシエロは倒れた。

「自分も日本の役に立つことを示すためですよ! 」

 カーリタースは右腕の傷も構わず、シエロに馬乗りになると、首を絞め始めた!

 だが、普段から鍛えているシエロにとって、そんなものは簡単に外せるものだった。

 その瞬間、カーリタースの右腕が再び折れ、床に崩れ落ちた。

「ぎゃああ!!! 」

 その直後、まばゆい緑の光が何本もカーリタースに注ぎ込まれる。

 ランナフォンのレーザーだ。

 だが、プロジェクターの出力ではない。

 その当たった部分が、小さいが茶色い焼け跡となる。

「熱い アツィ! 自分は、味方だ!! 」

 複数のランナフォンから放たれる、最高出力の1ワットレーザー。

 人を殺すほどの威力は無いが、その熱量は人にやけどを負わせる。

 目に当たると失明させるため、顔は避けてる。

 だがそれ以外を撃たれたカーリタースは、体をできるだけ小さく丸めながらベッドの下に逃れようとする。

 右腕の固定が緩んで、鉄パイプが落ちた。

 そのパイプを無茶苦茶に振り回す。 


 そんなカーリタースに、あせって近づこうとする医師がいた。

「おい! 近づくんじゃない! 」

 オレンジの男、松瀬 信吾が医師を止めた。

 そしていったん外へ戻ると、応援を呼んだ。

「捕虜が暴れている! そこの分隊! 来い! 」

 ヘルメットをかぶりなおすと、カーリタースに飛び掛かった。

「ぎゃあ! 」

 たちまち、カーリタースはパワードスーツと信吾の体重に押しつぶされた。

「私は、この国の最高の科学者です! あなた達を、もっともっと儲けさせることができます! 」

 カーリタースが命乞いをする。

 その時、シエロは低いモーター音を聞き、その方向を見た。

 青いマニキュア4Pが、その音を出していた。

 機械としか言いようのない、四角く角ばった両足が信じられない変形をする。

 その太ももや脛のスリットが滑り、足が伸びはじめた。

 たちまち170センチほどの身長が天井に届くまでに。

 その足で捕虜のベッドを一跨ぎにして、近づいてくる。

「ス、スキーマ……」

 過去を全く話さないという、メイトライ5の一人。

 これは他のメンバーの想像だが、元軍人で異能力者との戦いで体の大部分を失ったのは間違いない。

 それで生身の体に価値観を見いだせなくなり、全身を改造するようになったという。

 名前の由来は、スキーマ理論から。

 個人が保持している知識、思考や行動としての枠組み。この概念を用いて、人が外界の物事と接する場合のしくみを考察する。

 それと、体にスキマが開いていること。


 たちまちやって来たスキーマは、信吾に拘束されたカーリタースの顔を覗き込んだ。

 上半身は女性らしい姿を保っている。 

 だが、むき出しの左腕は機械化されていて、上下2本に分かれている。

 装甲に覆われているとはいえ、人間そのものに見える右腕さえ、遺伝子改造によるバイオ兵器だ。

 その強化された両腕で無力なカーリタースの腕を引きずり出し、腰のポーチに入った手錠をかけた。

「やめて! やめて! まだ、死にたくないですぅ! 」

 身勝手な科学者の言い分は、誰にも届くことはない。

「わたしは味方なのに! ひどい! ひどいぃ!! 」

 散々暴れたあげく信吾たちに立たせてもらった時、その顔には鼻血が流れていた。


 この様子を、シエロはベッドの上にへたり込み、呆然と見ていた。

 患者でもある捕虜たちには医官の拳銃や、騒ぎを聞きつけ飛び込んできた自衛官の持つ89式小銃がにらみを利かせている。

「この件に関して、我々チェ連軍は非常に遺憾と考えております―」

 シエロの口から出たのは、そんな形式じみた言葉。

 だがそれは、突きつけられた2丁のRG9Sによって断ち切られた。

 赤とシルバーのマニキュア4P。

(この二人は確か……)

 だが、2人を思い出す前に信吾の怒鳴り声が飛んだ。

「用があるのはお前も同じだ! これを見ろ! 」

 それは、先ほど彼が持っていたA4紙だった。

 とっさにポケットに入れたため、ぐちゃぐちゃになっていた。


 シエロの前に突き付けられたそれは、真っ黒な写真だった。

 その中に、色々な方向に白く浮き上がる物が有る。

 それが、医療の授業で見たことがある形だと気付くのに、さほど時間はかからなかった。

 それは、人間の手の骨。

 一度見つけてしまうと、1体や2体ではないことが分かった。

 それが写真全体に、整然と並んでいる!

 たちまちシエロの心臓が激しく波打った!


「この写真は、司令部の防壁の中をレーダーで撮影したものだ。これは一体何だ!? 」

 信吾が示す写真のわきに、縮尺を示す表示がある。

 だが、それは必要がなかった。

 他の骨格に対して、全体的に華奢で、小さな骨格がある。

 子供の骨だ。

「ひっ」

 それだけ、口から息が漏れた。

 シエロの心はさらなる焦燥にかき乱された。


 信吾は次に、カーリタースにも写真を見せた。

 だが、自称チェ連最高の科学者は、パニック状態に陥り、まともに話すことができない。

「答えないなら、我々は我々の憶測で動くぞ! 」

 信吾が叫んでいることは、実は危険な賭けだった。

 知らなくて当然のことを実行すると、誰にも成功は保障できない。

「この骨は、魔術学園生徒会の前に召喚された、異能力者達だ。おそらく、能力を細胞に依存するタイプの」

 それに対し、シエロはあるだけのエネルギーを集中し、答えを述べた。

「知らない! そ、そうだ、魔術学園生徒会は、どうしてそれに気付かなかった?! 達美には科学レーダーも搭載されていたはずだ! 」

 はっきりと、大きな声で。

 だが信吾の追及は止まらない。

「防壁の内部は、培養された異能力者の細胞で満たされている! そのせいで特殊な量子状態を持つ防壁が作られた! この内側には、テレパシーも透視能力もレーダーも役に立たない!

 この写真は、内部の細胞が死滅した、廃棄処分された防壁の物だよ! 」

 それに対し、シエロの答えはただ一つだ。

「知らない!」

 信吾の憶測は続く。

「量子状態を利用して、量子コンピュータとして使っているのかもな。防壁の内側には何がある!? 防壁へ向かうコードか配管はあるか!? 」

 それに対し、シエロの答えはただ一つだ。

「知らない! 知らない! 知らない!!

 最終防壁の向こうは、何も知らされてない!!! 」


 しばらくの沈黙があった。

 シエロとカーリタースはパニック状態。

 他の捕虜たちも同じような事を考えていた。

(たとえ、今助けたところで何になる? )

(ここまで外国軍に侵略されて、どうやって逃げる? )

(そもそも、この国の国力も底をついている。できることは何もない)

(異世界から、何らかの援助があるのか? いや、あったとしても、チェ連には資源らしい資源もない。見捨てられるのがオチだ)

 そんな深い絶望感が、医療センターに立ち込めていた。

 それでも、あきらめない者達がいた。

「ならば、知っている人に聞くしかないわね」

 赤いメイトライ5、ミカエルが信吾に話しかけた。

「最終防壁の向こうに居るのだろうな」

 信吾はそう言うと、シエロとカーリタースに向き直った。

「君たち二人に来てもらいたい。

 そして、中の人間に出てくるように、説得してもらいたい」

 意外なことに、先に話し始めたのはカーリタースだった。だが、すでに正気を失っている。

「誰が、誰を説得するって? 」

 そして、笑いながら話し始めた。

「お前達は次元を超えた実効支配をしていない! 我々はしている!

 だから必要な実験体を召喚できる! 防壁は実験動物の再利用―」

 

 次の瞬間、シエロの拳がカーリタースを殴り、スキーマにしっかりと捕まえられた科学者は衝撃をもろに食らって気を失った。

 シエロには、チェ連の言う実効支配の概念がわからなくなった。

 相手が何も知らない、できないと決めつけ、略奪を繰り返す。

 わが軍は、そんな敵に異を唱え続けてきたのではなかったのか?

 だから、自分が知っているチェ連軍のやり方で動くことにした。


「これは魔術学園生徒会も知っていることですが、この基地では核弾頭ミサイルの発射管制も行っています。

 もし中枢ビルを物理的に破壊すると、スイッチア中にある核弾頭施設に発射信号を送るためのロケットが撃ちあがります。

 そして、あらかじめセットされていた目標に、核ミサイルが発射されます」

 自分でも驚くほど、シエロは落ち着いて話すことができた。

「あらかじめセットされていた目標って、具体的にどこ? 」

 銀のメイトライ5、イーグルロード、久 広美が訪ねた。

「科学技術を開発する学園都市、交通の要所。鉱山など。侵略者が拠点として使えそうなところ、すべてです」

 それを言いきった時、シエロの中に再び自尊心がむくむくと湧き上がってきた。

「そんな愚かなこと、絶対にさせたくない! 中枢ビルを無事に解放するためなら、力を貸しましょう! 」

 それを聞いて、信吾の緊張感が解けたようだ。

「なら、善は急げだな。すぐ防護服を借りよう! 防壁の一部から中身が漏れ出しているからな」

 そして、世界をあるべき姿に戻す作戦が、今始まろうとしていた。

 していたのだが。

「待ってください。達美達が壊滅させたはずのチェ連軍の航空戦力が現れました。核爆弾を運搬しています」

 止めたのは、オウルロードだ。

「また、わたくしたちを歓迎するために集まった市民たちが、銃火器を用いて街に火を放っています。フセン市からの増援は不可能です」

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