死にたがりニートと春を売る女
@hyitok_re2
第1話
「そんじゃ、死ぬかなぁ」
くっきりと浮かんだ隈を化粧で隠す事も怠り、
快晴の青い空と春の陽気も手伝って、足取りが軽い。死ぬには少々贅沢すぎる程気候に恵まれた日だ。
動物たちも冬眠から目覚めるこの時期は、不思議と人間も浮ついてしまうものだ。桐原もその1人である。麗らかな春の匂いの中をふらふらと歩きながら、今日の服装をもう一度よく見直す。
緩めのカーディガンに、ミモレ丈のスカート。
(…うーん、やっぱりもう少しちゃんとした服を着てくれば良かった。)
人生最期を飾るにしてはだいぶラフだったかもしれない、とスカートの裾を摘んで弾いた。
気持ちの良い気候に促されるままに、殆ど無意識に脚は目的地へと向かう。
操り人形の糸がぷつりと切れたように、人通りのない小さな踏切の前で脚は止まった。
遮断機が、まるで「待っていました」とでも言うかのように、桐原の前でゆっくりと下りる。カンカンカンと聞き慣れた音をバックサウンドミュージックに、そっと目蓋を閉じた。
「あ…、ゴミ出してない」
そういえば今日は燃えるゴミの日だったということを、随分奇妙なタイミングで思い出してしまった。
死んだ後家宅捜索は絶対にされるだろうし、プライベートを晒しあげるようなゴミはなるべく捨てておきたかったのだ。後ろめたいことがあろうがなかろうが、私生活を大人数に知られるのはあまり気持ちの良いことではない。
(ていうか、やっぱり意図的な事故死って相当迷惑だろうなあ。)
息を吸い、目を瞑ったまま空を仰ぐ。
苦しむなら一瞬が良いという理由から線路へ飛び込むのが手っ取り早いと考えてきた。が、今になって、第三者の心配だとか、陳腐な想像が膨らんでしまう。
だって、例えば。
桐原華純という頭のおかしい女が自分の意思で線路へ飛び込んだにも関わらず、電車の運転手は唯いつも通り職務を行っていただけ、たまたま通りがかっただけなのに、人を1人殺してしまう。
不可抗力とはいえ、自らの手で人を殺めた電車の運転手は、罪悪感を感じざるを得ないだろう。
その運転手がもしショックで仕事が手につかなくなってしまったら。生計を立てるのが苦しくなってしまったら。残されたその家族はどうなってしまうのだろうか。
死んで人生を失うのは桐原の方だが、勝手に人生を狂わされ、被害者と呼ばれるべきは運転手の方ではないだろうか。
そんなのあまりにも運転手が不憫すぎる。
そこまで考えたところで、桐原は自分なんかが此処で勝手に死ぬ事が申し訳なくなってきた。
死ぬ事が怖くて尻込みしているのではなく、単純に運転手を思っての考えだった。
いや、と桐原は首を振った。
死を目前にしてここまで考え込むなんて、どう考えても生に対する未練を引きずっていることを物語っているではないか。
流石自分。死にたいとほざいたはいいが意気地はないときた。実にどうしようもない。
卑屈な笑いが唇の端から漏れた。
チカ、と真昼でも眩しい程のライトが時速130kmの速さでこちらへ向かってくる。
「それじゃあね。」
偶々近くで日向ぼっこをしていた猫にひらひらと手を振った。
猫は桐原には特に興味も示さず、相変わらず居眠りを続けている。
猫に挨拶をするついでで、今日で最後のゴミ溜めみたいな世界にも一応さよならを言った。どうでもいい今世に贈る餞など、この程度で充分だろう。
これから起きる凄惨な光景に立ち会ってくれるのが猫で良かった。猫は好きだ。
あぁ、いいなぁ。暖かそうで。来世は猫にでも生まれてきたいなぁ。本当にくだらない人生だった。
桐原は静かに微笑んだ。
さて飛びこもうと爪先に力を入れたとき、後ろから砂利を引きずる足音がして一瞬身体が強張る。
(え、嘘。人…?ちょっと面倒くさいなぁ…)
足音は真っ直ぐこちらへ向かってくる。
遮断機が下りているのに、止まる気配のない足音を不審に思って振り返ると、ふわりと煙草の匂いが鼻腔を掠めた。
直後、足音の主であるグレーのパーカーを着た男が早足で真横を通り過ぎる。と同時に、パーカー男の肩が激突し、勢いの良さに弾き飛ばされた。
「わっ…」
急な出来事に、ろくにものを食べていない身体は簡単によろめく。
フードを被ったパーカー男は、遮断機を潜ると線路の真ん中に仁王立ちになり、両手を広げて空を仰いだ。
「え、は?ちょっと!?」
狼狽えて声を掛けるが、パーカー男は桐原の声に一切反応を示さない。普段よりやけにけたたましい踏切の音が耳を劈く。
たらり、と冷や汗が背筋を伝った。
何故だろうか、自分が死のうとしている時より動悸が早い。手の平にもじっとりと汗が滲んでいく。
ガツン!という鈍い音で我に返る。
「いってぇ…!」
パーカー男は遮断機に額を強打した後ごろごろと道路に転がった。
「いたた…」
桐原も一緒に転がって身体の節々を地面に強く打ちつけた。擦りむけた手の甲からは血が滲んでいる。処置として良くないのは分かっているが、ついいつもの癖で傷口を摘んで血を絞った。
結局誰も殺めることのなかった電車は、呑気に乗客を揺らして目の前を通り過ぎる。車輪が錆びた線路を擦り、小さく火花を散らすのをしばらく眺めた。
額に軽くこぶを作ったパーカー男はむくりと起き上がり、自分を突如突き飛ばした頭のおかしい女、桐原の胸倉を掴んだ。
「…おいてめぇ、何してくれてんだ、あ?」
気怠そうな生気のない、低い声が降ってくる。
低血圧そうな人だなぁ、というのが、パーカー男に対する第一印象だった。
(…うん、本当に、何してんだろう、私。)
今日こそ死のうとしていたところに偶然やってきた、死に場所の被ったとある自殺願望者を助けた…?
(いやいや…おかしいでしょ、何だこの文脈)
全てにおいて矛盾も甚だしいというか、何がしたいのか自分でも理解できない。まだ頭が追いついていない。
「…魔が、差した…?」
「…は?」
数少ない語彙で、この一連の奇妙な行動を1番常識的に説明するとしたら、そうとしか言えなかった。
これ以外の言い訳をしたら、いくら桐原が女でも、いよいよパーカー男に殴られそうだと思った。
パーカー男は蔑むような目で桐原を一瞥すると掴んでいた手を離し、自分をはねるはずだった電車が過ぎていくのをぼんやりと見送った。
電車が見えなくなったところで思い出したように舌打ちを連発し、ボソボソとぼやき始める。
「あーマジで迷惑、ここの踏切は穴場だと思ったのに、クソ、最悪」
「助けてあげたのに、何なんですかその態度」なんて言えるはずもない。代わりに「あ、同じだ。」とだけ呟いた。
桐原の蚊の鳴くような声など聞こえる由もなく、ぼさぼさの頭をガシガシと掻きながら、パーカー男は吐きすてる。
「はぁ…。自殺救えて今はヒーロー気分の最中ですか?おい聞いてんのか偽善者、気分は如何ですかって聞いてんだよ」
「気分…?」
気分なんて、そんなもの、産まれた時から。
「最悪ですよ…こっちだって」
桐原は段々腹が立ってきた。どういった意図でこのパーカー男を突き飛ばしたのだったかもう忘れたけれど、大体、邪魔をされたのはこっちだって同じだ。
転んだままだった体勢を起こし、スカートの砂をパンパンとはらった。捲れたカーディガンの袖からは糸が解れていて、ため息が出た。
と、パーカー男が何かを見つめていた。
捲れた袖から見える、桐原の手首に刻まれた無数の赤い傷を見ているのだと気付くのに、時間はかからなかった。
「はぁ、なるほどなるほど」
「…何がですか」
今迄は人に見られないようにリストバンドや長めの袖で隠していた筈だった。しかし、人の眼の前で白昼堂々自殺を図ろうとするような人間にリストカットの痕を見られたからといって、もう特に何の感情も湧き上がらなかった。
「あんたも死のうとしてた訳か、あぁ、納得」
笑える要素、あっただろうか。何も面白くないのに、パーカー男はヒャッヒャッと笑った。
初対面の人間を前にして、根暗丸出しな卑屈っぽい笑い方をするこの男に、何故か少し好感を抱けた。…何故か。
「…そうですよ、最初に邪魔して来たのは、そっちですからね」
パーカー男は更に口角を上げ、ブッと吹き出した。
「いやさぁ、頭の弱いクソ偽善者女かと思ってたんだけどさぁ、もしかしてさっき『ここで死ぬのはあたしよ!』とか思いながら俺の事ぶっ飛ばしたの?ちょっと待って面白すぎるんだけど」
「いや…別に」
言いかけた所で、「あ、そっか。そうだったのかも」なんて気付いて1人で頷いた。
「はー。あー面白え。…あれ、てかあんた」
ひとしきり笑った後、じろりとパーカー男の瞳が桐原を見据える。
「……何でしょうか…!」
初対面の見知らぬ男に散々笑われて、桐原はつい語気を強めてしまった。
踏切に駄べりこむ若い2人を警戒の目で睨み、「これだから最近の若者は」とでも言いたげな顔をした中年の女性が、そそくさと通りすぎる。
周りの目というものを人一倍気にしてきた桐原だったが、一度命を捨てかけて吹っ切れたのか、もうどうでもいいという気持ちが勝るようになってしまった。
「あんたの顔、何か見た事ある気がする、何処でだったかな…」
桐原は冷めた愛想笑いをした。どうせこの男も私が出演している作品を見たのだろう、と思ったのだ。
取り敢えずパーカー男の顔を覗き込んでみる。
(あれ、確かに見た事あるかもしれない…)
寝起きのままのようなぼさぼさの髪は顔の上半分に影を落とし、その所為で通った鼻筋が余計に高く見える。半分も開いていないであろう瞳は、きっと本来切れ長で大きいのだろうと予想がつく。加えて薄い唇、シュッとした輪郭。
ダボっとしたパーカーでよくは分からないが、パッと見細めで、先程見た所身長も170半ばくらいだ。
(もっと綺麗な格好してこんな卑屈じゃ無かったら絶対モテるのに…いや、モテてたりして)
「ねえ、名前」
パーカー男は一言一言が怠そうで、ついには単語で喋り始める。
「え、名前…?」
「何。俺みたいなクズには名前も教えたくないって訳?」
パーカー男は半分しか開いていない目を更に細めて桐原を睨みつけた。卑屈のオーラが目に見えてきそうだ。
(前言撤回、絶対モテてないわ、これ)
「そうは言ってないですけど。名乗る必要あるのかなって疑問に思っただけです。名前、ですよね。
と、桐原華純は名乗った。若干面倒臭くなった桐原は、またしてもやや強めの口調になってしまった。
「別に必要とかないけど。あんた面倒くせえな。菫崎恵梨香…か」
口調にムッとしたのか、パーカー男は口元を歪める。
そして、菫崎恵梨香という名前にふっと考え込む仕草をする。
「会ったことない?俺ら」
「ないですね」
思わず桐原は即答した。
なんだこの男は。一方的に私の出演作品を観ただけだろうに。しかし、今の桐原には「実は私女優なんですよ〜」なんて愛想を振りまく気力もなかった。
というか、先程まで死のうとしていた癖に、何で当たり前のように会話に花を咲かせているのだろうか。
(色々おかしいってこの人。情緒不安定なのかな…いや、それはブーメランだ)
「あの、そろそろ私行きますね」
桐原は痺れを切らして立ち上がった。
「あぁ…そういや」
「何です?」
パーカー男は怠そうに線路に座り込んだまま、煙草をふかし始める。
煙が直撃してわざとらしく咳き込んだ。
「死にたいんだよね?ここで会ったのも何かの縁だし、良いこと教えてやるよ」
「別にいいですよ…」
煙をパタパタと手で扇いで追い払う。
と、またパーカー男は不機嫌そうに若干口を尖らせた。
本当に、よく分からないこの人。
「チッ。あぁ〜そうですかすみません。不審者に絡まれて災難でしたね。もう行っていっすよ。さよならー」
「はぁぁ……?」
桐原は眉間に皺を寄せ、フードを被ってそっぽを向くパーカー男を見下ろす。
(何こいつ…え、本当なんなの…?私に何を求めてるの…?)
ここまで訳のわからない人間は初めてだ。いや、今日の自分の愚行は取り敢えず棚にあげるとして。
(絶対こんな奴会ったことないんですけど…)
とは言え最初に接触を図ったのは桐原の方なので、仕方なく再びパーカー男に話しかけてやる。
「何ですか、良い事って…、知りたい、デス」
中々に屈辱的で、思わず片言で喋る桐原に、パーカー男は面倒くさそうにちらりと目をやる。
「気とか使われるとかえって面倒なんだけど。はぁ。まぁいいや。…ん」
「は…えっと、住所?」
パーカー男はポケットから出てきた紙に走り書きで何かを書くと、桐原に手渡した。
ちらっと見たところ、どうやら住所のようだ。
紙は酒と煙草のレシートの裏紙だった。
「そ。どうせ死ぬなら、せめて誰かの為に死にたいと思わない?」
「それは…まぁ」
そんな言葉がこの卑屈な男から出てくる事にまず驚いた。思わず怪訝な目で見てしまったのだろうか、パーカー男はそれを察したかのようにまた顔を歪めた。
あ…また面倒くさいパターンだ。
「ま、こんな社会のゴミが急にそんな事言いだしたらそりゃ引くよねぇ。今のただの建前だから。そこに書いてある場所に行けば、無駄に寿命の長いゴミクズでも、精々最期にクソみてぇなこの世に貢献できますよって話。」
「んん…と?」
パーカー男は怠いため息をついた。
いや、私の理解力が乏しい訳では無いと思うのだけれど、と桐原は心の中で苦笑する。
「自殺したい元気な奴の残りの寿命を、生きたいと思ってる死にかけの奴に売れる、って事」
桐原は、「呆気に取られる」という感覚を、今世界で1番実感しているのは自分だと思った。
「あー、自分で言い出したけど面倒くせ。興味あったらそこの住所に行けばいい。そんだけ。」
「あなたはそこに行ったんですか…?」
「さぁ?」
(さぁって…。自分で言っといて…)
また脳内で文句を垂れかけたところで、そういえばこの男に常識を求めても無駄だったと気付く。
よっこいせ、と親父くさい掛け声と共にパーカー男も立ち上がった。目の前に人がいるというのにどでかい欠伸をする。
「じゃね。眠いから帰る」
「えぇ…、はい…」
「もし行ったら感想教えて、いつか」
「それ絶対もう会わない感じじゃないですか」
まあね、なんて適当な返事をしながら、パーカー男は既に帰路に就き始めていた。こちらを見ずに片手をあげてひらりと手を振る。
(どうしよう。一応聞いておこうか…。いや別に必要ないけど…一方的に名乗ったままだし…)
「あの、待って!」
「…あ?」
1人悶々と議論を行った末、思い切ってパーカー男を呼び止めてみた。
「私にも…名前、教えて下さい」
「………」
パーカー男は振り返って、眠そうな目を一瞬だけ驚いたように見開く。
先程の桐原の態度もあり、恐らく不平を言おうとしたのだろう、眉根を寄せながら口を開きかける。しかし、何故か留まって桐原の目を見据えた。
「……
「……はすの…」
口の中で名前を復唱している間に、パーカー男もとい蓮野紫雨の背中は小さくなっていた。
「行って、みようかな…」
大分軽率な考えだという自覚はあった。
だが、どうせ一度捨てかけた命、もうどうにでもなれという気持ちが、妙に前向きな方向に働いた。
其れとも、自分よりも卑屈な人間を見て希望が湧いたとでもいうのだろうか。
桐原は、見知らぬ男から貰ったレシートの裏紙を握り締めポケットにねじ込んだ。
死にたがりニートと春を売る女 @hyitok_re2
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