ペット探偵と謎解きカフェ

片瀬智子

第1話 ペット探偵 登場

 私たちがこの世に誕生し、幾日かの辺りに貰うギフトのひとつに名前がある。

 親や家族、親戚、その土地の寺の住職、姓名判断によって……、名付けは人により様々。

 名前を付け、愛でて、慈しむ。

 その子が幸せになれるように、誰からも愛されるように、苦労をせず済むように。

 愛情の塊をその名前に凝縮させる。愛する人の想いを受けた名前は、その子に寄り添い、意志を持つかのように運命を共にすることとなるだろう。


 私は、姓名鑑定士。

 名前は花野はなのふみ。二十五歳。ふみのというビジネスネームを使い、ここ湘南の土地で一年前から仕事をしている。

 開業するにあたっては十五歳年上の恋人・西宮真綿にしみやまわたが営むカフェの片隅を拝借し、ウェイトレス兼、留守番兼、姓名鑑定士として、路地を素通りしようとした猫が直感で日向ぼっこを決め込むほど、のんびりとした場所で生活していた。

 湘南らしいスローライフをテーマにした真綿の『コットンカフェ』は、東海道線の線路から南側(海側)に位置し、海から上がったサーファーの髪が乾かない程度の立地にある。カウンター席にテーブル席三つ、ソファー席一つ、テラス席一つ、以上だ。外観も内装も白を基調に統一され、小さく可愛いカフェとして、たまに雑誌に載ったりしていた。


 ちなみに真綿は、湘南ボーイという枠にくくられると思う。

 私は地元民ではないから詳しいことはわからないが、真綿は生まれてからからずっとこの土地で暮らしてきた。彼の両親も祖父母も先祖も、みんな湘南出身だそうだ。

 しかも、ずっと線路の南側(海側)で暮らしてると何度も言う。

 それがどうしたと地元民でない私は疑問に思ってしまうのだが、湘南七不思議のひとつに「南(海側)と北(山側)、どちらに住んでるの?」というが根強く当たり前に存在していて、南側と答えることがステータスのひとつとなるのだ。(そのくせ、聞いたあとは「あ、そう」で終わる)


 確かに、湘南への移住に憧れた都会っ子や、サーファー、ハワイ風(もしくはコートダジュール風)の自由でお洒落なライフスタイルを求める人々はきまって南側にいた。

 年中日焼け肌、道路を水着のまま自転車に乗ってぶらぶらしていたり、雪の降る日以外常にビーサンを履いていても、ここでは誰も気にとめない。

 そんな土地柄もあり、根っからの自由人気質を持ち合わせた真綿や、その周辺(私も含めて)の人々が織りなすゆるい空気感をここで皆様にご理解頂けたらと思う。



 長身の真綿は日に焼けた肌を持ち、目にかかる茶髪を度々払い、眩しそうな笑顔をいつも見せている。程よい筋肉に覆われた丸みのある肩が茶色い熊を連想させなくもない。たぶん、きっとテディベアのような、どことなく切なく愛くるしい背中に私は惚れた。

 十五の年の差は意外に広くなかった。それは真綿の若々しい雰囲気のお陰だと思う。何というか、少年? いや、真面目に子供っぽい言動……。


「で、結局ノロケてるんでしょ?」

 ダルそうにあくびをし、携帯をいじりつつ、星野礼美ほしのれいみは言った。

 もうランチタイム時だというのに、ぶかぶかのスウェット、無造作に結んだ髪の毛、すっぴんメガネ。私の親友は、女子力に真っ向から立ち向かっている。

 しかし、水分の満ち足りた艶のある白肌は隠せない。

 彼女の魅力は夜。男を前にしてのみ、光り輝くのだ。細身にして抜群のスタイルを誇り、端正な顔立ちは和にも洋にも上手にはまる。

 意識的に隙を作らなければ、お高くとまっていると陰口を言われかねない完璧さの持ち主だ。


 ところが、美貌と地頭の良さを生まれ持ち、小学校から都内の名門お嬢様学校をぐんぐんとエスカレーター式に上った礼美はある日突然、人生の虚しさを知ることとなる。上へ行き過ぎると、景色を傍観することしか出来ないのだと。

 精一杯の感情、野心と嫉妬、張り裂けそうな喜び、切実な言葉。それらを使って生きてみたい。せっかくならもっと人間味のある人生を送りたい。

 ……という訳で、礼美は地上に救いの手を差し伸べる女神のごとく、銀座の会員制高級クラブでアクティブに人生を謳歌中なのであった。


「真綿くんにお願いしてた例の件、どうなったかなぁ?」

 今は唯一女子力の高さをみせる高価な爪で携帯をいじりつつ、礼美がつぶやいた。

 そうだ。礼美には最近、訳のわからない悩みがあった。

 それをコミュニケーション能力だけやたらと高く、あらゆる知り合い関係各社に顔の利く真綿に相談を持ち掛けたのだ。

 そういえば、真綿はひょいと肩をすくめて、「全然力になれるけど」と言っていたではないか。


「礼美ちゃん、ごめんねー。真綿のやつ、午前中、ランチの仕込みを済ませてお散歩に行っちゃったみたい。しかも、もうお昼なのに帰ってこないね。まあ、お客もさっぱりだけど」

 私は留守番としての勤めを立派にはたしながら、自分の定位置から周りのテーブルをぼんやり見渡した。

「今日、休みだから、帰って寝ようかな。それともフェイスエステに行った方がいいと思う?」

 礼美はそう言うと携帯を鏡に持ち替え、どこもいじりがいのない顔を覗き込む。


「あ、でも隣の部屋の前を行き来する人たちが気味悪いんだった。最近、休みでも全然落ち着かない」

「じゃあ、マンション引っ越しちゃえば? 礼美ちゃんのマンションとうちが近いのはうれしいよ。でも、湘南は湘南でも、もっといい部屋に住めばいいじゃん。お金はあるんだし」


 私は前々から思っていた。銀座高級クラブの人気ホステスである礼美が、何がうれしくて湘南のワンルームマンションでこぢんまり暮らしているのか。

 うちのカフェに毎日ランチに来てくれるのはありがたいが、そんな威張れるようなランチではない!(あ、真綿、ごめんね)

「ふみちゃんはわかってないなぁ。私ね、オンオフがキチンとしてないとダメなの。職場が華やかだからいつも着飾るじゃん。だから、オフはこうじゃなきゃバランスが取れないのよ。お部屋も庶民的じゃないと落ち着かないの」


 なるほど。

 私は、礼美が「こうじゃなきゃ」と言ったときの私服アピールに胸を打たれつつ、ユニホーム化した色褪せたグレーのスウェットをあたたかく見つめた。そんな立派な理由が、スウェットとマンションにあったとは。

「でも、何だっけ。誰も住んでないはずの隣の空き部屋に、誰かが通ってるんでしょ。しかも毎日。それが本当だとし……」


 突然カランコロンとカウベルが揺れ、店のドアが開いた。帰ってきた真綿の後ろにいる、見慣れない人物に私は目を奪われる。

「おっと、客がいないねぇ。セーフ」

 帰ってきたと思えば、真綿はとんでもないことを言った。

「そこ、セーフだったらお店やばいでしょ」

「しかも、私、お客だし」

 私と礼美が攻撃すると、真綿がにやりと意味を含んだ顔つきで私たちを見た。

「あ、そんなこと言っちゃっていいのかなぁ? 探偵さんを連れてきたんだけどなぁ」


 ――探偵。

 生まれてこの方、古典的なミステリ小説をさんざん愛読してきた私なのだが、本物の探偵に出会ったことは一度もなかった。

 そして目の前の探偵さんとやらは、もじゃもじゃ頭でもなければ、パイプもふかしていないし、一度見たら忘れられない髭もない。

 どちらかと言えば草食系に属する、ゆるいくせ毛でトイプードルを先祖に持つような可愛らしい顔立ちの青年だった。


「初めましてぇ。星野礼美です。今日はちょっと仮の姿ですみません」

 我先にとしなを作りながら、礼美が私の前に歩み出た。そのスウェットではどうにもなるまいという、私の心のつぶやきが漏れそうで怖い。

「ほら伊織くん、突っ立ってないで入ってよ。自己紹介、よろしくね」

 真綿は緊張気味の探偵をこちらに促しながら、太陽印の笑顔を見せる。

「あ、あの、加納伊織かのういおりといいます。湘南地区でフリーのペット専門探偵をしています。えっと、二十三歳です。最近、そこの角のアパートに越してきました。真綿さんはアパートの大家さんに紹介されて、今日初めてお会いしました。えっと、……これからよろしくお願いします」

 年端のゆかぬ少年のようにぺこりと頭を下げながら、彼は私たち一人一人に名刺を配った。


「ペット専門……探偵!? ちょっと、真綿くん。ペットってどういうこと?」

 礼美が素早く反応し、食いつく。

「んーとね、犬でしょ。猫、鳥、魚、……爬虫類も専門に入ったっけ?」

 真綿が伊織の顔を覗く。

「いえ、魚と爬虫類は専門外です」

 伊織が神妙な顔で答える。

「あのね、そうじゃなくて。今日真綿くんが探偵を呼んでくれたのって、私の、例の、深刻な、相談のためよね? じゃあ、なんで、本物の探偵さんじゃないのかな?」


「礼美ちゃん、伊織くんは本物の探偵さんだよー。迷子のペット専門ってだけで。とりあえず、彼を信じてあげてみない? 大家さんからのお墨付きも貰ってるんだから」

 噛みつき気味の礼美をなだめながら、真綿は伊織にもっと何か喋ってと指で合図した。

「あ、はい。あの、一応、迷子のペット専門なんですが、午前中と夕方は大体犬の散歩を任されてやってます。こちらの方が最近はメインの仕事になっちゃってますが……」

 ますます深みにはまり、伊織の声が細々と消えていく中、礼美の眉がつり上がっていった。


「あー、ちょっと、まって。私、見たことあるかも! 白と黒の点々の! えー、ほら、ダルタニアン!」

 突然はっとした顔で礼美が伊織を指差し、大声で言った。私と真綿は何事かと目を合わせる。

「あ、はい。あの、……ダル、メシアンです。たぶん、三匹連れて散歩してた時ですかね。見て頂いたのは」

「そうよ、そうよ。目立ってたもの。ダル! えー、でもなんかイメージ違う。あれ、夏だったからかな、もっと日焼けしてて、こう、腕とか筋肉が……」


 さすが、礼美。見どころが違う。筋肉フェチなのだ。

「そうそう! 礼美ちゃん、彼、脱いだらすごいんだよー この甘い顔とのギャップがまたいいでしょ。そこらへんで勘弁して、試しに彼に調査を依頼してあげない?」

 真綿がチャンスとばかり、割り込んできた。今日会ったばかりで、脱いだの見たことないだろとツッコミを入れたいのを必死で抑える。

「伊織くんもさ、お試し料金でさぁ。調査中はうちのコーヒー、サービスしちゃうし」

 結局、私からにらまれる真綿だった。


「でも、凶悪事件だったら対応出来るのかしら。お散歩専門探偵でしょ?」

 礼美は上から目線で凶悪などと口にするが、実は事件かどうかもまだわからない。

 大げさ……と私が真綿に口パクで伝えると、真綿も同感といった様子で頷いた。

「とりあえず、座って、みんなで礼美ちゃんの話を聞いてみない? それで、調査出来そうだったら料金の話とかすればいいんだし。ね、ちょうど今、お客さんいないよ。ふみちゃん、いいよね?」

 私は仕方ないなぁといった態度を取りつつ、コーヒーを淹れに奥に入った。


「この辺は結構物騒な事件もあるんですからね。ほら、一か月くらい前にも女子高生が刺されて殺された事件あったじゃない。踏切渡ってすぐ南側の公園のとこで。犯人は、通りすがりの中年の男性でしたっけ……」

 礼美の声だけ聞こえる。私はホットコーヒーの香りに包まれ、密かに高揚した気持ちに気づく。実は根っからのミステリファンなのである。

 ソファー席のテーブルに着くと真綿がカップを配ってくれ、私はソファーに身体をまかせた。四人が揃った。


「確か、三か月くらい前だったかしら。うちのマンションは九階建てで、私は七階に住んでるの……」

 礼美が話し始める。

「私のの部屋が南東の角部屋なんだけど、そこはずっと空き部屋になっているのね。前にそっちの部屋へ移りたくて管理している不動産屋に聞いたら、そこはオーナーさんの持ち物件だって言われたわけ。で、人は住んでいないから、倉庫代わりにでもしてるのかと思ってたんだけど。……そうね、三か月ほど前から、その部屋へ出入りする人の足音が聞こえるようになったのよ。人は住んでないはずなのに。……怖いでしょ」

 礼美はゆっくりと周りを見渡し、コーヒーに口をつけた。


「それって、オーナーさんの家族とか友達が用事で通ってるんじゃなくて?」

 私は言った。真綿もとなりで頷く。

「私も、始めの頃はそうなのかなって思ったりしたよ。でも、それにしてはおかしいの。結構、頻繁ひんぱんだもの。平日は夕方頃からよく聞こえるんだけど、休日だったら、昼間から五、六人くらいは出て入ってしてるかしら」

「星野さん、質問いいですか?」

 ペット探偵だった。


「その五、六人とは毎回全く違う人物ですか? それから、入って行く人を実際ご覧になったことはありますか? ……あと、マンションの場所を教えていただきたいのですが?」

「一気にいろいろ聞くのね。でも、本物の探偵みたい。んー、そうね、足音はいろいろだけど。実は、何度か出入りする人を見かけたことあるの」

「見たことあるの!? 危ないじゃない!」

 礼美の発言に、私と真綿は驚きを隠せない。


「危ない感じはしなかったなぁ。いつも男子学生なのよ。平日は高校の制服を着てる子ばかりを見るわ。N南高校の制服。同じ人の時もあるし、全く初めて見る顔もいた。でも、鍵はたぶんみんな同じものを使ってると思う。キーホルダーが同じだったから。それこそ、ダルメシアン模様の犬型ぬいぐるみ! 男の子が持つには可愛すぎるキーホルダーだなって思ったの。あ、言うの忘れてたけど、必ず一人ずつ来て、出て行くの。友達同士ではしゃぎながら来る感じじゃなくて。平日は夕方から、二~三時間おきに一人ずつ部屋に入る足音が聞こえる感じ。玄関ドアが閉まる音もね。遅い時は深夜くらいまで。まあ、夜の時間帯は私も仕事でいない時が多いから確実ではないけど。……あ、それとね。オーナーさんに先日ばったりお会いした時に、ちょっとほのめかしたの。学生さんが出入りしてますかって。そうしたら、息子さんがN南高校の学生だから来てるのかもしれないっておっしゃってた。でも、友達が遊びに来る感じではないのよね……。あと、マンションはね、ここからすぐ近くのラメールマンションN南よ」


 伊織は下を向いたままずっとおとなしく聞いていたが、やっと小さく頷いた。

 私は今のところ、全くもって意味がわからない。どうやら真綿もそのようである。

 実際、N南高校はうちから近いため、このあたりをよく学生が歩いてる。男の子も女の子も、高校生カップルもよく歩いてる。どの子も似たり寄ったりだ。その制服を着ているだけで、N南高校の生徒と思い込んでしまう。 

 眉をしかめていた伊織は、視線を真綿に向けた。

「真綿さんに質問があります」

「えー、俺に!?」

 のんびり構えていた真綿が当てられた。礼美は礼美で、なんで真綿がという顔をしている。


「真綿さん。一年ほど前に、女子高生がこのあたりで殺された事件覚えてますか? うちの大家さんが、真綿さんがそれを目撃したという話をされてたのですが」

 真綿が左手を顔に持っていく。

「ああ、そんなことあったよ! 夜十二時頃かな。辻堂駅北側の居酒屋で友達と飲んでてさ、その後自転車で帰ってたんだよ。そしたら、踏切を渡った南側の住宅街の角で、制服着た女の子が倒れてたんだ。もちろん、犯人は見てないよ。でも、背中にナイフが刺さっててね。あとで包丁だってわかったんだけど。どっきりかと思ったよ。とりあえず、救急車と警察すぐ呼んで。もうすでに亡くなっていたみたいだけどね。かわいそうに。……大変だった、あの日は」

 真綿は記憶の糸を辿りながら、最後に「綺麗な子だったなぁ」とつぶやいた。


「実は、一年前のその犯人はまだ捕まっていません」

 伊織は唐突に確信を持った声で言った。

「先月殺された女子高生と同じ犯人じゃないの? 通りすがりのおじさんだっけ? もう捕まってるよね」

 私の中ではそのように処理されている。女子高生連続通り魔殺人事件に違いない。きっと、一年前に犯した殺人の感触が忘れられず、また先月幼気な女子高生を物色して殺害したのだ。

「先月の事件の容疑者にされた中年の男。……藤岡さんは、実は一年前に殺害された女子高生のです」


 伊織の言葉に、残りの三人はどよめいた。

「お父さんの復讐だったってこと!?」

「いや、その人は犯人じゃないって」

「そこに、なんで被害者の父親が関わってくる訳?」

「ていうか、ペット探偵。何で、そのおじさんの情報を持ってるの?」

 私たちがひとしきり騒いでいると、伊織は携帯の時計をちらりと確認する動作を見せた。

「皆さん、すみません。そろそろ謎を解いてもよろしいでしょうか。この後、お散歩の面接が二件入ってまして、時間が……」


 なんなんだ、この神展開。

 ミステリファンが喉から手が出るほど待ち望んだ謎解きタイムに、スピード解決で突入しようとしている。

 ペット探偵と小バカにしていた礼美の眉がまたつり上がった。

「じ、時間がないなら、早速どうぞ。名探偵さんに、隣の部屋の謎をきっちり解いて頂こうじゃないの」

「あ、はい。そっちは後ほど」

 伊織はメールを素早い指裁きでタップしつつ、礼美の圧をさらりと受け流した。案外メンタルは強そうだ。真綿は珍しく空気を読んで、おとなしくしている。


「今、……女子高生殺害の犯人がわかりました」

 息を吸う音が各自から聞こえた。

 えー、こっちの大事件の謎解きをしようというの!? 

 先程の世間話のような会話から何をどう解釈したら、殺人事件の犯人に行き着くのか理解出来ないが、私のアドレナリンは現在急上昇している!

「皆さんのお話しを伺って、真相がはっきりしました。ありがとうございました」

「お礼とかいいから、先を進めて」

 礼儀正しい伊織に対して、礼美がいちいちうるさい。


「実は僕は、……藤岡さん、一年前に殺された女子高生のお父さんですが、その家のラブラドール・レトリーバーの散歩も時々頼まれてまして、もともと知り合いだったんです。なので、藤岡さんから事件のことについて、少し話を聞いていました。ですから、皆さんより多くの情報を持っていたんです。なんかフェアじゃなくて、すみません」

 伊織が律儀にミステリの作法を詫びる。


「藤岡さんから聞いた情報と皆さんからの情報をすり合わせると、女子高生殺害の犯人像が浮かび上がってきました。どうやら犯人は、……ラメールマンションN南のオーナーの息子です」

 礼美が素っ頓狂な声をあげた。

 言葉にはなっていなかったのでここに書くことは出来ないが、文字にするとしたら、*?$%&#!!  ……こんな感じだろうか。


「ちょっと、隣の部屋に殺人犯が出入りしてたってこと! そんな、なんで、怖すぎるじゃない!?」

 礼美ほど驚きを露わにしないが、私も真綿も十分驚いていた。

 なぜ急に礼美の住むマンションオーナーの息子が、そこで登場するのか。しかも殺人事件の犯人として。


「一年前の女子高生殺害と先月の女子高生殺害、この犯人は同一人物、マンションオーナーの息子が行ったものだと思います。犯行現場もそこの踏切を渡ってすぐの、ほぼ同じ場所です。一年前に殺された藤岡さんのお嬢さんを仮にA子さん、先月殺された方をB子さんとしましょう。B子さん殺害の際、藤岡さんが疑われたのはその時間帯に殺害現場をうろついていたのが原因でした。真綿さんが現れる少し前のことです。夜中、そこへ向かう藤岡さんの姿が通り道の防犯カメラにも映っています。そのことで、未解決だった一年前の娘の殺害まで警察に疑われることとなりました。凶器や殺しの手口が二件ともそっくりでしたので、警察は同一人物の犯行で捜査を進めていたんです。ですが、A子さんの殺害時、藤岡さんは海外出張中で完璧なアリバイがありました。一人娘を亡くし、一時はバカバカしくもその容疑までかけられた。死ぬほど落胆した藤岡さんを見て、僕は必ず犯人を見つけ出したいと思うようになったんです」

 伊織は息をついた。唇が少し白い。


「僕は藤岡さんから、いくつかの情報を聞き出していました。B子さんが殺される何時間か前、友人に送ったメールの中に、鍵をなくしたというひどくおびえた感じの文章があったそうです。何の鍵かはわかりませんでしたが。これは警察が確認したものなので確かです」

「B子さんはその鍵を探して夜道を歩いてて、運悪く殺されたってこと?」

 私は聞いた。

「いえ、犯人は興味本位で人殺しをしたわけではありません。この犯人はもっと狡猾です。あえて言うなら、制裁。見せしめと言ってもいい。B子さんの殺害動機はそれです」


「頭が混乱してきたわ。ね、ペット探偵。あなたはわかってるからいいけど、こっちは急に制裁とか見せしめとか言われても何のことだか全然わかんない。もっと、わかりやすくお願い」

 礼美が珍しく、しおらしく言った。本気で混乱してるようだ。

「すみません。では、まずA子さんの殺害について、説明させて下さい。藤岡さんのお嬢さんの……」

 伊織の声が沈んだ。生前のA子さんを思い出したのかもしれないと思った。愛犬とたわむれる姿を。


「A子さんの殺害は、犯人の身勝手で子供っぽい思考の表れです。A子さんは、真綿さんもご存じと思いますがとても美しいお嬢さんでした。性格も優しくほがらかで、僕なんかから見たらそれは天使みたいな人だった。ただ、美しい人には良くも悪くも誘惑が多いものです。A子さんもそれに悩まされていた。藤岡さんも言っていました、ろくでもない男たちが寄ってくると。ですが、A子さんはそういった男らになびくことは絶対になかった。勉強熱心な彼女は毎日、夜遅くまで塾通いをしていたんです。そして、犯人はいくら誘っても自分になびかないA子さんを、塾帰りの夜道に包丁を使って刺し殺した」

 伊織の重苦しい声色が途切れた。伊織の心情は計り知れなかったし、私たち三人も口を挟む勇気はなかった。


「次はB子さんの殺害です。B子さんはN南高校の生徒で、犯人とは同級生です。……ここからは僕の想像も少し入るのですが、犯人やB子さんたちは仲間内で組織のようなものを形成していたのではないかと思います。未熟で無知な悪の組織。その中でもリーダー的存在だったのが、犯人だったのでしょう。ご両親は不動産業を営むマンションオーナー、裕福で甘やかされた環境で育ったのではと想像出来ます」

「そうよ。オーナーさんが言ってたわ、息子は歳を取ってから生まれた子供だから、わがままに育ててしまったって。その時は謙遜だと思ってたけど」

 礼美が思い出したように言った。


「犯人やB子さんたち組織のメンバーは学校をさぼったり、いじめや万引きなど卑劣な悪ふざけを度々して楽しんでいたのでしょう。その中の一つが、ラメールマンションでの一件です」

 伊織が礼美を意識的に見る。礼美は先生に褒められた子供のような顔をした。

「ラメールマンションN南は、賃貸のワンルームマンションという触れ込みで物件を貸しています。しかし、貸していたのは全部屋ではなく、星野さんのおっしゃっていた隣の部屋のようにオーナーの持ち物件で使われていない部屋もありました。そういった部屋が他にいくつかあったとしたら。そして例えば、星野さんの隣の部屋と、その下の部屋が二階続きで繋がっていたとしたら」

「え、えっ?」

 礼美は身を乗り出し、伊織の話を聞き逃すまいと必死の構えを見せた。


「はい。簡単に言うと、星野さんの隣の七階角部屋と、下の六階角部屋はいわゆるメゾネットタイプ。室内で繋がっているということです」

「え、ワンルームじゃないってこと? で、なんで?」

 礼美が急いで、聞き返す。

「出入り口を分けて、小規模な二世帯住宅のような感じでしょうか」

 伊織が頭をかきながら言った。

「たぶん、元々はオーナーのご主人が、遊び目的で造ったんじゃないかと思います。例えば、趣味の部屋だったり、女性と密会する部屋だったり……。出入り口が階で分かれていれば、女性と一緒に部屋を出入りしなくていいので、デートがばれにくいと思いませんか?」


 一瞬の沈黙が流れた。

「そっかー、そう来たかー。オーナーのおやじがそんな夢のような部屋をー」

 空気の読めない真綿の発言で、場に緊張が走る。もちろん、その緊張は私が醸し出していた。

「で、今は使用していないその部屋を、三か月ほど前から息子が勝手に使っていたんだと思います。もちろん悪だくみにですが」

「悪だくみ? って、嫌な感じね。死体を持ち込んだりしてないでしょうね」

 礼美が露骨に嫌そうな顔をした。


「まさか。そんなことじゃありません。……おそらくラブホテル目的で使っていたんでしょう」

「はあ? なにそれ!?」

 礼美と以下二名、同じリアクションと表情。

「ラブホって、どういうつもりよ。高校生のくせに生意気過ぎるわ! しかも隣の部屋でー あー、嫌だ 」

 礼美は最高に嫌がり、私たちの失笑を買った。


「犯人はラブホテルの名目で、組織のメンバーに時間交代で部屋を貸していたんだと思います。六階の玄関から女生徒が出入りし、七階の玄関は男子生徒が使う。そう考えると、男子生徒ばかりが七階の通路を利用する意味がわかります。そして、そのレンタルルーム代を犯人が徴収していた。六階と七階の鍵はダルメシアンのぬいぐるみ型キーホルダーを付け、なくさないようあえて目立つようなものを選ぶ。で、男女のメンバー内でぐるぐると鍵は渡っていったんです」

 伊織が冷えたコーヒーを一口、口に含んだ。

「あ、それなのに、B子さんは六階の鍵をなくしてしまったのね。もしかして、それが理由で殺されてしまったの?」

 そんなことで殺されるなんて。


「おそらくそう。犯人は一度殺人を犯してるんだ。二度目は罪の意識も軽いに違いない。しかも組織のリーダーとして、神に近い立場で采配を振るい勘違いを続けてきた。組織のミスは命取りということをアピールするためにも、恰好の殺しと思ったんだ。バカなやつめ」

 伊織が今日初めて、怒りを露わにするような強い言葉を使った。

「星野さんが、夏にダルメシアン三匹を散歩させている僕を見かけたと言いましたよね。あのダルメシアンは、実はラメールマンションのオーナー宅の愛犬です」

「はぁ? そうだったの! そっちの事情にも詳しかったってわけ? 何よ、早く言ってよね」

 礼美の機嫌が途端に悪くなる。偶然にも程があるというように。


「あ、違います。僕は何も知りませんでした。実際、ご主人にも息子にも会ったことは一度もありません。いつも奥さんに時々依頼されて、三匹を散歩をさせてるだけです。何の情報も持っていませんでした。星野さんが見たというダルメシアンのキーホルダーで、ちょっと思うところがあってピンときたんです。……犯人は、自分宅の愛犬の形をしたキーホルダーを付けたんです」


「ね、伊織くん、正直言いづらいんだけどさ。もしかして、この謎解き、すべて憶測で片づけられちゃうかもしれないね。例えばさ、証拠を出せとかって言われたら、困っちゃうじゃん」

 ぐずる礼美を横に、ここで真綿がまっとうなことを口にした。

 確かに、今までの話は全て伊織の推測に過ぎない。筋は通っているように思うが、根拠が何もなかった。

「……大丈夫だと思います。たぶん、必ず、あと少ししたら。この事件はどうしても解決しなければいけないんです。というか……」


 突然、伊織の重々しい口調を遮るかのようにメールの着信音が軽やかに響いた。

 伊織は素早くメールを開き小さく頷くと、今までにない自信の表れをその顔に身体にみなぎらせた。私は聞いた。

「というか……?」

「はい、この謎は」

 伊織の勝利を確信した目が、私たちを見渡した。


「――この謎は、今、解明されました! 真綿さん、先程、証拠がなければ、ただの憶測に過ぎないとおっしゃいましたね。この事件は未解決に終わるような、そんなな謎じゃない!! もっと愚かで幼稚な事件です」

 真綿も礼美も、伊織の変化についていけてない。写真に撮って送ってあげたいほど、二人ともぽかんとした顔をしていた。

「この事件は、藤岡さんが、僕が、誰もが解決を願ってやまないんだ。皆さん、ご心配をおかけしました。無事、証拠が見つかりました」

 これには私も驚きを隠せなかった。どこに証拠があるというのか。


「実は先程、僕は同業の知り合い達に一斉メールを送りました。N南橋付近、土手沿いの草むらにダルメシアンのキーホルダーが落ちてるはずだから、緊急に探してほしいと。B子さんが殺害された先月の夕方、僕はその日もダルメシアン三匹を連れ、土手沿いを散歩していたんです。途中、ダルメシアンの一匹がキーホルダーらしきものを口に入れていました。普段は利口で、何でも口に入れる犬ではないのに。僕が口から取り出したときには、鍵は付いていませんでした。鍵を繋いでいたパーツは、噛み砕いて壊してしまっていたのでしょう。ボロボロになったダルメシアン型のぬいぐるみだけ、僕の手にありました。まさか、それがこの事件の証拠になるなんて夢にも思わず、そこへ捨てて帰りました。僕がばかだった。あのぬいぐるみには犯人の匂いが、ちゃんと付いていたんです!」


 私たちはハッと顔を見合わせた。犬は飼い主の匂いにつられて、キーホルダーを口にしたのだ。

「案の定、ボロボロのダルメシアンの近くに、キーホルダーの壊れたパーツと鍵が落ちていたそうです。さっき、近所を散歩中だった同業者が見つけてくれました。これでやっと、犯人を捕まえることが出来る。……マジで、鍵見つかってよかった」

 最後の一言を言うと、仕事を終えたマリオネットのように伊織はぐったりと力尽きた。


「伊織くん、君ってすごいねー! 本物の探偵みたいじゃん。ペット専門じゃなくてもいいんじゃない?」

 真綿が心底嬉しそうに伊織にじゃれついた。私はおかわりのコーヒーを淹れるべく立ち上がる。

「犯人を見つけることが出来たのも、犬たちのお陰ですから……」

 真綿のテンションの高い好意に、伊織は有難迷惑しながらも困りぎみの笑顔でつぶやいた。

「じゃ、早速警察に電話しちゃおっかー」

「わぁ、警察生まれて初めてー」

 真綿と礼美が元気よく立ち上がり、おのおの携帯を取りに行ったり、メイク道具を取り出したりと慌ただしくなった。


 ただ、私にはもう一つ疑問があった。

「ねぇ、藤岡さんはなんで先月、B子さんの殺害現場の夜道をウロウロしていたの? 真夜中の踏切辺りなんて、何もないでしょ」

 三人は一瞬動作を止め私を見たが、肝心の伊織も首を振っただけだった。その時、真綿が口を開いた。

「ふみちゃん、藤岡さんがあの夜道をうろついてたのは、だけじゃないと思うよ」

 真綿が、私の好きな優しい声で言った。伊織も礼美も、真綿を見つめる。


「藤岡さんはきっとずっと前から、あの夜道を通ってたんだ。……お嬢さんを迎えにね。A子さんは毎日塾通いをしていた。帰りはいつも夜中だったんじゃないかな。最近の塾って、深夜までやってるとこあるし。一年前、A子さんが殺された夜、藤岡さんはたまたま海外出張で迎えに行けなかった。藤岡さんはそれをずっと後悔しているんだと思う。もう二度と会うことの出来ない、かわいそうな娘を今でも迎えに行ってるんだよ。親なら幽霊だったとしてでも、会いたいと思うんじゃないか。……たぶん」


 私は真綿らしくない言葉に驚きつつ、胸が苦しくなった。

 被害者家族の辛さを今、わかった気がした。真綿は情に熱いところがある。私が気付かない部分を、想像出来る人だった。

「では、皆さん。すみませんが、今日は仕事があるので帰ります。コーヒー、ごちそうさまでした。お先に失礼します!」

 伊織が慌ただしく、小走りぎみに出て行った。

 心なしか空気が澄み、私たちはどこかすっきりとした残り香を感じている。それは明日も晴天になりそうな、夏の夕べの穏やかさに少し似ていた。


 真綿と礼美がまた 、 警察、警察と浮かれ出した。

 私は改めて、熱いコーヒーを一口飲んだ。指で加納伊織と名刺をなぞり、字画を数えていく。

 天格 十五、人格 十六、地格 二十四、外格 二十三、総格 三十九。


 ――現在、二十三歳。彼の前途は輝いている。

 子供の頃からお金に困ることなく、恵まれ幸せに暮らしてきたのだろう。これからは今まで培った豊かな感性・創造性を活かし、リーダーとして慕われ、周りの人を引き連れていく立場となる。仕事運はこれからますます発展していき、中年以降成功を収める。

 しいて言えば、家庭運が気になる字画。社会運も仕事を盛り立てる力強い運を持っているだけに、結婚生活で悩みが付きまとうタイプか。


 私は職業病に近い癖で、姓名鑑定をしてしまう。頭の中で数字を人生の流れに当てはめ、その人の生き方を観る。

 一人遊びのように想像の中で、私は伊織を分析した。

 彼は頭脳明晰で、環境に恵まれ、慕われ、前途を切り開く。大海原へ放り出されたとしても、自分の機転と行動力で難題を次々と解決していくに違いない。

「名探偵の資質を兼ね備えている」

 私は小さく独りごちた。 

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