第213話 七天山攻防戦
と言っても、城戸軍も全体の負傷者、戦死者数は合わせて七百人近くに上り、大きな被害を被った。
だが徳川軍はそれを遥かに上回る半数以上の犠牲者を出しており、今回の遠征軍はまず壊滅したと言ってもよい程であった。
命からがら
しかし、これで全てが終わったわけではなかった。
風魔玄介と、風魔幻狼衆がまだ残っている。
風魔玄介は、半数ほどに減った兵士らと共に、小倉山の砦は捨てて、七天山へと退却して行った。
もちろん、天哮丸と共にである。
玄介は、その野望を諦めたわけではない。
天哮丸を手にしている限り、負けるはずはないと思っている。
彼は、一旦、難攻不落を誇る七天山に籠り、戦力を蓄えてから再び攻勢に出ようと考えていた。
だが、礼次郎ら城戸家にしてみればまたとない機会である。
風魔幻狼衆の戦力は半減した。一気に攻め滅ぼす時はまさに今であった。
城戸軍は、まず徳川軍が去った鷹巣城とその周辺の小城を落とした後、約二千五百人の全軍で七天山に迫り、攻撃を仕掛けた。
しかし、周囲を幅広の川に囲まれている七天山はまさに天然の大
「甘いわ。この七天山は万の敵ですら撃退が可能だ。貴様らが例え十万の軍で攻めても落とすことはかなわぬであろう」
玄介は、本丸の
対して、攻撃側の城戸軍陣営では困り切っていた。
「ううむ、流石は難攻不落を謳われる堅城だけある。このような城、見た事もない。もしかすると小田原城よりも落とし
龍之丞は、赤みの残る
「橋をかけていないから、どうしても川を渡って行かざるをえないしな」
礼次郎は、腕を組んで顔を険しくした。
普段、七天山は、外界との行き来を容易にする為に、山の中腹よりやや低い位置にある大門より、対岸に向けて橋を渡している。だが、これは非常時には外せるような構造になっており、当然、今は橋は外されている。
七天山を陥落させる為には、川を渡って山肌に取りつき、登って行って中に侵入するしかないのである。
だがしかし、
「何か良き策を考えて行かねばなりませんな」
龍之丞がため息をついて言った。
そこで、礼次郎と龍之丞だけでなく、客将である真田信繁まで含めて、
だが、その全てが
「致し方なし。一度、攻撃を止め、包囲態勢を敷いた上で兵士らに休息を取らせましょう。その間に何らかの突破点を見出せるかも知れませぬ」
と、龍之丞は礼次郎に進言し、場合によっては兵糧攻めを行うことも視野に入れて、長期滞陣の備えを始めた。
しかし、風魔玄介は高笑いを上げる。
「包囲してこちらの兵糧切れでも待つつもりか? 無駄無駄。ここ七天山には半年分の備蓄がある上に、小さいながら田や畑もある。兵糧攻めなど無意味なことよ」
そして、側近の三上周蔵に指示をした。
「ちょっとからかってやれ」
翌日夜、城戸軍は喜多の忍び組に七天山の動向を見張らせた上で、厳重に警戒しながら兵士達に睡眠を取らせていた。
だが――
「敵襲、敵襲! 風魔軍の夜襲だ!」
見張りの兵士が悲鳴を上げた。
その声を聞きつけて、礼次郎は跳ね起きた。急いで甲冑を着込み、覇天の剣を掴んで外に飛び出した。
「殿!」
すぐに、馬廻りの武者たちが駆けつけて来て礼次郎の周囲を固めた。
と、喚声と馬蹄の音が響き合い、たちまち闇が
騎馬隊は、そのまま城戸軍の野営地に雪崩れ込んで来て、
龍之丞や壮之介らはすでに起きており、兵士らを鼓舞して反撃に出ようとしていた。
しかし、寝込みを突然に襲われた為、兵士らは大混乱に陥っていてなかなか収拾がつかない。
礼次郎は、走り回る風魔の騎馬隊を注視した。
彼らは闇に溶けやすい濃紺の着物の上に、胴だけを身に着けると言う軽装で、頭も濃紺の頭巾で覆い、覆面をしていた。
そしてよく見れば、数は五十騎ほどと見てとれた。
「敵はわずかに軽装の五十騎ほどだ! 恐れることはない、落ち着け!」
礼次郎は馬に飛び乗り、陣営を駆け回りながら兵士らを鼓舞した。
また、自ら覇天の剣を振って風魔の騎馬武者に斬りかかって行った。
やがて、兵士らは徐々に落ち着きを取り戻して行った。
だが、その時を見計らったかのように、風魔の騎馬武者達は互いに何か合図をしながら素早く陣を出て行くと、風のように闇の中に消えて行ってしまった。
短時間の急襲であったが、城戸軍の被害は大きかった。
百人ほどの死傷者が出た。
「やられちまったなぁ」
順五郎が悔しそうに呟いた。
城戸軍の野営地は、鎮火作業が終わり、負傷者の手当てが始まっていた。
あちこちで苦痛に
「全く気付かなんだ。こうまで完璧な夜襲を受けてしまうとはのう」
壮之介が言うと、
「奴らは元々が風魔党。そして、騎馬隊による敵陣への夜襲は風魔が最も得意とする戦術。もっと警戒しておくべきでござった」
千蔵が悔しさを押し殺すように言った。
「しかし
龍之丞は、悔しさ半分、疑念半分と言った表情である。
「それほど奴らの夜襲戦術が凄いってことでしょう。相手は風魔、仕方ないわ」
陣中を見回って戻って来た咲が、こちらに歩いて来ながら言った。隣には、喜多も一緒であった。
喜多は、礼次郎の前まで来るなり、いきなり
「殿、申し訳ござりませぬ。奴らが七天山を出たことに気付かず、夜襲を許してしまうとは……この早見喜多、痛恨の極みにござります」
喜多は、伏せた顔を上げられないでいた。
礼次郎は、膝をついて喜多の肩をぽんっと叩いた。
「仕方ない。奴ら風魔の連中が、俺たちよりも上だったってことだ。喜多、顔を上げろ。悔しく思うなら、次に風魔の夜襲を必ず見破り、撃退できるように励め」
「はっ……」
それでも、悔しさと申し訳なさから、喜多は顔を上げられないでいた。
そんな彼女を助けるように、龍之丞が訊いた。
「喜多どの、七天山への警戒は万全であったのでしょうな?」
「はっ」
喜多はそこで顔を上げて、
「言い訳をするつもりではござりませぬが、一町ごとに見張りを数人置き、七天山への警戒は水も漏らさぬほどに万全でござりました」
「それだ。それがわからん。
龍之丞は、軍配を左手に叩きながら言った。
「とりあえず、七天山への警戒を増やそう」
礼次郎は言って、
「千蔵。人数を割いて、お前も喜多と共に七天山への見張りに加わってくれ」
と、千蔵に指示をした。
その翌日、再び厳重な包囲警戒態勢を敷いたが、その晩は風魔の夜襲は無かった。
だが更にその翌日、空が曇り始めたのをみて、再び夜襲があるなら今夜だろう、と、龍之丞は読んだ。
七天山の動向を見張る部隊は、千蔵らも加わってその数を増やしており、次こそは警戒線を突破されない態勢を敷いてある。
だが、敵にも何らかの奇策があり、その警戒線をまたも突破して来ると言う可能性は大いにある。
そんな事態が起きた時の為に、龍之丞は一計を案じ、準備をした。
七天山一帯が夜闇に包まれ、兵士らに兵糧を使わした後の夜半、城戸軍は密かに行動を開始した。
野営地の
そして、野営地に留まっている残りの兵士らには、静かにさせて物音を立てさせず、就寝したかのように偽装させた。しかし、実際には甲冑を身に着けたまま眠っておらず、息を殺して時を待っている。
風魔軍がまたしても警戒線をすり抜けて、再び夜襲を仕掛けて来たら、逆に不意打ちに襲いかかり、更に雑木帯に潜んでいる兵士らも駆けつけて来て、内外から挟み撃ちにしてしまう。そう言う作戦であった。
そして子の正刻(午前0時)ごろ――
雑木帯に潜む部隊は、龍之丞と順五郎、そして真田信繁が率いている。
――七天山の動きは、喜多どのと千蔵どのらが厳重に見張っている。今度こそは夜襲を受けることはあるまい。もしその警戒線をすり抜けて夜襲を仕掛けて来ても、この作戦で逆に包み撃ちにしてしまえばよいのだ。
龍之丞がそう考えていた時、背後の闇に突然無数の雄叫びが上がった。
――何? まさか?
同時に凄まじい殺気も感じ、龍之丞が振り返ると、あちこちから覆面をした風魔の夜襲部隊が殺到して来た。
「何故ここに潜んでいることがわかった! いや、どうやって我らの背後に回り込んだのだ!」
龍之丞は思わず叫んでいた。
その時、すでに城戸軍は攻撃を受けていた。背後からの急襲に兵士らは動揺し、足元や手元が
「落ち着け、落ち着け! 怯むな!」
順五郎が怒声を張り上げて兵士らを叱咤しながら、槍を振るって風魔の兵士らの中に躍り込んで行き、真田信繁は手早く兵をまとめて応戦の指揮をした。
今夜の風魔の夜襲部隊は、忍びの者らが中心であるらしい。雑木林と言う地形を活かして樹から樹を飛び回り、闇の中であるにも関わらず、まるで昼かのように変幻自在に動いて斬り込んで来る。
武芸がさほど得意でない龍之丞も自ら抜刀して斬り合うほどに奮戦したが、この状況下では風魔軍に圧倒的に分があり、苦戦に回らされる一方であった。
だが、こちらの異変に気付いた城戸軍本陣が動いた。
「順五郎たちがやられたようだ。咲、壮之介、急いで加勢に向かってくれ!」
礼次郎が急いで指示をすると、「心得ました!」「承知!」と、二人は自部隊を率いて飛んで行った。
更に、七天山を見張っていた千蔵も気付き、
「何故だ。一体どうやって我らの見張りの目をすり抜けたのだ」
と、半ば愕然としながらも、配下の者どもを率いて駆けつけに行った。
しかし、風魔の夜襲部隊は、壮之介と咲の部隊、そして千蔵らが闇をついてこちらへ殺到して来るのを見ると、「引き揚げだ!」「もうよい!」と、互いに声を掛け合いながら攻撃の手を止め、一斉に闇の中へ走り去って行ってしまった。
「ううむ、何とも速いことよ」
真田信繁は、いつもの
「宇佐美殿、一つ気付いたことがあるのですが」
龍之丞は、返り血を浴びた顔で振り向いた。
「如何されましたか」
すると、信繁は龍之丞に身を寄せて、その耳に何か囁いた。
それを聞くと、龍之丞ははっと目を瞠り、風魔の夜襲部隊が消えて行った方角を見つめた。
そして、手を叩き、
「流石は真田どのだ。そうかも知れませぬ。千蔵どの、千蔵どの!」
と、千蔵を呼び、何か指示を告げた。
千蔵は無言で頷き、夜風となって闇の中へ飛んで行った。
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