第162話 天が選ぶ者

「何だと?」


 統十郎は更に驚いた。


 皆が天舞堂を出て行ったのと反対に、統十郎は礼次郎の隣に歩いて行った。

 如月斎は天哮丸を持ち、まるで地獄の池のような赤々とした炎溜りの前に立った。


「俺を助けたのがあんただと?」


 統十郎はまじまじと如月斎の横顔を見つめる。

 如月斎は振り返らないままに答えた。


「ふふ……龍牙湖りゅうがこのほとりで礼次郎に会った後、わしは武想郷への帰路に着いた。だが、その途上、川の岸辺で全身血塗れで死にかけているお主を見つけたのじゃ。だが息はあったので、わしはお主を抱えてあの宿に運び込んだ。宿に運び込んだ後、お主のふところに手紙が入っているのを見つけた。悪いとは思いつつも、これで身元がわかれば縁者に知らせることができると思い、わしはその中身を見させてもらった」


「あの手紙か……別に見られても構わねえが……ちっ、見たのか……」


 統十郎は口ごもりながら、柄にもなく少し照れくさそうな表情となった。


「うむ。お主の妻への手紙であったの。ふふ、お主は見た目や挙動に似合わず、随分と妻子思いの優しい男だな。特に奥方への気遣いと言ったらまるで女子の如くじゃ」


 如月斎は笑って統十郎をちらりと見た。


「おい、やめろ」


 統十郎は狼狽するような様子を見せた。

 そんな統十郎をを、「へえ……」と、礼次郎は意外そうにじろじろと見る。


「はは、まあよい。で、その手紙の内容で、お主が何と、かの有名な直刀の達人仁井田統十郎で、しかもその正体が平清盛直系の平家の子孫であることを知った。おまけに、手紙には一族の積年の悲願として天哮丸を奪う、と言うようなことが書いてあった」


 如月斎は、ゆっくりと振り返って統十郎を見た。


「わしは、お主を助けたことを少し後悔した。ここでこの男の命を救ってしまったら、この男は城戸礼次郎を殺し、天哮丸を我が物としてしまうかも知れぬ、と」

「…………」

「だが、とこ横たわり、息絶え絶えながらも、未だ戦っているかの如き闘気を放つお主の姿を見ているうちに、これも運命なのかもしれぬと思った」

「運命?」


 礼次郎と統十郎が同時に言った。


「そもそも天哮丸は、源頼朝が源氏秘蔵の宝刀とする前は、朝廷が正式に平清盛に授けていたのだ。ならば、その直系子孫たる仁井田統十郎にも天哮丸を持つ資格があるであろう。天哮丸が何者かに盗み出されたことがわかり、城戸礼次郎に会ったそのすぐ後に、そんな平家の末裔の男と出会う。この奇縁が運命めいたものでなくて何と言う」


 如月斎は、礼次郎と統十郎の顔を交互に見た。


「今の世は、日ノ本始まって以来の大乱世。きっかけが徳川家康によるものとは言え、天哮丸が城戸から世に出てしまったのは、天が日ノ本の混乱を鎮めるべく、最もふさわしい者に天哮丸を使わせようとしており、その最もふさわしい者を選ぶべくお主らを戦わせようとしたのかも知れん。わしはそう思ったのじゃ」

「…………」


 礼次郎と統十郎は、それぞれ無言で如月斎の語るのを見つめていた。


 その時、如月斎の息子であり、菜々の父親である小六が堂内に入って来た。何やら道具一式を持っており、礼次郎と統十郎の脇を通り抜けて炎の池の前に行くと、手慣れた動作で支度を始めた。

 如月斎はその様子を見ながら言葉を続ける。


「だが、此度こたびは一応は礼次郎が天哮丸を取り戻してここに来たが、天はまだ誰が天哮丸にふさわしいか選んでおらぬようじゃの」

「え?」

「ふふ……さて、始めるかのう」


 如月斎は謎めいた言葉を言うと、再び炎の池に向き直り、天哮丸を火の粉が舞い上がる炎の上にかざした。


「うん? ぐのではないのですか?」


 礼次郎が不審に聞くと、


「結構限界が来ておる。ちょうどよいので、焼き直しを行う」


 如月斎は何でもないことのように言った。

 だが、統十郎は驚いた。


「馬鹿な。再刃さいばなどすれば強度が落ちてしまうだろう」


 しかし、如月斎はゆっくりと首を横に振った。


「いや、天哮丸をそこらの普通の刀と同じに考えてはいかん。下界で造られる物とは材質から作り方まで根本的に違うのだ。天哮丸はな……ぼろぼろになる限界まで使用した後に焼き直しを行い、再度をつけると、それ以前よりも強度と切れ味を増すのだ」

「何だと……」

「そして、焼き直す度に天哮丸は強くなって行くのだ」


 礼次郎、統十郎、共に驚いて言葉が出なかった。

 だが、しばしの静寂の後、礼次郎が言った。


「しかし、再刃さいばを繰り返していたら刀身がどんどん減ってしまうではないですか」


 すると、小六が横合いから言う。


「いや、天哮丸は違うのです。天哮丸は、武想郷の中でも当家にのみ伝わる特殊な秘法により、刀身が減ってしまっても何度でも増やして元の姿にすることができるのです」

「そんな馬鹿な……」

「そんな馬鹿なことができるのが天哮丸であり、ここ武想郷なのですよ」


 小六は微笑んだ。

 統十郎は言葉が出なかった。刀剣の常識から正反対、いや、それどころか常識と言うものを鼻で笑うような話である。

 礼次郎は唾を飲み込んでから尋ねた。


「聞いてもよろしいでしょうか? 天哮丸は一体どうやって造られたのですか?」


 それには如月斎が答えた。


「天哮丸は、我が家の初代当主が造り出したものと言い伝えられている。ここ天舞堂でのみ取れる特殊な砂鉄から精製した天鋼あまこがねと言う物を素材にして、地下より噴出しているこの"聖炎池せいえんち"の火を使い、武想郷の中でも我が家の当主にのみ代々伝えられる門外不出の製法でもって鍛え、造り出されたのだ」


 そして如月斎は、息子の小六と共に、天哮丸の再刃の作業に入った。


 礼次郎も統十郎も、刀鍛冶が刀を作る作業は見た事がある。

 だが、今、目の前で如月斎と小六が行っている作業は、その見た事のあるものとは全く違うものであった。


 如月斎が天哮丸の刀身を聖炎池に入れ、軽く焼けた後に取り出したその上下に、小六が天鋼を細かく砕いたものを置き、槌で打って行く。その後、きらきらと七色に光る不思議な粉末を振りかけ、再び聖炎池に入れて軽く焼く。このような工程を繰り返し、その合間にも、見た事のない不思議な作業が入ると言う具合であった。


 数回見れば飽きてしまうような作業風景であったが、礼次郎と統十郎は不思議と飽きることが無かった。

 薄暗いが、頭上のところどころより射し込む淡い光の柱。

 地下より噴き上げていると言う聖炎池の炎。

 それらの灯に照らされて真剣に作業に打ち込む如月斎と小六の顔と、まるで天から降りる音のようなつちを打つ響き……。

 感覚が麻痺しそうなほどに神秘的に感じられ、二人は思わず見入ってしまっていた。


 いつの間にか、一刻半ほどが経過していた。


 そこで、如月斎が礼次郎らを振り返って言った。


「すまぬが……ここから先の仕上げの作業は、お主らにも見せるわけにはいかぬ。ここからの作業を他人に見せると、天哮丸の力が半減すると言われておる」


 礼次郎と統十郎は頷いた。


「承知いたしました。では我々は外に出ていましょう」

「うむ。この武想郷の中を見物するなり、菜々に言って我が屋敷でくつろぐなり、好きに過ごしてくれい」

「はい」


 礼次郎と統十郎は頭を下げると、天舞堂を出て行った。

 外に出ると、眩しい陽の光が、薄暗さに慣れてしまった目を刺激した。

 太陽はすでに中天を過ぎている。


 統十郎は、礼次郎に言った。


「どう思った?」


 礼次郎は前を向いたまま、


「どうって言われてもな……」


 虚空の一点を見つめたまま沈黙した。

 だが、やがてぼそっと口を開いた。


「天哮丸が重くなった」

「…………」


 統十郎は礼次郎をじっと見た。


「改めて……俺はとんでもない物を背負って行くんだな、と……」

「あのじじいが言う通り、まだ誰が持つにふさわしいかは決まってねえぞ」


 今度は礼次郎が統十郎を見た。

 だがその時、統十郎はすでに前を向いて歩き出していた。


「だが……今はてめえに預けておこうか……まあ、せいぜい頑張れ」


 そして、統十郎は一人で歩き去って行ってしまった。

 礼次郎は立ちすくんだままその背を見送ると、しばしたたずんだ後、自身もまた歩き始めた。


 壮之介やゆり達を探すと、皆、如月斎の屋敷にいた。

 奥の広い座敷で、車座になって間食を取っていた。芥川右近、伊藤小四郎、柘植つげ五郎兵衛ら、統十郎の部下達も一緒であった。


「いや、どうにも空腹が我慢できませんでな。そうしたらちょうど、菜々殿が蕎麦を用意してくれまして」


 そう笑顔で言った壮之介の手の中には、蕎麦がきの入った碗があった。

 それを見ると、礼次郎の腹が思わず鳴った。蕎麦は礼次郎の大好物である。


「お蕎麦好きだよね、食べるでしょう?」


 ゆりが聞くと、礼次郎は即座に頷いた。

 菜々は女中を呼び、もう一碗の蕎麦がきを作らせて持って来させた。


「うまい!」


 一口食べて、礼次郎は叫んだ。


「でしょう?」


 不思議な味であった。蕎麦であることは間違いない。だが、今までに食べたことのない味がした。

 ふわふわでもちもちとして、歯ごたえもたまらない。


「この辺は、蕎麦の実からして下界の物とは少し違うんですよ」


 菜々が微笑んだ。


「蕎麦まで違うのか。ここは本当に不思議なところだな」


 礼次郎はしきりに感心しながら、あっと言う間に食べ終えた。

 蕎麦が好物の礼次郎は余程気に入ったらしく、後年、この武想郷の蕎麦がきの作り方を教えてもらい、城戸家領内に広めている。


 その後、茶なども出され、しばしくつろいでいると、千蔵が礼次郎の前に来て手をついた。


「ご主君、お願いしたき事が」

「何だ?」

「あの……風魔玄介と話をさせていただけませぬか?」


 それぞれに談笑していた皆の会話が止まった。一様に千蔵を見る。

 千蔵が風魔玄介の甥に当たると言う事実は、すでに昨晩皆に知らされていた。

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