第123話 赤い星

 仁井田統十郎は、厩から適当な馬を引き、裏の脱出門から槙根砦を脱出した。

 阿賀野川の陣の新発田軍がどうなっているかなどは気にもしなかった。

 わかっていたからだ。恐らく新発田軍は負けている。


 統十郎は、晩秋の冷気満ちる闇の中を、北へ向かって駆けた。

 時折、苦しそうに顔を歪める。

 だが、それは脇の傷の痛みだけのせいではない。



 ――さっきのは俺の負けだ。



統十郎はそう思っていた。

 結果的には引き分けの形になったが、礼次郎は戦う前からすでに何十人もの敵を斬り、手傷と疲労を負った状態だった。



 ――これではほとんど負けたも同然だ。



 統十郎は悔しげな表情を浮かべる。

 すでに斬り合いは終っているが、悔しさ故か、未だ全身から闘気が立ち上っていた。



 ――まあいい。恐らくまた近々、七天山か武想郷で再び会うことになるだろう。



 統十郎は、先程自分が言った言葉を思い出した。



 ――その時に決着をつけよう。次は対等な条件でな――



 悔しげな表情が一転、不敵な笑みを漏らした。

 再び礼次郎と刃を交える。それを思うと、何故だか魂の昂ぶりを覚えるのであった。


 しかし、これからどうするべきか。

 ふと、統十郎は現実に戻った。


 新発田重家に兵を借りると言う計画は失敗に終わった。

 こちらでは、他に力を借りられる者はいない。

 だが、如何に統十郎が豪勇の士であろうと、流石にたった一人では幻狼衆とは戦えない。



 ――千代の事も心配なのでやはり一度帰るか? そして右近らを連れて再び来るか?



 統十郎は思案を巡らす。



 ――いや、それでは城戸礼次郎に先に天哮丸を奪われてしまうかもしれん。どうするか……



 統十郎は苦渋の顔で北方の夜空を見上げた。

 赤く禍々しく光る大きな星があった。

 統十郎は切れ長の目で睨む。


 そんな統十郎の孤影へ、近づいて来る二つの人馬。

 統十郎はそれに気付くと、警戒しながら横目で睨む。


 だが、段々に近づいて来るその正体を月明かりの下に確認すると、警戒の色が驚きの色へと変わった。


「右近、小四郎!」


 統十郎が声をかけると、近づいて来た二つの騎馬がほっと安堵したように答える。


「統十郎様、ご無事でしたか!」

「何とか間に合って良かった」


 右近と小四郎、二人共に精悍な若者であった。

 右近は背が高く細身であるのに対し、小四郎は背が低くがっしりしており、対称的な外見である。

 共通しているのは、二人共に逞しく日に焼けていることか。


「何故ここにいる?」


 統十郎は馬を止めて尋ねる。

 二人も合わせて手綱を引くと、


「平土島に戻って来た伝兵衛殿が、急ぎ越後の新発田重家殿のところにいる統十郎様の下へ向かえと」


 右近が答える。


「何、伝兵衛が?」

「ええ。恐らく統十郎様には人が必要になるだろうと言うことで。少ないですが、他に十人ばかり連れて来ております」

「そうか。あいつめ。相変わらず気が利くじゃねえか」

「はい。そして先程こちらに着いたのですが、来てみれば新発田軍は潰走状態。我ら二人、焦って必死に統十郎様を探したのですがどこにも見当たらず、こちらに来てみてようやくそのお姿を見つけた次第」


 がっしりした体格を揺らしながら小四郎が言うと、


「そうか。とにかくご苦労だった。実はちょうど人を必要としていた。十人ばかりでも、お前らが来てくれたのは助かるぜ」


 統十郎は嬉しそうに言うと、再び馬に鞭打った。


「ついて来い。今度こそ天哮丸を取り戻してくれる」


 統十郎の高笑いが夜の静寂に響いた。




 そして同じく槙根砦より夜闇に出たもう一つの騎馬がある。

 統十郎とは逆の西方向へ走っていた。


 馬上には、二つの人影。

 後ろに跨っているのは城戸礼次郎。

 前に、武田百合を抱えるようにして手綱を握っていた。


 順五郎たちと合流するべく阿賀野川の方へ向かっているのである。


「直江様はもう上杉が勝っているだろうって言ってるんだから、無理せずにあの砦に残れば良かったのに」


 ゆりが風切る前方を見つめながら言った。


「順五郎たちが心配する。無事な姿を見せないと」


 と礼次郎が答える。


「使いを出せばいいじゃない」

「無理言って一人で来たからな……早く無事を知らせたいんだよ」

「せっかちね」


 ゆりはふふっと笑った。


「じゃあせめて、私が手綱を持つから。礼次郎は私に掴まって」


 ゆりは、礼次郎の手綱を持つ左手が震えているのに気付いていた。

 だが礼次郎はむっとして言う。


「いくら傷を負っているからと言って、そんな格好悪いことができるかよ」


 ゆりは再びふふふと笑った。


「格好つけちゃって」


 そして、礼次郎の震える左手を見つめていたが、ふと、自分の左手をその上へそっと被せた。

 そのまま支えるように礼次郎の左手を上から握る。

 頬は少し赤い。


「………」


 礼次郎は驚いて、ゆりの白い手を見つめた。

 しばらく、言葉が出なかった。

 だが、やがて伏し目がちにふっと微笑んだ。


 ゆりも伏し目がちに照れたように微笑んでいた。



 ――オレの許嫁だ! 放さねえと全員叩き斬るぞ!



 ゆりの耳の奥で、あの時の礼次郎の言葉がまだはっきりと残っている。

 それが脳裏で響く度に、ゆりは嬉しさで声を漏らしそうになるのを懸命に堪えていた。



 そして礼次郎らが向かう阿賀野川の方の戦場。

 そこではすでに決着がついていた。


 一時は龍之丞の策の失敗により逆に包囲され、上杉景勝自身の命も危ういものとなった。

 だが、土壇場での上杉兵たちの驚異の奮戦に、直江兼続らの援護が加わったことにより戦況は一気に逆転、景勝とその馬廻り衆が新発田重家本隊を潰走させた事もあり、ついに新発田勢を散り散りに追い崩した。


 新発田重家とその敗残兵たちは、居城の新発田城へ逃げ帰って行った。


 だが、この戦で新潟津を取り戻す事に失敗したのみならず、多くの軍兵も失った新発田重家は、これ以後、加速度的にその力が衰えて行くことになる。


 そしてこれよりおよそ一年後、上杉軍に周囲の城を次々と落とされ、新発田城をも包囲された重家は、己の天命の終わりを悟るや城を打って出て、旧知の色部長真の陣に突撃、縦横に暴れ回った末に腹を切って自刃した。


 こうして、七年に渡った新発田重家の乱は終息に至る。




 一方、その頃、上州は風雲急を告げていた。


 小雲山にある美濃島衆の最後の居城。

 この城を、風魔玄介率いる幻狼衆の軍勢が攻め立てていた。


 籠城する美濃島軍約百人に対し、幻狼軍の数およそ五百。


 夜戦であるが、幻狼衆の兵士達は笹薮の斜面、鬱蒼とした雑木帯をものともせずに駆けて行き、美濃島軍が籠る山城に猛攻を仕掛ける。


 美濃島軍は矢を射かけ、鉄砲を放ち、火玉を落として必死に防戦するものの、数の上での不利は如何ともしがたく、城の門はもうすぐにでも破られそうに見えた。


「咲様、申し上げにくき事ですが、門を破られるのは時間の問題かと」


 楼上、戦の指揮を執る美濃島咲の傍らで、加藤半之助が青ざめた顔で言う。


 咲の顔はやけに白い。

 疲れや動揺を隠そうとしているのか、化粧が厚いようであった。


「わかっている……」


 咲は悔しげに天を仰いだ。


「だがまだだ。ここで諦めるわけにはいかない」

「しかし……」


 咲は半之助を振り返る。


「風魔玄介の本隊は麓にいると言ったな?」

「ええ、その情報は掴んでおります」

「小平太たち二十名を集めろ」

「どうなさるのです?」

「西門の方が攻めやすい為か、敵の攻撃は西門に集中している。私は東門より騎馬二十騎を率いて打って出る。そして一気に山を駆け下り、麓の玄介本隊に奇襲を仕掛ける」

「馬鹿な。たった二十騎で? 無茶です」


 半之助が仰天する。


「美濃島騎馬隊は天下無敵だ! できないことはない!」


 咲が美しい顔を鬼のように怒らせた。


「これしかないのだ。早く手配をしろ、急げ!」

「わかりました……」


 半之助は悲壮な顔で手配に向かった。


 咲は溜息をつくと、再び黒い天を見上げた。

 赤く禍々しく瞬く星がある。咲は睨んで呟いた。


「礼次郎、何をしている。まだ兵は借りて来られないのか……?」

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