第120話 平家の末裔

「平相国の直系子孫?」


 礼次郎は驚愕の表情で薄い闇に浮かぶ統十郎の顔を見つめた。


「やっぱり……」


 ゆりは、先程牢の前で統十郎の小袖の家紋を見た時に、少し予想がついていた。

 だが、それでもはっきりと知ると、それはやはり大きな驚きであった。


 統十郎は言葉を続けた。


「天哮丸はな……元々はその天下を統べる事ができる程の力を持っているが故、天下を揺るがす程の危機が訪れた時に、それを治める為に、朝廷に日ノ本一の武士と認められた者にだけ使う事を許された剣だ。決しててめえら河内源氏の物じゃねえ。だが、俺達の祖先、平清盛が保元の戦で武功を挙げ、更に平治の戦で源義朝を倒し、武士の頂点に立った時、朝廷は清盛こそが天哮丸を持つ者に相応しいとし、清盛の物として正式に授けたのだ」

「何だと? 出鱈目な嘘をつくなよ」


 礼次郎は眼を怒らせた。


「平家の正統な血筋であるこの俺だ。嘘をつくと思うか?」


 統十郎は真面目な顔である。


「じゃあ……」


 礼次郎は愕然とした。


 それまでずっと、天哮丸は城戸家に守護を託された河内源氏の宝剣であると言う事を、当たり前の事として疑いもせずに来た。

 ところが実際は、四百年前に、かつて宿敵であった平家一族の物であったと言う。


 この衝撃的な事実に、礼次郎は言葉を失った。


 その礼次郎の様子を見て、統十郎は冷笑して言葉を続ける。


「そして清盛は、天哮丸の偉大な力で権力を拡大し、ついには天下の覇権を得た。だが、承安四年(1174年)、清盛の屋敷より天哮丸を盗み出した者がいた。それがてめえの祖先、源義経だ」

「………」


「天哮丸を失った平家は、知っての通り各所に反発を招き、やがて各地に反乱が起き、みるみるうちに力を失って行った。だがその代わりに、天哮丸を得た義経はその力で天下無双の活躍をし、壇ノ浦に我ら平家を滅ぼし、武士として伝説的な名声を得た」

「……どれも天哮丸が引き起こした事だと言いたいのか?」

「ああ、そうだ。我ら平家は、天哮丸を義経に盗まれた事によって天下を失った。だから、俺達清盛直系の仁井田家には、代々言い継がれている事がある」


 仁井田、いや、平統十郎政盛は、礼次郎の目を真っ直ぐに見据えた。


「時が来れば、盗人義経の子孫の癖に天哮丸の守護者と称する厚顔無恥なる城戸家を滅ぼし、必ず天哮丸を奪い返し、再び天下の覇権を握れ、と」


 統十郎の両の瞳に、強い光が灯った。

 

「なるほどな……だが、勘違いするなよ。清盛と平家が滅んだのは天哮丸を失ったからじゃない。天哮丸の強大な魔力に呑み込まれたんだ。義経公も同じだ。天哮丸の魔力によって、結局は奥州にその身を滅ぼした」

「義経は最後まで天哮丸を持っていたので確かにそうだろう。だが、我が祖先清盛は違う。天哮丸を盗まれてから凋落し始めたのだ。全ては天哮丸を失ったが故だ」

「馬鹿な事を。後からならどうとでも言える」


 礼次郎は吐き捨てるように言った。


 統十郎はふっと笑い、


「まあいい。だがな、天哮丸が元々俺達平家の物であったのは確かだ。それを義経が盗み出し、義経が滅んだ後に源頼朝が押収すると、勝手に源氏の宝剣としててめえら義経の子孫、城戸家に守らせた。それが許せねえ。城戸家の当主筋である貴様を斬り、天哮丸を返してもらう」

「あいにくだがオレは今天哮丸を持っていない」

「知ってるぜ。風魔玄介とか言う気持ち悪い優男に奪われたんだろう?」

「知ってたか」


「ああ。あの野郎はもっと許せねえ。何の関係も無い癖に横から天哮丸を奪って行きやがった。俺が必ず斬り捨てて天哮丸を取り返す。だがその前に、平家二十一代目平政盛として、四百年の仇敵である城戸家当主の貴様を斬る。そして後の憂いを残す事なく、あの野郎を斬りに行く」

「……」

「どうだ、今話している間に少しは休めただろう。お前を斬る事は我が平家の宿願だが、俺は元々それ以上に剣士としてお前と斬り合いたかった。少しでも対等な条件の方がいい」

「そんな気遣いいらねえよ」


 礼次郎は強気な言葉を言った。

 だが、その表情の下の疲労の色は未だに濃い。


「その威勢の良さ、嫌いじゃないぜ」


 統十郎がにやりと笑って撃燕兼光の柄に右手をかけた。


 その時、ゆりが礼次郎の前に進み出た。


「やめて、仁井田さん! 理由はわかったけど、今の礼次郎じゃまだ……」


 統十郎はゆりを一瞥すると、


「小娘、すまねえな。お前に恋の助言などしてやった癖に、俺がその相手を斬ってしまう事になる」

「やめてよ、お願い……」


 ゆりが泣き出しそうな顔で声を絞り出す。


 だが、礼次郎はそんなゆりの肩を掴んで後ろに下がらせた。


「ゆり、下がってな」

「礼次郎までそんな……すでにまともに戦える状態じゃないでしょ」


 ゆりがすがるように言った。

 だが礼次郎は柄を右手で握ると、ゆっくりと鯉口を切った。


「確かにそうだけど、この男の言う通りだ。今この機会を逃したらもう斬り合う機会は無いかもしれない」

「この機会を逃したらって……いいじゃない、無理に戦わなくたって」

「無理に戦おうとしているんじゃない。今の話でわかった。オレとこの男は天が……いや、互いの血が戦おうとしているんだ」


 礼次郎は刀を抜くと、右の脇構えに構えた。


「よく言った。さあ、そろそろ始めようぜ」


 統十郎は不敵に笑うと、同様に兼光を抜いて八相に構えた。


「……」


 もう何を言ってもこの二人はやめないだろう。

 ゆりは諦めた顔でその場から離れると、固唾を飲んで二人を見つめた。


 礼次郎と統十郎は、互いの間合いを保ったまま無言で睨み合った。

 互いに自分からは手を出さない。だが、互いの手元を見つめながら気で攻め合う。


 辺りは一面新発田兵の死体で埋まっている。

 重い夜空の下、死屍累々の広い主郭で睨み合う二人の間に、ひりつくような剣気が立ち込めた。


 統十郎の切れ長の目が、本能を剥き出しにした猛獣の如き色となる。


 礼次郎の首から汗が伝い落ちた。


「ゆり……ここから出ろ。うまく行けばしばらくするとここに上杉軍が来るはずだ。連れて帰ってもらうんだ」

「そんな……一緒に……」

「ごめん」


 礼次郎が唇を噛み、言った。


「恐らくオレは斬られる」


 その時、統十郎の足が動いた。

 撃燕兼光が豪風を起こし、袈裟に振り下ろされた。


 同時に、礼次郎は飛び退いていた。

 兼光が空を斬った時、すでに礼次郎は統十郎の左側に回り込んでいた。

 高速の右斬り上げを放つ。


 統十郎は素早く身体を捻ると、剣を右に走らせ、それを払い上げた。

 そして、返す刀を袈裟に振り下ろした。恐るべき速さの燕返しであった。

 礼次郎は飛び退きながら剣を真横に振り、打ち払った。


 しかし、凄まじい力が剣から腕に伝わる。



 ――何て力だ……しかも動きも速い。



 礼次郎は数歩飛び退くと、低めの正眼に構えて間合いを取った。


 統十郎は剣を高めの八相に構えた。

 そして摺り足で間合いを詰める。



 ――何だあの高さは……?



 礼次郎は訝しむ。

 だが、全感覚を研ぎ澄まし、統十郎の斬撃のときを計る。



 ――来る! 袈裟斬りか!



 察知とした時、統十郎の脚が動いた。


 同時に礼次郎は左に飛んだ。

 袈裟斬りを躱しながら右薙ぎに斬るつもりであった。


 ところが、礼次郎の読みよりも速く、統十郎の高めの八相から、矢の如く閃光が落ちて来た。

 神速の突きであった。



 ――何っ!



 礼次郎は咄嗟に顔を背けた。

 光は礼次郎の右耳を掠めて行った。


 礼次郎は脚がもつれ、体勢が崩れかけたが、寸前で堪えて数歩飛び退いた。

 そして正眼に構えて間合いを取ったのだが、右耳に痛みを感じた。

 触ると、血がべっとりとついていた。



 ――少し掠っただけだと思ったが……何て威力、そして何て速さだ。



 礼次郎は背筋を寒くした。

 あとわずかでも遅れていたら、顔を貫かれていたであろう。


 だが、統十郎もまた、顔こそ冷静であるが、内心は少し驚いていた。



 ――掠りはしたが、あれをかわしやがった……



「すげえ突きだな」


 礼次郎は言った。


 統十郎はにやりと笑うと、再び高めの八相に構えた。


「貴様こそよく躱したな。この"撃燕兼光"は長い直刀故に、真っ直ぐに最高の速さで突きを繰り出せる。今の突きは、京では"夜叉の爪"と呼ばれ、自分で言うのもなんだが無類の強さを誇っていた」

「夜叉の爪……」


 その強さは、直刀だからと言うだけではないであろう。

 長身の統十郎が高めの八相から放つ突きは、自然と下の方向へ向かう攻撃となる。

 上から下への攻撃は力が入りやすく、威力も速度も増す上に、また相手にとっても防ぎにくい。


 統十郎の長身と撃燕兼光の特性を活かした必殺の剣であった。


「夜叉の爪を躱せたのは貴様で二人目だ。一人目は貴様の師匠、葛西清雲斎だ」

「お師匠様が?」

「ああ。昔、京で試合をした事があってな。流石に天下無双と名高い清雲斎よ、俺の必殺の突きをあっさりと躱しやがった」

「だろうな。お師匠様がお前に負けるわけがない」

「だがその後、俺の別の突きで左肩を壊してやったがな」


 統十郎はにやりと笑った。


「何? じゃあお師匠様の左肩はお前が?」


 礼次郎は、先日城戸の館で清雲斎が言った言葉を思い出した。



「何年ぐらい前だったかな……生意気な男が俺と手合せをしたいと言って訪ねて来てな。面倒くせえから断ったんだが、腕に自信があるらしく、どうしてもと言うからやってやった。俺は例の通り木剣、相手は真剣でな。相手は確かに時々鋭い太刀筋を見せやがるが、正直それでも俺からすると大したことはなかった。だがどうやら俺としたことが油断してしまったらしい。生まれて初めて一太刀浴びちまった……それがこの傷痕だ」



 統十郎が冷笑した。


「そうだ、俺がやってやった。弟子のお前もすぐにそうなる。いや……お前はここで命を散らす事になるか」

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