第85話 七天山潜入作戦
翌朝早くから、千蔵は奪っておいた幻狼衆の着物上下を着て、何か忍び込むいい方法は無いかと七天山の周りを探りに探った。
だが、やはり方法は二つしか無いようであった。すなわち川を渡って山に入るか、あの橋を渡って門から入るか。
だが、昨晩わかったように、川を渡って山に入る方法は到底不可能に近い。
(となるとあの門からと言うことになるが……)
千蔵はこちら側の小高い所と、七天山の入り口を結ぶ橋を見上げた。
やはり昨日と同様、多数の兵が固い鉄門を守っている。
(正面からはとても無理であろうな)
千蔵は小さく溜息をつき、そっとその場を離れた。
一度山から離れ、遠くから山を見ることでまた違った妙案でも浮かぶかもしれないと思ったのである。
雑木帯から出て、砂利と草で少し荒れた道に出た。
すると、向こうから沢山の野菜、肉、魚などの食べ物を積んだ荷車を引いている、二人の商人風の男がやって来るのが見えた。
「いやあ、重いのう」
「全くだ、でも幻狼衆の連中には逆らえねえし、結構高く買ってくれる。頑張ろうや」
「約束の時刻より遅くなっちまったなぁ、大丈夫かな」
「教えてもらった今日の言葉を言えば大丈夫さ」
「何だっけ? "伊勢"……だったっけ?」
二人は話しながら、額に汗流し車を引く。
――幻狼衆?
その言葉を耳にした千蔵は彼らの方へ歩いて行った。すると、千蔵に気付いた二人は慌てて背筋を伸ばした。
「あ、これは七天山の……も、申し訳ござりませぬ。遅くなってしまいまして」
幻狼衆の兵士になりきった千蔵は、
「お前達は何者だ?」
「は、はい、
「ほう、水上の商家が我らの城に何の用だ?」
「へ? 何だって……お城の宴会の為にあちこちの珍味を持って来いと言われたのでこうして持って行くところじゃありませんか」
「何の宴会だ?」
「幻狼衆の方なのにご存知ないので?」
「……我々下っ端には何も知らされておらんのだ」
「そうですか。何か主君をもてなす宴だとか何とか言っているのは耳にしましたが、私達はただ持って来いと言われただけなのでよく知りませんや」
「主君? そうか……」
千蔵は何か考え込んだ後、
「ご苦労であった。実は昨晩、不審な連中が我らが七天山に忍び込もうとした。当然追い払ったが、その曲者らは未だこの辺りをうろうろしている様子で、我々はこの辺りを見張っているのだ。危ないのでここから先は私がその荷を持って行こう」
と言うと、商人二人は恐ろしさに顔色を変えた。
「え? そうでございましたか。ならばお願いいたします」
「うむ。それと、私からも一つ頼みがあるのだがな」
礼次郎と順五郎は、清流に入って身体を洗っていた。
そろそろ十月近いと言うのに今朝はやけに蒸し暑く、清流の冷たさが肌に心地良かった。
壮之介と咲は、川原で燃やし続けていた焚火で即席の味噌汁を作って飲んでいた。
咲が持っていた、味噌で煮込んだ後に乾燥させた里芋の茎。これを鍋に沸かした湯で煮れば、里芋の茎と言う具も入った即席の味噌汁になる。
「千蔵やけに遅いな、やっぱりあの山に入る方法は無いのか?」
礼次郎が手で身体を洗いながら言った。
「捕まったりしてなきゃいいけどな」
順五郎が答える。
「まあ、もう少し待ってみて、それでも戻って来なかったら千蔵を探しに行こう」
と言いながら、礼次郎は清流から上がった。続いて順五郎も上がる。
二人は素っ裸である。
それを見ると、咲は立ち上がり、大きめの手拭いを二つ持って二人の方へ歩いて行った。
「あんた達濡れたまま着物を着る気?」
「お、おい!」
礼次郎らは思わず手で股間を隠した。
すると咲は表情一つ変えず、むしろ嘲笑うかのように、
「何だ? 私は見慣れてるんだ、そんなもの見てもどうとも思わないよ。早く身体を拭きな。体調崩したら七天山に入るどころじゃない」
と手拭いを差し出す。
「そんなものってお前な……」
礼次郎が受け取りながらぶつぶつ言うと、
「それに礼次郎、お前とはお互いに裸を見てる仲じゃないか? 何を今更恥ずかしがることがある?」
と、咲は妖艶な笑みを見せてからかい、背を返した。
それを聞いた順五郎、目を丸くした。
「あ? なんだ? やっぱりか、若!」
「ち、違う! おいお前、変なこと言うな!」
礼次郎が慌てて大きな声を出すと、咲はおかしそうに笑って振り返り、
「はは、何が違うのよ? 本当のことじゃないか? あの晩お前は私に……」
「は? あの時はお前がオレにだろ!」
と言った礼次郎の言葉に順五郎がまたまた目を丸くした。
「あ? あ? 若が美濃島に? どういうことだ?」
またも会話が面倒な方向に行こうとした時だった。
「礼次様、千蔵殿が帰って来ましたぞ!」
壮之介が大きな声で呼びかけた。
「何? あ、本当だ、戻って来たか!」
礼次郎が見やった方向、千蔵がこちらへ駆けてくるのが見えた。
千蔵は風のように走って来ると、礼次郎の前に跪いた。そして礼次郎をちらっと見上げると、
「裸ですか」
「ああ、すまん。今すぐ着るからちょっと待ってくれ」
礼次郎は慌ただしく自分の袴を取ると、
「いや、裸でちょうどようございました」
「は?」
と、おかしな顔をした礼次郎に、千蔵は手に持っていた薄汚れた着物を差し出した。それは先程出会った二人の商人の着物であった。
「これを着てください」
「これを? 何だこれは?」
「先程、沢山の食糧を積んだ荷車を引いていた商人二人に出会いました。聞けば七天山で宴があるので、それに使う上等な食材を持って来るように命じられたとか。そこで私が適当な理由で言いくるめ、荷車と着物を置いて行かせたのです」
「なるほど、これを着てその商人に化けて忍び込むってわけか」
礼次郎が察して言うと、千蔵はコクリと頷いた。
しかし順五郎が、
「でも大丈夫か? あいつらの着物を着て忍び込むって手は通用しないんだろ? 商人になりすますなんて尚更無理じゃないか?」
「いや……確かに幻狼衆になりすまして忍び込むと言う方法は通用しませんが、それはほとんどの忍びがその方法を使うということを奴らが知っていて、警戒するからです。しかし、商人になりすまして忍び込もうとした者はあまりいないはずです。しかも今日は元々あの商人二人が食材を持って行くことになっている。なのでまず疑われることはないかと」
「なるほどな。じゃあやってみる価値はあるな」
礼次郎は納得して頷くと、早速その着物を着始めた。
「ただ、残念ですがこの着物は二人分だけ。なのでこれを着て忍び込めるのはあと一人だけです」
礼次郎は千蔵の顔を見た。
「……となると千蔵、お前しかいないだろ」
「はっ、では」
千蔵も着替え始めた。
すると壮之介が、武骨な顔に心配そうな色を浮かべて言った。
「しかし、これで七天山に入り込む事に成功したとしても、たった二人だけで大丈夫ですかな?」
咲も同調して、
「そうだ、あの山は何があるかわからないよ。天哮丸を取り戻せたとしても戻って来られるかどうか。それに万一正体がばれてしまったら……」
礼次郎は着替えを終えると、
「確かにそうだが、今はこれしか方法が無いんだ、やるしかないだろ」
自分に言い聞かせるように言った。
「でも若達二人だけで行って、俺達はここで待ってるだけか? それももどかしいな」
順五郎が言うと、千蔵がそれに対して、
「お三方は七天山近くのどこかに潜んでいてください。何かあれば空に火花を打ち上げて合図いたします。それを見たら駆けつけて来てくだされ」
「駆けつけてってあの山にどうやって入るんだよ?」
「何かあれば私も死ぬ気で血路を開いてご主君を逃がします、お三方も何としてでも突入を。お願いいたします」
「何としてでもって言ってもなあ……」
順五郎が困ったように言うと、
「と言うことだ、宜しく頼むぜ。ま、何かあった時はオレも死ぬと思うがな」
と礼次郎が笑った。
だが、その目に笑みは無い。悲壮な覚悟があるだけである。
「ああ、ご主君、それとこれをつけてくだされ」
千蔵は何やら毛の束を取り出した。
それは"つけ髭"であった。
「ご主君の顔はボロを着ていてもとても平民には見えませぬ。これで誤魔化しましょう」
と千蔵が言うので、礼次郎はそのつけ髭をつけてみたのだが、まだ若い上に端正な顔立ちの礼次郎には、文字通りとって付けたようで何とも似合わない。順五郎らが一斉に笑った。
「くっくっくっ……何よそれ。ガキの芝居?」
咲が両手で腹を押さえて笑えば、
「こうまで髭が似合わぬお方も珍しいですな、はっはっはっ」
壮之介も遠慮なしに大笑いした。
対して礼次郎は顔を真っ赤にして言った。
「笑うな! これには生死がかかってるんだぞ! さあ、行くぞ千蔵!」
そして商人になりすました礼次郎と千蔵は、沢山の食材を載せた荷車を引いて七天山入り口に通じる橋まで来た。
橋の手前で、見張りの兵らが槍と鋭い目を向けて制した。
「待て、お前たちは何者だ?」
千蔵は声色を変えて答え、
「へえ、あっしらは水上村の商人でございます」
と笑顔を繕う。
「ほう、今日の宴に使う食材を持って来てくれた者たちか」
「さようでございます」
「うむ、ご苦労である、進め」
「へえ」
千蔵と礼次郎は荷車を引いて橋を進んだ。その顔は少し緊張している。
「うまく行きそうだな」
礼次郎が小声で囁くと、
「まだあの門があります、油断はできません」
千蔵が前方の大きな鉄の門を見て言う。
その門の前には、更に腕の立ちそうな屈強な者達十人程が鋭い警護の目を光らせている。
あそこで怪しまれて止められれば、門を抜けられないどころかこの橋で前後から挟み撃ちにあって命すら危うくなってしまう。
「止まれ!」
門の前まで来た礼次郎と千蔵は、当然の如く声をかけられた。
「お前たちは?」
警護兵らが槍を向ける。
「あっしらは水上の商人でございます。お申し付けの通り、山海の珍味を持って参りました」
千蔵が笑顔を作り腰低く答えると、
「ふむ、そうか。しかし約束の時刻よりだいぶ遅いのではないか?」
警護兵の一人がじろりと睨む。
「へえ、すみません。いつもより重いので時間がかかっちまいまして」
「いつもより重い? いつもと変わらんように見えるが」
警護兵が鋭い視線を荷台に注ぐ。
「え? いや、今日の魚は大ぶりなものが多いもので……」
「そうか、では注文通りに上等な物を用意できたってわけか」
「へえ、そうでございます」
そのやり取りを、隣の礼次郎は固唾を飲んで見守る。
流石は真田忍軍で一、二と言われる千蔵である。普段は無口だが、咄嗟の誤魔化しの受け答えは上手い。
「よし、ではお前達はどこから来た?」
警護兵はおかしなことを聞いた。今、千蔵は水上村から来たと言ったばかりである。
だが千蔵は落ち着いて、
「水上村でございます」
と答える。
すると、警護兵は更におかしなことを言った。
「うむ、では我々はどこから来た?」
「え?」
千蔵の表情が固まった。この問いは一体どういうことなのか?
「我々はどこから来た? 答えられんのか?」
――これは何だ? 忍びがよく使う合言葉か? まさかこやつらが城の入り口にまでこんなものを使っていたとは……抜かった……!
千蔵の涼やかな額に汗が滲んだ。
「どうした?」
警護兵はいよいよ不審な目を向ける。
千蔵は苦し紛れに言った。
「何の事でしょうか? 皆さま方は七天山から来たのでは?」
警護兵らは一瞬にやりと笑った後に、恐ろしげに表情を一変させた。
「この合言葉がわからんとは、貴様らは何者だ?」
警護兵らが一斉に槍の穂先を向けて来た。
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