第76話 真円流の真実

「真円流を使うな? 廃人とは……?」


 師匠、葛西清雲斎の衝撃の言葉に、礼次郎は動揺した。


「ちょっと語弊があるかな。心の皮を剥く作業、これは正式には真円流精心術、または削心の法と言うんだが、正確に言えばこの精心術を使うなってことだ」


 と清雲斎は言い、礼次郎の顔をじっと見ると、


「俺の見たところ、お前、最近の真剣勝負続きで心の皮を剥きすぎてるんだ」

「剥きすぎ?」

「ああ。身体の皮膚と一緒だ。身体の皮が剥けたあとってのはしばらくすると皮が再生するよな?心も同じだ。心の皮を剥いたあと、しばらく休ませれば再び心の皮ができるんだ」

「………」

「ところがお前は、短期間のうちに真円流精心術を使い過ぎ、ずっと心の皮が再生できずに常に心の皮が剥けた状態になってしまってるんだ。しかもそこから更に皮を剥こうとしているから酷い炎症を起こしているようになっちまってる。だから感覚が過敏になりすぎ、普段なら感じないようなこと、物音なども余分に感じ取ってしまい、夜もすぐに目が覚めたりしちまうんだ」


 そう言う清雲斎の目は、先程までの礼次郎をからかっていたものと違い、真剣そのものであった。


「心の皮の剥き過ぎ……」


 礼次郎は呆然とした。

 だが順五郎が、


「でも、それはいいことなんじゃないですか?普段から感覚が研ぎ澄まされて強い状態なんだから」


 と笑って言うと、


「馬鹿言え。お前、例えば身体の皮が剥けた後に更にそこを剥き続けて行ったらどうなる?」

「あ……」

「そうだ、そこには想像を絶する痛みを招き、腐り、やがて死に至るだろう。心の皮も同じだ。剥き続けていると確かに感覚は鋭敏になるが、悲しみ、憎しみ、怒り、恐れ……などの負の感情も感じやすくなり、やがて心が壊れて発狂するのだ。真円流精心術を使い過ぎて心の皮を剥きすぎた先に待っているのは心の死人だ」

「そんな……」


 聞いていた一同、唖然とした。


「………」


 礼次郎も衝撃の事実に絶句した。


「俺が教えてた時のお前はまだ本当にガキだったから、言っても理解できないだろうし、そもそもガキのお前がそんなに心の皮を剥き続けることなんて無いだろうからこの事は教えなかったんだ」

「そうでしたか……」

「まあ、そう不安がるな。大丈夫だ、しばらく剥くことを止めれば心の皮は自然に元に戻る」


 清雲斎がそう言って杯に手酌で酒を注ぐ。


「しばらくって、どれぐらいで?」


 礼次郎は唾を飲み込んで聞く。


「さあなあ。これは個々人の感覚だからな。精心術を使った時間、頻度にもよるしな。自分で心の具合を確かめて、自分で判断するしかねえんだ」


 清雲斎はぐいっと酒を飲み干した。


「恐ろしい流派だな、真円流ってのは……」


 順五郎が驚いて息を呑む。


「うむ、流石に異端の剣術よ」


 壮之介が腕を組んで呻く。

 礼次郎は未だ動揺を隠せぬ表情で、


「ではお師匠様、ついでにもう一つ聞いてもいいですか?」

「何だ? そろそろ眠くなって来たんだが」

「すみません。極円流きょくえんりゅうとは何ですか?」


 と聞くと、清雲斎はサッと顔色を変え、


「てめえ、それを一体誰から聞いた?」


 と、礼次郎を睨みつけた。

 礼次郎はその目つきの恐ろしさに背筋を寒くしながら、


「さっきも言った仁井田統十郎と言う男が言っていたのです。真円流を更に超え、あらゆる剣術流派を凌駕する最強の剣術、それが極円流だと」

「そうか。その仁井田とか言う男よく知ってるな、余計なことを」

「余計な?」

「そうだ、極円流なんてものはただのくだらん伝説だ。そんなものは存在しない」


 清雲斎ははっきりと言いきった。


「え? 存在しない?」

「俺もガキの頃に俺の師匠より聞いたが、師匠は極円流はただの噂や言い伝えで、実際にはそんなものは存在しないと言っていた。確かに、それを使った者が何人かいるとの伝説があるが、その者たちがどんな奴でどんなことをしたのかなど、ほとんどわかっていないんだ。だからただの伝説だ。」

「そうだったのですか……」


 そう呟いて何か考え込む礼次郎を、清雲斎はじっと意味深な目で見つめた。

 そして言った。


「まあ、とにかくだ。お前はしばらく心の皮を剥くな。それをやるのはもう本当にどうしようもなくなった時だけにしろ。このまま行けば本当に狂人になっちまうぞ」

「はい、わかりました」

「いい機会だ。もっと基本の剣の技を磨け。今のお前は多少は腕を上げたようだ、生まれつきのずば抜けた勘と目の良さ、そして精心術に頼っているところが大きい。しかしはっきり言ってお前の剣技はまだまだだ。しかも元々腕力はどちらかと言えば劣る方、すばしっこさはある方だが運動能力も並だ。これを機にそれらを底上げしろ」

「わかりました」


 と礼次郎が頷くと、


「よし。じゃあ今から少し寝ろ。明日からすぐにその仁井田とか言う奴を追うんだろ?ガキの頃のお前には精心術と剣の基礎しか教えなかったが、真円流は精心術だけじゃない。あまり多くはないがちゃんと独自の剣の法、技などもある。それを明日の出発までに少し叩きこんでやる」

「え? 今から……明日までに?」

 礼次郎は目を丸くした。

「そうだ、時間が無いから早く寝るぞ。おい、そこの。ちょっと布団を出してくれ」


 と言うと、清雲斎は立ち上がって部屋を出て行ってしまった。



 翌日正午過ぎ。

 城戸の地から少し離れた街道筋を、礼次郎ら主従は北を目指して馬に揺られて進んでいた。

 目指すは越後上杉家。

 昨日、まずは天哮丸を取り戻すべくそれを奪ったとみられる仁井田統十郎を追うと決まった。だが、そもそもどこにいるのかその手がかりすら無く、雲を掴むような話である。

 そこで、とりあえずは真田信幸に紹介してもらった手前、一度は越後上杉家を訪ねてみなければならないので、越後へ向かいつつ仁井田統十郎の情報を探ろうと言うことになった。


 

「しかし本当にこれは酷いですな、大丈夫ですか?」


 壮之介が少し心配して言った。


「一体どんな稽古したらこんなになるんだよ」


 順五郎が呆れた顔で言う。


  礼次郎は目、頬、腕、脚、など、身体のあちこちにあざや腫れを作っていた。


 礼次郎は苦笑いで、


「ははは……。まあ色々しごかれたけど、最後にまさか木の枝から縄で右脚を逆さに吊るされて滅多打ちにされるとは思わなかったよ」

「え!?そんなことしてたのかよ?」


 順五郎らが仰天した。


「ああ。逆さ吊りの状態で攻撃を防げだとさ」

「何だそりゃ? 無理だろ」

「そう言ったら、攻撃の隙をついて枝の上に飛び上がれと……ますますできるわけねえだろ」

「は~、そりゃ激しいな。俺、あの先生の弟子にしてもらえなくて良かったよ」


 順五郎が言うと、無口な千蔵が流石に礼次郎の傷が心配らしく、


「どこぞより薬を調達してきますか?」

 と言った。

 だが礼次郎は、


「大丈夫、今朝もこれ塗っておいた。すごい効き目なんだよ」


 と言って懐から出した丸い木箱。


「ゆり殿からもらった薬だ」


 それは、先日ゆりからもらった仙癒膏の残りであった。


「ああ、それがあらゆる傷に効くって言う……」


 壮之介が言うと、


「ああ、今朝も塗ったらかなり具合が良くてな。ちょうどいいから今また塗ろう」


 と言って、馬上のまま仙癒膏を傷口に塗り、また背の荷にしまったのだが、礼次郎はそのまま荷の中をがさごそ漁る。


「どうしたんだ?」


 順五郎が聞くと、


「やっぱり無いな。実は昨日気付いたんだが、ふじの形見であるあの櫛が無いんだ」


 礼次郎が困った顔で答えた。


「え? どこかで落としたか?」

「かもなぁ……参ったな」


 と言った礼次郎だが、順五郎は真剣な顔で、


「いや、それでいいのかもしれない。俺は正直言って、ふじの櫛を若に渡したのを少し後悔してたんだ。いつまでも若がふじのことで縛られたままになるんじゃないかってな……。でも今、荷の中からふじの櫛を落として、残ったゆり様の薬が若の傷を癒してる。これはきっと天の声なんだ」

「ほう。順五殿にしてはいいことを言うな」


 壮之介が感心する。

 だが礼次郎は、


「お前な、そんな簡単に言うなよ」


 と言うが、


「だから簡単に言うんだ。俺にとっても大事な妹だったんだ。。辛さと向き合うのは一人の時だけで十分だ。こうやってみんなで一緒にいる時ぐらいは簡単に言ってないと何かに押しつぶされちまいそうでさ」


 順五郎がいつになくしんみりした口調で言ったが、すぐに我に返り、


「おっと、すまんすまん。それにしても本当にゆり様はあれで良かったのか?若にはもったいない人だったのによ。今頃どうしてるのかねえ」

「今頃は大筒でも作っているかもしれんな」


 壮之介が冗談を言うと、順五郎がはははと笑った。千蔵もふっと表情を緩ませた。



 ――ゆりか。



 礼次郎はゆりの顔を思い浮かべた。



 ――面白い女だった……。



 礼次郎も思わずふっと笑った。


 その時、千蔵が言った。


「ご主君、あれを」

「あれ?」

「前方遠く、騎馬の一団が見えます」


 言われて、礼次郎は道の先によく目を凝らすと、確かに一集団らしき人影が点々になって見えた。


「本当だ。しかしお前、よくあれが見えてしかも騎馬だってわかるな」

「忍びであれば普通でございます」


 千蔵は表情を変えることなく答える。


「一体どこの者たちか……。いきなりこちらを襲って来るとは考えられませぬが、注意して進んだ方がよいですな」


 壮之介が緊張した面持ちになった。


 しばらく進んで行くと、確かにその集団が騎馬の一団であるのがわかった。それぞれ戦姿であるが、人数は少ない。せいぜい二十人前後であった。

 しかし、何故か行軍していない。街道脇に止まり、何人かは馬から降りて輪になって何やらざわついていた。

 かなり近づき、その騎馬集団の面々の顔もかなり見えて来るぐらいまで近づいた時、礼次郎は馬を降りていた中の一人の顔を見て、


「あっ、お前は?」


 と声を上げた。

 その者も近づいて来た礼次郎らに気付き、礼次郎の顔を見上げると、


「お前は……城戸礼次郎か?」


 と驚きの声を出した。

 その者は、騎馬の集団の中にあっては似つかわしくない妖艶な美貌、美濃島衆頭領の美濃島咲であった。

 礼次郎は手で順五郎らに止まるよう合図を出すと、


「美濃島咲。何でこんなところにいる?」


 と、馬上のまま抜刀して睨んだ

「美濃島衆?この者たちが?」


 壮之介が驚いて錫杖を構えると、


「これが噂の女頭領か。えらい美女じゃねえか」


 順五郎も複雑そうに驚きながら槍を構える。


 美濃島衆の面々もまた急にざわついた。

 咲も額に汗を浮かべて腰の刀をギラリと抜くと、


「これはまた面倒なヤツに会ったね」


 と戦闘体勢を取った。


 一触即発、のどかな街道に緊張が走った。

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