第23話 かいほう

 カップから仄かな芳香とともに湯気が立ち上る。


 ライオール・フリオミュラは戦いの前に、暖かい紅茶を嗜むことを習慣としていた。

 別段、彼の常勝の秘訣がそこにあるというわけではなかったが、いわばジンクスのようなものであった。


 唇に触れる温かい液体と下に触れる苦甘い感触を楽しみながら、ライオールは作戦の次なる段階への移行を待ちわびていた。


 そろそろ偵察部隊からの報告が入るころであろう。

 そうなれば、状況がどうであろうと、このように優雅な時間を過ごす余裕は失われる。それならばそれでもかまわないのだが。

 本質として静より動、鎮より乱を好む彼である。

 それでも、人は常に緊張ばかりはしていられない。

 戦いの前のわずかなひと時。それを堪能していた。




「ライオール様!」


 ちょうど最後の一滴を飲み干し、カップをテーブルに置いたその時だった。

 兵士がライオールの元へ駆けこんでくる。


――やはり天が俺に勝てと言っているか


 ライオールは意味もなくそのようなことを考えた。このようなタイミングの符合を良き方向へ解釈し、必勝の証しとして信ずるのもまた勝者としての必要条件だと彼は考えてる。


「入れ。魔の小径こみちの外への偵察の報告だな?」


 兵士は緊張の面持ちで、ライオールに告げる。


「はっ! たった今戻りました。

 スクエリアの幻獣、アリーチェの飛龍とナルミアのミクスがもはや戦闘に耐えられない状況に陥らせたという報をネスラムの配下から受けました」


「アリーチェとミクスを墜としたか。

 ……で?

 ガイアスはどうなっている?」


「現在は目下、ファイスとマーキュスと交戦中であります。

 が、状況はこちらに有利ではないかと」


「ふむ……。

 して、ハルキとネスラム達は?」


 聞くべきことでもないな……と思いながらもライオールは尋ねる。

 いかにハルキとネスラムが優れた召喚士とはいえ相手は甲機精霊マキナ・エレメドだ。

 そして、今しがた聞いたばかりの報告ではナルミアとアリーチェを下し、甲機精霊マキナ・エレメド同士の戦いが繰り広げられているという。

 それだけの成果が上げられれば十分。それも自分たちの被害なしには成し遂げられまい。

 おそらくは、いや九分九厘以上の確率で、ハルキ達やネスラムも破れてしまったという可能性に思い当る。

 しかし、それはライオールにとって想定内の事態だった。

 ハルキとネスラムのみで、ガイアスを含むスクエリアの陣営をロムズール要塞まで引きずりだせた可能性は彼の中では五分を割っていた。

 それでも、ハルキにその任を任せたのは、彼女がそれを強硬に主張したからに他ならない。

 だからこそ、その確率を作戦として成立する域まで高めるためにファイスとマーキュスを増援として向かわせたということもある。


「ハルキの姿はありませんでした。

 ネスラム様の部隊は、魔力枯渇により戦闘から離脱。

 こちらへ向かっております」


「わかった。

 ファイスとマーキュスであればほどなくガイアスを連れてくるだろう。

 第一種戦闘配備は継続。いましばらくだ。

 俺も、すぐに敵を待ち受けるべく、準備を始める」


「はっ!」


 短い敬礼のあと報告を行った兵士は退出した。


――いよいよだ。


 ライオールは秘策を胸にガイアスと見える期待を隠そうともしない表情で。

 立ち上がり、胸のペンダントをもてあそぶ。


――もうすぐだ。もうすぐ。

――ガイアスを下し、異世界の最強召喚士としての地位を明らかにする

――そして、ロムズール要塞の不落の神話を築き上げる

――この世界を統べるための第一歩

――今日をもって、歴史が変わるのだ


 自信にあふれたライオールの精神には自らが敗れるという予測などは微塵も存在していないようであった。




◇◆◇◆◇




 あれほど使いづらかった『TDハンマー』がまるで自分の手足のように操作できる。

 どうやら、先端の鉄球部分は反重力による姿勢制御と精神感応コントロールによる推進機能がついているようだった。いわば、有線サイコミュという代物。

 つかいづらいなどとはいわれのないよくできた兵器だったようだ。


 一部能力覚醒し、新たな力を得た俺は、感情を剥き出しにして、その憎悪の対象をファイス――その中に居るゼッレへと向けていた。


「そこまでする必要があったのかよ!

 こ、殺すなんて!!」


 詳しい説明を受けている時間は無かったが、ミクスからの短い説明。

 それと、ナルミアとアリーチェの状況を見ればそれで十分だった。


 ファイスがドラちゃんを殺した。そうなのだ。


「落ち着いてください! シュンタ!

 まだ、死んだと決まったわけではありません。

 アリーチェの飛竜はこの世界に召喚されることはもうないでしょうが……。

 元の世界で生き続けている可能性もあるのですから!」


 敵方であるはずのアクエスが俺を宥めにかかるが、冷静に聞いていられる精神状態ではなかった。


 ただ、ハンマーの鉄球をファイス目がけて振るう。


 二度、三度、四度。

 避けきれず、応戦することもできず、ファイスの装甲に凹みが、亀裂が生じていく。


「…………」


 ゼッレは何も言わない。言えないのか。ただ、逃げ惑うだけだ。耐え忍ぶだけだ。


「ゼッレ! 退きましょう!」


 マーキュスがガイアスとファイスの間に割って入る。


「アクエス! 邪魔をしようってのか!

 そいつは、そいつはアリーチェのドラちゃんを!」


 怒りに任せ、マーキュスに対してもTDハンマーをぶつけようと勢いをつける。

 が、さすがに、機動力に特化した機体であるマーキュスだ。ひらりと身を躱しながら、なおも説得を試みてくる。


「ゼッレは……。

 明らかな悪意があって、あのようなことを行ったのではありません。

 すべては偶発的な事故なのです!

 それに……。

 これは戦争なのですよ!?」


 アクエスの言葉が心に響く。ずしりと入り込む。

 戦争…………。

 確かに……………………。

 これまで俺は、俺自身は……。


 命のやり取りとは無縁でいた。

 そう思っていた。


 だけど……。甲機精霊マキナ・エレメドを……ガイアスという強大な力をもって。

 俺のやっていること、やってきたことは戦争。

 いくら命のやりとりまでもが行われることが稀有な例だとして……。

 

 これは……、この世界で行われていることは戦争……。

 俺はその中に取り込まれている。


「だからって……」


 思い出す。アクエスと過ごした魔の森での一夜を。

 互いに敵同士。だけど、所属する陣営が違ったというだけで。

 人間として憎しみ合う理由なんて見つからなかった。

 アクエスとなら話し合えば争いは避けられるはずだ。


 シュンタだってそうだ。

 女子に囲まれる俺にヤキモチを妬いて、素直になれなかっただけだ。

 いくらでも仲直りする機会は作れるだろう。


 アリーチェ達とアクエス達だって……。

 帝国軍と同盟だって。

 憎しみ合っているかといえばそうではなかっただろう。

 ただ、その主張が異なっていただけ。

 争う理由は明確だ。

 それさえ取り除けば戦争から脱することすらできるだろう。

 現に話し合いでの解決への道も出来つつあったと聞いた。


 だけど……。


「一度生まれてしまった憎しみは、消えることが無いのかもしれません。

 ですが、それにおぼれてしまえばまた同じ悲劇を拡大していくだけのこと」


 アクエスが諭すように言う。


「それはそうだけど!」


 理解はできても感情が追いつかない。

 確かに。このまま俺が激情に任せて、ゼッレの命を奪うようなことをしてしまえば……。

 それが新たな憎しみを生み、戦線は拡大し、収束しがたくなる。


「だからって!」


 叫ぶ俺に背を向けたマーキュスはファイスを抱えるようにして退却の気配を見せた。


「逃げるのか!」


「ここは一旦退かせていただきます!

 シュンタには是非とも、冷静な状況判断を!」


 アクエスがそう言い残して去っていく。


「確かに、一旦落ち着いたようがよさそうにゃ。

 アリーチェの意識も戻らにゃいし」


「そう……ねっ。

 ファイスを追えば……っ。

 それは多数の召喚士を配して待ち受けている帝国軍の本陣と鉢合わせることにもなるだろうから……っ」


 ナルミアが弱々しい口調で語る。彼女もひどく落ち込んでいるようだった。

 だが……。問題はアリーチェだ。


 誰よりも自らの幻獣を愛し、幻獣と人間の理想的な世界を築こうと奮闘してきた彼女だ。

 そんなアリーチェが幻獣を失うなんて……。

 その衝撃は計り知れないだろう……。




 ハルキと俺が戦う羽目になり。

 アリーチェ達が笑顔でいられない。

 こんな世界。誰が悪いっていうわけでもないんだろう。


 帝国にだってスクエリアにだってお互いに言い分はあるはずだ。


 だけど……。だからと言って。ここで矛を収めることもできない。

 おそらくは、心に深い傷を負ったアリーチェと顔を合わすことができない。このままでは。

 こんな深い悲しみに溢れた世界では。


 ならば?

 俺に何が出来る? 俺と……ガイアスに。

 出来ることならば、可能であれば……。

 戦争を終わらせる。


 そのためには……。

 今の現状、流されてたどり着いた理念も何もない状況だけれど。

 スクエリアを代表するなんておこがましいくらいの立場だけれど。


 帝国を討つ。

 それくらいしか考えられない。

 帝国の顔、看板である二体の甲機精霊マキナ・エレメド

 それに打ち勝つ自信はある。

 あとは、全ての元凶、争いを率いている帝国軍の総司令官、ライオールを破り、和平への道を作る。

 今の俺には……。それくらいしかない。できない。

 でも何もしないよりかは……。




◇◆◇◆◇


 ライオールはそもそも煽る……アジテーション演説というものを好まない。

 人心掌握も、兵士の忠誠も。実力をもって勝ち取ってきた。

 これからもできることならばそうでありたい。


 口先だけの上官や、生まれてきた身分だけをもって部下を従わせるような馬鹿王子――ペンギューム・フラットラント――のような人間への嫌悪感が自然とそのような考えを持たせていた。


 だが。

 局面は最終段階に来ている。

 ライオールの野望。その一つ目の石。試金石となるべき一幕。

 それを確固たるものとするためには、あえて兵士たちの士気をあげ、よりよい機械幻獣を召喚するために鼓舞せねばならない。

 召喚士のモチベーションは召喚する幻獣の力となって反映されるのだから。


 それ――信念を曲げて行う演説――くらいは必要経費として割り切れるのもライオールという人物である。


「帝国軍の将兵たちよ!

 我が友よ!

 今、憎きスクエリアの中核が崩れようとしている。

 我らが盟友が、アリーチェやナルミアと言ったスクエリアの精鋭を打ち破り……。

 そして、我が軍の誇る二体の甲機精霊マキナ・エレメドが、スクエリアに強奪されたガイアスをここへ迎え入れるために奮闘している。

 あと一歩。あと一歩でスクエリアを潰滅させうるところまで来ているのだ!」


 この時のライオールはファイスとマーキュスが目覚めたガイアスTDハンマーの脅威に戦々恐々で逃げ出してきたことなどは知らない。

 ゼッレとアクエス、ひいては甲機精霊マキナ・エレメドのファイスとマーキュスの力を疑わず、ガイアスを導くことを信じていた。


 自然と――自らに演技と言い聞かせていたにも関わらず――ライオールの言葉に熱がこもっていく。


「未だ、フラットラントには未開の地が多い。

 人類の発展はまだまだ途上だ。古代文明の解明も頓挫といえる状況で停滞している。

 開拓、フロンティアへの進出が望まれている。

 知識の発掘が欲せられている。

 しかし、見てみるがよい! この現状を!

 召喚士、幻獣の自由などとありもしない理想を掲げ、帝国に害するスクエリアという異物を。

 奴らのせいで、我が国の召喚士は!

 街道の警備もおろそかになり、開拓の任に就くことをも阻まれている。

 それはひとえに、スクエリアが我が帝国に牙をむき、余計な戦闘を強要し、さらには貴重な人員、その時間を奪い取っているからに相違ない。

 だが、それも今日で終わる。

 ロムズール要塞に築いた絶対不敗の複数マルチプル共用シェアード召喚陣サモンサークル

 これの真価を見せつけることで、スクエリアはもはや反抗の意思を失うだろう。

 屈服するであろう。

 よもや……。抵抗の意を失わなかったとしても。

 その時は大攻勢によってこれを討てばよいだけの話だ。

 時は来た!

 機は熟したのだ!

 後は、各将兵が、複数マルチプル共用シェアード召喚陣サモンサークルの力を借り、俺の力を使って無敵の機械幻獣軍団を作りあげるだけなのだ!」


 ライオールの叫びともつかない演説に、怒涛のような歓声が上がる。


 彼らとて、強い幻獣への欲望がある。機械幻獣のような特別な幻獣へのあこがれがある。

 何より時代の転換点。その場に立ち会えたという喜び。ボルテージが上がるのも当然のことなのだ。


 ライオールは言う。声をより高めて。


「今こそが!

 その時だ。

 俺は全ての力を解放しよう!

 我が愛する帝国の、慎ましくも気高い将兵たちがより強力な幻獣の使い手となるために!」


 言いながら、ライオールは心中で唾を吐いた。

 愛する帝国……。まったくの詭弁である。

 ライオールは己のために、帝国の召喚士たちを利用しようとしている。


 が、全ては同じことだとライオールは気にも止めない。

 いずれ帝国、フラットラントの皇族は。ライオールの勢いを止めること敵わず国を明け渡すことになるだろう。

 ライオールの中にはそこまで続く未来への道筋があった。


 嘘は言っていない。ライオールはフラットラントを愛している。それは皇帝やその側近たちに敬意を表しているという意味ではない。

 国家ではなく大陸として。現在の制度ではなく、理念として。そこに住まう人々を愛している。それは真実であるのだ。

 ライオールは平和を望む。だが、それは自分の力によって管理する作られた平和だ。


 やがて、ライオールはスクエリアを滅ぼし、あるいは吸収し、帝国をわが物とするのかもしれない。

 それだけの力があると自身で確信しつつあるライオールなのだ。




 ライオールの号令で召喚士たちが機械幻獣を喚び出し始めた。

 力のない召喚士でも最低限はCクラスの力を持つ幻獣を召喚する。

 能力のあるものの中はAクラス――アリーチェの飛龍やミクスに匹敵する――の機械幻獣を召喚しさえする者もいた。


 これはひとえにライオールが古の知識より呼び起こした複数マルチプル共用シェアード召喚陣サモンサークルの力を借り、そして各召喚士に機械幻獣の召喚術式を広めた結果である。


 帝国軍の戦力はもはやとてつもないレヴェルまで引き上げられた。

 それを為し得たのは紛うことなくライオールその人なのである。


 絶対的支配力。そのための力。それが完成しつつある。


 そしてそれに歯向かおうとする小さな、わずかな輝きを放ち始めた生まれたての意思が存在する。


 ガイアスとひとつとなったイワイ・シュンタはただ一人で……。

 この、厚く敷かれた陣に立ち向かおうと歩を進めていた……。

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