第12話 アクエスと

「ん……んん…………」


 ガイアスてのひらの上で青い髪の少女が目覚めた。


「ガイアスッ!?」


 アクエスは驚きに目を丸くして即座に立ち上がる。そして足元の不安定さ、あるいは覚醒直後の肉体的疲労感から、再びふらふらと崩れ落ちるようにへたり込んだ。

 あやうくガイアスの手から零れ落ちそうになるのを、そっともう片方の手で支えてやる。


 それをしながら、


「ガイアス呼ばわりは無いだろう?

 確かに、ガイアスっちゃガイアスだけどさ」

 

 と、若干の不満を告げるのも忘れない。


「…………シュンタ……、

 でしたっけ?

 アリーチェが喚びだした異世界からやってきた人間。

 ガイアスの現在の仮の主人……」


「そう。苗字なんてどうでもいいわな。立場的には言われたとおりだ。

 それより、ここどこかわかるか?

 なんとなくヤバそうなところなんだってのはうすうすは気づいてるんだけど?」


 言いながら、この瞬間までの経緯を思い出していた。


 マーキュスアクエスとの決闘。


 策士が策に溺れるとはこのことで、俺はまんまとアクエスの術中に嵌ってしまった。

 凍るような冷たさの水竜――まさしくそれは水流というよりも竜と呼ぶのにふさわしい勢い――に晒されて、体力、魔力の激しい消耗に不安を覚えていたのもつかの間。

 

 目の前には自らが操っているはずの水竜に弾き飛ばされてガイアスへと飛んでくるマーキュスの機体が迫ってきた。


 衝突の衝撃はもとより、なお勢いを増した水流に呑まれ……というよりも天高く突き上げられて、ガイアスはマーキュスとともに空高く舞った。華麗にではなく、乱暴に、そして勢い任せに。


 宙を舞いがら、マーキュスのシルエットがアクエスの姿へと萎んでいくのを目撃する。 魔力が尽きたのか、衝撃のショックかマーキュスの召喚が解けたようだった。

 かなりの高度、かなりの勢いだ。ガイアスに搭乗している俺でさえ、落下の衝撃に耐えきれるのかどうかわかりかねる状況。危機的状況。

 人間の姿へと戻ったアクエスがこのまま落下に身を委ねれば地面に激突した衝撃で絶命必至だろう。

 頭で考えるよりも先に体が動いていた。

 アクエスを優しく包み込むように手を伸ばした。その時既に彼女は意識を失っていたように思う。


 それからあとはよく覚えていない。なんとなくしか。

 落下に備えて地面との相対速度や距離を測って軟着陸を目論んだが、パラシュートはもちろん、推進補助装置スラスターたぐい甲機精霊マキナ・エレメドには装備されていない。ロボットのようでSF的なロボットではないのだ。

 落下速度を減速する方策は見当たらなかった。

 かといって諦めてしまうのも癪だ。運任せというのは俺の辞書には小さくしか書かれていない。

 そこで、地球人――転生したわけではないので今も俺自身は地球人である認識だが――時代に読んだ漫画の知識の出番である。


『五接地転回法』、通称『五点着地法』というそれである。

 まっさきに思い出されたのがこれだった。


 要は何の備えも無しに高高度から落下してしまった際の着地の衝撃を和らげるための、レンジャー、自衛隊の空挺団などが修めている技能である。

 簡単に説明するならば、まずはつま先から着地。そのまま踏ん張るのではなく、着地の衝撃を吸収しながら、接地点をすねへと移行させる。

 次に、もも、背中と順々に、接地していき、徐々に着地するのである。

 最後の仕上げに、衝撃が弱まるまでごろごろと転がる。

 生身の人間でも――訓練を積んでいれば――数メートルの高さから飛び降りても怪我一つ負わない。……らしい。読んだ漫画の話を信じるのならば。


 読んだコミックではそのシーンは一コマ一コマ丁寧に着地のプロセスを描いていた。

 その画像が俺の頭によみがえる。

 それが、自然とガイアスの挙動に反映されたのだろう。


 また、この方法が両手を使わないというのも――おそらく下手に手をついてしまえばその衝撃で手首や肘を痛めてしまうから――アクエスを保護している俺にとって都合が良かった。


 ある程度の――予期していた以上には――着地の衝撃は受けたが、大事には至らなかった。


 そして、ようやっと起き上がり、自分の居る位置を把握しかね、どうにもこうにも行動できず、周囲に感じる魔物の気配にアクエスを地面に下ろすこともためらわれてその場でじっと佇んでいた。


 そして今に至るのだった。


「この気配……。空気。

 おそらく、ここは『魔の森』。

 それほど深い場所ではなさそうなのは幸いですが……」


 とアクエスは言いかけて、はっと身構える。

 気づいたのだろう。自分の無防備さに。生身で俺にガイアスに対峙することの危険度に。


「下ろして! ここから下ろしてくださいな!」


 懇願するようにアクエスは言った。特に断る理由もなかったために、ガイアスに片膝をつかせ、手を地面と平行に低く差し出す。


 アクエスは、さっと飛び降りた。


「どうして? あれだけの……。

 マーキュスの、大洋のオーシャンズ・囁きウィスパーを受けてまだなお甲機精霊マキナ・エレメドを維持しているだけの魔力が残っているなんて!」


 驚きを隠そうともせずにアクエスは言う。


「ああ、そうなの? ひょっとしてお前はもう魔力が残ってないとか?」


「残念ながらその通りですわ。あなたに抵抗する意思はありますがその手段は持ち合わせていません。マーキュスを喚び出すことも今は不可能です。もう一度戦えば勝てるとも思えませんけど。

 煮るなり焼くなりお好きにどうぞ……」


 アクエスは達観したように呟いた。

 くなりいぢるなりと言われたのならそれなりに悩ましい煩悩が騒ぎ出したかもしれないが、煮るのも焼くのも俺のやりたいこととは相反する。


「どうもしねーよ。

 する気があるならとっくにやってる」


 どうにもふてくされたような口調になってしまった。


「…………。

 もしかして……」


 アクエスは少し考えながらというように、間を取りながら、おそらくはあの戦い終盤から今までの状況を思い出し、記憶にない部分は想像で補いながら、


「助けていただいた……のでしょうか?」


 と語尾に疑問符をつけた。


「そういう受け取り方をするならそうとも言えるかもな。

 恩を売る気はないが。

 なんせ、お前は甲機精霊マキナ・エレメドの保護も無しで丸裸で地面に激突しようとしてたんだから……」


 その言葉を聞いた瞬間、アクエスの表情から緊張の色が薄まった。


「それは……。

 まことにありがとうございました」


「いや、そんなあらたまられても……」


「敵対するものとはいえ、命を救っていただいたのですから。

 お礼ぐらい言わせていただきましょう。それが最低限の礼儀ですわ」


「まあ、礼儀はいいんだけどさ。

 その最低限ってのにもうちょっとオマケが付くんなら。

 ここから、街なりなんなりに戻るのに力を貸してくれないか?」


 そうなのだ。俺がこの場を動かなかったのは、アクエスの覚醒を待っていたからだ。異世界の常識にも地理にもうとい俺が下手に動けば、どこかの街道に出くわすどころか、さらなる奥地へと踏み入れて迷子状態を悪化させかねない。


「それはもちろん……。

 わたしも連れ行っていただけるのでしたら」


「道だけ聞いて置いてきぼりにするなんてことはしねーよ。

 まあ、信じてくれないかもしれないけどさ。

 被召喚者ってこっちじゃ評判悪そうだから……。

 まあハルキが特別だとは言い切れないんだけどさ。」


「いえ……信じます。

 わたしはシュンタを。例えその属する組織がそれぞれ敵対しているという事実があっても。一人の人間として」


「お、おう……」


 ありがとうという言葉の代わりにでたのはそんな応答。


「別の世界から召喚された人というのが往々にして悪い人ばかりではないことを知る良い機会を得られたことに感謝します」


 だからそうあらたまらないでくれよ。と思う。往々にしてという言葉の本来の意味は存じ上げないが。


「それよりも……」


 とアクエスは話題を変えた。


「シュンタは、あれからずっとガイアスの中なのですよね?

 魔力の残量は大丈夫なのですか?」


「ああ、どれくらい残ってるかとか細かいことはわからないけど、ひどく疲れたとかそんな感じじゃないな」


「それは重畳。いえ、今のわたしたちの立場を考えた時にという話ですけど。

 この辺りの魔物は非常に強力です。

 生身はもとより、幻獣ですら個体レベルでは立ち向かうのが困難なほど。

 万一魔物に遭遇した時に唯一対抗できそうなのは甲機精霊マキナ・エレメドの力ぐらいなものでしょう」


「まあ、しばらくは帝国だの同盟だのって話は忘れようぜ。

 お互い一人じゃ帰れないんだ」


「ありがとうございます」


 再三の謝意に若干恐縮しながらも、俺はアクエスに手を差し伸べた。


「乗りな。その様子じゃ立っているのもやっとだろ?

 おっと、もうお礼はいいからな。

 今度はそっから道順を教えて貰う番だから。お互い様ってことで」


 俺の言葉に、アクエスはただにっこりとほほ笑みを返してくれた。




 時刻的にはほぼ真夜中だったろう。

 アクエスには、初歩的だが星を見る知識があるという。

 時間と星座? を見ればおおよその方角がわかるのだ。

 まずは、ここからもっとも近いであろう街道の方向を目指す。


「なるほどな。ここってそんな厄介な場所だったのか」


 アクエスの解説を聞きながら、様々な幸運に感謝した。

 運よく、大した損傷も受けずに着地できたこと。これまで魔物に襲われなかったこと。アクエスにも目立った怪我がないことなどを。


「ええ、『魔の森』と『無魔の輪』。

 フラットラントでの極めて特殊な属性を持つ地域ですわ」


 俺達が今いる場所。

『魔の森』というのはこの大陸の中央にある魔物多発地帯だという。

 そしてその魔の森を取り囲むようにあるのが『無魔の輪』。そこは打って変わって魔物がほとんど出没しない。名前の通り。ただし、幻獣も通常の方法では喚びだすことができないという。

 それらの地域が何故そこにあるのか? どういう理屈で特殊な状況を作り出しているのかは今もって謎。


「でも、全然魔物が出てこないな。

 まあ、出くわさないに越したことはないんだけど」


「ひょっとしたら、ガイアスがそれを遠ざけているのかも知れません。

 いくらこの辺りに住む強力な魔物と言えども、甲機精霊マキナ・エレメドの力は脅威でしょうから」


 なるほどな。びびって出てこないってわけか。まあ、それは助かる。


 そんな時間つぶしの世間話の最中。


「どうしてシュンタはガイアスを……。

 スクエリアに加担しているのですか?」


 と真面目な風味でアクエスが尋ねてくる。顔を伏せてしまっているのでその表情は見えない。


「別に、加担してるっていうか……。

 一宿一飯の恩義と言うか。そもそもスクエリアのアリーチェに召喚されたわけだし。

 こっちに来てからしばらく面倒も見てもらったし。

 あとはなし崩し的にというか……」


「そうですか。では、ハルキのようにこちらに来る……、

 そんな考えはございませんか?」


「帝国に? いや……それは……」


 俺は言い澱んだ。勧誘されているのだろうか?

 そしてその予感は形を強める。


「ライオール様は誠実で、お強いお方です。

 もしかしたらこの先、甲機精霊マキナ・エレメドに対抗する能力のある幻獣を喚ぶことが出来るかも知れないただ一人のお方。

 シュンタが望むのなら。

 ガイアスを返せとは言いません。

 ガイアスと共に帝国へ……。

 ライオール様にはわたくしから申し添えますから」


「せっかくだけど……。

 それに、ハルキとは少なからぬ縁があるからその申し出はありがたいんだけど。

 そんな急に決められる話でもないし。

 アリーチェに何も言わずにそっちに行くわけにもいかないし」


「そうですよね……」


 断られることはほぼ確信していたようだったが、それでもアクエスの口調は沈んでいた。


「ところで、アクエスはどうして帝国で戦ってるんだ?」


 何気なく聞いたことだった。

 帝国には帝国の正義が。スクエリアにはスクエリアの正義が。

 それぞれの大義名分のためにお互いがいがみ合っている。だがこの状況には絶対悪というわかりやすい悪者は存在しない。ただ主張が違うだけ。

 ならば、折角の機会に帝国側の人間の考えを聞こうと思っただけだった。


「なんとなく……ですわ」


「えっ?」


 思わず聞き返してしまった。


「そう。

 元々帝国の主張は、召喚士の管理と人々への福祉。公共の安寧を願っています。

 そのためには召喚士や幻獣それぞれを自由に行動させるのではなく、誰かが取りまとめて舵を取って効率的に運用することが理想。

 その考えに賛同するものが、帝国軍として戦っているのです。

 また……、ライオール様には野心がおありでしょう。よりよい国づくりのために。そのためには権力を。

 現皇帝のフリオット・フラットラント3世は無能な人材ではありませんが、己の権力を振りかざすことにためらいを覚える人間。支持はあっても実行力に不足があります。

 加えて、次期皇帝であるペンギューム・フラットラントは馬鹿王子と揶揄されるほどの無能な人間。

 ライオール様の描く理想としては、時には害為すことすらありうる存在」


 ライオールを『様』付けで呼び、皇帝や皇太子を『人材』、『人間』と切り捨てる口調に何か歪んだものを感じながらも、俺は思いついた名前を出す。


 そもそも俺とアクエスには共通の知人が少ない。その数少ない共通の知人の会話で場を繋ぐのもまたひとつの処世術。


「あのゼッレとか言う奴は……」


「彼は……、ライオール様を崇拝しておりますわ。彼自身の意見などは持ち合わせていないでしょう。ただ、ライオール様の力となるために己の能力を振るう。

 自称押しかけ弟子ですけど、はたから見ていると単なるファンや追っかけといった浅い理念しか持ち合わせていないように思えます」


 アクエスはこうして話してみるとなかなか痛烈な批判をするキャラだった。

 が、それでも。

 他人をそうやって冷静に分析しながら……。


「でも、人のことは言えたものではありませんね。

 わたしも理念なんてこれっぽっちも持っていないのですから。

 たまたま両親が帝国の召喚士でわたしもその才に恵まれていたため両親と一緒に辺境の警備についていたところを見いだされて引き立てられただけですから」


 それでアクエスは会話を一度締めくくった。

 なら……。俺が帝国に行くんじゃなくって……。アクエスがスクエリアに来れば……と口に出しかけてその後に流れるであろう気まずい雰囲気を想像して俺も黙った。


 ガイアスの手の上で小さく座り込みながらアクエスは夜空を見上げていた。

 そんなアクエスを見つめながら俺はガイアスをゆっくりと歩かせていった。

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