第5話 エンキーネ

「スライムに……、スライム改、あとはスライム零式……。

 スライムばっかりじゃないのよ~!!」


 ローライダム王国王都からほど近い草原で、セクシーボンデージな衣装に身を包んだ妖艶な女性がひとり叫んでいた。


 彼女こそが魔王四悪柱がひとり、(自称)妖艶の業火エンキーネである。


「はあ、でもこれだけの数で襲い掛かれば、王都なんてひとたまりもないでしょうね。

 みんな、ちゃんということを聞きなさいよね!」


 彼女を取り囲む多種多様――三種――のスライムたちがその声に呼応して体をプルプルと震わせる。


 スライムに目はないが、あったとしたらハートマークになっていただろう。

 ちなみに、魔族の中ではスライムとスライム改とスライム零式は別種だが、特に能力や見た目に差があるわけでもなく、人間の間では区別が付けられていない。


 閑話休題。


 このスライムを従わせるべくエンキーネが発揮した能力こそが、彼女の持つ固有スキルの魅了テンプテーションである。


 本来、スライムも含めた魔物というのは魔王には絶対服従であり、その影響は魔王軍幹部のエンキーネにすら及ぶ。つまりは、魔物というのは自然とエンキーネの配下にあるといってもいい。本来であれば。


 魔王の力が全盛期であれば、なにも魅了などを行わなくても、スライムはエンキーネの言いなりなのである。


 だがしかし。

 エンキーネは勢いで魔王城を後にしたものの。

 自身の弱さに気付いた。


 だいたい普通に――魅了など使わなくても――言うことを聞く魔物というのは自分よりも力の弱い魔物であり、それはかつてのエンキーネであれば、ほぼすべての魔物を含有していた。

 彼女と同程度の強さを持つ魔物など存在しなかった。


 はずであった。

 しかし、今の彼女はスライムにすら言うことを聞かせられないのであったのである。

 もっと強い魔物に関しては言うまでもない。それらの魔物には魅了すら効果が無かった。(魅了は自分と同程度の相手ならなんとか通用するレヴェル)


 長旅の途中で出会った魔物たちを仲間に加えるべく声をかけては無視されたり、逆に襲い掛かられたり、さんざん弄ばれかけて、精神的に疲弊したエンキーネはようやく、王都近くまで辿り着いた。


 この地で、その効果が3日ほどは継続する魅了の力でコツコツとスライムたちを誘惑して、王都陥落のための軍団を築いたのであった。


 その数は3桁におよび、それは彼女の魔力を限界まで絞り切った成果でもあった。

 

 にしてもたかだかスライムである。


 王都には力のある冒険者や魔法使い、あとは騎士団なども多数控えており、百匹程度のスライムなどは一瞬で潰滅させられる程度の戦力ではある。

 しかし知能や計画性、将来の見通しに多少以上の残念さのあるエンキーネは、楽観思想も相まって、これより進軍を開始する気満々であった。


「タナキアちゃんからの、ご褒美ほっぺにチュー

 これで戴きなのよね!

 わかってる? みんな!

 目標は大神殿。

 まずは、聖剣の現状を確認を目的にしつつ、ついでに住人を襲って、家とか壊して困らせて、魔王軍の恐ろしさを知らしめるのよ!

 でも、本当の目的は勇者の討伐だからね!

 勇者っぽい人間が居たら、構わないからタコ殴りにしちゃいなさい!

 それじゃあ! しゅっぱーつ!!」


 かくして、エンキーネの率いるスライム軍団は王都に向って進撃を始めた。


 先にも述べたように、発見されるや否や、討伐隊が組織されて、あっという間に壊滅させられる程度の戦力である。

 腕っぷしのある冒険者がたまたま歩いていたら、そんな冒険者と出くわしたら時間はかかるものの、全滅させられる程度の軍団である。


 が、幸か不幸かそうはならなかった。




「ム……」


『これは……』


『気付いたか? ほーちゃん』


『気配だけだけどね。さすがにこれだけの数ともなれば……』


「どうかしたのか、じじい」


 タツロウが眉をひそめたアズマに声をかける。


「じじいじゃないじゃろう。師匠と呼べといったろう」


「で、どうしたんだ?」


 タツロウは怪訝そうな表情を浮かべた。


 元々、聖剣に宿る精神であり、魔物に対する感覚が敏感なほーちゃん。

 スキルによって魔物の気配を感じることができるアズマ。


 とは異なり、タツロウはその辺りは一般人なのである。


 アズマが説明してやる。


「おそらく、スライム……スライムばかりじゃろう。

 かなりの数が、一か所に集まってこちらへ……、こっちというよりも王都じゃろうな。

 王都に向かっておるようじゃ」


「荒稼ぎのチャンスじゃねーか? どーんとレベルアップの餌にしようぜ!」


「馬鹿を言うな。たかがスライムとはいえども、相手は百を超えるような数じゃぞ?

 一匹一匹は弱くても、連戦になれば、お主など途中で息切れを起こしてあっという間に倒されてしまうじゃろう」


「そんなもんかね? で、元勇者だと?」


「ん?」


「だから、じじ……じゃなくって師匠でも歯が立たないのかよ?」


「儂は……」


「そうだろう? たかだかスライムごときに尻尾を巻いて逃げるわけにもいかねーよな?」


「そうは言ってもあの数じゃ。

 王都へ連絡して応援を頼むのが……」


「ほう、これから世界を救おうとする勇者とその教育係がそんな弱気でいいのか?

 王都の連中にどんな噂が立つことか……。

 っていうか、さてはじいさん、やっぱり大した力の持ち主じゃないってことだな。

 口ばっかりで怪しいとは思ってたんだよ」


「何を言うか! 儂が本気になればあれくらい」


「じゃあ、その本気とやらを見せてくれよ。

 俺がスライムごときにやられて、そのスライムを師匠が蹴散らすところを見れたらこれから文句言わずにいうことを聞いてやる」


「聞いてやるなどと、上から物を申すな……」


 と、最低限の文句だけを口にしてアズマは思案する。


 今の年老いた体でもスライムの100や200は物の数ではないはずだ。

 だが、それは聖剣ほーちゃんの力を借りての話である。


『見せてやろうよ、アズマ!』


『ほーちゃん?』


『ボクだって、あんな風に言われたまま黙ってられないよ。

 いい機会だと思うんだ。

 ボクたちの本当の力を見せたらそれこそタツロウの態度も変わると思うんだ。

 それにタツロウの言うとおりだよ。

 スライム程度に応援を頼んだら、アズマの面子もそうだし、王様の面子だって丸つぶれじゃない?』


『うむ……。ならば……』


 アズマの迷いが晴れる。

 昔取った杵柄きねづかというなかれ。

 体は老いても心はそうでもない。


 ほーちゃんとの再会や、それまでの態度とは一変して、生き生きと魔物と戦うタツロウを見て眠っていた血の滾りが着々と温度を上昇しつつもあった。


「わかった。タツロウよ。

 まずは己の限界を知るがよい。

 命の危機に瀕する前に、自分で退くか、それができんなら頃合いを見て儂が助太刀してやろう」


「おおげさなじじいだな。スライムごとき、俺だけで殲滅してやるよ」


「じじいじゃないと何度言ったらわかるんじゃ!」


「はいはい、師匠ね」


「返事は一回でよい! それに調子に乗っていると後で後悔することになるぞ」


「やってみねーとわかんねーよ」




 運が良かったのか悪かったのか、この時点ではアズマ方にもエンキーネ方にも定かではないが。


 周囲には冒険者や旅人の姿は無かった。


 しかるに。

 スライムの進行方向に居合わせたアズマ達は自然とスライム軍団と衝突することになる。


 あえて場所を移して迎撃するまでもないと、アズマ達はその場で待ち構えていた。


「来たな。そろそろタツロウにも見えるじゃろう」


「ああ、のったりとしたスピードで近づいてくるな。

 特に陣形を敷いているわけでもなく、てんでばらばらに動いてる。

 あれなら、それこそ俺だけでなんとかなりそうなんだが?」


「止めはせんから、やれるだけやってみるがよいさ」


「ああ、任せとけって!」


「ム! 待て!」


「どうした?」


「スライムに紛れて気付かなかったが……。

 一匹、いや一体……一人というべきか。

 厄介なのが紛れ込んでおるな」


「ああ、後ろで飛んでる黒い影か?」


「そうじゃ……あいつは……」


 アズマは記憶を手繰る。


 年のせいか、物忘れがひどくなりつつあるアズマであるが、若き日の記憶というのはなかなかにして忘れないものだ。

 泳ぎ方や自転車の乗り方と一緒で一度覚えたらブランクがあっても取り戻せるのである。それと記憶とを同一視してもよいかは専門家の意見を聞く必要がありそうだが。


『あれは……』


 ほーちゃんも相手を認識したようである。


「なるほど。

 普段はそれほど群れないスライムが奇妙な動きをするのはおかしいと思っておったが。

 裏で糸を引く存在があったということか」


「なんか、エロそうなねーちゃんだな。

 悪いやつなのか?」


「悪いもなにも。

 あやつは、魔王の幹部、四悪柱として恐れられたうちの一人。

 二つ名は思い出せんが、エンキーネとかいう奴じゃ」


「強いのか?」


「なんどか手合わせをしたが、倒しきることはできんかった。

 その後、儂も力を付けたから、全盛期の儂には劣るはずじゃろうが。

 魔王との戦いの時には何故か現れんかったから、倒してはおらんがな」


「やばくないか?」


 さすがにタツロウもそれらの情報を聞いて、不安を隠しきれない。


 こちらの戦力といえば、元勇者とはいえ年老いたじじい。

 勇者として召喚されたとはいえ、成長途中である自分。

 その真の力が未知数である聖剣。


 そんなものなのである。


「じゃが……」


 アズマは首を捻る。


 本来であれば、エンキーネなどが居れば、その魔力の多さ、そのほかもろもろの威圧感などで、アズマの検知スキルにいちはやくひっかかってくるはずなのである。


 それが、スライムの大群の中に埋もれるほどの存在感しか醸し出していない。


『うーん、妙だね』


『ほーちゃんも気づいたか?』


『うん、そこはかとなく邪悪な気配は伝わってくるけど。

 そんなに濃い魔力とか感じないよ。

 それこそスライムとどっこいどっこいな感じで』


『相手の目をを欺く、あるいは力を隠すという能力を得たか……』


『それにしては堂々と姿を晒してるけどね』


「きゃはは! いっちゃえいっちゃえ!

 スライムくんたち!

 無人の荒野をひたすすめ~!」


「なんか叫んでるぞ」


「ああ、じゃが……。

 今から戻っても間に合わんじゃろうな。

 迎え撃つしかないわい。

 予定変更じゃ。

 儂はあのエンキーネを抑える。

 タツロウは出来る限りスライムを仕留めてくれ」


「お、おう」


「早めにに回復はするのじゃぞ。

 あと無理はせずに、危ないと思ったら儂にはかまわず逃げるのじゃ」


「わかった」


「おっと! 獲物はっけーん!

 恐怖のどんぞこに陥れてあげちゃって~!!」


 かくして、魔王の幹部とそれが率いる魔物の軍団 VS 元勇者&次期勇者という字面はすごいが、実力的には低レベルな戦いの火ぶたが切って落とされたのである。

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