第6話 極大呪文「ネバネバ」 下
「なっ……魔王!?」
勇者はベッドから飛び起きると、素早く俺から距離を取る。
さすが勇者、起きたばかりでよくそんな動きが出来る。
彼女は俺を正面に捕らえると、辺りを一瞥した。
「ここはどこ?」
「まお、じゃない。俺の部屋だよ」
「なぜ私を逝かしたの?」
「生かしたんだよ!」
「なぜ?」
なぜと言われても、俺からすれば敵でも何でもないし殺す理由がない。それだけ、簡単なことだ。
ただ今現在魔王になっている俺がそんなことを言ったところで、何を言ってるんだって話だろう。
「人質にとろうとしているのなら無駄よ」
「いや、そんな気はない」
「じゃあどうして?」
「いやぁ……」
どう説明すればいいんだ。
正直に違う世界から来ました、実は俺は魔王ではありませんって言うべきか?
だから敵対する理由もなく、殺す理由もないって。
でもそれにしたって、突然違う世界とか、こいつは何を言ってるんだってことになるだろう。
「まっ……まさか」
勇者は直立したまま顔を耳まで真っ赤にして、自分で自分の体を抱いた。
「あ、あ、あなた私を奴隷にして、あんなことやこんなことをしようというの!? さすが、魔王の名は伊達じゃないわね、とんでもない変態だわ」
何? もしかしてこの世界では魔王とは変態の総称だったりするのか?
魔王=変態。魔王と書いてへんたいとルビを振られるのだろうか。
『
「いや、そうじゃなくってだな」
と、答えに窮して頭をかいた俺のお腹が、この広い部屋の隅々にまで響き渡るような大きな音で、グーッとなった。
本当に今何時なんだろう。さっきの五時くらいという俺の読みは正しいんだろうか。
とにかく、お腹がすいた。
「まさか魔王、あなた私を切り刻んで食べようって言うんじゃないでしょうね?」
まぁ
「わ、私なんて食べても美味しくないわよ!? 筋肉ばかりでかたいし、胸だってない……くっ……うぅ」
なぜか自分の発言で落ち込んだ様子の勇者さん。
胸ないの気にしてるんだ。
「何言わせてくれるのよこの変態が!」
「俺のせい!?」
と言うか、胸の大きさは味に関係してくるのか?
「まぁいいじゃないか勇者さん。胸がないおかげで装備できてるんだから、その鉄の胸当て」
「殺すわよ?」
「はい」
そこで、今度は勇者のお腹が可愛く控えめな音で音を立てた。
「ほら、勇者さんもお腹すいてるみたいだし、とりあえずご飯でも食べない?」
お腹がいっぱいになれば、少しはまともな話し合いも出来るかもしれない。
とにかく何とかして彼女に今の状況を説明し、理解して貰わないと。
「何言ってるの? お腹がすいているのはあなただけでしょ?」
「え、でも今お腹が鳴って――」
「な、鳴って何てないわよ! アンタの耳がおかしいんじゃないの?」
そうですか……。
「大体、私が敵である魔王と一緒に食事なんてすると思うの?」
「いや、俺達は別に敵じゃないんだよ。俺は魔王であって魔王じゃないの」
「意味が分からないわ。あなた、一回死んで頭おかしくなったんじゃない?」
死んだのに生きてる方がおかしいよ。
「だから、一回死んだんだろ魔王は。で、その中に俺が入ったんだよ」
「……何を言ってるのかさっぱりだわ」
怪訝そうな目を向ける勇者。
俺だってさっぱりだ。何が何だか。
全く、どう説明すればいいんだ。
「とにかくだ、お前に危害を加える気があるなら気を失っているうちにするし、運び込むのも、自室なんかじゃなくて牢屋だろう普通は。だから話を聞いてくれ」
それを聞いて勇者はしばらく思案顔で黙る。
「……分かったわ」
おお、分かってくれたのか。
「とりあえず、あなたの真意が分からないうちに殺すのは騎士道に反するわ。話くらい聞いてあげる」
「ありが――」
「だけどその前に、私の剣を返して」
剣。あれか、俺が切り殺されそうになったやつ。
きっと俺が最初に目を覚ました部屋に落ちたままになってるんだろう。
取りに行くにしても、走っていたせいでどうやってここまで来たのか曖昧なんだよな……ゲイルを呼んで取って来てもらうか。
「分かった、ちょっと待ってて」
俺は勇者の警戒心バリバリな視線を全身に受けながら、部屋の入り口へ向かう。
そして大きな扉の片側を引いて開けた途端。
「ま、魔王しゃま、お呼びですか!?」
倒れ込むように部屋の中に入って来たゲイル。
「まだ呼んでねえよ! まさかゲイル、そこでずっと盗み聞きしてたんじゃないだろうな?」
「説教もございません」
「だからそれを言うなら滅相だ」
説教したいのはこっちだよ、まったく。
「ゲイル、お願いがあるんだけど。勇者の剣を取って来てくれないか?」
「それはいけません魔王様」
「どうして?」
またぞろ危険だとでも言うつもりか。
「あれはもう私の剣です」
……こいつ、勝手に戦利品にしやがって。
「いいから取って来い」
少し悪いなと思いつつも、俺は魔王という立場と容姿をフル活用して、ゲイルに圧をかける。
「は、はひっ分かりました……どうぞ」
するとゲイルは、自分の腰につけていた剣を恐る恐る俺に差し出した。
「何だよこれ、俺が言ってるのは勇者の剣だぞ?」
「これが勇者の剣でございます」
手に入れただけじゃなく既に装備もしていたのか。
それを受け取る。
「では、私はこれで」
「ああ」
ゲイルは再び風のようにその場を後にした。
扉を閉めて、念のためと思いもう一度扉を開けると……。
そこにはもちろんゲイルがいた。
「お、お呼びでしょうか魔王じゃま」
「誰が魔王じゃまだ、邪魔なのはお前だよ」
俺は勇者と話がしたいんだ。
本当にいい加減にしてくれ。
「し、失礼しましゅっ」
睨みつけると、彼は跳んで逃げた。
扉を閉めて……今度はもう開かない。
「剣ってこれでいいのか?」
俺にはどれが勇者の剣かなんて見分けられない。
「ええ、それよ。こっちに投げて」
俺は鞘ごと、勇者に向かって剣を投げつけた。
彼女はそれを受け取ると、柄を握り、鋭い音を立てて刀身を鞘から抜き、また納める。
「それにしても本当にいい度胸ね、せっかく丸腰だった私にわざわざ武器を返すなんて」
「だから言ってるだろ、俺は君と敵対する気はないんだよ」
「ふんっ、どうだか」
それから俺は椅子に座り、勇者はベッドに腰をかける。
そして俺は事の顛末を全て隠さずに勇者に話した。
神や天使といった天界のこと、俺が魔王であって魔王でないこと、勇者に害意はないこと。
途中、バカだとか、頭がイカれてるとか暴言を吐かれつつ……殺されつつ。
そのせいもあって、全て説明し終わるのにかなりの時間がかかった。
「ふん、にわかには信じれらない話ね」
俺がこれで説明は終わりだと告げると、勇者ラヴは開口一番そう言った。
まあそれが至極最もな、真っ当な、感想だろう。
神様に間違えて殺されて異世界から来たんですって言って、ああハイそうですかってなる方がどうかしている。
旅行じゃないんだから。
『どこからいらしたんですか?』
『インドです』
『そうですか』
みたいにはならない。
「でも、今の話が嘘であれ本当であれ、あなたが気を失っている私を牢屋にも入れず、危害も加えなかったのは確かだわ。何を企んでいるのかは分からないけど、とりあえずあなたの処分はご飯を食べるまで保留にしてあげる」
「え、ご飯食べるの?」
お腹すいてないんじゃ?
「あ、アンタが言ったんでしょ!?」
やっぱりお腹がすいてたんだな。
「何ニヤニヤしてるのよ、早く行きなさいよ」
「いや、でも俺どこでご飯食べたらいいのか分からないんだけど」
「はあ? あなたの城でしょ?」
この勇者、俺が今説明したこと全く理解していない、と言うか信じていないな。
うぅんどうしよう……あれか? あれでいけるか?
「ほらあれだよ、俺ネバネバだから」
「…………」
あれ、ダメだった? 凄い不審げな顔だけど。
「……それなら早く言いなさいよ、ネバネバなら仕方がないわ」
え? いいの? 通じた、それでいいんだ。
ちょっと待てよ、じゃあ今までの説明も全部ネバネバだからで済ませたんじゃないのか?
一体ネバネバって何なんだ……恐ろしやネバネバ。
「何してるの、早く行くわよ」
そう言って、部屋の扉を開けてこちらを振り返る勇者ラヴ。
「あ、ああ」
俺は慌てて彼女の後を追った。
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