砂の丘を越えて
潮見若真
序章
音楽室 / 砂漠
音楽室の窓からは、遠く、海が見えた。
日の光が波をきらめかせる。
飛行機が、薄く雲を引いて飛んでいく。
眼下には街が散らばっていた。大きなビルや小さな家々が、雨に洗われて輪郭をくっきりと浮かび上がらせ、どこか作り物めいて見える。それは、子供のころ近所の遊園地にあったミニチュアの町並みを思わせた。ボタンを押すと、電気仕掛けの小さな電車が、決められたコースを一周ぐるりと回るのだ。
「他国での戦局の悪化は聞いているね」
背後に立った男が、世間話でもするような調子で言った。
「これからは、芸術活動には厳しい時代になる」
相手の答えを待たずに、男は続ける。
「きみたちの若い才能を眠らせるのは、惜しいことだ。どうやって次の世代へ届けたらいいものか、私たちは常に頭を悩ませているんだよ」
そこで、そっとため息をついて。
「きみたちの才能は、きっとこの後の世界へ送り届ける。何も心配しなくていい」
ドアに手をかけて、部屋を去り際に。
「これから何があっても、これはきみたちを思ってのことなんだ。それだけは、忘れないでくれ」
ドアを開けて、男が出て行く。
これから何があるというのか。それは告げずに。靴音をかたく廊下に響かせて。
満月に近い大きな月が、天頂にさしかかろうとしていた。
紺色の天井に貼り付けられた人工の灯りのように、月は空を白くにじませ、大地全体を平等に照らし、砂の丘の緩やかな起伏を浮かび上がらせる。
果てしなく続く、砂の大地――。
その中をマリアは、追い風に背中を押され、なかば惰性のように足を動かして、歩いていた。踏みしめる砂の感触は軽く頼りなく、そのせいなのか一歩一歩がおぼつかない。本当に進んでいるのだろうか。同じ場所で足踏みを続けているだけではないのだろうか。
どうしてここにいるのだろう。
ここはいったい、どこなのだろう。
朝、いつものように家を出た。
「忘れ物はないの?」そう聞いた母の声をはっきり覚えている。
一年と三ヶ月、通い慣れた道。学校の正門。両脇の桜の木は青々とした葉をつけ、気の早いセミが夏の訪れを主張する。
仲のよい友人と、連れ立って放課後に寄った駅前のコーヒーショップ。
日が暮れるまで話して、笑って、「また明日」と別れを告げて――。
そこで、頭の中までが砂に侵されたかのように思考が霧散する。
気づいたら、ここに。
四方を砂の丘に囲まれて。月だけが、マリアの知る世界と同じように大きく輝いている。
現実なのか、夢なのか。
数歩進むごとに、繰り返し浮かんでくる疑問。
トウキョウにこんな場所はない。ニッポンですらないかもしれない。
こんな場所は写真や映像を通してしか見たことがない。絵の中に入り込んでしまったような違和感。こんなものが現実であるはずがない。
しかし、砂が冷たい風に舞って、顔や、薄い半袖のシャツから出た腕を叩き、その小さな痛みに現実を知らされる。
夢ではない。
この見渡す限りの砂の大地の中では、むしろ現実のはずの自分の記憶のほうが、夢のように漠然としたものに感じられた。
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