第4話『おひっこ姉妹』

 コスプレ姉妹宣言が飛び出した初顔合わせから数週間が経ち、入籍こそまだではあるが心音とねこ子は周平の家で同居することとなった。

 とはいっても、ねこ子と日月はまだ三度くらいしか会ったことはなく、姉妹というにはまず互いの呼び名からさん付けを外すのが先じゃないかというレベルだ。

「ねえ、お母さん。荷物どこに運べばいい?」

「手前の和室がねこ子の部屋になるみたいですから、そこに」

「分かったー」

 引っ越しのために詰めたダンボールを持って忙しく動く猫宮家のふたり。


「ねこ子さん、わたしもなにか手伝えませんか!」

「日月さん。ええと、大丈夫です。お気になさらず」 

「そうですか……」

 飼い主に遊びを断られた犬のように、シュンとして去っていく日月の背中。


「んー、あとはダンボール3つくらいかあ」

 大きな家具などは予め業者に頼んで搬入しており、ねこ子が持ち込んできたものは服や書籍に電子機器やおもちゃなんかの私物ばかりである。それも引っ越しを機にかなり処分したため大した量にはならなかった。


「よし!」

 早く片付けたほうが気忙しくないだろうし、もうすこしで終わりそうだから頑張ろうという風に気合いを入れ直したねこ子だったが――


「ねこ子、あとはわたしがやっておきます」


「え? まだわたし全然疲れてにゃいよ?」


「んー、オリエンテーションの時間……ってやつですかね」


 そう言うと、日月が戻っていった彼女の自室を指差す。

「わたしの荷物はもう終わってしまったので、ねこ子は今のうちに日月ちゃんと仲良くなっておきなさいな」


「ああ、うん……」


 心音はこういう人間関係の機微に割と鼻が利くが、ねこ子には余計なお世話だ。

 端的に不安だった。ねこ子と日月との間には共通の話題もなかったし、まして彼女には猫耳のことについて嘘までついていた。

 共同生活ともなれば嘘がバレる可能性も高いだろうし、嘘を重ねていくのも嫌で日月との接触は極力遠ざけていた。汗ばむ手はすこし強めに握られ、それを日月の部屋の扉へと二回当てるだけでいいのにできないでいる。

 それでも、

「姉妹ににゃるんだよね……」

 扉の前、呟いて数秒、覚悟の音は二度鳴った。


「はいー」

「あの、ねこ子です。なんかおしゃべりしたいにゃと思いまして」


「ほ、ほえっ! ねこ子さんですか! 粗部屋ですが、ど、どうぞ!」

 斬新なワードに反応しないまま、ねこ子は緊張の面持ちで日月の部屋に入る。


 まず目に飛び込んできたのは色だった。同世代の女子でこんなに黒くて暗い部屋に暮らす子は初めて見た。

 照明も間接照明ばかりで、家具の色調や形もあまり判別がつかなかった。ただカーテンとベッドのシーツが真っ黒なことだけは認識できて、これってどう考えてもカタギの女子部屋ではないぞと一瞬でねこ子にビビりが入る。

 覚悟を膨らませた風船は一突きで急速にしぼんでいった。


「ど、どうもです。ねこ子です」


「こ、こちらこそどうもです」

 ふたりはぎこちなく頭を下げた。


 微妙な沈黙を挟んだのち、日月がうながしてふたりで彼女のベッドのへりに着席する。


「あの、ねこ子さん驚きましたよね。わたしの部屋って、普通じゃないでしょう?」


「えっと……あの、シックな感じで、良いと、思います」


「いえ、別に好きなように仰ってもらって大丈夫なんです。ねこ子さんが落ち着かないなら、リビングに移動しても構いませんし」

「……大丈夫です。明るすぎない部屋のほうが落ち着きますし」

 今度の言葉に嘘はない。


「そうですかあ、良かったああああ~~!!」

 柔らかい照明に映る日月の横顔はぱあっと華やぐように安堵の色に染まった。顔のつくりが派手だからだろうか、感情を素直に表す彼女の性格からだろうか、ためらいなく破顔するその表情にはまるでひとつも嘘がなかった。


「……でも、ひとつだけ、文句を言ってもいいですか?」

 だからねこ子も心を決める。


「え……」


「あの、ね、姉さんは、敬語をやめましょう」

 こちらはすこしためらいがちではあったが、

「あ、あ……」

「わたしたちは姉妹なんですから……」

「ああん、やだもう、ねこ子さんかわいい~~~!!!」

 言葉の勢いと同じスピード感で、ねこ子は日月に抱きつかれた。

「!!?」

 暗い部屋だったこともあり、ねこ子には一瞬なにが起こったのか判別もつかなかった。


「最初、引っ込み気味の子なのかな、扱いにくい子なのかな、距離感あるなあどうしたらいいんだろなあって思ってたけど、控えめな感じでもきちんと考えてわたしに物を言ってくれる子なんだなあ、って思った瞬間、この子かわいい、この子わたしの妹だ! ってなったよ~」


 聞いててリアクションの取りづらい告白だった。


 抱きつかれて表情は見えないけれど、きっとその表情はすごく嬉しそうなんだろう。それを想像するだけで、言ってよかったなとねこ子は思う。


「過大評価です……」

 でも意図が伝わってくれて良かった……そう言葉を続けようとした瞬間、


「でもね、ごめんね。わたしこれ以上嘘をつくの我慢できないや」

 首筋に、痛み。


「あ、つぅ……」


 注射針の入るときよりも少しだけ強い痛みが首筋に走り、それからややあってわずかに滴る血液の感触。


(噛まれた!!?)


 不思議と思うことを通り越して、痛みと事実とその驚きだけがねこ子の脳に届いてくる。


「ぁにゃ……っ!」

 次はこそばゆいような感覚。どうやら日月に首筋を舐められているらしいとそこで気づく。しっぽがバタバタ動いて止まらない、スカートのなかをぴしっと張ったような形で動くその感覚が気持ち悪い。


 さすがにこれ以上抱きつかれたままでいるのは怖くなる。突き飛ばすかどうか逡巡しているうち、首筋の刺すような痛みは解けて身体を包んでいた日月の両腕も外された。


「日月さん……?」


「……ねこ子ちゃんは、姉妹って言ってくれたよね」

「え? はい」

 質問の意図を飲み込めないままうなずく。


「でもね、本当は姉妹どころの話じゃなくて、親と子とか孫なんかでも足りない……」

「えっと、どういうこと、です?」

 日月はひとつ深呼吸、ゆっくり間をとってねこ子の目を見て、


「あのね、わたしとねこ子ちゃんの年齢は、ほんとうは百歳以上離れているの」


「へえ……は?」


「わたしはね、コスプレでも趣味でこの部屋を暗くしているのじゃなくて、ほんとうは……」


 以前ならコスプレ趣味より痛いと感じるかも知れない次の言葉を、

「わたし、吸血鬼なの」

 猫耳が生えた今となっては笑えなかった。


「……ねえ、ねこ子ちゃん。それでも、わたしと姉妹でいてくれる?」

 その質問に答えたかどうかはねこ子自身定かではないが、首肯したような記憶だけはなんとなく残っている。それからのちは彼女の部屋を出て、自室の片付けを行い、何事もなかったように家族で夕食を囲み、風呂から上がって明日の用意を整えるとベッドで就寝、そうして朝になり、起きて早々ツッコミを鳴いた。


「わたし、自分が猫だって明かせず終いやないかい!」

 お姉妹だけに、とねこ子は思った。

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