第3話『コスプレイヤーとコスモプレイヤー』

 午前十一時三十分、恋人である周平の車を待つため、心音たちはマンションの外に出てきた。


「うにゃぁ……」

 パーカーはかぶらず猫耳があらわになった状態で、ねこ子は動揺に煩悶に恥ずかしさやらを混ぜ合わせた気持ちのまま、顔を覆って左右に揺れている。


「コスプレ好きの体で通せばいいのよ」という母の提案に押し切られてしまった。


 いやいや絶対無理だろ猫耳っつっても地肌から生えてんぞこれ。

 そもそもちょくちょく不随意に動いちゃうことだってあるし、そんなコスプレ用猫耳あったらハイスペック過ぎてちょっと怖いくらいだわなどと考えてみても、ねこ子の提案できる代案は「今日だけ取りあえず病欠する」というくらいしかなく、それとてその場しのぎくらいにしかならない。

 それならいっそ……として勇気一発家から飛び出てきたはいいが、一分も経たないうちに恥ずかしさが全身を支配しはじめた。


 顔が紅潮するのを自分自身感じる、もしかしたら猫耳のほうまで赤くなっているのだろうか、そうだとしたら隠せないぞ。

 そもそもさっきから不安なせいかしっぽがスカートのなか小刻みに揺れている。

 しっぽのために下着をカットする瞬間の敗北感たるや、人間をやめるような感覚だった。

 加工の甲斐もあって、スカートに変な凹凸が出ないことだけは救いだけれど、その程度の対価で人間やめてもいいものかとねこ子は思ってしまう。


「はいはい、考えても仕方ないですよ。ほらねこ子、周平さんの車が来ました」

 弾かれるようにしてねこ子は背筋を伸ばす。

 一瞬しっぽにも力が入りかけたもののなんとか動かさずに耐えた。

 周平の車はボデイカラーが黒ということで見た目にほんのり威圧感はあるものの、大ぶりな5ドアのハッチバックでいかにもファミリーカー然とした車種だった。


 ふたりの前で車が停まり、助手席側からひとりの少女が降りてきた。


「あ、あの! どうも、はじめまして。わたし、九日月ここのひつきって言います!」


 歳のほどはねこ子と同じくらい、短めに整えられた髪型や快活さを感じる表情はむしろ歳下かなと思わせる印象だ。

 緊張しているのだろうか言葉遣いには硬さがあるものの、性格自体は内向的には見受けられない。


 だが、彼女の見た目には大きな問題があった。


 髪型と顔自体は問題ないのだけれど、首から下、具体的に言うとまず目に飛び込む赤い首輪のようなチョーカー、それからやや鎖骨あたりを開き気味にしたその服装は、フリルが多めにあしらわれているものの、基本的には赤と黒を基調としながらゴシック寄りな雰囲気で、脱ぎ着の面倒くさそうな様々なパーツで形成されており、まあなんというか吸血鬼の姫様のコスプレとでもいうような印象だった。

(どう考えても気ぃ遣わせちゃってるこれーーーー!!)

 心音の発言により猫宮一族をコスプレ好きと勘違いさせた挙句、相手方には「我々はコスプレに理解を示しています」という意思表示なのか、完全にねこ子よりもがっつり目立ちそうなコスプレをさせてしまっていた。


 ねこ子は恨みがましくとなりの心音をジト目で見る。


「こんにちは日月ちゃん、この子はわたしの娘でねこ子と申します」

「……初めまして、猫宮ねこ子です」

「はっ、初めまして! こちらこそよろしくです!」


「えっと、なんていうか……九さんの服装、とても似合っていると思います」

 嘘はないんだけれど、失礼な気もする。

 西洋の人形が着ていそうなゴテゴテとした衣装は、本来なら白人の女の子なんかがお似合いなんだろうけれど、色白でスラっとした手足の彼女にも実によく馴染んでいる。

 全体的な黒の印象とところどころに差した紅の色合い、そのどちらも色白な肌との対比が際立っていて、すごく鮮烈に映る。

 いや、いい意味で。


「ねこ子さんもよく似合ってますよ。猫耳」

「……あ、ありがとうございます」

「なんていうか、本物の猫耳っぽい実在感と、あの、あるべき場所にある安心感みたいなのがあります!」


「……はは、そう言ってもらえると嬉しいです」

 そりゃまあガチの猫耳ですからね。

 ねこ子は全力で表情を作ろうとしたが苦笑止まり、一方の日月のほうも継ぐ言葉を探しかねている様子だ。どちらも視線を今ひとつ合わせないまま数秒が過ぎた。


 そのタイミングで――

「やあ、遅くなりました」

 運転席から降りて周平がこちらにやって来た。

「あ、こんにちは、周平さん」

 ねこ子も周平とは二度ほど顔を合わせたことはあるので、日月よりは若干気易い。


「日月がなんか粗相したりしなかった? 見た目はこんなだけれど結構雑な子でね」

「いやいや、別にそんにゃ。……素直そうなひとでとても安心しました」

「あーもう、お父さんひどい〜」

 頼りがいのありそうな笑顔をする周平と、そちらを見てぷっくりむくれる日月。

 そのふたりに挟まれるような位置で困惑気味の苦笑を見せるのはねこ子。

 それを楽しそうに見る心音のことをマジでちょっと頭おかしいんじゃないかとねこ子は思う。


「じゃあ周平さん、自己紹介も済んだようだしそろそろ行きましょうか」

 心音は周平に促す。

「そうだね。じゃあ……」


 四人が車に乗り込んだ。

 ハンドルを握るのは周平、助手席には心音、それから若いふたりでごゆっくりと言わんばかりの配置で、後部座席には日月とねこ子が並ぶ。


 マジか、まだ全然会話を盛り上げられる気がしないし、痛い子だと思われてそうでどういう振る舞いしたら良いのかもよく分からない。作戦的に痛い子に見せる必要があるわけだし……とかなんとか考えながら、ねこ子は前方の座席の心音にLINEで「どうしよう、なに話したらいいか分かんないよ〜〜」と送り助け舟を待った。

「っ!」


 LINEに気づいた心音はねこ子のほうを向きウインクひとつ、右手親指を力強く立てた。

『グッドラック!』じゃねえよ、この母……。

 母のことはもう諦めて、ねこ子はゆっくり日月のほうに顔を向ける。

「あ、あの……驚かれましたよね。っていうかぶっちゃけ引きましたよね。コスプレ……」


 その言葉はねこ子ではなく日月のほうから発された。


「ほぇ?」

 言いたいことを先に言われ、しかも相手の発言の意図を測りかねたねこ子は目を点にして驚くしかなかった。呆けている間にも彼女の独白は続く。


「心音さんの娘さんに気を遣わせあまつさえコスプレまでさせてしまって、申し訳ないです」


「あ、あの別にそんな……」


 日月の表情からは車に乗り込むまでの快活そうな雰囲気は影を潜め、どこか痛切さのようなものさえ感じられる。なだめようと思うねこ子ではあったものの、かけるべき言葉が見つからない。

 やがて、吹っ切れたような笑顔で日月は言った。

「ねこ子さん、痛い女と思ってくれて構いません。理解されなくても良いんです。ただ、わたしコスプレ趣味なんですけど、きっとねこ子さんにご迷惑おかけしませんので!」


「あ、あの……」


「だから、ねこ子さんも外して大丈夫ですよ。猫耳」

(いやどういうこと? 外す? 猫耳を? 外せないって、だって生えてるし!)


 話の流れが一方的になり過ぎて、事ここに至るまでねこ子は退路がなくなっていることに気付かなかった。

 覚悟を決める。


「アノ、大丈夫デス。ワタシもコスプレ好きデス」

 宇宙弁気味のイントネーションでねこ子は覚悟を言葉にした。


「ダカラ、ナカマ」押韻は完璧だった。

 声が震える、目が泳ぐ、心臓が跳ねる、猫の耳は外れない。


「……あの、えっと……」

 日月は言葉を慎重に選んでから笑顔で言った。


「よろしくお願いします!! 今後もいっしょにコスプレ姉妹になりましょうね!」

「こらこらー、日月は気が早いぞー」

 周平から笑うような声が飛ぶ。


 明るい雰囲気なった車内で、ねこ子は覚悟とともに吐いた嘘を早くも後悔していた。

 痛いコスプレ少女扱いされて頭のネジがゆるくなって、やがては母親みたいな頭のおかしい人間になる。これこそが恐ろしい猫宮一族の呪いなのではないかと、ねこ子は絶望的な気持ちで推測していた。

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