─序─

廻り始めた歯車

第1話.眼帯の王女

 ......。

 冬の終わりを告げる風が、車窓を通り過ぎてゆく。

 今日は御姉様おねえさまから引き受けた雑事を片付けるべく、不本意な談話が為に重苦しい心持ちでの帰路になる。本来ならば強欲な男の言う事には聞く耳も持たずに居られたのだろうが、そうは言っていられなくなってしまったのだ。…身分ばかりは高くても、両親を早く亡くしていれば足元を見られる。致し方ないことではあるが、やはり、あの男に構うのは快くない。


「…ヘンリエッタ様。城下の門が見えて参りましたぞ。」


(やっと、…ロンドンに。)


 数ヶ月振りとは言え、やはり慣れ親しんだ場所である。城下の門へと近付いていけば少しは落ち着くものだ。見上げるとそこには、我が国の中枢たる城が聳え立っていた。かつての隷属より解放される以前からの、白亜に輝く堅牢なその城は、今ではこの英国の確かな象徴である。一本木を思わせる外観から、「国王の大樹ロイヤル・ツリー」などと愛称されるこの王城を見なければ、わたしにとっては帰ってきた心地にはなれないものだ。

 まだ夜までには時間がある。流石に今日は、退屈からの解放を喜びたい。少し城下を散策してから帰るとしよう。そう思い、付き添いの者に一言断ると、わたしはその場で下車した。

 城を囲むよう段々に連なる家々は、やわらな微光を窓に映し始めていた。



 時代を感じさせる石造りの街並みは、優雅に夕暮れ時を刻んでいく。角のパン屋から流れる微かな匂いは空腹を誘うよう。城下の中でも歴史あるその店の主は、来客を穏やかな笑みで迎えていた。店前みせさきには、以前と変わらぬ憩いの場。少し休もうと、芸術思わせる噴水を背に向けベンチに座り込む。少し前ならば凍てついていたであろう自然に成せる彫刻は、もうこの時期にはせせらぐ音を立て、壊れゆく。目前に広がる花壇の蕾は、半ば雪に埋もれながらも新しい季節の到来を待っている。人々も安らかにゆったりとした時間を楽しんでいた。


 だが、突如として不釣り合いな怒号が辺りを貫いた。見ると、憩いの場の一角――例の店前みせさきに人だかりができている。この場所で、こんなことがあるのは珍しい。人々の中心から、またも罵声が続く。何があったのか気になり、少し様子を見に行くことにした。


 罵声を放つ中年の男性は、 わたしが見た先程の温厚とは打って変わった態度で一辺に臨む。そのパン屋、ベイカー・ベイカリーの店主は、店の常連であろう男たちの筆頭となり、囲まれた少年を責め立て続けた。


 …ひそり。

「…やぁねぇ、お店のものを盗むだなんて。」

 わたしにでも言ったつもりであろうか。老婆がかがみながらに非難する。


「城下も最近は、…物騒なようですね?」


 近頃の城下については素知らぬ振りで、世間話を続けることにした。

 老婆はわたしの声に反応すると、曲がった背から出る首を無理に上げながら、此方を覗き会話を続ける。


「…それ、眼帯かしら? あまり見掛けない子ねぇ。女の子が一人で居るものじゃないわよ。最近、…酷い事件が起きているんだから。」


 “酷い事件”。この数日の内に連続している、凄惨な殺人事件のことだろう。ただでさえ、この狭く小さな城下町で、犯人は未だ捕まらない。

 老婆は忠告を続ける。


「まだ貴女みたいな子どもは狙われていないようだけど、用心なさいね。…細くてお人形さんみたいな子は、攫われるよ。」


 …今まさに、目の前で話すわたしと同年代の少年が、大人たちから暴力に晒されているのを尻目に、平然と心配の素振りを見せる。外来の者を拒もうとする、城下の人々の心境を代表するかのようだった。

 ―お前も一体何者だ、と。微笑の裏から睨まれる。


「……あの、彼は?」


 数年前までは、わたしも姉君の影に隠れ隠れ来た城下であったが、最早、此処の者たちはわたしを認識などしないだろう。わたし自身、部屋に籠もるようになって、見た目も雰囲気も変わったものだ。ここは思い切って、“外の者”を装ってしまおう。


「何をすればあそこまで…。他所ほかでは信じられません。」


「あたしゃパンを買いに来たんだけどねぇ、ちょっと道に迷ってた子を連れて来てやったら、あたしが財布を落とした隙にお店の物をくすねたんだよ。…全く、たちが悪いねぇ。」


 小言を聞きながらも、その騒ぎを見ていると、パン屋の店主が声を荒げ続けていた。


「─おい、返事もしねぇか。自分が何したかぐらい分かってんだろ。なぁ。」


「......。」


 少年は答えずにっと睨み返していたが、その顔には大きな拳が振り落とされるだけだった。


 ……。

 パンを一つ万引きしたくらいで此処までするのだろうか。わたしと一般との感覚がずれているとも思えない。少年が着ているシャツやズボンは薄汚れていて、口元からは血が滲んでいるようである。顔には一ヵ所、痣まであった。


「…関わっているのなら、此処で眺めていては、 」

 そう、老婆を振り向いた時には、既に見当たらない。周りを一通り探してみたものの、見失ってしまった。


 諦めて少年の方を見やり、気になりつつも場を去る頃合いを図ってみる。そろそろ戻らなければならないだろうが、放っていくのも気が引ける…

 そして、目が合ってしまった。


 透き通った美しい金の前髪から覗く、蒼い瞳は澄んでいた。 何処どこまでも蒼くひろがる深い空のように。

 この国では、この日のようにすっきりとした青空を見ることはあまり無い。彼の瞳のそれは、まるで、この日の晴天を映し込んだ宇宙そらの色だ。宇宙そらは真っ直ぐと、その先の大地を見下ろす。心は雲に覆われて、陽光を知らない陰鬱な汚泥を。

 否、きっと彼らが泥沼の如く汚れきっているのではない。彼らは極自然な“人間”だ。彼らはただ、ありのままに怒りや疑心を現しているだけに過ぎない。しかし、これはー


(…これは一体、何?)


 見物人たちが耳打ちし合う。面白可笑しく、又、ある者は恐々と、好き勝手を口々にする。


 子どもたちも。


「こわ〜い。睨んでくる〜。」


「出てけ! 犯罪者!」


「逃げよ、逃げよ。殺される。」



 大人たちも。


「嫌ね、あの子、“あのお爺さん”のところに居た…」


「昔、城下そこの大学から追い出されたんだろ…」


なんの研究してたか分からないわよ。“追放”ですもの…」


「恐いわぁ。なんでまだ城下の近くに居座ってるのかしらね…」


「いつも何してるのか分からないし…、犯人なんじゃない?」


「どうせ、こいつも絡んでるんじゃ…。」


「ガキの皮被った悪魔だな。」


「恐ろしい。本当にさっさと消えてくれれば良いのに。」


 ……。

 城下の者たちというのは、何処か閉鎖的なところがあった。顔見知りの者であれば自然と接するが、まるで互いを監視し合ってもいるような、親しくあり他人でもある関係。それは、相手が“余所者”であるとなればより顕著に、極端に警戒の目を向ける。例え、その相手が子どもであっても。


 居住権が得られるのにも厳しい条件と審査を通過した者たちだ。居住するが故の特別税も高く、又、王族を崇拝する者にとってはこの上ない理想価値ステータスともなり得る。一種の城下の者としての“誇り”を踏みにじるようなことが少しでもあれば、黙ってはおけないのがこの城下の民なのだ。


 そんな城下町で起きている連続殺人事件。どの遺体も首の骨が折られ胴体はめった刺し。極めつけは、必ず一部が欠損していること。城下町内外を震撼させるこの事件の未解決という体たらくに、城下の者たちの不満は募るばかりである。そして、その現状に鬱屈した不満をぶつける相手としては、“余所者”で罪を犯した少年が格好の餌食になってしまった。


(…酷い巻き添えだわ。)


 城下の閉鎖的空気は一層増し、部外者や異端者への排除意識が高まりつつある緊迫した街。夕刻の闇に包まれ、正体を見せる。美しい景観にそぐわぬ人々の疑心。

 最早、城下全体が異様な空気だ。…やがては御姉様おねえさままでもが責任追及の受け皿とされてしまいかねない。


 ......家を出た時刻にはどこまでも深かった青空が、今ではすっかり白めいて、立ち並ぶ建物の合間に差し込む空は、うっすらと紫掛かっていた。

 憩いの場の周囲に佇む木々が、風に吹かれてざわざわと音を立てる。まるで不平をこぼしているようだが、向かっていく者の存在に、ぴたりと止んだ。


「…なんの騒ぎだ?」


「おぉ、これはエディス様。見てください、この子ども――」


 …何か出来る筈もない。

 少年の訴えを背に、後ろ髪を引かれる思いではあったものの、その場を立ち去ることにした。木々のざわめきさえも、聞こえない振りをして。



 …

 ……。

 それから帰宅後、御姉様おねえさまから頼まれた雑事の報告へと向かった。


 白亜の石材により築かれた廊下は、長い藍色の絨毯じゅうたんが果てまで続く。両壁の天井近くには単調な照明ライトが等間隔に備え付けられ、ほのかにあかりが点る。左側の壁には、この目線からでも十二分に外の景色を一望出来る、縦に細くくり貫いた形の窓が並ぶ。それぞれの窓は多彩な色合いを描き、廊下の“主役”を華々しく主張していた。


 窓から少し強めの風が吹いてくる。先日まで土砂降りだった荒天が、まるで嘘のように美しい夕空を魅せる。毎日歩くこの廊下でも、曇天覆われる日々では中々見られない。

 見飽きた廊下などには 一瞥もくれてやらず空を覗く。絶妙な階調グラデーションで彩られるキャンバスは、太陽の穏やかな光が消失点を包み、浮かぶ雲には赤や紫、青が浮き出るように点在する。遥か上空には、瑠璃のとばりが降ろされて、街並みは眼下に殆ど見ることもなく、全くの空の世界。


 その美しさを堪能しつつ廊下を進んでいると、前方の窓の隅でうごめく生き物が視界に入った。

 ネコ科のよく見知った生物は、どうやら爪を研いでいるようだ。...よりによって、つるつるとした窓で。ただただ、ひたすらに。


「キャシー。」


 そう名前を呼ぶと反応し、足下に歩み寄って来てくれた。

 わたしに呼ばれて少し驚いていたようだが、どれだけ無心で研いでいたのだろうか...。ごろごろと甘えてきてくれるのが、また可愛らしい子だ。


 しかし、彼女はこの城の子ではない。


「あなたが居るということは、 御夫人ごふじんもいらっしゃるのね。連れて来て頂けたの? それとも、付いてきたのかしら。」


 そっと抱き寄せ、腕の中で撫でてやると気持ち良さそうにしている。こうされるのが、キャシーは大好きなのだ。

 キャシーと二人、外に目をやる。


 ......。本当に、この夕景は格別美しいものだ。


 キャシーを見下みおろすと、キャシーも私を見上げている。空の光を背景に、黒く塗られたきらめく瞳は、わたしの顔を写し出した。


 ─あの少年は、こんなに美しい空を見上げるもなく、今頃は収容所にでも連れられているだろうか。


 ふと、城下で見た光景を思い返す。

 何故なぜか、キャシーと彼の目が重なった。

 少年の前髪を掴み上げ、罵声を放つパン屋の主人。身動きの取れない少年の脇腹を蹴り上げる若い男性。身なりのみすぼらしさを罵る、 わたしと同年代の少女たち。幼い少年たちは、笑い声を上げ野次を飛ばす。

 …立ち去っていったあの老婆。


 彼の瞳だけが歪んではいないようだった。


 キャシーの肉球を揉みながらに耽っていると、声を掛ける者が居た。


「どうした、妹よ。あまり眉に皺を寄せるものでないぞ。」


 向かうべき先には、二番目の姉君が額に指を当て笑みを見せている。


「エディス様…。」


 かかえていたキャシーがゆるりと飛び降り、姉君の元へと甘えていく。伸ばされた手がキャシーの頭を包み込み、美しい金の長髪が絵筆のように床を滑り離れると、キャシーはその胸元で大切に喉を掻かれた。


「おぉ、キャシー。い子だ。」


「先程の城下での一幕、遠目から拝見致しました。」


 見え透いた嘘だ。途中で離れた。

 憩いの場を離れる時、エディス姉様が止めに入って行ったのに気が付いた。姉様は幼少から城下に馴染み深い。パン屋の店主とも顔見知りだったと覚えている。あの場を収めるさいたる適任は、姉様だっただろう。


「…あの者たちも、流石にわたしの言葉には耳を貸してくれるよ。悪い人たちでもないんだ。」


わたしにも、められたでしょうか。」


「……ヘンリエッタ、気負う必要はないぞ。わたしだって、支持してくれる者があってこそだ。」


 思わず俯くわたしの肩を、姉様の手が優しく叩く。


 わたしはまだ『御披露目の儀アンベーリーグ・セレモニー』を受ける年齢に至っていない。国民は、わたしの“存在”までは知っていても、姿や年齢、性別などの詳細を知らされず、わたしは外出先では、一般貴族の娘として振る舞い、その正体は決して世間一般に露呈されぬようにするべきなのである。そして、この三姉妹の中で、お披露目されていないのはわたしだけ。

 あの時にわたしが割って入っていったところで、“余所者”として振る舞ったことも含めて、状況は悪化させたのみだったろう。


 ふと、暫く蓋を閉じていた、幼い頃の城下での一幕を回想する。エディス姉様のような人望など、わたしにはあの頃からなかった。


「…わたしはそろそろ行くぞ。」


 そう言うと姉様は、今度はわたしの頭を撫でた。

 返答と共に両手を伸ばすと、姉様から飛び降りていたキャシーが舞い戻る。姉様の手の温もりは、わたしの頭からキャシーの喉元へと移っていった。


「キャシーも。御夫人ごふじんが心配するだろう。」


 立ち去る姉君へ一礼した後、わたしはまた進むべき方へ振り返り、歩き始める。御姉様おねえさま御夫人ごふじんも、玉座の間にいらっしゃるだろうか。


 ―旧王家の時代から存在する謎多き建築芸術…、もとい、この王城は、城下の中心に聳えて、永い時を英国と共に過ごしてきた。

 玉座の間には、四方しほうに幾つもの扉があった。部屋の奥に据えられる玉座の正面には来客用の豪華な大扉。そして、玉座の両側には、城内の者が利用する為の木製の簡素な扉が一つずつ、弾幕に隠れるようにあった。わたしが歩き出した先にあるのは、この簡素な扉なのだが、目的はその隣の小部屋になりそうである。

 玉座の間へ通じる扉の横、もう一つある扉が少し開いていたのだ。それは女王陛下が、この廊下と同じく本当に信頼ある者しか入室を許可しない隠し部屋。中からは話し声が聞こえて来た。


「...例の殺人事件か。」


 御姉様おねえさまの声である。城下でも噂されていた連続殺人のことだろう。

 そして、やはり話し相手はキャシーの主人である御夫人ごふじんのようで、次に聞こえる声の主も彼女であった。


「最近の城下はどうなっているのでしょうね…。随分と急に物騒な話題で持ちきりだこと。」


「城下で殺人なんて、なかなかない」


 御姉様おねえさま御夫人ごふじんとは別の、初老らしき男性の声が聞こえる。「...と、申されております。」と、更に言葉を付け足した。

 “あの子”だ。


 彼女は普段、言葉を発することが出来ない、…というのは語弊が生じるだろう。

 彼女と会話が出来る者は限られている。母である御夫人ごふじんは問題ないが、わたしたち姉妹との直接会話は困難だと言う。通訳を必要とする故に、日常の殆どの時間を付き添いの者と共に過ごしている。付き添いの男の声が続いた。


「何百年振りだろう」 と、仰っております。」


 …彼女たち母娘は、わたしたちとは異種族である。容姿の差もあるが、寿命もわたしたちより長く、老いがあまり進まない。わたしたちとの会話がままならないのにも、異種族故である。


「ホホホ、確かに滅多にはないけれど、百年単位でもないわよ。この子ったら世間知らずね。」


 愛娘の言葉に御夫人ごふじんが苦笑する。


「まぁ、今日は暗い話なんておしになって。城下の事件ですし、貴女もうんざりでしょう。ねぇ、アンリエット女王?」


「ふ、わたしから軽い雑談でもと誘ったのに、重くなってしまった。…申し訳ない。」


「ふふふ、そう。今はリラックスなさい、アンリエット。気を張り続けてはいけないわ。」


 一人の親族として、わたしたち姉妹を案じてくださる御夫人ごふじんの口調だ。この優しく温かな声に、アンリエット姉様も、エディス姉様も、わたしも、幾度となく救われてきた。

 御姉様おねえさまの声が続く。


「まだまだです。…御母様おかあさまには及ばない。より精進していかなければ。」


「いいえ、貴女はよくやっているわ。たまには緩めなければ、お母オリビア様もご心配になさるでしょう?」


「ヘンリエッタだって、心配する。エディスだって。」 と、仰っております。」


(…ローズマリー。)


 御夫人ごふじんの娘であるローズマリーとは、特にわたしと懇意にしている仲だ。彼女はよく分かってくれている。

 しかし、この空気の中、あの話を持って入りづらい。御姉様おねえさまにとっては、この多忙な日々の中の大切な息抜き…。


「...そういえば、ヘンリエッタ様は? この子も久しくお会いしてなくて…。」


「あぁ、それが…。先日、頼まれてくれた用事を片付けていてな、まだ戻っていないだろう。」


「…なら、また来る。」 ――と。」


 ローズマリーの付き人が残念そうに代弁すると、よく聞き取れない声が間を挟み、御夫人ごふじんの驚嘆が漏れた。


「あら、まさか…。」


「キャシーならば先程扉の向こうへ抜けていったぞ。」


「……えぇ、お願いするわ。」


 聞き取りにくい声のぬし御夫人ごふじんが返答すると、室内からこの扉へと向かう、ヒールの足音が聞こえてきた。

 このままでは、盗み聞きしていたかのようだ。そのようなはしたない事をしているなどとは思われたくない。仮にもわたしは王位継承第2位の王女。御姉様おねえさまにも御夫人ごふじんにも不遜であり、最も知られたくはない相手…。


 御夫人ごふじんの声に紛れて、足音はどんどん近づいて来る。扉の向こうからは、話題が変わりつつも御姉様おねえさまの声が聞こえ続けていた。


「そういえば、最近はまたゴシックが流行っているとか。」


「えぇ、そうね。流行に乗ってわたくしたちのデザイナーが当ててくれているの。これが、お陰で結構潤っているのよ。…けれど、」


 思わず後退りするも、間に合わないかもしれない。この部屋の前となると、隠れられる場所は...。

 束の間に御夫人ごふじんの沈黙が私を襲う。


「この流行はなんだか異常ね。”退廃主義”だなんて言われて…、王族としては看過出来ないわ。」


「…。”ただの嗜好”では止まれないところまで来ている?」


「…かもしれない。…姉妹揃って疎いんですもの。心配だわ。」


 ──お二方の会話が続く中、ドアは開け放たれてしまった。


「流行はその治世の表れでもあるんだから、芸術にも目を向けておくのよ。」


 ...部屋から出て来たのは、城の者たちの中でも特によく知る人物だった。侍女長エイミーだ。

 それにしても間一髪である。 わたしは近くにある、ドアの両側に据え置かれていた壺の片方へと身を隠していた。

 彼女は わたしに気が付いた様子もなく、 わたしが来た方へと去って行く。もし、壺がわたしの身長よりも小さなものであったなら、今頃見つかって居たかもしれない。―いや、壺の小ささなど余計だ。


「貴女は真面目過ぎるのよ。気晴らしだと思って、ね? 女王はお洒落でも注目の的なのよ? お母オリビア様だってご自身で拘ったご衣装ドレスを―」


 流石は一流服飾ブランドを経営するオズボーン家が現・当主夫人とだけあって、御夫人ごふじんの語りは益々熱くなっていく。その娘ローズマリーの呆れ顔も想像に難くないところで、ここはやはり出直すべきと判断した。



 御婦人ごふじんが帰られたあとわたしは直ぐに玉座の間の裏、女王陛下おねえさまの隠し部屋へと向かった。


 女王は一人、装飾が施された長椅子に体を沈め、くつろいだご様子で葡萄酒ワインをあおっていらっしゃる。結わえられた金髪ブロンドの毛先が床まで垂れ下がり、その身の微かな動きに呼応しては揺れていた。

 もう既に、かなりの量を飲まれているだろうが、それでも、女王陛下の飲むスピードは変わらない。酒精アルコールにお強い陛下は、そう簡単には酔われない。


 頼まれていた雑事の報告が終わると御姉様おねえさまはつまらなそうな顔だ。


「ヘンリエッタに任せて良かった、ありがとう。…ただ、あの男。長々と待たせてはどう出るか…。」


「返答はどうなさいますか。」


「…返事はわたしが書こう。奴にエディスの縁談を蔑ろにしていると思われたくはない。」


「畏まりました。」


 ふと、次の一杯がそそがれるグラスに目をやると、女王らしからぬ呟きを溢す。


「ふん...。瓶ごと一気飲みしたいところだな。」


「なりません。」


 これは流石に聞き捨てならなかった。御姉様おねえさまはすかさずわたしから目を反らされる。ぎ終えた侍女長エイミーは澄まし顔で横に控えていた。


御夫人ごふじんがいらっしゃっていた時、この部屋に向かっていたそうじゃないか。エディスから聞いたぞ。」


「ご歓談を楽しまれていらしたようですので…。」


 思わず、目を伏せながらに答えてしまい、すかさず御姉様おねえさまを見た。しかし、当の御姉様おねえさまは、グラスの中身を振り回すご自身の手首を眺めている。


「お会いせずに暫くだったろう? お気になさっていた。ご令嬢もな。…気兼ねなく付き合える友人がローズマリー様だけというのも、わたしは心許ないが……。」


「……。」


「たまには城下に降りることを勧めたいところではあるけれども、…例の事件が収束していない内には…。」


「帰路の途中、少しばかり様子を拝見して参りました。」


「…ッ、行ったのか! 何を考えている! 危険だろう!」


「……わたしと年の近い子どもが、むごい扱いを受けているのを見掛けました。表面上はただの万引きですが、野次馬の中からは、彼があの連続殺人に関わっているのではないか、などという噂まで。」


「その話は女王わたしにも情報が入っている。このまま住民の懐疑が強まらないよう、早急な解決の為にも再度近衛兵等に協力を求めた。」


 軽い溜息を漏らしながらに、また一口、赤い液体がグラスから減っていく。しかし、わたしの言葉にグラスは口元から離れた。


「例の事件、…遺体には必ず、体のどこかに欠損が見られると伺っています。被害者によっては、…わたしの左目のように、眼球の無かった者も……」


「…ヘンリエッタ。」


 御姉様おねえさまが何を仰るか、想像にかたくない。それでも。


「先代も、この左目も、奪われたまま。また、今回も…。」


 ...六年前、御姉様おねえさま御披露目の儀アンベーリング・セレモニーが行われていた最中さなか御姉様おねえさまは目の前で、わたしたちの母たる先代女王崩御の瞬間を見ている。

 そして、わたしはあの時ーー


「ヘンリエッタ、この事件からは離れなさい。他に頼みたい事が― 」


 あの時のことを思うと、わたしは、この目に刃先を突き立てたあの顔から目が離せなくなる。もう6年も前に眼前から消えた、忌々しい宿敵の姿を、空気の中に捉え続けた。

 御父様おとうさま亡き後の国を治めながらに、わたしたちの母であり続けた御母様おかあさま

 先代女王をも亡き者とせしめたの者は、目的を果たしたそのあと、密かに愚鈍な子どもを人質に一室へ篭り、そして、狂気を帯びた表情かおわたしから左目と安らぎの記憶を抉り奪った。この事件も未解決のままである。眼球などの内臓から骨に至るまで、必ず一部は小さな欠損がある昨今の事件と無関係とも切り捨て難い。


(それに、事件以外でも幾つか気になることもある。…もし繋がりがあるならーー)


 いつの間にか、顔半分に痛みを感じていた。当てた手に隠れた眼帯は、瞼の裏に守るものもなく、ただ、見せかけく繕うだけの存在。足元に視線を落としていた隙に、御姉様おねえさまわたしを抱き寄せた。


「…御姉様おねえさま。」


 柔らかな右手に包まれて、痛みも忘れられるような気がした。掌から伝わる体温が、冷たい頬に心地い。両手でわたしの頭を包むと、御姉様おねえさまはしっかりと目を合わせて仰った。


「姉として言わせて。…貴女あなたにだけ、負わせられない。御母様おかあさまも、そんなことは望まない。きっと。」


 …女王陛下おねえさまには国の統治という役目がある。陛下の憂いは、…王家の雪辱は、この三女わたしが一手に引き受け晴らしてみせよう。これはもう、あの墓前に誓ったことだ。

 エディス姉様にだって、守り継いでいかなければならないものが多くある。姉君方の両手一杯を重責でふさぐならば、汚れるのは末子のこの手で充分だろう。


 ―御夫人ごふじんがお帰りになられるまでの間、城下の少年について少し調べてみた。どうやら、あの少年には“偶然”が重なった訳ではないらしい。彼を取り巻く周囲の出来事は、因果で固められていたようだ。



 …どんなに細い糸でも、手繰り寄せてみせる。僅かでも、六年前のあの顔の正体が掴めるならば、何もしない手はない。


 この思いがいつしか、大きく彼を歪めることになるとは知らずに。






 ─小さな歯車は、ゆっくりと確実に廻り始めていた。




【第1章-1話.眼帯の王女- 終】

第一稿 2015/02/22(初出:FC2ブログ)

前回改稿 2018/01/03(カクヨム)

【ヘスペリデスの園で 第1章「―序―」 To be continue...】

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