ヘスペリデスの園で 第1章-後を負う者-

葛宮 真琴。/2019年~活動再開未定

ヘスペリデスの園で

プロローグ

 ...インクの滲んだその日記は、それ以降、続くことは無かった。その日記が書かれた直後、時の女王・オリビアの長女・アンリエットは、幼いながらにこの国の統率を迫られる。


 鴉は見ていた。始まりのことも、終わりのことも。

 ヘスペリデスの園で。




 ......。

  わたくしがこの城に仕えてから、どれ程の時が経ったことだろう。支え始めて幾十年。若く青い軍人だったあの頃から仕え続けた中で、未だ嘗て、このような事態に遭遇したことなど一度もなかった。


 ─我が主君の恐れていたことが、現実に起きてしまったのだ。それも、我が国で最も尊ばれるべき祭日、建国記念日の前夜にである。


 それは、国中の者たちが集まる城内の会場ホール、建国を称えるその前日に起きた。この年の前夜祭は、この老爺の主君たる英国女王・オリビア様が御息女、アンリエット様の御披露目の儀アンベーリング・セレモニーが執り行われた。この儀式セレモニーは、通常、御生誕の日の、初めて公の場でその御生誕を祝福されると共に、当代国王の実子としてお披露目になされる伝統と格式あるものである。アンリエット様のご生誕日は、偶然にも建国記念日の前日である為、異例ではあるが、オリビア女王陛下のお計らいにより、この年は次期国王候補である彼女のお披露目を建国記念日前夜祭と併せて催されたのであった。

壇上ではいつにも増して華やかな装いのオリビア女王が、大窓を飾るステンドグラスの幾重も浮き上がる神秘の陽光に包まれながら、前夜祭の開会式でご挨拶とご祝辞を宣う。そのお隣では、大変緊張した面持ちであらせられるアンリエット様が控えて居られた。

 ─その時である。


 我が主君は...残念ながら我が主君は、特定のできない敵の凶弾により崩御なされた。それも突然のことである。そのかたわらでは、衣装ドレスが汚れようとも構わず、憐れにも、アンリエット様が膝を突かれたまま泣き叫んでおられる。もう既に、彼女の母君は事切れているというのに、ご息女は母君のお手を握られて放さない。ただ、この前夜祭の為に用意されたアンリエット王女殿下の衣装ドレスの赤黒い汚れだけが拡がっていくのみであり、 わたくしの目には、その拡がりだけが時を進めているかのように思えた。


 陛下の後継者たるお方ではあるが、彼女はまだお若い。このような惨劇を目の当たりにされては、暫くの間は、精神的に立ち直られることは出来なかろう。壇上には、大臣など国の有力者や城に仕える者たちが駆け寄って来た。


 ─またしても犯人が発砲して来るようなことがあれば、姫君もご無事ではおられないだろう。恐らく、...否、犯人は確実にこの時機を狙っている。

 ご息女をこのままにしてはならない。彼女までもを失うわけにはいかない。


 それは 、わたくしにとって、“使命”や“義務”といったものとは違った。…事件後のおのが体裁を気にしてのことでも無かった。まさか、あの瞬間、あの状況で、咄嗟に自らの保身が為に思考を巡らす時間などあっただろうか。余程の策士家などでなければ、そんなことを考える余地など無かっただろう。兎にも角にも、個人的な感情が強く働いた結果だったのだ。その時のわたくしの行動をただしく言い表すならば、「反射的に動いた」と述べた方が適切であった。

 ...そう、気が付いた時には、 わたくしの身体は、ご息女の身と主君の御尊骸を庇うようにして、その御前に背を向け立ち塞がっていた。


 しかし、そのの動きは無く、 わたくしが撃たれることも、ご息女が狙われることも、他の有力者たちなどの聴衆が被弾するようなこともなかった。

ただ、わたくしの背後では陛下の御尊骸と涙ながらに怯えるアンリエット王女が、わたくしの眼前には、二万もの来場者たちが唖然とこちらを眺めているだけだった。そして、直ぐにその沈黙は破られ、オリビア女王陛下が目前で崩御なさった現実に突き落とされた聴衆たちは、老若男女関わらず様々な悲鳴や怒号、哀しみの声にまみれた。四階ある会場ホールの客席の中には、周囲を見渡す者、警戒する者、呆然と壇上を傍観する者などが見て分かる。その場から立ち退かないで居るのは、流石は我が主君が信頼を寄せる者たちであると言えよう。


 そんな中、 わたくしは二階席の一部の動きに違和感を覚えた。聴衆はみな、その場から動かずに動揺を見せているにも関わらず、その人物は足早に座席の奥の方、─その階ごとに三つはある扉の内一つへと向かっているではないか。


(......あの者が犯人ではないだろうか...?)


 どう考えても、その人物は不自然なのだ。...ただ、あれ程人々が密集する中で発砲するというのは可能であろうか。あの発砲音は正に銃弾のそれであり、御尊骸の傷口を見ても、まさしく凶器は銃器の類いであると思われる。しかし、やはりこの会場ホールの中で撃つなど容易なことではないだろう。聴衆の様子を見ても、犯人の検討などつきそうにないではないか…。


 直ちに部下等に の者を追わせ、詳しく取り調べさせることにした。もし、その者が犯人なのであれば、国の脅威にもなりかねない組織と関連もあるだろう。この祭典の警戒の中、単独犯とは考えにくい。

 なんにしても、この英国の母たる女王陛下を亡き者にした犯人には、重罪が言い渡されるに違いない。


 アンリエット様は、既に城の者たちにより裏の控え室へと移られていた。この数分間の内に疲れ切っておられるようだった。


  わたくしはそのまま、部下たちの報告を待つべく執務室へと向かった。


 ─そのわたくしの信頼の置ける部下たちが戻って来ることは無かった。





 ......。

 六年という歳月の中で、あの事件は未だに解決出来ないでいる。わたくしとしては大変もどかしく、ご息女らのうれいを晴らし、そして、部下たちの、せめて彼らの遺骨だけでも家族の元へ返してやりたい。これはわたくしの責任である。


 今、 わたくしはあの時と同じ場に立っている。そしてアンリエット王女殿下もまた、悲惨な事件に見舞われたこの壇上で職務の全うに勤しまれている。

 月日の経過というのは、早いものだ。あの頃は前線にて勤めを果たさんとばかりに執念があったわたくしも、今となっては老いがみられ、当時の職務は後任の者に譲り、密かにこの王城に仕えるだけの老爺ろうやと成り果てた。彼女はもうよわい十九となられて、今やご立派に先代の後を継がれ、その強き精神を携え、我が国の発展と安寧の為に尽力なさっている。ステンドグラスの煌めかしい輝きに包まれながら。


 ─我が国イギリスの、うら若き女王として。





 ......。


 これは、遂げることのない復讐劇。報われることのない終わり。決して止まらぬ歯車は、今日も今日とて廻り続ける。欠けたものなど気にせずに。


 これは、神話か現実か、そして、未来か過去なのか───。遠い遠い、未来の希望。過ぎ去って逝った、過去の思い出。思いが交錯する、群衆劇。

 ヒトが人であり続ける以上、歯車は廻り続ける。そんなこと、鴉は分かっていた筈だ。未熟者なりにでも。


【ヘスペリデスの園で「プロローグ」終】

第一稿 2015/02/18(初出:FC2ブログ)

前回改稿 2017/08/02(カクヨム)

【ヘスペリデスの園で 第1章-後を負う者- To be continue…】


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