女剣士と吸血鬼

ちゃいな

第一話 くノ一別手組


「私が、異人の警護ですか」

「そうだ。別手組べつてぐみとして横浜に行って欲しい」



 それは文久ぶんきゅう二年九月(※1862年10月頃)のある日の事だった。江戸城内の御庭番所おにわばんしょで体を温めていた私――五十嵐いがらし五月さつきは上役の急なおとないを受けた。底冷えする晩秋の朝で、詰所内の大きな火鉢の周りだけがほのかなぬくもりに包まれていた。

 火鉢をはさんで上役と向かい合ったとき、私は思わず聞き返してしまった。御庭番おにわばんとしては礼を失した行為だが、それぐらい上役の言葉が意外なものであったからだ。

 近年、度重なる外国人殺傷事件に対処するため、幕府は旗本の子弟などから特に武芸に秀でたものを集め、『別手組べつてぐみ』として警護に当たらせていた。私もその話は聞いていたが、剣が使えるとはいえ女の自分になぜ声がかかったのかがわからなかった。それに……正直異人は嫌いだった。髪の色も目の色も違う得体のしれない連中なのだ、守るどころか近づきたいとさえ思わない。

 しかしお役目として命じられれば従わないわけにはゆかない。

「お役目とあらば是非もありませんが、なぜ私に?」

 当然の疑問を口にすると上役が困ったように眉を寄せた。

「それがの、今回護衛する異人がが非常にややこしいお相手なのだ。エゲレスの裕福な貴族らしいのだが、男は信用ならぬ、警護役はどうしても女子でなければならんと言っておるらしい。無論女の警護役などすぐに見つかるはずもないから外国掛がいこくがかりが弱り果ててな」

「それでなぜ御庭番に……いえ、わかりました」


 奇妙なようだが外国掛がいこくがかりと御庭番はすこぶる近しい関係にある。外国奉行がいこくぶぎょうの一人が御庭番の出身なのだ。


「察しが早くて助かるの。そう、女子おなごの身で剣が使えて、しかも攘夷派の仕掛けにも対処できるとなると城内広しといえどもお前くらいしかいない。異人の警護など嫌な役回りだろうがなんとか一つ働いてみてくれまいか」

「は」

 否も応もなく平伏する。上役からの命令せある以上、断れるはずはなかった。

「それに、今は江戸を離れていたほうがいいかもしれん。ほとぼりを冷ますためにも、横浜にいるのは都合がいいだろう」

「そういうことならば、承りました」

「頼む。組の方はこちらで都合をつけておく」


 上役との話がまとまると、私はすぐに御庭番所内で荷物をまとめた。江戸から横浜までは七里ほどしかないとはいえ、やはり一種の旅だった。荷物をまとめ、野袴のばかまに着替え、脚絆きゃはん草鞋わらじを履いて足拵えをした。根元で一つにくくっていた髪を結いなおし、大小を束さむと、早速城をたった。時刻は朝の四ツ半(※午前11時)になろうかという頃だった。



 江戸から横浜までの距離は約七里。御庭番として日頃鍛えている私の足でも歩きだと半日ほどかかる。江戸城を出て品川を通り、六郷ろくごうの渡しを越えて神奈川宿かながわしゅくに着く頃にはもう秋の陽は傾いていた。戸部とべ奉行所ぶぎょうしょに出向くとそのまま『横濱ほてる』という異人向けの旅籠はたごに行くよう指示されて、なんとか陽のある内に横浜に着いた。

 目当ての横濱ほてるは港の近くにあった。裕福な外国人用に作られたそれは平屋だったがふつうの旅籠よりもずっと大きく堂々としていて、中では宿泊客であろう異人が玉を棒で突く遊びに興じていた。

 玄関で案内を乞うと向こうでも待ちかねていたと見えてすぐに建物奥の一室に通された。異人向けの旅籠といってもの造作は日本と西洋のまじりあったようなつくりになっている。内装はどれも贅を極め、ヘタな本陣よりもよほど豪華で凝っている。

「五十嵐五月、外国掛がいこくがかりのご用命で別手組として参上いたしました」

「やっと来たか、遅いぞ」

 部屋の前に着くやいなや外国掛の役人にいきなり叱責された。江戸から横浜まで歩き通しできたというのに横柄な態度にむっとする。

 役人はしかりつけた後こちらを見上げて目を丸くした。

「……大きいのう、いったい身の丈はどれほどあるんじゃ」

「はあ、一応五尺八寸(※約175センチ)ありますが」

「ふん。たしかに剣の腕はたちそうだの」

 人を小ばかにしたような態度がますます神経にひっかかる。

 それから役人は奇妙にも木製の扉を手でたたくと、中に向かって猫なで声で呼びかけた。英語なので何を言ってるかはわからなかったが、そのばかにへりくだった態度も気に入らない。異人相手にゴマをすっているのが態度でわかる。

『I'm sorry to have kept you waiting.The guard just now arrived.(※お待たせしました、護衛役を務めるものにございます)』

『Please come in.(※どうぞ、入ってください)』

 部屋から聞こえた声は、意外にも玉を転がすような若い女の声だった。役人にうながされて部屋に入り、さらに驚く。

 部屋の中で椅子に座っている異人の女は年若く、まだ娘と呼んでも差し支えない容貌をしている。人形のように整った顔立ちは、まさに絵から抜け出来たような美しさだった。さらに特徴的なのは髪と目で、冬の月のように輝く銀髪と、血のように紅い瞳をしている。瞳とは対照的に異人の肌は病的なほど白く、死人のように青ざめていた。ともすれば不気味な印象をあたえるだろうそれらが、異人の持つ人間離れして整った顔立ちとあいまって白皙を一種妖艶な魅力へと変えている。

 さらに異人の格好もまた奇妙だった。頭から爪先まで全身黒ずくめ、上も下も真っ黒な洋服を身に着け、手袋だけ真っ白なものをつけている。異人の着物には詳しくないが、たしか彼女の着ているものは本来異人の男性が着るものであったはずだ。

 あまりに意外な人物が護衛相手だったのでさすがに言葉を失って固まっていると、異人がにこりと微笑みかけてきた。

 背筋が氷で撫でられたように総毛立つ。相手をとろかすような魅力的な笑顔なのに、目だけが獲物を前にした獅子のように私を見つめていた。

 二の句を継げない私が緊張していると勘違いしたのか、隣の役人が、たまりかねたようにせっついてきた。

「ほら、黙ってないでご挨拶を。ヴラド様には日本語も通じるから」

 不快感と鬱憤から思わず本音が口をついてでた。


「私は異人が嫌いだ」



 空気が凍りつく。

 外国掛がいこくがかりの役人は顔色を変え、言われた当の異人は意味が伝わらなかったのかきょとんとしている。やってしまった、とあとからまずいと思ったが、もはやかまわず続けることにした。


「お役目上、貴様を護衛はするが、このことで部下や家来になったわけではない。だから敬語も使わないし、エゲレス語なんて覚える気もない。貴様とは馴れ合わん。それが嫌ならどうぞこの場で断ってくれ」


「こ、こら、無礼だぞっ五月殿!」


 隣の役人に叱られたが意に介さない。これで相手が怒ってお役御免となっても仕方ないと思っていた。

 しかし意外なことに当の異人が怒るどころか笑い出した。

 

「フフフッ……、随分と正直な人ですね。おもしろい、貴方に護衛を頼みましょう」

「む、」

「ヴラド殿、よろしいのですか」


 役人も、そして私もそろって目を丸くした。


「ええ、嫌われるのには慣れていますし、率直なところが気に入りました」


 面と向かって嫌いと言われたのに、怒るどころか笑い出すとは、さらにはそんな相手に護衛を頼むとは……ずいぶん変わった異人だ。異人といえばプライドが高くいばっているばかりおもっていたのに。

 なんだかみょうなことになってきた。

 ヴラドが立ち上がり、右手をこちらに差し出してくる。


「Hello. サツキ・イガラシさん。ヴラド・ドラキュリアです」


 急に手を差し出されてもなんのことだかわからない。どうしていいかわからずまごついていると、ヴラドが説明してくれた。


「手をにぎり合うのが私達の挨拶なのです。これからよろしくという意味ですよ」


 言われて、私も恐る恐る手を伸ばした。手袋越しに握るヴラドの手は冷たかったが、意外に強い力で握り返された。


「どうぞよろしくお願いします。イガラシさん」

「……承知した、よろしく。ところで聞きたいんだが」

「はい?」

「へ、へろう、とはどういう意味だ?」





 正式に警護役となるための型通りの手続きが終わると外国掛の役人は早々に立ち去っていった。どこか逃げ出すようなその足の早さをいぶかしく思っていると、ヴラドがクスクスと笑う。


「やはり嫌われてしまいましたね。少し働かせすぎましたか」

「働かせたとはどういうことだ?」

「そもそも私はバクフの警護は断っていたんですが、いくら言っても聞いてもらえないのでそれなら女性の警護役なら認めると言ったんです。彼はほうぼうを駆けずり回っていたようですが、まさか本当に見つけてくれるとは思いませんでした」


 どこか楽しげにヴラドは言う。こいつ、やっぱり性格悪いかもしれない。

 ヴラドは懐から鎖付きの時計を取り出して時刻を確かめた。


「ふむ、もう夕方ですし、そろそろ出るとしますか」

「どこに?」

「イギリス公使館です」


 ヴラドは返事をしながら、壁のそばにかけられていた丈の長い羽織を着け、背の高い帽子を手に取った。長羽織も帽子も、やはりほかの服と同じ漆黒の生地でできていて、身に着けると銀髪と真っ白な顔、そして紅い瞳が一層目立った。

 私の視線に気づいたらしく、ヴラドがくすくす笑って言う。


「マントやトップハットを見るのは初めてですか?」

「さっきから気になっていたんだが、お前のそれは異人の男が着るものじゃないか?」

「このほうが動きやすいのです。なに、すぐに見慣れますよ」


「さて、では私は出かけます。ジョン・ニール代理公使は頭が固すぎて嫌いですが、はじめの挨拶くらいはこちらから出向かなければいけませんからね」

「おい待てぶらど、私もついて行く」


 ヴラドが一人でさっさと部屋を出ようとするのであわてて追いかけた。

 すたすた先を歩いていたヴラドが、追いついた私に言う。


「別に座敷で待っていても構いませんが」

「そうはいかない。異人がこの居留地で出歩くのは危険過ぎる。お前の警護役として一人で生かせるわけにはいかん」

「存外まじめに仕事をするのですね」

「私情と公儀は別だ。お役目として命じられた以上お前のことは守る」


 横浜村にある外国人居留地では、周囲十里四方を異人が自由に出歩くことができる。それより先に行くには許可が必要であり、また自由に歩ける居留地の中も基本的に護衛を必要とした。それだけ日本は異人にとっては危険な土地であり、事実無視できない数の殺傷事件も起こっている。

 私とヴラドは揃って横濱ほてるを出た。来る前に一応私も横浜の簡単な地図くらいは頭に入れてきた。これから向かう英国公使館は港から離れたところにつくられた、外国人居住区の中にあったはずだった。横浜居留地は大きく外国人居住区と日本人の住む町に分けられており、間を細い川が堀のように流れている。

 時は夕七つ(※午後四時)を少し過ぎた頃だったが、秋の日はもう西に傾きつつあり、夕暮れがあたりを赤く染めていた。

 公使館まで歩くまでの道のりでも、様々な人とすれ違った。居留地に住む商人らしい外国人。また同じく裕福そうな日本の商人。居留地の中で生活している平凡な町人に、居留地見廻組と見える武士の一団。皆冷たい潮風の中を身を寄せ合って歩いている。多くの人が仕事を終え家路に帰れるほっと安心した表情を浮かべていた。居留地の生活……というものがはじめて肌で感じられた。

 もっとも私達も、通り過ぎる人から物珍しそうに何度も見られていた。居留地といえども、さすがに異人と日本人で女性二人の組み合わせは珍しいのだろうか。

 歩きながらヴラドが話しかけてくる。


「そういえば呼び方ですが……。サツキ、と呼んでも構いませんか?」

「好きに呼べばいい」

「ええ、ではサツキ、先ほどから私の名前を間違えていますよ。ヴラドです。ヴ、ラ、ド」

「ぶらど?」

「違います。ヴです、ヴ」

「ぶ、ぶ……」

「まだ違いますね」


 何が違うのか正直よくわからなかったが、ともかくヴラドの言い方を真似してみた。二十回ほど練習した末にようやく、


「……ブ、ブラド」

「ふむ、まだ少し違いますが先ほどよりはいいでしょう」


 とヴラドからお許しが出た。


「ブラドは、なぜ日本に来たんだ」

「私は商人ですから無論商売のためです」

「しかし日本はエゲレスから随分と遠いだろう」

「日本はとても有望な市場なんですよ。今のうちに投資をしておけば、将来大きな金を生むと思いまして」

「つまり金儲けか」


 おもわず眉をひそめる。


「金儲けがそんなにいいか」

「今の時代、金こそが力です。お金が無ければ自分の身を守れませんよ」

「見たところブラドは生きるのに十分な身代を持ってそうだが、まだ金が要るのか」

「私は出来るだけ人生を楽しみたいのです。良い服も家も買い、おいしいものを食べて、長生きしたい。それにはお金がかかりますから」

「それだけか。そのお金で国の為に何事かなしたいとか、後世に名を残したいとは思わないのか」

「思いませんね。だって、自分の死んだ後の世界に何の意味があるのです。それより寿命が尽きるまでせいぜい楽しく生きるのが一番ではないですか」

「む」

 ヴラドの言葉に五月はちょっと考え、やがて首を振った

「お前のような生き方が悪いとは思わないが、私にはできないな」

「ではサツキはなんのために生きているのです」

「無論、幕府をお守りするためだ。特に最近は世が乱れてきている」

 意識したわけではなかったが、言葉の含む意味に気づいたらしいヴラドが言った。

「私達外人のせいで、ですか?」

「別にお前が悪いとは言わないさ。時代の流れだとも思う。だがこんな時代だからこそ私みたいな剣にしか能のない者は一番お役に立たなければならん」


 ヴラドが目をしばたたかせる。


「しかしその生き方は随分と、危険が多いように思いますが」

「そうだな。お役目柄、いつ死んでもおかしくないことも度々あった」

「なぜそんなことをするんです」

「決まってる。後悔しないためだ。もし無駄に生きながらえても幕府が揺らいだらきっと後悔する。私は死ぬときに悔いの残るような生き方をしたくない」

「そんな人生、割に合わなくはありませんか」

「割に合うとか合わないとかではない」


 ヴラドが呆れたように肩をすくめる。


「日本人は非合理的ですね」


 その言い方にむ、としていい返した。


「……やはり異人とは相容れんな」

「ええ、そのようですね」


 ヴラドはなぜか楽しそうに笑った。



 英国公使館に着くと、門前で一悶着があった。刀を持っている日本人を、護衛とはいえ公使館の中に上げる訳にはいかないと警備兵が止めたのだ。こうして英国の兵士がピリピリしているのも先日の生麦事件の余波かもしれない。

 言い分はもっともなので私としては外で待っていても良かったのだが、ヴラドが何事か交渉するとあっさり中へ入る許可が降りた。

 そればかりか、公使館では公使代理のジョン・ニール自らが迎えに出てきたので、思わず訊ねた。


「お前、エゲレスでは相当大物のようだな」

「ご冗談を。私がそんな大それた人間に見えますか」

「見えん、と普通なら言うところだが……お前はどうも底がしれん」

「買いかぶり過ぎです、私はただの商人ですよ。―― Hello, Mr. Neale. Nice to see you.」


 ヴラドとニールはにこやかに握手を交わすと公使執務室へと入っていった。


(さっきは嫌いとか話していたくせによくまあいけしゃあしゃあと……)


 ヴラドを見送り、心のなかでひとりごちた。執務室の中までは入れないため扉の前で待つことにし壁に背を預ける。

 公使館の中は全体に西洋らしい重厚な作りをしていた。さすがに大国エゲレスの公使館だけあって夕方になっても異人の役人が忙しそうに立ち働いている。彼らのほとんどが、通り過ぎざまこちらにちらりと視線をよこして、足早に過ぎ去っていく。大小を差していることから露骨に警戒する視線をよこすものもあれば、私の顔を見て(おそらく女だと知って)驚くものもいた。私にとってはどうにも居心地の悪い雰囲気だった。

 黙念として時間が立つのを待っていると、脇から急に声をかけられた。


「Well(※あの),……」

「む。なんだ」


 見れば、ここの女中らしい小さな少女がこちらを見上げている。やわらかな栗色の髪をした女の子で、両手に椅子をかかええていた。


「Please try this if you like.(※これ、使いませんか)」

「すまん。英語はわからん」


 言葉がさっぱりわからないので困ってしまった。女中の方も英語が通じないことをさとったらしく、今度は身振り手振りで伝えてきた。


「その椅子に、座れというのか」


 私が椅子を指さすと、女中は大きくうなずき笑顔になった。

 もちろん私としては一日中立っていても平気だったが、もしかしたら何かの礼儀があるのかもしれないと考え椅子に座ることにした。女中はそれを見て満足そうに去っていった。

 警護中に座って休んでいることにどうも落ち着かないでいると、やがて先ほどの少女が再びやってきた。今度は両手に茶器を下げている。


「Please have some tea.(※お茶はいかがですか)」


 女中が取っ手のついた茶碗に赤い液体を注ぎ出したので今度こそ慌てた。


「ま、待て、私は茶はいらん」


 警護役として来ている以上、万が一のため水の一杯も口にしないことが原則だった。と、いうか、警護役にまでお茶が供されるというのは今までの経験にないことだ。

 女中の娘は断られるとは思ってなかったらしい、私の態度にきょとんとした。

今度はこっちが身振り手振りで伝える番だった。茶は飲めないことをなんとか伝えようとしたが、先ほどと違い上手く意図が相手に伝わらなかった。女中はあきらかに戸惑い、しきりにお茶を勧めてきた。


(どうしたものか)


 少女の行動があきらかに親切でやっていることは察しがついている。しかし規則違反は気が咎めるし、少女のいれた赤い茶がどうも不気味だったこともあってどうしても飲む気にはなれない。


「いらん。片付けてくれ」


 結局やや強い語勢で断ると、彼女もどうしても飲んでもらえないと察したのかしょんぼりとして下がっていった。

 その後、女中の少女が戻ってくることはなかった。椅子に座ったまま、変わらずヴラドが出てくるのを待っていたが、その間少女の寂しげな横顔が刺のように心に残っていた。

 

 

 一刻いっとき(※約二時間)ほど経って、ヴラドは執務室から出てきた。


「お待たせしました、サツキ」

「む。終わったか。……ニールはいったいどうしたんだ」


 あとに出てきた公使代理の顔がやつれているようなのを見てヴラドに尋ねる。


「日本でのイギリスの立場や各国情勢が気になって色々質問したのですが、根掘り葉掘り突っ込んで聞いたら終わる頃にはあのように」

「ずいぶん問い詰めたようだな」

 

 ジョン・ニール代理公使といえば生麦事件のおりも幕府と喧々諤々の論争を繰り広げた相当のやり手だと聞いていたが、憔悴しきったその姿にはすこしばかり同情した。

 異人に同情したのはこれが初めてだった。


「もうすっかり日もくれてしまいましたね。出ましょうサツキ」


 ニールと対照的にヴラドは疲れた様子もない。


「I'm leaving now. See you tomorrow.(お疲れ様でした。また明日もお願いします)」

「……Ok, thanks. See you tomorrow.(……ええ、わかりました。また明日)」


 去り際のヴラドの挨拶に引きつった笑顔でニールが答える。

 玄関まで見送られ、私たちは公使館を出た。日はとうに没し横浜村は墨を流したような闇の中に沈んでいる。表通りは家路を急ぐ人がわずかに歩いているだけだった。

 懐から燧石ひうちいしを取りだして行灯あんどんの明かりをつけてから、ヴラドに訊ねる。


「また……あの旅籠に戻るのか?」

「いいえ。実は帰る前にぜひ行ってみたいところがあるのです」

「む……。しかしもう日も沈んでいる。早く帰って休んだほうがいいだろう」

「休む? とんでもない、むしろ私は夜のほうが活力が湧いてくるんですよ」


 じっさいヴラドは旅籠を出たときよりずっと生き生きとしていた。目の輝きがましてこころなしか肌の色もよくなっている気がする。しぶしぶ付き合うことにした。


「しかたないな……。で、いったいどこに行くというんだ」

港崎みよざきの、岩亀楼がんきろうです」






 そもそも岩亀楼という店自体どんな場所だか知らなかったので、ヴラドに案内されたとき思わず目をむいた。

「ばかっ。こんなところにどうして入る必要がある!?」

 そこは横浜でも港からはなれ奥まったところにある場所――港崎みよざき遊郭ゆうかくの中にある最大、最高級の大見世おおみせだった。すでに暗くなり始めた夕刻とあって見世みせの提灯には火が灯され、おしろいを塗った芸妓げいぎ達が通りに立ったり、三味線の音が聞こえ始めたり、辺りは妖しげな雰囲気となっている。

「おや、わかりきったことを」

「わかりきったことって、まさかお前」

「言っていませんでしたか。私、女の子が大好きなんですよ」

 クスクス笑うヴラドに五月は今度こそ呆れ返った。

「な、何を言っているんだお前は」

「こういった場所で遊ぶのは男に限る、なんて法があるわけでもないでしょう。さ、入りますよ」

 正直逃げ出したいくらいだったが、意外に力の強いヴラドになかば引きずられるようにして岩亀楼へとはいった。

 岩亀楼の中は日本人用と外国人用とに分かれていて、外国人はいわゆるラシャメンしか選ぶことができなかった。また払う金額も外国人相手では桁が変わるほど高い。

 そのラシャメンたちをヴラドは座敷に何十人も集めて遊んだ。いったいこの一晩で幾ら消えたのか考えたくもない。

 もちろんそっちに混ざるくらいなら死ぬ気で断ったので、私は一人座敷前の廊下で座して待っていた。

 障子越しに笑い声と嬌声とが交じり合って聞こえてくる。

 いったい私は何をしているんだろう、そう思わざるにはいられなかった。あたりは酒と白粉の匂いが芬芬と香っている。贅を凝らした内装は輝かんばかりで見るものを幻惑の世界に誘うようだった。


「あんの、色ボケ外国人め」


 ひとり毒づき、この警護役がはやく終わればいいと心の底から願った。







 翌朝、まだ夜の明けぬうちにヴラドは座敷から出てきた。

 様々な理由から疲れ果てていたのでいら立った声を上げてしまう。


「乱痴気騒ぎは終わったか?」

「おかげ様で堪能しました」

「遊女達はどうした」

「みんな疲れているようなので、あのまま寝かせておきましょう」

「お前、すごいな」

「それは褒めてます?」

「あきれてるんだ、バカ」


 岩亀楼をあとにして横浜ほてるに戻るとヴラドは、


「私は昼まで寝ていますから、どうぞ五月も自由に休んでいてください」


 と言って早々に寝室に引っ込んでしまった。

 夜中起きて朝に寝るなど妖怪にでもなったようだと思ったが、私も睡魔には勝てず布団に入るとそのままとろとろと眠り込んでしまった。

 横浜にきてからのながいながい一日がようやく終わった。




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