第2話 恥辱の姫君

 かつて、この公国は豊かな緑に囲まれた平和な国だった。大陸の端にある小国ゆえ、帝国の侵略も受けることもなく、この国の人々は穏やかな毎日を過ごしていたのだ。


 だが、十年前――その平和が、突如崩れ去った。


 三十年前の侵略戦争で戦死したと思われていた「帝国勇者」を名乗る男が、「マクシミリアン傭兵団」と呼ばれる武力集団を組織し、公国に攻め入ったのだ。

 長い平和に馴染み過ぎていた公国は、その怒涛の侵略に抗い切れず、間も無く降伏し――由緒正しき公国は、傭兵団によって乗っ取られてしまったのである。


 だが、それで終わりではなかった。

 公国の城や城下町から散り散りに逃げた人々は、やがて一つに寄り集まり、反乱軍を組織したのだ。自らの祖国を、侵略者から取り返すために。


 ――その先陣を切り、公国勇者と名乗ってマクシミリアン傭兵団と戦い続ける女がいた。

 十年前、最年少の騎士として公国に仕えていた女剣士グーゼル。彼女は、その天才的な剣の技と持ち前の勇気を武器に、十年に渡って反乱軍の一員として戦い続けてきたのである。公国の矛である騎士団の、唯一の生き残りとして。

 そして今では、二十四歳の若さで司令官を務める程にまで成長を遂げていた。


「死んだはずの帝国勇者が、なぜ今になってならず者を率いて傭兵団を組織しているのかはわからない。だけど、帝国の庇護下にないこの国が、奴らのカモであることは事実。奴らはそれをいいことに、この十年で幾度となく略奪を……」

「なるほど、な」


 深い森の奥にある、薄暗い洞窟。反乱軍のアジトであるその空間の一室で、ダタッツはグーゼルから公国の現状を説明されていた。


「人類の希望と言われる『勇者』を名乗っていながら、力に溺れて略奪と殺戮に没頭していた悪魔の勇者。そんなの、御伽噺の怪物だとばかり思っていたけれど……あの強さと残忍さを見れば、信じざるを得ないわ。帝国勇者は、実在していたんだって」

「そうか。……それで、君はどうしてあそこに?」

「……数日前、奴らが資金集めに城や街で奴隷として働かせてる子供達を、外国に売り飛ばそうとしてるって情報を掴んだの。それで、奴らの馬車から子供達を助けた帰り道で、あなたに会った、ってわけ」

「……今まで、ずっとそうして戦ってきたのだな。兵達の士気を見れば、君が慕われていることもよくわかる」

「ええ、みんなもよく戦ってくれてる。……だけど、十年掛けて戦ってきた今でも、奴らを追い出すことは出来ていない。こうしている間も、街に取り残された人達は奴隷のように働かされてるっていうのに……」


 そんな彼ら二人を、反乱軍の兵士達が囲っている。若い男の殆どはすでに命を落としているか、城で奴隷として働かされているかのどちらかであり、残っている兵の多くは女子供ばかりであった。

 だが、彼らの瞳には確かな希望が灯されている。非力なはずの彼らの表情は、歴戦の猛者にも勝る勇ましさを放っていた。


 ――彼らにとって。グーゼルの存在は、それほどまでに大きいのだ。そして、それゆえに緊張もしている。

 次の作戦が、この戦いの命運を握っているのだから。


「だから現状を打ち破るには――反乱軍の陽動に乗じ、私一人で城に忍び込んで、奴らのボスである帝国勇者マクシミリアンを討つしかないの。今年に入って、ついにそのルートも掴んだわ」

「しかし……危険過ぎるのではないか。万一、捕まれば命はないぞ」

「危険など、承知の上よ。正攻法では、奴らには勝てない。……私は、この国の勇者なの。勝たなきゃ、意味がないのよ」


 ダタッツの追及に対し、グーゼルは表情を曇らせながらも――主張を変える気配を見せない。


「――それはさておき。子供達を助けてくれたことには礼を言うわ。それと……疑ってごめんなさい。武装してこの森に近づいてきたものだから、つい……」

「構わない。自分も結局は戦おうとしていたからな。お互い様、だ」

「ふふ。あなたって随分変わってるのね。巻き込まれただけなのに、嫌な顔一つしないなんて」

「荒事に出くわすのには慣れているからな。……それに、こうなってしまった以上『巻き込まれただけ』と他人事にするわけにも行くまい」

「そうね。私達としても、腕に覚えがある人が一人でも多い方が助かるわ。……けど」


 グーゼルはそこで一度言葉を切ると、席を立って踵を返してしまった。もう、話すことなどない、と言わんばかりに。


「これはあなたが言った通り、危険過ぎる戦い。この国の出身でもないあなたを、付き合わせるつもりはないわ。例え命に代えても、私は帝国勇者を倒して見せる」

「……あくまで、自分達だけで解決したいと言うのか。グーゼル殿、確かにその勇ましさは賞賛に値する。だが、君がこの国の勇者であるならば……無謀な戦いはするべきではない。例え周りが勝ちを焦っていても、君だけは冷静であるべきだ」

「……なんですって?」


 ダタッツの言葉に、グーゼルは鋭い眼光で振り返る。その剣呑な空気に触れ、彼女の強さを知る兵達は揃って息を飲んだ。


「ただ強いだけの者を……力で人の意思を押さえ付ける者を、勇者とは呼ばん。件の帝国勇者という男は、勇者と呼ぶには値しない」

「……」

「結果だけを追い求め、自分の価値を見失う者も同じだ。君は、命に代えても――と言ったが。そうやって人々を守ったところで、リーダーを失った彼らは進むべき道を見失ってしまうだろう」

「だから……なんだというの」

「勇者とは、強力な戦闘力の持ち主ではない。誰かに希望と、勇気を与えられる人間のことを言うのだ。万一君を失えば、人々は希望を失う。その重さを、考えたことはあるか? 今日、あのバルタザールとやらを討ったように、地道に敵の戦力を削ぎ落とし、確実に勝てる時を待つべきではないか?」

「……なにがわかるのよ。あなたに、故郷も親も帝国勇者に奪われた私の、なにがわかるというの!」


 そしてグーゼルは激情のままに、自分が座っていた椅子を蹴飛ばし――ダタッツの胸ぐらを掴み上げる。その行為に女性兵士達が短い悲鳴を上げる――が、掴まれている当人のダタッツは、表情を変えない。

 怒りと悲しみを混ぜ込んだ彼女の瞳を、ただ静かに見つめている。


「帝国の侵略から逃れるために、遠い外国から来た母も。そんな母を助けるために尽力していた父も。同じく帝国に追われて、この国に辿り着いた人々も! 皆、帝国勇者に殺された! 今もそう! 私達がもたもたしてる分だけ、誰かが奴に殺される! だからその前に奴を殺す! もう手段なんて選んでられないの、他所者のあなたとは違ってね!」

「そのために、死んでも悔いはないと?」

「……ないわ。この国に平和が戻るのなら、私の命も魂も、神にくれてやる」

「殊勝なことだ。だが、その憎しみでは何も救えはせんぞ。君について来た反乱軍の勇士達も、助けを待つ街の人々も――そして、君自身も」

「――知った風な口を利くな!」


 グーゼルはダタッツの言葉に激昂し、彼を椅子から突き飛ばす。中年の戦士はその勢いのまま尻餅をつくが、それでも顔色一つ変えないまま、立ち去って行く彼女の背を見送っていた。

 そうして彼女がこの部屋を去り、乱暴に扉を閉じられた後。グーゼルの部下である女性兵士達が、甲斐甲斐しくダタッツを助け起こす。


「申し訳ありません、戦士様……。グーゼル様は数日前に、母君を奴らに処刑されたばかりで……」

「それに早く降伏しなければ、人質に取られている公女殿下を辱めると……」

「――なるほど。それで、ああも焦っていたのか」


 合点がいったように、ダタッツは深く頷く。女性兵士達も、グーゼルの直情的な一面を案じている一方で、このままでは状況が厳しいと感じているようだった。


「だが……リスクが大き過ぎるのも事実。件の作戦には、自分も同行させて頂く。彼女には黙っておいてくれ」

「は……し、しかし……あなたを巻き添えになど……」

「気にすることはない。――『帝国勇者』とやらに、少し興味があってな。それに妻に先立たれ、子供達も独り立ちした今――隠居した老兵一人がどうなったところで、気にする者もいまい?」


 自分を気にかける兵達を安心させるように、ダタッツは彼女らの肩を優しく撫でる。逞しい肉体を持つナイスミドルに触れられ、戦いばかりに生きてきて男慣れしていない彼女達は、揃って頬を赤らめた。

 そんな彼女達の反応を尻目に、ダタッツは「帝国勇者」と名乗るマクシミリアンという男のことを考えていた――。


 ――その頃。夜の帳が下りが降りた、公国の城では。

 玉座に腰を掛けた一人の男が、杯を手に不敵な笑みを浮かべていた。その視線の先には、反抗的な視線で自分を睨みつける、鎖で繋がれた少女の姿がある。


「なかなかやるじゃないか、この国の勇者様も。まさかバルタザールが殺られるとは思わなかったぜ、なぁクセニア公女殿下?」

「あなた達の狼藉も、ここまでということです。早く私の拘束を解き、降伏しなさい。マクシミリアン」


 鎖で首を拘束されていながら、気丈な姿勢を崩さない少女を前に、男はほくそ笑むとゆっくり立ち上がった。


 燃え上がる炎のような赤い髪に、口周りを覆う逞しい口髭。浅黒い肌に、分厚く鍛え上げられた肉体という名の鎧。玉座の両脇に飾られた、巨大な斧と盾。

 まるで、地獄の鬼が人の姿を借りたかのような――獰猛な出で立ち。それが、マクシミリアン呼ばれる男の風貌だった。


 一方、クセニアと呼ばれた少女は――金色のショートヘアと、透き通るような白い肌を持つ、絶世の美少女だった。

 さらに、そのプロポーションは十七歳という若さでありながら、すでに完成された美しさに至っている。豊満に飛び出した胸から腰のくびれ、そこから扇情的な曲線で描かれた臀部。その肢体を、マクシミリアンは獲物を捕らえた獣のような眼差しで見つめていた。

 最小限の布で本当に必要な所しか隠していない、踊り子の衣装のような服を着せられている彼女は、その視線を浴びても身を隠す術がない。それをわかっているからか、彼女は恥じらうこともなく堂々とマクシミリアンと向かい合い、冷ややかな眼光で彼を射抜いている。


「相変わらず強気だなァ公女殿下。勇者様によほど期待してると見える」

「グーゼルは……あなたのような外道になど、絶対に負けません。そうやって笑っていられるのも、今のうちです」

「へぇ、そいつは頼もしいな。――しかしあんたといい勇者様といい、澄ました顔してスケベなカラダしてんなァ。もっと熟れてから『味わう』つもりだったが……こりゃあ、ちと前倒しになりそうだぜ」


 マクシミリアンは無遠慮にクセニアの豊かな胸に手を伸ばし、揉みしだく。さらにわざと屈辱を与えるかのように、彼女の白い頬をべろりと舐め上げた。


「く……」

「どんな気分なんだろうな? 憎い敵に、誇りも貞操も穢されるってのは」

「……好きになさい。帝国の勇者が私欲に塗れた下衆だということは、とうにわかっています。ここに捕らわれた時から、覚悟は出来ていました」

「ははは、そうかいそうかい。だがな公女殿下。帝国勇者のオレが公国勇者のグーゼルに勝てば――正しいのはオレってことになるんだぜ。力で全てを支配してきた帝国が、この世界の正義を左右しているようにな」

「なにをっ……あう!」


 やがて、クセニアの胸や尻をひとしきり撫で回し、頬や首筋を舐めた後。マクシミリアンは満足げな笑みを浮かべ、踵を返す。

 その後ろでは、辱めを受けた姫君が、上気した顔で両脚を震わせていた。息遣いも荒く、その肢体は汗だくになっている。彼女は打ちのめされた表情のまま、その敵意に満ちた眼光で、背後からマクシミリアンを突き刺していた。


「……まぁ、お楽しみはとっておいた方が、後の悦びもデカいからな。あんたは、グーゼルと一緒に『頂く』とするぜ。この国の誇りである公女殿下と公国勇者が、二人同時にオレに奉仕するんだ。堪らねぇな……フフ、ハハハハ!」


 そして高らかな笑い声を上げ、マクシミリアンは彼女の前から立ち去っていく。その声で、城下町から響いてくる民衆の悲鳴が、掻き消されていた。


(グーゼル……お願い、早く……!)


 姫君の心の叫びは、誰にも届かず……ただ、傭兵団の蹂躙に泣き叫ぶ民の慟哭だけが、今日も公国の城下街に轟くのだった。

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