ダタッツ剣風 〜中年戦士と奴隷の女勇者〜

オリーブドラブ

第1話 森の出会い

 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。


 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。


 人智を超越する膂力。生命力。剣技。


 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。


 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。


 しかし、戦が終わる時。


 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。


 一騎当千。


 その伝説だけを、彼らの世界に残して。


 ――そして、戦の終わりから三十年が経つ頃。

 異世界に広がる大地の殆どを征服し、数多の属国を従える一大強国である帝国の軍勢は、三十年前の戦で勇者を失ってからも――全ての地を手中に収めんと、遠征を繰り返していた。


 だが、帝国の支配が及ばぬ遠い地であれば平和というわけではない。むしろ、属国でないということは帝国という強国の後ろ盾がない、ということを意味する。


 中立を維持する国は、いわば狼に囲まれた羊も同然なのだ。


 帝国の領土から最も遠く離れ、数百年に渡り独立を保っている公国も、その一つなのである。公国の領土を狙う外敵は、帝国だけではないのだから。


 ――その公国を象徴する、巨大な城。その荘厳な姿が伺える森の中を、一人の男が静かに歩んでいた。


「……」


 青い服の上に分厚い鎧を纏い、剣や盾、一角獣を模した鉄兜で身を固めるその姿は、屈強の一言に尽きる。彼の首に巻かれた赤いマフラーも、風に揺られて滑らかに靡いていた。

 さらに、兜から覗いている黒髪。口周りの野性的な無精髭に、精悍さを湛えた顔立ちからは、男としての力強さが滲み出ているようだった。


 そんな彼は、鋭い眼差しで城のシルエットを射抜き――その場所を目指して、歩みを進めている。まるで、今からそこに攻め込もうとしているかの如く。


「止まりなさい!」

「……」


 すると、突如背後から女の声が轟き――男の足を止めさせた。彼が振り返った先には――見目麗しい女剣士が、こちらに剣を向ける光景が広がっている。


 艶やかな黒髪のセミロングに、碧い瞳。透き通るような色白の柔肌。彫刻の芸術品に命が宿ったかのように整った、目鼻立ち。そして、鎧の上からでも伺える程の豊満な胸や臀部。


 さらにその肢体は、深緑の服の上に装備されたプロテクター状の軽鎧で覆われている。両手には、この国の象徴である天馬ペガサスの紋章を刻んだ盾に、翼を模した鍔を持つ剣があった。


 ――見るからに、只者ではない。敵意を隠さず、剣を向ける女剣士に対し、男はあくまで冷静に対応する。


「自分に、何か用か」

「何か用、ですって。白々しい! マクシミリアンの手のものでしょう、あなた。この森に近づいた以上、ただでは済まさないわ」

「話をさせてくれるようには見えない――が、これだけは申し上げたい。こちらには、『君達』と戦う意思はない」

「……ッ!?」


 男の言及に、女剣士は僅かに身を強張らせる。同時に、彼女の周りにある茂みが音を立てて蠢いた。


「気づいていた……というの」

「気配を消さずに姿だけ隠しているようでは、まともに話をすることもできまい。君達が何者なのかは知らないが……まずは、話し合いたい」


 男の呼びかけに対しても、女剣士は警戒を緩めず、茂みを庇うように剣を構える。あくまでこちらを敵と認識している彼女の対応に、男も表情を曇らせた。


「……仕方が無いな」


 そして、やむなく――と言わんばかりに、腰に提げている剣に手を伸ばす。

 刹那。


「いたぜバルタザールさん、反乱軍の連中だァ!」

「公国勇者様も御一緒だぜェ!」


 突如、違う茂みから男達の下卑た笑い声が響いてくる。次の瞬間、声が聞こえた方向から、毛皮に身を包んだ荒くれ者達が飛び出してきた。

 斧や棍棒で武装した彼らは、嗜虐的な笑みを浮かべて女剣士と男を見遣る。彼らも、女剣士が隠そうとしていた茂みの中に気づいているようだった。


「へっへっへ……外国に売り飛ばす予定だったガキどもを積んだ馬車が、破壊されてるって情報を掴んでよ。現場に残った足跡を辿ってみりゃ、ビンゴだったってわけ」

「くっ……あんた達、まさか!」

「外国に行かれたら取り返せないって、焦ったのが運の尽きだったな公国勇者ァ。奴隷商の馬車もそこに積んだガキどもも、最初から反乱軍のアジトを突き止めるための囮なんだよォ!」

「とうとう割り出してやったぜ、反乱軍のアジト。十年もしつこく抵抗しやがってよぉ。俺達『マクシミリアン傭兵団』に従ってりゃあ、ちったぁマシに死ねたかも知れねぇってのに」


 荒くれ者達の嘲るような声に怯え、草むらの中から小さな子供達が飛び出してくる。彼らは女剣士の足元に縋り付くと、か細い声で「助けて」と呟いていた。

 全身に傷跡を残し、ボロ布で身を包んだその姿からは、幼い彼らがどのような仕打ちを受けてきたかが容易に伺えた。


「なら……あんた達を全員倒すしかないらしいわね」

「おおっと、残念ながらそいつは不可能だぜ。マクシミリアン傭兵団ナンバー2の、このバルタザール様が来ちまったからにはな」


 女剣士が改めて剣を構え直すと――荒くれ者達の後ろから、さらに巨大な体躯の男が現れた。禿頭と逞しい口髭を持つその巨漢は、棘だらけの歪な鉄球を振りかざし、女剣士と相対する。


「お前も懲りねえなぁグーゼル。最年少の公国騎士だったお前が、公国勇者と名乗って俺様達に反旗を翻して、もう十年。いい加減、諦めて降伏しようとは思わないのか?」

「思わないわ。十年前、貴様らにこの国を侵略され、乗っ取られた屈辱――今でも、昨日のように覚えてる」

「やれやれ。かつて帝国勇者と恐れられた我らのボスに、敵うわけないってのに。この俺様にすら今まで一度も勝ったことがないくせして、どうやってボスを倒そうってんだァ?」

「――甘く見ないで。昔の私とは、一味も二味も違うんだから」

「違ってるのはカラダだけじゃねぇのか? 十年前はションベン臭ぇガキとしか思っちゃいなかったが、なかなかどうして、いい女に育ったじゃねぇか。今のお前なら、俺様の愛人にしてやってもいいんだぜ」


 女剣士――グーゼルと対峙するバルタザールと呼ばれる巨漢。彼らは好色な視線で彼女の肢体を舐め回し、舌舐めずりをする。

 その粘つくような眼差しに、グーゼルはさらに憤るように一歩踏み出す。今にも、斬り掛らんとする勢いだ。


 赤マフラーの男は、そんな彼女の背中を静かに見守っている。


「バルタザールの旦那ァ! もう犯っちゃってもいいっすかァ!?」

「何年もお預け食らって、そろそろ我慢の限界なんすよォ!」

「……構わねぇが、せっかくの上玉なんだ。あんま傷だらけのカラダにすんじゃねぇぞ」

「へっへへ。わかってますよォ、ちょっと骨の一、二本折れてもらうだけっすからァ」


 だが、彼女と最初に戦おうとしているのはバルタザールではなく、その両脇に控えていた二人の荒くれ者だった。

 彼らはグーゼルの膨らんだ胸元に厭らしい視線を注ぎながら、ジリジリとにじり寄る。その姿に恐怖する子供達は、涙を浮かべてグーゼルの影に隠れた。


「……言っておくけど。ここまで踏み込んできた以上、生かして帰すわけにはいかないわ。今までのように、追い払うだけじゃ済まさないけど――覚悟はいい?」

「へっ、覚悟すんのお前だぜグーゼル! 女に生まれたこと、後悔させてや――あ、え?」


 そして、荒くれ者達がグーゼルに飛び掛かる瞬間。眩い一閃が、彼ら諸共周囲の木々を切り裂いて行く。

 上半身と下半身を切り離された彼らは、木々が薙ぎ倒されていく音を聞きながら、べしゃりと地面に墜落していく。斬られたことにも、気づかぬまま。


公国式闘剣術こうこくしきとうけんじゅつ――征王剣せいおうけん


 横一閃に振り抜かれた剣が、動きを止め――荒くれ者達が事切れた後。グーゼルは静かにそう呟くと、改めてバルタザールと対峙する。


「ほ、ほう。やるようになったじゃねぇか。確かに十年前とは違うな」

「次は貴様の番よ。言っておくけど、逃がすつもりはないわ」

「逃げる必要など――ないわァッ!」


 バルタザールは焦燥を隠すように、鉄球を振り上げてグーゼルに襲い掛かる。だが、舞い上がった鉄球が敵方目掛けて墜落するよりも疾く、彼女は剣の間合いまで踏み込んでいた。


「ぐっ……!」

「これで終わりよ、公国式闘剣術――征王ッ……!?」


 再び、横一閃の切り払い。征王剣と呼ばれる、その一撃が決まろうとしている。

 だが……彼女は、その直前に踏みとどまり、技を中断してしまった。


 僅か一瞬、自分を覆った丸い影を目にして――気づいたからだ。自分を飛び越した鉄球の向かう先に――子供達がいることに。


「しまっ……!」


 振り返った先には、迫る鉄球に怯え、泣き叫ぶ子供達の姿。今から引き返しても、決して間に合わない。

 容赦無く鉄の塊にすり潰され、赤い挽肉になる子供達。その光景を想像してしまった彼女の顔から、一気に血の気が失われる。


 だが、結末はその予想から大きく外れた。


「……ッ!」

「えっ……!?」


 今まで事態を静観するばかりで、動く気配を見せなかった赤マフラーの男が、間一髪というところで子供達を抱え、鉄球を回避したのだ。

 敵とばかり思っていた彼の意外な行動に、グーゼルは思わず目を丸くする。


(なんで、あの男が……!? いや、それは後! 今は――)


 だが、すぐに気を取り直して敵方へと向き直る。その眼前には、グーゼルの顔面を狙う拳が迫っていた。


「このアマァァァァ!」

「――この腐れ外道を、叩っ斬る!」


 しかし、グーゼルはすでにそれを読んでいた。瞬く間にバルタザールの頭上へと跳び上がった彼女は、そのまま全体重を掛けるように、縦一文字に剣を振り下ろす。

 禿げた彼の頭頂から、足の爪先まで。グーゼルの剣は、紙を斬るかのようにバルタザールの巨体を両断するのだった。


「あ、あぎ、が……」

「痛いでしょう。辛いでしょう。それが、この国の――痛みよ」


 そして。もがき苦しみ、死にゆく彼を介錯するかのように――征王剣の一閃で、彼の上半身と下半身を切り分けてしまう。

 四等分されたバルタザールの身体は、激しい血飛沫を辺りに撒き散らすと、今度こそ動かなくなった。


「……」


 戦いを終えた彼女の視線が、子供達を抱えた赤マフラーの男に移される。だが、その眼からはすでに敵意は失われていた。

 一人の女として、一人の男と話す。そんな意思が、彼女の瞳に現れている。


「あなた、名前は?」

「申し遅れたが、ダタッツと申す。当てのない旅を続ける、流浪の一戦士だ」

「私は、反乱軍の司令官グーゼル・セドワ。公国勇者、とも呼ばれているわね」


 軽い自己紹介を済ませ、彼女は子供達のそばに歩み寄る。得体の知れない髭男よりは、やはり若い女性の方が安心できるのか、子供達は飛び跳ねるようにグーゼルのそばに駆け付けた。


「とにかく、アジトに戻らないと。案内するわ」

「敵は生かして帰さないんじゃなかったか?」

「敵なら、ね」


 赤マフラーの男――ダタッツの、訝しむような問い掛けに対し、グーゼルはふっと微笑んで見せた。危険を顧みず、子供達を助けたダタッツの行動は、彼女の心を確かに動かしたのだ。


 彼女の笑みを目にして、それを悟ったダタッツは、呆気に取られたような顔を一瞬浮かべると――彼女と同じように微笑み、その後に続いて行く。

 そうして、彼らは森の奥へと進んで行き――山道から、姿を消してしまうのだった。

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