SLEEPA-スリィピア-

白米

第1話

 〈【伊月オリアナ】 20〷/6/3 07:49 [中学校・2-C教室]〉


 眠い、登校中に覚醒する事に失敗したオリアナは友人に「おはよう」なんてにこやかに挨拶を返しながらも頭の中では欠伸を噛み殺していた。

 窓際の真ん中辺りに鎮座する自分の席に着くと、朝の会までこのまま俯せになって仮眠を取りたい衝動に駆られるが、チャイムが鳴るまで後一〇分かそこらで眠ってしまうと起きられずに盛大に恥を掻く結果になりそうだったので自粛する。

 それに、そうじゃなくてもそんなことをすれば髪がぐちゃぐちゃだ、それは女子として如何なものだろう。いや、自転車に乗って来た時点でやや手遅れではあるが。


「伊月おはよー」

「加奈、おはよう」


 今、一つ前の席に座ったのは成宮加奈、パッチリとしていて若干目端の吊り上がった眼と黒髪の綺麗に真っ直ぐなロングヘアが特徴的な女子生徒でオリアナがこの学校内で最も親しくしている友人でもあった。


「昨日の大雨からは想像出来ない程の快晴だねぇ」

「そうだね、わたくしの鞄の中には昨日忘れた傘が入ってるよ」

「この調子ならそいつの出番無さそうだぁ」

「いやいやこの時期ならまだワンチャンある」

「それな、最近の北海道はどうなってんだー」

「梅雨っぽいよね、梅雨無いって話なのに」


 六月は雨の季節、昨今は北海道も例外でなくなったような気がする。

 そんな時季話もそこそこに加奈が言う。


「伊月眠そうだね」

「わかるー……?」

「分かるともさ、なんかユラユラしてるし」

「嘘! 本当に?」

「うん、どした? 昨日は金曜ロードオブショーの日じゃないでしょ?」

「いやわたくしはそんな理由で眠い訳じゃない」


 あの番組が終わるのは精々一一時かそこらの筈、中学生にもなってその時間で寝不足なんて言ってられない、というかつい最近に加奈からその位の時間に電話が来て一時位まで話していた気がする。

 オリアナは次の日もピンピンしていた筈だ、少なくともユラユラはしていなかった筈。


「じゃあどったの?」

「ちょっと夢見が悪かっただけだよ」

「ほう、夢見が悪いとな」

「頗るね……アラームで目を覚ましたんだけどなんか疲れちゃって」

「あぁ~あるある、睡眠時間はバッチリなのに怖い夢見て異様に疲れてるってこと」


 自分の体験を思い出しているのだろう、加奈は腕組をして独りでに頷いている。

 

「成程なー、どんな夢だったの? 何か原因分かるかもだし夢占いググったげるから言ってみ?」

「それが覚えてないの、朝起きたら汗も凄かったしとっても怖かった筈なんだけど……スッカリ忘れてて」

「少しも覚えてないの? 全く?」

「うん、綺麗サッパリ。何でかなぁ」


 今一度思い出そうとしてみても、やっぱり怖かったとしか思い出せない。そもそも起きた瞬間から『あれ、なんの夢だっけ?』と首をかしげていた訳で、時間が経てば余計に分かる訳も無い。


「でもそんだけインパクトの強い夢、そんなすぐ忘れる?」

「夢って存外そんなものだったりしない?」

「まぁそう言われちゃそうだけどねぇ」

「というか夢の話ってフワフワしてるから例え覚えてても絶対グダグダになるよ」

「そこはまあ、ほら、私の巧み過ぎる話術でエンタメに仕立て上げるから」

「それはなんかもう論点が違ってくると思うの」


 少なくともわたくしのお悩みにはアンサーが返ってこなさそう、オリアナはそんな予感を目の前にいる良い笑顔の友人を見て思った。いや、今は話がそういう展開に行かなかったって話題なのだから別に良いのだけれど。


「あれ、今日一時間目なんだっけ」

「えっとー……なんだっけ? 音楽?」

「…………マジだよ。カバのターンだよ」


 夢の話題が切り上げられて、今日の予定について聞かれたものの、うろ覚えながらも小学生の頃とは違って固定された時間割表を脳内投影している合間に加奈が鞄から時間割を引っ張り出してオリアナの脳内時間割にアンサーを出す。


「うわぁ……サイアクだ……」

「最悪はわたくしの方だよ……あの先生わたくしを目の敵にしてるし」

「それな、ホントキモイ」


 音楽が嫌なのではない、担当の教師が嫌なのだ。

 というのもその女教師が加奈の言うようなカバ面不細工で、その外見と一緒に性格まで最悪な為に接点のある生徒の殆どがそいつの事を「カバ」と呼び、たまに「バカ」と呼び、嫌っているのである。

 しかもそのカバ教師、カッコいい男子生徒に対する態度と綺麗な女子生徒に対する態度が全然違うのだ。ちなみに言うまでも無く前者に対しては甘く、後者に対しては当たりがキツイ。

 そんな中でオリアナは特に目の敵にされているのは誰の目から見ても明らかだった。


「あのカバ絶対また伊月の髪にいちゃもん付けるよ」

「間違いないね、校則違反だーって」

「言い方そんな可愛くないけどね、もっとキモイけどね」


 当社比一〇〇倍キモイ、加奈はそう言いながらイモリの黒焼きでも食べろと言われたような顔をしてオリアナを笑わせた。


「わたくしの髪、そんな目立つかな」


 言いながら、オリアナは襟元まで伸びた自分の髪を一房摘んでみる。

 日本人には有り得ない、薄い夕日に照らされた雪のようなプラチナブロンドの髪は、オリアナからしてみれば生まれてからずっと付き合ってきた自分の個性の一つであり、見慣れたものだ。確かに周囲に同じ色の髪の人は居ないが、明るい茶色の人なら同じクラスにだって居るし、大阪に行けば紫色をした髪の人だっているという。

 そんな中で白髪に近い自分の髪がそこまで目の敵にされるのがオリアナには納得が行かなかった。

 そもそも瞳の色だって青い訳で、そもそもハーフな自分は半分しか黄色人種じゃ無い訳で、黒く染めろと言われても髪が痛むから嫌だというのは正当な反論だとオリアナは思うのだ。


「目立つには目立つよね、髪も目も鼻も口も手も足も胸も尻も」

「全身!?」

「なんてゆーかオーラあるよオーラ」

「いやそんなんないし。加奈にこそ大和撫子的オーラが……」

「ないわー、次元戦艦ヤマト的オーラなら兎も角、それはないわー」

「人より戦艦寄りなの?」

「4:6で」

「わたくしの友達が戦艦だった件」


 加奈はそう言うが、オリアナは彼女は随分綺麗だと思う。

 大和撫子、確かにそう呼ばれるような立ち振る舞いこそしてはいないなけれど、所作の一つ一つからは育ちの良さが見えてくるし、何をしている訳でもないのに艶やかで、彼女が未だ女子と呼ばれるならば自分は女児なのではないかと思う時がある。

 今朝のオリアナが寝不足である事に気付いたのもそうだが、気配りが出来て、明るく元気でお高く留まってなくて、同性異性隔たり無く引き付ける魅力があって、自分が男なら嫁に欲しい。それが目の前の友人だ。

 だというのに彼女はオリアナがスペシャルなような物言いで、自分を下に置く。オリアナにアホ面晒して寝てる場合じゃないと危機感を持たせてる張本人だというのに全く持って納得がいかなかった。


「おっと、センセーが来たようだ」

「じゃ、また後でね」

「あいー」


 こりゃ拙いと加奈は立ち上がり、廊下側の自分の席に戻って行った。

 そう、実は前の席の本来の住人は加奈ではない、加奈が立ち去って直ぐに別の女子生徒が席に着いて、それから間もなく朝のホームルームが始まった。

 挨拶、出席確認、事務報告。なんてことない何時も通りのホームルーム。ぶり返してきた眠気と戦っている合間に時間は過ぎていき、合間の休憩時間にだけ加奈と話す為に復活しながら授業中は只管に黒板の文字を板書するロボットと化していた。

 帰ったら寝よう、帰って寝よう。

 カバ教師の嫌味がまるで耳に入ってこない、右から左へ。相槌だけでも打ってる自分が奇跡だった、嫌な気分にならないだけに眠いのも悪い事じゃないかもしれないとその時だけは思った。まあ後々、そんな生返事がカバの逆鱗に触れていると知るのだけれども。

 兎にも角にもそんなこんなで板書マシーン・オリアナは眼球と手だけを動かして着実にノートを埋めて、後で絶対復習するとか心に決めながら、一限目、二限目、三元目、四限目と乗り切って、昼休みに入ると誰の悪戯かは定かじゃないが、山のように盛られた給食に対して特にツッコミを入れるでもなくまるでポテトチップスを一袋食いする位の感覚でペロリと平らげて少しでも眠気を覚まそうと加奈と体育館へ繰り出した。

 丁度五限目も体育だったから更衣室でちょちょいと着替えてバスケットゴールの前へ。先に始めていた同じクラスの者達に混ざって3on3 。別に勝ち負けのある試合じゃない、誰が点数を数えてるでもなく、チャイムが鳴るまで点取り合戦を繰り返し、五限目の授業でガチバトル。

 偶然だが授業もバスケだった、先週までバレーだったのに。休み時間ですっかり目を覚ましたオリアナは勝負事に燃え、バスケ部ばかりのチームにシーソーゲームの末に勝利するというスポ根的ドラマチックを演出して授業を終えた。

 そして、六限目に眠気をぶり返すなんてのはよくある話である、給食をいい感じに消化して、身体を動かして来た疲労感が国語の授業という子守唄に相成って今にも寝落ちしそうになりながら眠らず乗り切れたのはある種の奇跡である。

 残すところを帰りのホームルームとなって、オリアナは胸を撫で下ろす。それと同時にやりきった達成感もあった、ただ今自分がユラユラ揺れていると言われても否定できないかもしれない。自転車は押して帰る事が推奨されるレベルで眠たいのだ。まあ自転車に乗れば目も覚めるんだろうけれど。


「伊月お疲れー」

「うむ……お疲れ」

「うむて。ホント眠そうだね、バスケの時の覇気は何処行った?」

「あっち」

「さ、さいで……」


 窓から見える体育館を指さしたオリアナに、加奈は目の前の友人が本気でヤバい事を悟る。


「マジで大丈夫? 今日送ってこうか?」

「もーまんたい、もーまんたい、わたくし、つよい子」

「駄目そうなんだけど。朝の四倍位駄目そうなんだけど」


 そこまで眠いならいっその事寝ちゃえばよかったのにと加奈は思う。

 ここまでくると具合が悪そうにすら見えるし、教師に言えば保健室で眠る事も出来ただろう、なんなら自分が教師に上手い事を言ってオリアナは授業の合間の時間に保健室へ行ってもよかった。

 けれどそうしなかったのは、オリアナが眠ることを怖がっているように見えたからだ、本人は夢見が悪くて疲れていると言っていたが、まるで眠ることが畏怖の対象であるかのようだった。

 勿論本人がそう思っているかは加奈にも分からないのだが、心の何処かでそう感じていて本人が眠るまいとしているなら意思を尊重すべきと思ったのだ。

 まあこの調子なら家に帰った瞬間ベットに直行しそうではあるが。


 そんなこんなで帰りのホームルームも終わり、オリアナは別れの挨拶もそこそこに脇目も振らず自転車置き場へ直行した。心配する加奈をも振り切って、最初からフルスロットルで帰路につき、途中電柱にぶつかりそうになりながらも事故を起こす事無く無事に家へ到着すると車庫に自転車を置いて家の中に入る。

 リビングへ行くとテレビの中で美形なキャラと醜悪な怪物が戦っていて、ソファの端から脚が見えた。


「アナおかえりー」

「……ただいま」

「どしたー? 引き篭もりの兄を見てしまったような顔して」

「まんまだよ」


 そっかー。とかいって体を起こしたのは伊月玲。オリアナの兄だった。

 オリアナの様に金髪碧眼という訳では無く、普通に日本人的な黒髪茶眼、バスケをすればダンクも優に決められそうなスラリと長い手足が特徴的な長身に、母親似の中性的な顔立ちは身内の贔屓目であるかもしれないが、かなり端麗だ。同年代の男子に見られるむさ苦しさとも無縁で、それだけに『ヒッキーの心得』と書かれたTシャツがかなり残念に見える。

歳は一六、オリアナの三個上で、高校へ行っていれば高校二年生になる。そう、行っていれば。

 玲は二年生に上がってから高校へは行っていない。

 理由はオリアナが幾ら訪ねても玲は答えなかった、両親も兄が学校へ行かない事に何も言わないし、何かが有ったんだろうということは分かる。


「アナもゲームする?」

「しない」


 オリアナにとって玲は兎に角格好いい人だった。

 何時も引っ込み思案だった自分の手を引いてくれて、何かがあれば必ず駆けつけて守ってくれて、困ったことがあれば一緒に悩んでくれる。

 自分の一歩も二歩も先を行ってる自慢の兄、それが伊月玲という男の筈だった。

 だから学校へ行かなくなった兄を見たのはかなりショックだった、立ち振る舞いは何も変わっていないけれど、ヒーローが悪者に負けてしまったような絶望感があった。

 だからだろうか、少し距離が出来てしまったように感じるのは。


「あらつれない。お腹でも空いてるの?」

「お腹はちょっと空いてるかも」


 それ以上に眠いけれども。


「じゃあ何か作ったげるかな。何が良い?」

「クロクムッシュ」

「飯前に結構がっつり行くなぁ。まあオッケー、後で部屋持ってったげるよ」

「え、ホントに作ってくれるの?」

「ん? うん。あれ? 食べるんだよね?」

「た、食べる!」

「りょーかい、りょーかい。待ってなさい」


 それでも仲が険悪まで行かなかったのは一重に玲の性格故だろう、オリアナが勝手に作った距離を玲は何でもないかのように縮めてくる。

 オリアナは自分が小さく思えた、けれども、さりとて、だからこそ兄には完璧であって欲しいと願う、英雄のままでい続けて欲しいと幻想を押し付ける。


「兄さん」

「んー?」


 既にキッチンに向かった玲から返って来た返事に、言おうとした言葉は喉まで来て止まる、今の兄を見る度に思い、口に出そうとして出せないことがある。

 聞いても多分答えてくれない、そう思うと口にするのも躊躇われた。

 緩い兄の明確な拒絶程堪えるものは無いから。


「あ……いや。もしかしたら寝ちゃってるかもしれないけど、そしたら……」

「ヘッドバットは任して」

「わたくし、寝ない。絶対」


 とっさに口から出た言葉が思わぬ藪蛇だった。いや、まあ出来たてが一番おいしいものをオーダーしておきながら寝落ちして冷ますというのも失礼な話である。

 とか考えながらも自分の部屋に入ると抗いようのない眠気が襲い掛かって来た。

 自転車の運転も危ういほどに眠かったのだから、当然といえば当然かもしれない。


「寝っ転がるだけ、寝っ転がるだけ」


 オリアナはそんな事を口にしながらベットの魔力に抗えず制服のまま倒れ込み、自然と体から力が抜けていくのを感じていた。

 あ、これは駄目だ。オリアナはそう思った時にはもう瞼も開かなかった。

 玲はやると言ったらやる、これはヘッドバットコースだなぁ、とか、そんな思考を最後に意識を手放した。




 ◆◆◆



 だからこれは夢だろう。


「……え?」


 意識が妙にハッキリとしていた。

 それこそ夢とは思えない程に。

 ここは何処だろう、見渡す限りの草原に気付いたら……いや、眠りに着いたら立っていたオリアナはその余りのリアルさに驚いた、夢特融のフワフワした感じが全くなく、頬を撫でる心地良い春風、草花の青臭い匂いと足をくすぐる感触。


「なに、これ」


 下を見れば自分がかなりの軽装になっていることに気付く、無地の布のワンピースにサンダル、それだけしか着ていない。


『スリィピアへようこそ』


 耳を通さず、まるで頭の中に聴覚が出来たような感覚があった。

 少し変な感じだが女性の声だ。


『【伊月オリアナ】のこの世界における役割は【勇者】です』


「ゆう、しゃ? え? 何?」


 訳が分からなかった、いや、夢だから訳が分からなくていいのかもしれないけれど、現状は夢と言うには余りにも……。


「痛っ……い?」


 頬を抓ってみて、痛みが有った。

 夢なのに、夢である筈なのに。……夢なんだよね?

 オリアナは怖くなった、何がという訳では無いのだが、何かがたまらなく怖くなって、走り出した。

 当然のことながら、目的地なんてない。

 今すぐにでも目を覚まして、玲の作ってくれたクロクムッシュを食べたかった。



「グルル……」


 そんな現実逃避にも似た疾走は強制的に停止させられる。

 犬がいた。

 いや、恐らくは犬ではない、狼だ。

 黒く固い毛で全身を覆われ、赤く光る眼で此方を睨み付け、歯をむき出しにして威嚇する、明確な敵意を向けてくる獣。

 オリアナは先ほど頬を抓った時の痛みを思い出す。


「ひっ……!?」


 もしも首に喰いつかれようものなら良くて死ぬような痛みがある程度、最悪絶命なんてのも有り得るのではないか、そんな考えが過る。


「ガァァァァ!」


 狼がオリアナに襲い掛かるのオリアナが反対方向へ走り出すのは殆ど同時だった。

 だが、狼の脚力に人が勝てる筈も無い、距離はあっという間に縮まっていく。

 迫りくる足音、限界が近い体力。


「た、助けて!」


 オリアナは叫んだ。

 来る筈はないだろう、だけど、助けを求めずにはいられなかった。


「助けて! 助けてぇ! 兄ちゃん!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る