第30話 呪いの亡霊

 森が闇夜に包まれ、村が静寂に支配される頃。少数の見回りを除く村人の大半は、明日の仕事に備えて眠りにつき、穏やかに夜を過ごしていた。

 一方、ごく僅かだが、そんな時間になっても酒を飲んで騒ぐ連中もいる。見回りの者が何度注意しても直らない者が多く、村人も彼らには手を焼いていた。


「あー、いいねぇ平和って! ここには帝国軍もこねぇし、ここ一年くれェは山賊も現れねェし! なんでか知らねぇけど、やっぱ平和が一番だぜ!」

「それなんだがよ。風の噂だと、どっかから来た凄腕の剣士が一人で、この辺の盗賊共をみんなのしちまったって話だぜ」

「へぇ、ほんとかそりゃあ! ……うん? そういや一年くれェ前から、ここに風来坊の剣士が居着いてたよな」

「タツマサのことか? ははは、さすがにあいつはねぇよ! 確かに剣は持ってるけどオンボロだし、戦ってるとこなんて見たことねぇし、なによりチビでドジだもんな。あいつに盗賊が倒せるんなら、俺は魔王にデコピンで勝つね」

「ちげぇねぇ! がははは――っと、噂をすりゃなんとやら、だな。どこ行く気だ、あいつら?」


 すると、彼らの視界に捜索隊の姿が映り込む。あり合わせの槍や斧、鍬などで武装し、物々しい表情で村の門へ向かう彼らの姿に、酔っ払い達の一人が酔いを覚まして息を飲む。


「……お、おい。なんだあいつら。あんな仰々しいカッコで、どこに行こうってんだ?」

「さぁ、な。どうせ近くに猛獣でも出たんだろ。良くあることじゃねぇか」


 他の者達は大して気にしない様子で、再び酒に手を伸ばして行く。一方、酔いを覚ました中年の男は――訝しむように、捜索隊の列を見送っていた。


「あのタツマサとかいうチビまで……。なんだ……何が起きようってんだ……?」


 その視線を浴びながら――剣を携えた少年は、仲間達と共に森の奥深くへと踏み込んで行くのだった。


 森は闇に包まれ、数歩先が真っ暗になっている。村人達はカンテラで視界を確保しながら、歩み慣れた村への道を見渡していた。


「すまないね、タツマサ君。村へ来てまだ一年程度しか経っていないというのに、こんなことに付き合わせてしまって」

「いえ、俺が望んだことですから。……それにしても、なかなか見つかりませんね……」

「ああ……。ベルタが心配するのも、無理はないな」


 この道の地面には、馬車の跡が残っていない。少なくとも、帰りの馬車はここに辿り着くことすらできなかった、ということになる。

 もっと遠いところで――何かが、起きたのだ。


「村長さん……」

「……行こう、タツマサ君。仮に向こうが無事なら、この道を下る途中で合流できるはずだ」

「……はい」


 不安を拭うように歩みを進めて行く村長。その背中を、タツマサと武装した村人達が追いかけて行く。

 ――闇に紛れ、彼らの背中を追い続ける一つの影には気づかないまま。


「……! 村長、これは……!」

「む……!」


 そして、それから約一刻の時間が過ぎ――道を辿りながら行方を探していた村長一行は、ついに手がかりを発見する。

 それは馬車のものと思しき車輪の跡。その軌跡は本来通るべき道からは大きく逸れ、茂みの奥へと向かっていた。


「やっぱり……! ここで何かが起きたんだ、村長!」

「おい、辺りの木を見てみろ! あちこち傷だらけだ! まさか、猛獣に襲われたんじゃあ……」

「ば、ばかなことを言うな! 縁起でもない!」

「じゃ、じゃあまた盗賊が出て来たのか!? 一年以上も出てこなくなったから、この山からいなくなったもんだと思ってたのに……!」


 村人達は、その周辺に残された痕跡を次々と発見し、身を震わせる。大きな切り傷が付いた木、踏み荒らされた茂み。それらを見付けて行く度に、馬車が何かに襲われた可能性が高まって行くのだから。


(……違う)


 だが、その中で一人。

 竜正だけが、現場の痕跡を冷静に見つめていた。彼の鋭い眼差しは、傷つけられた木に向かっている。


(猛獣の爪や牙で付いた傷なら、傷は平行に付いているはずだ。けど、この木の傷は線がみんなバラバラ。……それに、この跡の深さ……。これは、猛獣の仕業なんかじゃない)


 猛獣の線が薄いとなると、残る可能性は盗賊。しかし、この山を根城にしていた盗賊は全て撃退したはず。

 それ以外の「何か」が、この村に厄災をもたらしたのか……。竜正は、村人達と共に周辺を探りながら、そう逡巡していた。


(……?)


 その時。

 竜正はふと、捜索を中断して顔を上げ――周囲を見渡した。周りでは村人達が変わらず捜索を続けている。


(気のせいか……? 今、人の足音が一つ多かったような気がしたんだが……)


 茂みを掻き分ける時の足音が、今いる人数と一致しない。それに違和感を覚えた竜正だったが、辺りを見回しても、異変は見つけられなかった。


(聞き違い、だったのだろうか……)


 竜正はそれに対し、腑に落ちない感覚を抱きながらも、気のせいとして片付けようとする。――が。


「う、うわぁああぁああッ!」


 村人の悲鳴が竜正の思考を掻き消し、捜索隊の注目を一箇所に集中させた。声が聞こえた方向は、今いる場所からさらに奥の森であった。


「まさか……!」


 その叫びから事態を察した竜正は、最悪のケースを覚悟した上で、声がした場所へと飛び込んで行く。

 そして、先に到着した捜索隊が絶叫を上げるさなか、最後に到着した竜正は……悍ましい現実を、目の当たりにするのだった。


 馬車……だったものと思しき木片があちこちに散乱し、人の形をした肉塊が壊れた人形のように、そこら中に転がっていたのだ。

 さらに近くの木々には、人の手足が幾つも突き刺さっている。加えて、馬車からその周辺に至るまで、赤い血潮の海が広がっていた。


 地獄絵図。その一言が、この空間に集約されている。


「お、おぇっ……!」

「ゲホッ、ゲェッ……!」


 村人達は次々と吐き気を催し、眼前の惨劇から目を背けて行く。その光景の恐ろしさと腐臭に、彼らの精神があっけなく崩れてしまったのだ。戦士でもない村人には、荷が重すぎたのである。


「……なんと、いうことだ……ミリア……!」


 村長はそんな中、吐くことも背を向けることもなく。ただ悲しげな表情で、馬車の奥で永久に眠る妻を、見つめていた。

 亜麻色の長髪は血の色に染まり、半開きになった眼からは魂が失われている。その苦しげな死に顔が、この事件の凄惨さを如実に物語っているようだった。


「……」


 竜正は落胆する村長を一瞥すると、彼の視界に入らないよう気を遣いながら、周囲の調査を始める。

 馬車の破壊された箇所。遺体に残された切り傷。それらに着目し、竜正は片膝をついて痕跡を撫でた。

 すると――彼の手に、細かく砕かれた金属片が触れる。それは、剣の刃こぼれによって生じるものだ。


(……やはり。この壊れ方、切創の形……。これは剣によるものだ。しかも、馬車を破壊する程のパワーで……)


 何者の仕業かは依然不明なままだが、犯人達が相当な膂力の持ち主であることは明らかだった。恐らく、犯人達を見つけたとしても村人達では歯が立たないだろう。

 そう判断した竜正は、自身が背負う責任の重さを、改めて痛感する。この村に生きる人々の命運は、自分の手に懸っているのだと。


「いやぁあああ!」


 その時。甲高い叫びが夜の森に轟き、村人達が一斉に顔を上げる。

 竜正はその叫びに、思わず目を見開いた。この捜索隊に、女性は一人もいないはず。それに、この声は……。


「ベルタ!? なぜ来たんだ、家にいろと言ったはずだぞ!」

「お母さん! お母さんっ! いや、ぁぁあああ!」


 村長は茂みに隠れていたベルタを見つけ出すと、両肩を掴んで激しく揺さぶる。が、彼女は父の叱責には何の反応も示さず、ただ目の前に横たわる母の亡骸を見つめ、泣き叫んでいた。


(さっきの違和感はベルタだったのか! 迂闊だった……!)


 竜正と村長はここに来る前、捜索隊に同行しようとしていたベルタを制止していた。臆病な性格ゆえ、普段なら絶対に夜は出歩かないはずの彼女が、母に会うために懸命に捜索隊に加わろうとしていたのだ。

 もっとキツく言い聞かせておくべきだったと、竜正は後悔した。馬車の者達が皆殺しにされている可能性は、ここに来る前から覚悟していたのだから。


「……ッ!」


 刹那。半狂乱になり喚き散らすベルタの声に隠れ、複数の殺気がこの場に集まろうとしていた。

 敏感にそれを感じ取った竜正は、条件反射で腰に提げた銅の剣に手を掛ける。そして――本能に導かれるまま、その切っ先が振るわれた。


「ひあっ!?」


 村人の一人――の、背後から現れた黒い影へと。

 後ろから村人を斬り殺そうとしていた影の動きは、自身の脇腹に直撃した銅の剣の衝撃により阻止された。


「……ッ!?」


 だが、薄汚れた白いマントを纏うその影は、腹に一閃を浴びただけでは倒れず――そのまま破壊された馬車の上へと跳び乗った。

 しかし――竜正はそのタフさよりも、自身の手にある銅の剣から伝わってきた「手応え」に、驚愕していた。


(今の感触……! まさか、いや、そんな……ハッ!?)


 竜正はどことなく身に覚えのある、その手応えに冷や汗をかいていたが……やがて、近づいてきた新手の気配に気を取られ、思考を中断してしまった。


「な、なんだこいつらぁ!」

「ひぃぃい!」


 次々と草むらから飛び出し、馬車の上へと乗り移って行く白マントの男達。フードで顔を隠しているため、素顔はわからないが……その腰に提げられた剣は、王国製のものだった。


「ウゥ……ウ……」

「ァ、アァアア……」


 彼らはふらつきながら、低くくぐもった呻き声を上げている。さながら、生ける屍のように。

 そんな異様な姿の男達を前に、村人達は震え上がり、尻餅をつく。本能で、この男達が危険であると感じ取ったのだ。


(俺と同じで、戦場から剣を奪ってきたクチか……! この国を守るための剣で、この国の人々を傷付けたってことかッ!)


 先程の身のこなしや、竜正の一撃で倒れないタフネス。恐らくは、この者達こそ馬車を襲った襲撃犯なのだろう。

 そう悟った竜正は怒りで歯を食いしばり、柄を握る手に力を込める。まるで、かつての自分自身を見せつけられているかのような苛立ちが、彼の感情を揺さぶったのだ。


「あ、あいつらがみんなを……くそったれぇぇえぇえ!」

「いかん! 迂闊に近づくなッ!」


 すると、村長の制止を聞かずに村人の一人が、鍬を振り上げて男達に突進し始めた。恐怖や怒りに惑わされた精神が、村人から冷静さを奪ったのである。

 男達は自分達に突っ込んでくる敵に対し、雄叫びを上げながら剣を振り上げる。そして、村人の脳天に彼らの一閃が集中する瞬間――


「ぐえっ!?」


 ――村人に追いついた竜正が後ろから襟を掴み、強引にその足を止めさせた。

 その反動で村人は尻餅をつき、自然と頭が低くなる。結果として男達の斬撃は空を切り、村人は一命を取り留めたのだった。


「はッ!」


 間髪入れず、竜正は銅の剣を水平に振るう。男達はその一閃をかわすために同時にその場から飛び退き、距離を取った。

 その隙に村人を庇うように矢面に立ち、竜正は銅の剣を静かに構える。


「奴らとは俺が戦います、村長達はベルタを連れて脱出を!」

「な、なんだと!? 君を置いて行けというのか!」

「この暗闇の中では勝負になりません。早く!」

「くっ……!」


 村長は竜正の判断が間違いであるとは――言い切れなかった。実際、村人のほとんどは敵の異様さに戦意を失っている上、全く戦えないベルタもいる。

 対して、竜正だけは男達と対等以上に渡り合っているようだった。無理に戦おうとしても足手まといにしかならないことは、明白である。


 多数の人命を取って村の仲間を見捨てるか、義理を取って無理矢理戦いに加わるか。苦渋の選択を迫られ、村長の頬を汗が伝う。

 ……しかし、ゆっくり考えている時間などない。すでに男達は剣を振りかざし、竜正に迫ろうとしていた。


「……約束してくれタツマサ君! 必ず生きて帰ると!」

「――わかりました」


 結果として、村長は村人を一人でも多く逃がすことを決断する。……そのために、竜正を囮にすることを。

 だが、竜正は恨み言一つ吐かず、それどころか安堵した様子で、村長に微笑みかけるのだった。そして、男達に向け――銅の剣を構える。


(あの感触――やはり連中、あのマントの下に王国製の鎧を着込んでいるな。戦場から奪ってきたものをそのまま着てるんだろうが……これ以上、この国のために戦ってきた騎士の遺品を、こんなことのために使わせるわけにはいかない!)


 静かに、それでいて熱く戦意を滾らせる竜正に、男達は化け物のような呻き声を上げながら突進していく。

 息を合わせた連携など欠片もない、ただ群がるだけのがむしゃらな攻撃。しかしその不安定さが、先の読めない不規則な連撃を生んでいた。


「……そんなもので、振り回される俺だと思うな!」


 しかし、竜正はそれにペースを乱されることなく、あくまで冷静に剣を振るう。

 最も近い距離まで接近してくる敵から、各個撃破で切り伏せていく。


 やはり、最初に感じた手応えは気のせいではなく――倒れて行く男達は皆、マントの下に王国製の鎧を装備していた。

 騎士の証であり、誇りである武器や防具を略奪や殺戮の道具に使う。それが如何に許し難いことであるかは、騎士道に疎い竜正でも理解していた。

 命を懸けて戦ってきた帝国騎士達も、己の武具を大切にしていたのだから。


「グェッ!」

「ガァアッ!」

「す、すげぇ……! あんなに一斉に襲われてるってのに、一度も斬られてねぇ! しかも、今度は一撃だけであいつらを……!」

「タツマサ君……君は、一体……!?」


 次々と呻き声を上げ、倒れて行く男達。すでにその数は半数以下になっていた。

 竜正の圧倒的な強さに、村の誰もが息を飲む。剣士として村に訪れていながら、今迄一度も「強さ」を見せずに過ごしていた少年の実力を目撃し、彼らは驚嘆していた。


 ――しかし、その一方で。

 竜正は男達の異様さに、疑問を抱き続けていた。


(なんなんだ、こいつらは。明らかに正気じゃないし、殺意というよりは――むしろ、恐怖に駆られて錯乱しているような声ばかり上げている。ただの盗賊じゃないぞ、

こいつら……!)


 すると――男達の動きに、変化が現れた。


「ア、アゥウアアア……!」

「ヒヒ、ヒギィィイィイ!」


 竜正に多くの同胞を倒されたためか……呻き声が変わったのだ。何かに怯えるような声色で、彼らは狂ったように叫び出す。

 その変化に村人達は震え上がり、竜正は男達の猛襲を警戒し、村人達を庇うように立つ。


「テイ、コク……!」

「……テイコク……ユウシャアアァア!」


「――ッ!?」


 そして。血を吐くような男達の絶叫に、竜正は目を見張る。

 その叫びを最後に、残った男達は蜘蛛の子を散らすように方々へ退散していった。


(帝国勇者……!? 今、帝国勇者と言ったのか!?)


 一方。竜正は、彼らが残した言葉に衝撃を受け、その場から動けずにいた。到底、追撃どころではない。

 村人達の多くは胸を撫で下ろしていたが、村長とベルタは未だに表情が暗い。


「……」


 特に、男達の変化に気づいた村長は、竜正に訝しむような視線を向けていた。


(い、いや……今はそれより、村人全員の安全が第一。とにかく倒した連中だけでも縛り上げて――!?)


 その視線に気づかないまま、竜正は自分が倒した男達の方へ振り返り――絶句した。

 倒れた彼らのフードは風にめくられ、素顔が露わになっていたのである。そして、明らかになった彼らの素顔に――竜正は、見覚えがあったのだ。


 ――二年前の戦場で、竜正に……帝国勇者に斬られた騎士は数知れない。だが、全ての騎士がそれで命を落としたわけではない。

 勇者の剣が持つ異様な邪気に支配され、恐怖に囚われた騎士も僅かにいたのだ。彼らは発狂して戦場から逃亡し、行方不明になったという。

 そうして生き延びた彼らの行く末を知る者はいなかった。しかし今、ようやく「知る者」が現れたのである。


「そん、な」


 掠れた声で呟く竜正の脳裏に、久しく忘れていた戦いの日々が蘇った。傷の痛みと恐怖に震え、自分から逃げ出して行った騎士達。

 彼らは今――ここにいる。


 そう。馬車を襲撃し、村人の命を奪ったのは――騎士の武具を奪った盗賊などではない。略奪が目的だったわけでもない。

 帝国勇者に……竜正に狂わされた騎士達が、錯乱の果てに起こした殺戮だったのだ。


「……」


 その事実に辿り着いてしまった竜正は、言葉を失い――剣を落としてしまった。顔からは血の気が失われ、その瞳は動揺に染まっている。


「……タツ、マサ……くん……」


 何も知らないベルタは、母を失った悲しみに暮れながらも――そんな彼の背中を、案じ続けていた。

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