第9話 ダタッツという男

「……なんだ、てめぇは」

「文無しの旅人だ」


 獲物を射抜く狩人の眼で、アンジャルノンはダタッツを一瞥する。ロークを抱え、闘技舞台へ着地した彼の身のこなしを目撃した巨漢は、目の前の男がただの旅人ではないと睨んでいるようだった。

 一方、ダタッツは彼と視線を交わすことなく背を向け、闘技舞台から降りて行く。その両腕に、小さな騎士を抱えて。


「や、野郎! また俺達の邪魔……を……」


 その進路上に立ち塞がったのは、およそ十日前にダタッツを斬ろうとしていた帝国兵だった。一度ならず二度までも自分達の邪魔に入ってきた浮浪者に、彼は容赦なく剣を向ける。


 ――だが。ダタッツの眼差しが漂わせる殺気に触れた瞬間。

 彼は本能に命じられるまま、動きを止め……通り過ぎて行く彼の背を追うことすら出来なかった。


 そして。

 ダタッツの足が止まる時――彼の目の前には、呆気に取られた様子のルーケンとハンナが立っていた。


「ダ、ダタッツ君、君は……」

「ルーケンさん、隙を見てダイアン姫の身柄を運び出してください。ハンナさんは、ローク君を」

「えっ、あ、う、うん……」


 彼らの理解が追いつかないうちに、ダタッツは二人にロークを預け、踵を返して行く。向かう先は、闘技舞台。

 その行き先を見遣り、ハンナはダタッツが何をするつもりなのか悟り――冷や汗をかくのだった。


「ダ、ダタッツさん!」

「はい」

「……き、気を付けてね」

「ええ。ありがとうございます」


 だが、彼が持つただならぬ雰囲気に飲まれていた彼女は、その背を引き留めることが出来なかった。

 せめてもの思いで掛けた言葉に微笑む姿を見ても、不安は拭えず。彼女の手は、動悸を押さえるように豊かな胸の上で強く握り締められていた。


 そんな彼女の見送りを背に受け、ダタッツは闘技舞台へ戻っていく。民衆は彼に道を譲るように、左右へと広がっていた。

 しかし、帝国兵達は――再び剣を抜き、その行く手を阻もうとしている。


「待ちやがれ。さっきから舐めた真似しやがって、覚悟は出来てるんだろうな」

「俺達は栄えある帝国の兵士様なんだぜ。その俺達を無視して、アンジャルノン様のところに行こうなんざ――」


 ダタッツの殺気に気づかない兵士達は、苛立ちを募らせるように剣先を揺らし、彼を睨み付ける。口々に、恫喝の言葉をぶつけながら。


 そんな彼らに、ダタッツは何も言い返さない。


「……」


 何も言い返さないまま。


「がっ――」

「あっ――」


 銅の剣の一閃で、障壁を薙ぎ払うのだった。


「なっ!?」

「や、野郎ふざけやがって!」

「俺達に逆らったこと、後悔しやがれ!」


 刃の潰れた銅の剣による「打撃」を浴びた帝国兵達が、次々に宙を舞い――地に墜落していく。その瞬間を目撃した他の帝国兵達は、怒りをぶつけるように一斉にダタッツへと向かって行った。


「容赦はしない。悪く思わば勝手に思え」


 その憎しみをさらに凌ぐ、強大な「力」。それを表現する斬撃の嵐が、帝国兵達の身体を舞い上げて行く。

 まるで、ダイアン姫やロークの思いを蹂躙した、アンジャルノンのように。


「な、何をしておる! あんなみずぼらしい小僧一人に!」


 ロークが吹き飛ばされた時までは余裕を保っていたババルオも、次々と自分の私兵が薙ぎ倒されていく様を目の当たりにして――徐々に血の気を失いつつあった。

 一方、獅子奮迅の勢いで帝国兵達を打ち倒して行くダタッツの姿に、民衆は噴き上がるような歓声で沸き立っていた。


「す、すげぇ! すげぇぞ兄ちゃん!」

「行け行け、やっちまえ!」

「姫様達の仇をとってくれッ!」


 見掛けからは想像もつかないダタッツの剣技。次から次へと帝国兵達を打倒していくその技に、人々は魅入られたように賞賛を送る。


 だが――彼の闘いを間近で見ていたダイアン姫は。


(あの剣術は……! やはり、彼は……!)


 賞賛どころか、恐怖すら覚えていた。単純な「速さ」こそ超人的であるものの――その動作そのものは、彼女がよく知る剣術の動きだったのだ。


 ――帝国式闘剣術。自分達を苦しめた、恐怖の剣の。


 だが、そうとわかっていながら。


(なん、なの……。この……感じ……)


 ダタッツの凛々しい横顔を見つめる彼女の胸には、恐れとは違う感情が渦巻いていた。

 恐怖の色とは異なるリズムで、高鳴る動悸。甘く切ない、胸の痺れ。


 ――それは、憎むべき帝国の戦士に対して……あってはならない感情だった。


「は、はは……すごい、全くすごいなダタッツ君は! 一体何者なんだ、あの子は!」

「わ、わからない……けど……」


 一方、そんなことを知る由もなく、両腕を振り上げて歓喜しているルーケンに対し――ハンナは両手を胸に当て、不安げな面持ちで戦いを見守っていた。


(あの巨体を相手に、どうやって戦うのよ……ダタッツさんっ)


 ダタッツに立ち向かう帝国兵達が居なくなっても――その表情に安堵の色が現れることはなかった。アンジャルノンがいる限り、戦況が苦しいことには変わりないのだから。


「……見事な技だな。まともな剣でさえあれば、皆殺しにも出来たろうに。しかも、帝国軍人しか習得できねぇはずの帝国式闘剣術の使い手ときた。……だが、帝国兵崩れの傭兵にしちゃあ技が洗練され過ぎてる。何者だ、てめぇ」

「さっきも言っただろう。ただの、文無しの旅人だ」

「同郷の帝国人にも語る気はない、ってことか。まぁいい、どうせ俺には勝てんのだ。無理に聞くこともあるまい」


 その思案を裏付けるように、アンジャルノンは鉄球を振り上げ――冷酷な眼差しでダタッツを睨み付ける。

 それに応えるかのように、ダタッツも鋭い眼差しを眼前の巨漢へぶつけるのだった。


「おっ、おのれ役立たず共が! アンジャルノン、さっさとその小僧を叩き殺せ!」


 あと一歩というところで、二人の乱入者に計画を狂わされ、既にババルオは平静を失っていた。恥も外聞もなく、バルコニーから大声で喚き散らすその姿に、民衆は敵対心を剥き出しにしていく。


「負けるな兄ちゃん! そんな奴ぶちのめしてやれっ!」

「姫様を助けてっ! もうあなたしかしいないのっ!」


 そんな民衆の歓声には目もくれず、ダタッツはただ静かにアンジャルノンを見据えていた。――その視線目掛けて、アンジャルノンの鉄球が襲い掛かるまで。


「……ッ!」


 孤を描き、覆い被さるように墜落してくる鉄製の隕石。その影がダタッツの全身を覆う瞬間、彼は咄嗟に横へ転がり回避する。


「甘いわ若造がァァァッ!」


 ――だが、アンジャルノンはその回避を読んでいた。

 闘技舞台に鉄球が墜落した直後。彼は鉄球を繋ぐ鎖を手繰り寄せ、水平に腕を振るう。


 すると、その動きをトレースするかのように鉄球は真横に向かい、弾かれるように飛んでいく。

 転がった直後で、体勢が整っていないダタッツを仕留めるために。


「……!」


 再度の回避は間に合わない――そう判断したのか。

 ダタッツは転がる時の姿勢のまま、即座に木の盾を構えた。次いで来たる衝撃に備えて、身を屈め――


 ――木の盾ごと。

 吹き飛ばされてしまうのだった。


 紙切れのように弾き飛ばされ、闘技舞台から転げ落ちていく若き剣士。その姿を一瞥し、紅い巨人は歪に口元を吊り上げた。


 木の盾「だった」木片は塵と化して宙を舞い、先程まで歓声を上げていた人々の頭上へと降り注いでいく。

 その光景に言葉を失った民衆は、絶望を滲ませた表情で、倒れたまま動かないダタッツの姿を見つめていた。


 そして。


「――ダタッツさぁぁあぁあんッ!」


 彼の戦いを見守り続けてきた少女の悲鳴が、ババルオ邸にこだまする。

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