第6話 奴隷商との決戦

「てめぇか……俺達をハメやがったのは。随分ナメたマネをしてくれたな」

「さて、何のことやら。ジブンは勝手に捕まり、お前達は勝手に勘違いをした。それだけの話だと思うが?」

「ヤロウ……」


 天を衝くように逆立つ茶色の短髪。怒りに猛り狂うかのような、赤い瞳。その獰猛な顔つきに違わぬ、小麦色の筋肉質な肉体を持つ、腰蓑一丁の悪漢。

 奴隷商の頭目であるその男は、自分達のアジトに土足で踏み込んできた上、同胞達全員を昏倒させた赤マフラーの黒髪男を睨みつける。だが、リコリスの従者達を震え上がらせた彼の眼光は、目の前の仇敵にはまるで通じていない。


「自分達より弱い者を、散々いたぶってきたお前達だ。こうして報いを受けることも、覚悟の上ではなかったのか?」

「うるせぇッ! てめぇら帝国人が勝手に決めたルールなんぞ知るか! 俺達にとっちゃあ金が全て、女が全て! てめぇらの道理なんざ、知ったこっちゃねーんだ!」

「……一理はあるな。ここが奴隷商を禁じられた帝国領内でなくば、だが」


 黒髪男――ダタッツは足元に転がる男達を跨ぎながら、最低限の足場がある場所へと身を移す。その様子を遠巻きに、ミィが驚愕の表情で見つめていた。


「ど、どんだけ強いの、アイツ……」

「ミィ」

「ひゃい! ……じゃなくて何よ!」

「この先にリコリスさんが囚われているそうだ。君は先にそこへ行きなさい」

「だ、だけど……」

「ジブンなら大丈夫。さぁ、急いで」


 ふと自分に向けられた指示にたじろぎつつも、ミィは最後の下り階段に向かっていく。――その様子を見やるリーダーの眼差しを、ダタッツは見逃さなかった。


「行かすかガキャアァア!」

「……!」


 ミィを狙い、投げ飛ばされる大槍。轟音と共に空を裂き、幼気な少女へと襲い掛かる鋭い鉄塊を前に――ミィは思わず目を伏せる。


「――帝国式投剣術、飛剣風ッ!」


 刹那。ダタッツの手に握られた短剣が、閃いた。


 ◇


「なっ――!?」

「え……!?」


 その果てにあるのは少女の血飛沫ではなく――彼女の目前で爆散した、大槍の破片だった。

 来るはずだった「絶対の死」から逃れている現状を飲み込めず、ミィは腰を抜かしたまま辺りを見渡す。


 ――やがて彼女は、自分の傍らに一振りの短剣が突き刺さっていることに気づいた。いつも自分達を引っ張ってくれる、頼れるリーダーが……攫われる自分を助けるために、捨て身で戦ってくれたリーダーが、いつも大切にしていた短剣。

 帝国騎士の副兵装である、その短剣を握り締め――少女は強い眼差しで、それを「投げつけて」大槍を破壊したダタッツを見遣る。


「……鎖で繋がれていたとしても、その剣なら破壊できるはずだ。リコリスさんのこと、任せたよ」

「……あったりまえよ。リコリス親衛隊を、ナメんじゃないっ!」


 そして、勇ましく短剣を振りかざしながら、階段を駆け下りて行く。その後ろ姿を、暫し微笑ましく見送ったダタッツは――自分を睨む悪漢に目を移した。


「なんだ……なんだ今のは、一体なにをしやがった!」

「短剣を投げて大槍を壊した……それだけのことだが? 速すぎて見えなかったか?」

「バカな! あんなちっぽけな剣を投げつけたくらいで、俺の大槍がッ――!」

「――ちっぽけなんかじゃない」


 唾を吐き散らし、眼前の現実を拒絶するリーダー。そんな彼を諭すかのように、ダタッツは静かに――それでいて、厳かに告げる。


「あの短剣は、戦火の果てに生まれた命が、大切なものを護るために振るわれた剣。例え刃が小さかろうと、弱き者を屠ることにしか使われない脆弱な大槍を穿つには、過ぎた『強さ』を持っている」

「バ、バカな……こんなバカなッ……!」

「――さ、話は終わりだ。部下は全滅、得物は大破。もうお前に勝ち目はない、大人しく投降しろ」


 その宣告は、洞窟内に静かに響き渡る。――が、リーダーは焦りを表情に滲ませながらも、口元を歪に釣り上げ獰猛な笑みを浮かべた。


「投降だとォ……バカ言えェッ!」

「――ッ!」


 次の瞬間。目にも留まらぬ速さで、リーダーの懐に隠されていた刃が、唸りを上げてダタッツに襲い掛かる。空を裂く脅威を察知した彼は、咄嗟に首を捻るが――その頬に、赤い傷跡が残された。

 刃はやがて空を駆け抜け、持ち主の手へと帰ってくる。くの字に曲がった刃が、ダタッツの血を吸って妖しい輝きを放っていた。


「ブーメラン、か」

「ハッハハハ! 俺にはまだこいつがある! だが貴様は丸腰! 勝負あったな、身の程知らずが!」


 優位を取り戻したことで増長し、狂ったように嘲笑の声を上げるリーダー。そんな彼を冷ややかに見つめながら、ダタッツは静かに呟く。


「ならさっさと終わらせてみろ。その玩具でジブンを殺せるというなら」

「なっ――なんだとォッ!? 負け惜しみ抜かしやがって……死ねえぇえ!」


 その挑発を受けた悪漢は、目を剥いて憤怒の形相となり――勢いよくブーメランを振りかぶる。回転する刃は空間を切り裂き、弧を描くように、ダタッツに襲い掛かった。

 この状況に立たされてなお、ダタッツに動きはない。もうすぐ減らず口も終わると確信したリーダーは、歪に釣り上った口元から涎を垂らす。


 ――しかしその未来は、夢想に終わった。


「は――ッ?」


 ダタッツの首を切り落とさんと、唸りを上げて襲い来る刃。その刃先を――彼は指二本で挟み、止めてしまったのだ。

 必殺の意思で放った、渾身の一閃を、指二本で。


 あまりに現実離れした光景に、リーダーは理解が追いつかず間抜けな声を漏らす。彼がこの状況が現実のものとして受け止めたのは――投げ返されたブーメランが、右胸に突き刺さった時だった。


「ぐぎゃあぁぁぁあああぁあッ!」

「――あくびが出るな、この速さは」


 右胸を抑え、うずくまるリーダー。その身に、容赦無く激痛が襲い来る。

 ……が、出血量はその傷には見合わないほどの少なさだった。だが痛みから逃れるべく、無理に抜こうとすると鮮血が噴水のように溢れ出る。


「い、いでえぇえ! ちくしょう、ちくしょおぉ!」

「無理に抜けば出血多量で今度こそ死ぬぞ。明日には、騎士団がお前達を検挙しに押し掛けてくる。それまで我慢しなさい」

「あ、明日!? それまでずっと、こうして刺されっぱなしでいろってのか!? じょ、冗談じゃねぇ! 助けろ、助けてくださいお願いします! もう悪いことしねぇからぁああ!」

「お前に痛めつけられた従者達も、そう言っただろうな。――ジブンは、殺しはしない。苦痛の果ての生還か、安楽な死か。それはお前が選べ」

「そ、そんなぁあぁあ!」


 激痛にのたうちまわり、涙目になりながら命乞いをするリーダー。そんな彼を一瞥しつつ、ダタッツは階段を下りていく。

 この戦いに、幕を下ろすため。


 ◇


「……! あ、ダタッツ! よかった、勝ったんだ! よかった……!」


 ダタッツは洞窟の最奥である空間で、ぴょんぴょんと跳ね回るミィの出迎えを受けた。……しかし、ここでダタッツと対面したのは、彼女だけではない。


「――ダタッツ!? まさか、そんな……あなたは!」

「初めまして……でも、ないのかな」


 驚愕の表情で、黒髪の騎士を見上げる桃色髪の美女。あの日と変わらないシャギーショートの髪が、騎士の微かな記憶と重なって行く。

 ダタッツという名に衝撃を受けるあまり、殿方の前で肌のほとんどを晒していることも忘れ、彼女は両手で口元を覆い、歓喜の涙を零す。その現象に戸惑うミィは、「リコリス様どうしちゃったの!?」と不安げにダタッツを見上げた。

 そんな彼女を安心させるように、ふわりと頭を撫でて――ダタッツは穏やかな眼差しで、あの日感じた「温もり」を見つめる。


(あぁ……フィオナ様。こんな、このようなことが……あって、よいのでしょうか。こんな、こんな……)


 ――リコリスは一年前、帝国勇者と思しき人物が王国に現れたという話をフィオナから聞かされていた。かつて伊達竜正という少年だった彼が、ダタッツと名を改めていることも。

 その彼が王国騎士団から除名され、再び行方不明となったという報告が上がった時は、フィオナは深い哀しみに沈み、リコリス自身も胸を痛めていた。


 フィオナとダタッツは、もう会うことは叶わないのか。――自分自身も、彼の健在な姿を見ることは叶わないのか。

 そんな哀しみだけが、胸を突く日々だった。その哀しみが、このような形で晴らされるなど、どうして想像できようか。

 大切な親友の、心からの笑顔を見ることさえ叶わず、奴隷に落とされる運命にあった自分を救い出してくれた騎士が、彼だったなど。


「ダ、タッツ……様……!」

「七年も、心配を掛けて……済まなかった。もう、大丈夫だから。……リコリスさん」

「ぅ、あぁあ……あぁああっ!」


 状況は理性で理解できても、心はまるで追いつかない。その責任を求めるように、リコリスは騎士の胸元へと駆け出した。

 その胸に身を委ねんと、彼女は幼子のように啜り泣き、ひた走る。


 そんな彼女を、穏やかに見つめた後。ダタッツは、困惑しているミィに苦笑いを送りつつ、両手を開いて迎え入れる準備をする。


(……俺はずっと、この温もりが欲しかったのかも知れない。俺を人として迎え入れてくれる、この温もりが)


 そして、彼女がダタッツの胸に飛び込む――その時だった。


「きゃん!」


 子犬のような悲鳴と共に、リコリスは路傍の小石に躓き。べちゃり、と顔面から転倒してしまった。

 豊満な臀部を突き出し、顔と胸を地面に沈めたその光景に、ダタッツとミィは二人揃って微妙な表情になる。


 そんな彼女の一面から、黒髪の騎士は彼女のある「属性」を垣間見るのだった。


(ど、どじっ娘……)


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