第4話 反撃の狼煙

 それから暫し、ダタッツはポロとの取り止めのない私語を続けていた。少年は自分を肯定してくれる大人に、徐々に懐くようになり――やがて彼は警戒心のない、朗らかな笑顔を浮かべるようになっていた。


 そんなポロの様子を、聞き手に回りながら静かに見つめていたダタッツだったが――次の瞬間。


「――!」

「わっ!?」


 突如鋭い顔付きになると、いきなり立ち上がって後方に視線を移した。何もないはずの方向を凝視する彼の変貌に、ポロはおずおずと問い掛ける。


「……あ、あの、どうしたんですか? 向こうに何か……?」

「ポロ。ここはじきに危なくなる、すぐに帰るんだ」


 さっきまでとは別人のような横顔に、声。人が変わってしまったような目付きになった彼を見上げ、ポロは肩を震わせる。

 そんな彼の両肩に、しなやかでありつつも逞しい腕が置かれ、臆病な少年はびくりと心臓を跳ねさせた。


「大丈夫。君達の大切な人は、必ず取り返して見せるから」

「……え……?」


 ――だが、両肩を掴みながらポロを見つめるダタッツの表情は。先ほどまでと変わらない、優しげなものだった。

 まるで、彼を安心させるためだけのように。


 ◇


 月明かりに照らされた夜の地方都市。街灯の影に紛れ、その暗闇に蠢く獣が一匹。

 カルロスと呼ばれるその獣――男は、息を殺してある場所を目指していた。


(アーマドのグズ野郎が牢にいるとすれば、尋問で俺らの居場所を吐かされる前に始末するしかねぇ。全く、余計な手間ァ掛けさせやがって)


 帝国騎士団の詰所に連行されたという王国騎士。それが同胞のダルマ男であると確信していたカルロスは、口封じのために詰所の牢に向かっている。

 詰所の裏手にある牢には窓があり、そこから中が伺える。そこから持ち込んだ槍を突き刺し、殺害する腹積もりなのだ。


(ま、奴隷商最速の暗殺者カルロス様の手に掛りゃあ、奴の命も今夜限りよ。せいぜい、テメェの不甲斐なさを呪いながらくたば――あ?)


 今まで、狙った獲物を仕損じたことのない彼は、尊大さを表情に滲ませて暗闇を進んでいく。その時、彼の目に薄暗い街道から響く喧騒が目に入った。

 普段なら酔っ払いのケンカと切り捨て、気にも留めないところだったが……自分達が使う黒塗りの馬車が見えたとあっては、そうもいかない。


 目を凝らして見てみれば、馬車を引き連れた数人が、短剣を持った小さな少年を殴り倒している様が伺えた。さらに一人の少女が、数人のうちの一人に縛り上げられている。


(……なぁにしてんだあいつらは。新しい売り物の確保か? あんな大人数でぞろぞろ歩いてちゃ、見つかるのも時間の問題だろうが。全くこれだから、暗殺ってもんをわかってないド素人はよ)


 その光景を、暫し冷ややかに見つめた後。カルロスは骨と皮だけのような細身を走らせ、目的地へと風のように向かっていく。

 鉄格子で阻まれた窓が見えたのは、それから数分も経たないうちのことだった。


「へっ……それじゃあ、とっとと済ませて帰るとするかい。ここまで来てお縄なんてゴメンだからな」


 舌なめずりと共に、レンガ造りの壁をよじ登った彼は、鉄格子を掴んで自身の上体を引き上げる。そして、その先にある牢の中を見下ろし――


「あ……? な、なんでぇ。誰もいねぇじゃねえか」


 ――そこにいるはずのダルマ男の姿が見えず、目をしばたたかせる。

 もしや、すでに取り調べ室に連れて行かれたのでは。なら、話を聞き出した騎士達も狙うしか……。


 そう思考を巡らせた彼が、背にした槍に手を伸ばした――その時。


「があっ!?」


 突如、レンガが砕ける音が響き渡り――同時に、カルロスの細足が何かに引っ張られた。予想だにしない事態に、彼は思わず声を漏らして下を見やる。

 ――そこには、レンガ壁を突き破った何者かの手が、自分の片足を掴んでいる、という異常な光景が広がっていた。


「ぎゃああぁあッ!?」


 その事態に思考が追いつく前に。その手に無理やり引き込まれたカルロスの身体は、レンガ壁を破壊しながら牢の中へと引きずり込まれてしまった。

 地べたを転げ回り、やがて壁に激突した彼はすでに血だるまと化し――何が起きたのかもわからないまま、自分を玩具にした「手」の持ち主を凝視する。


 その持ち主――赤いマフラーを巻いた黒髪の男は、冷ややかな眼差しでカルロスに歩み寄り、その胸倉を掴み上げる。カルロスの細身は腕一本でふわりと持ち上げられ、彼は苦悶の表情を浮かべた。

 当たり前だが、こんな男は仲間達の中にはいない。だが、牢の中にこの男がいたということは、噂の王国騎士が彼だったことを意味する。

 つまり、アーマドが捕まったという情報は、ブラフだったのだ。


「……作戦、とは言い難い分の悪い賭けだったが。どうやら吉と出たらしいな」

「て、テメェは一体!?」

「元王国騎士、といったところだ。お前達奴隷商の仲間に、王国製の鎧を着た奴がいると聞いてな。同じ格好の人間が捕まれば、仲間が捕まったと勘違いする可能性に賭けたんだ」

「……!」

「お前達は存在そのものがご法度。そのアジトを隠し通すためなら、仲間殺しも辞さない連中だ。それに話によれば組織は数十人規模。それだけ人数がいるなら、例え途中で勘違いが解けたとしても、正確な情報が全員に伝わる前に誰かは『口封じ』に来るはず。この世界にラインでもあれば、違っただろうがな」

「ラ、ライン……? なんだそ――ぐっ!」


 胸倉を掴む手に、さらに力が篭る。これ以上の問答に付き合う気は無い――と暗に宣告する男に、カルロスは反撃のため背中の槍に手を伸ばし――


「ぎぇえッ!」

「こっちの要求はわかるだろう。変な気を起こすと怪我が増えるぞ」


 ――その手を握り潰されてしまう。鮮血が噴き出す根元からは、握撃によって白い骨が放り出されていた。

 激痛による気絶から、さらなる激痛で呼び覚まされる。その責め苦に威勢を挫かれたカルロスは、観念したように視線で降伏を訴えた。

 それを汲んだ男――ダタッツは、カルロスを降ろすと冷酷な眼差しで言外に命じる。さっさと案内しろ、と。


「ダタッツさん、ダタッツさんどうしよう! カインが、ミィが攫われた!」

「なに!?」


 その時だった。家に帰したはずのポロが、切迫した表情で駆け込んでくる。その報せを受けたダタッツは目の色を変え、カルロスを睨み付けた。


「他にも仲間を連れていたのか。連中はどこだ!」

「ま、街の入り口からここに続く街道の途中だ! で、でも俺が連れてきたわけじゃねえ!」

「……途中でブラフに気づいて、こいつを連れ戻しに来たのか。そこでカインとミィに見つかって……くそッ!」


 予想だにしない展開に、ダタッツは初めて表情に焦りを滲ませる。そして、すぐさまカルロスの首を掴むと、彼を引きずりながら壁の大穴から外へ飛び出して行った。


「案内しろ、死にたくなかったらな!」

「ぎゃああぁあ! す、する! 案内するから離し、離してくれ! 離してくださいお願いします! 骨、骨が地面に当たって……いでぇえぇえ!」


 あっという間に姿を消した二人。その様子を、ポロはただ、黙って見ていることしかできなかった。

 ダタッツがカルロスを引きずり込んだ時から今に至るまで、一分も経っていない。轟音に眠気を覚まされた帝国騎士達が、慌てて牢に駆け込んで来た頃には、すでにポロだけが残された状態であった。


「な、なんださっきの――う、うわぁああ! なんだこれ、牢の壁が!」

「おいポロ! あのダタッツとかいう男はどうした! 一体ここで何があった!?」


 駆けつけた帝国騎士達は、破壊されたレンガ壁を目の当たりにして、戦慄する。そんな彼らの詰問に応える余力もなく、少年は両膝を着いた。

 少年に出来ることはもう、何もない。――あの黒髪の騎士が語った言葉が、真実になると信じるしか。


(ダタッツさん……みんなぁ……!)


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