Prg-a Page.03

 気づいた時、空は白んでいた。

 惟姫いしんが寝ぼけ間のこの薄眼を開けて極端に狭い視界で持って最初に見たのは、まだ日が昇り切らない、朝の空だ。朝焼けもこれからであろうという時間の空気は、夕方と違って昼間に陽光が残した熱もなく、どこかしっとりと涼しい。

 あれ?俺なんで外で寝てるんだ?

 そう思った瞬間に、頭の後ろ、いつもの寝床である自室のベッドならば、枕の当たっているところに熱を感じた。

 と、まだぼやけてしかいない程度の視界の端、自分の顔のすぐ上に、何かある。

 不審に思って、手を添えてみる。何かさらさしているように、惟姫いしんには感じられた。

「あ、あの…」

 控えめすぎる声に、しかし惟姫はそれだけでハッとする。

「……うわっ!」

 果たして何倍速だったのか。惟姫の脳内で、皆目見当もつかない速度で昨夜の自分の行動と出来事がフラッシュバックして、全身に電気が走った。

 視界にぼやけて写る何かは少女の顔で、頭の後ろの熱はー。

 思い至った瞬間に声が出て、飛び起きようとして頭がぶつかると思い避けないとと思い身をひねったら、横に転げた。そう高くはない段差だったのが幸いして、特に修練がなくとも受身が取れた。

「だ、大丈夫ですか…?」

 一度聞いただけで、好んでしまうような、惟姫が今までに聞いたことがないと思ってしまうほどの可憐な声がした。

「あ、うん…大丈夫」

 答えながら、地面にうつぶせで両腕をついた無様な状態からゆっくりと立ち上がる。

 そこで自分が横たわっていたのが、自宅近くの公園であり、それが昨夜人の声を聞いて忍び入った公園であり、そしていくつかあるその公園のベンチに座っていた女性のスカート越しの膝枕であることを認識して、スイッチが入ったように恥ずかしくなってくる。

「お怪我はありませんか?」

 心配そうに、ベンチから落下した時に受け身のために地面についた両腕を覗き込まれる。

「だっ、大丈夫だから!」

 覗き込んできた顔から一歩後ずさって、そこで初めて相手の顔をきちんと認識した。

 まず、髪が白かった。いや、銀髪だろうか。まだ朝焼けには時間があるという空の光も、その髪には反射してキラキラと煌めいている。覗き込んでこられて、背丈が惟姫いしんよりもやや低いことも見て取れた。そして、肌も白い。これで体が弱いというようなことがあれば、まるで絵に描いたようなヒロイン像と言える外見。

「そう、ですか。よかった…」

 心底ホッとして胸をなでおろした、ように見えた。どこの馬の骨とも知れぬ自分を朝まで眠らずに介抱してくれた少女。とても悪い人には、惟姫いしんには見えなかった。これは、厄介ごとに首を突っ込んで正解だったのかな、と心の中でほんの少しだけ自分を褒めてやる。

「そっちは、昨日の夜、大丈夫だった?」

「え、ええ。おかげさまで、なんとも」

 片手で、もう片腕の肘を抱く。そんな仕草まで可憐だ。

「そっか。それはよかった…そういえば、あの後、どうなって……」

「あ、えっと、近所の人が、あなたが殴られたのを目撃して、警察を呼んでくださいました。それで、あの男の人は連れて行かれてしまって…」

「そうなんだ…情けないな。たった一発で今まで伸びてたのかー……」

「い、いえ!そんな、あれがなければ、その、警察も呼ばれなかったので……」

「ま、まあそういう意味ではよかったのかな?…って、ごめんまだ名乗ってもいなかった。僕は真夜惟姫さなやいしん。君は?」

 問いかけると、とても乱れているようには見えない服装を軽く直した後に答えが帰ってくる。

「私は、あおい。……え、燕城えんじょうあおいといいます」

「燕城さん」

 つい呼びかけてみる。こんな風に女の子と知り合うのが初めてで、舞い上がっているのか緊張しているのか、自分でも判別がつかない惟姫いしん

「は、この辺に住んでんるんだよね? 朝まで付き添ってくれてたお礼に、ってわけじゃないんだけど、送りますよ」

 惟姫いしんは少し思案して、しかし先にただ名前を呼んでしまっただだけの発言を取り繕うように言った。夜中にこの辺りを歩いていたこと、見た目からはおそらく学生であろうこと。ということから、この辺りに住んでいるものであろうと判断したのだった。

「あ、いえ。ちょっと事情があって……」

 返す葵の言葉は煮え切らない。

 しかし、それは言い訳を探すというよりは、言い難い、というように、惟姫いしんには聞こえた。

「…そ、そうなんだ!なるほど!じゃ、じゃあ、僕はもう少しで学校に行くし、僕の部屋で少し休んでいくといいですよ!」

 言い切って、自分が恐ろしく大胆なことを言ってしまったことに気がついてしまう。慌てて撤回しようとしたら、

「ほ、本当ですか!」

 食いつかれた。

「え?」

 惟姫いしんから誘ったにもかかわらず、口から出たのは頓狂とんきょうな驚嘆だった。

「お、お邪魔しても、いいんですか…って」

「あ、ああ、うん。はい。もちろんです!」

 食いつかれたから、食いついて返してみる。そんな安直なこの回答が、惟姫いしんと、あおいと、その人生のなぎの終わりを運んでくる。

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