154豚 風の神童と古の魔王【前編①】
始まりは突然だった。
最上級の闇の魔法は微かな光すら通さない黒の世界を瞬時に作り上げる。
闇に囚われたのは笑みを絶やさない一人の青年。
「困ったな。どうして僕が突然、襲われないといけないのだろう? ねえ異国の者、暗闇を好む闇の魔法使いが僕に何の用事があると言うのだろう? それとも僕がネメシスのギルドマスターだと知っての行動なら―――」
襲撃を受けた青年は状況を冷静に分析していた。
仕事柄、理由も無く襲われることはよくあることだった。
だが、このように突然視界を奪われるのは初めての経験だ。
「———笑っちゃうわ、南方最強のギルドマスターがこの程度の力なの? それとも力を隠しているのかしら。アイツは警戒しろって言ってたけど、アタシの闇を祓うことすら出来ないみたいじゃない」
暗闇に溶け込んだ襲撃者の声が聞こえる。
男ではない。
女性の、それも幼さが残る声の持ち主だ。
しかし青年は侮ることなく、そして恐怖に陥ることもなく、恐らくは前方にいるのだろう凄まじい技量を持った闇の魔法使いと対峙する。
「北方の人間、かな。それに僕が北方を憎んでいることを知っての襲撃ならドストルの暗殺者ってところかな」
「アタシは一応北方に属する者よ。今はちょっと複雑な立場なんだけどね」
「北方の魔法使いか。この僕をたった一人で襲うなんて馬鹿げてると思うけど……この襲撃は帝国の意思ではないね、一体誰の差し金だろう。思い当たる人物は数人いるけど、君のような凄腕の魔法使いを手駒に出来る者達じゃない」
「頭の回転は早いのね……って、このアタシが手駒ですって?」
「そうさ、手駒さ。こんな回りくどいやり方を選択するということは大方、誰かの意思を僕に届けに来たんだろう? ふむ、怒りが混じったね。どうやら図星のようだ」
至高の
闇の中とはいえ、何も恐れることは無いのだ。
何せ―――青年は強い。
何せ―――青年は圧倒的な異能を持っている。
何せ―――青年は世界でたった六人しかいない無敵の冒険者。
故に青年は襲撃者からの言葉を待っていた。
別にこのまま撃退してもいいのだが、珍しく骨のありそうな刺客を誰が送り込んできたのかは気になる事案だった。
「駄目ね。南方のギルマスはアタシの嫌いなタイプ。手短かに終わらせましょう」
「それがいい。僕も忙しい身だからね……で、誰からだい?」
「スローデニングからの伝言を預かっているわ。あいつは今あんまり動けないからアタシがわざわざ来てやったってわけ」
「……ちょっと待て。彼がこんな凶悪な闇の魔法使いを僕への使いに寄越しただって? ……それはあんまりな話だな、僕たち冒険者ギルドは彼に恩をうった筈だ。今は南方中で手配されている彼に、こっちに来れば保護してあげるって思いから
「それについてはアイツ。感謝してたわよ、これで食うに困らないって」
「折角の贈り物の感想が食うに困らないだけとはね……噂とおり一筋縄ではいかない者のようだ。けれど、どうして君のような凄腕の魔法使いがスロウ・デニングに付き従っているのかな。彼に仲間が出来たなんて報告は受けていないけれど」
「利害の一致で仲間でも何でも無いわ。そうね、ある意味では……アタシはスローデニングを殺したい程憎んでいるとも言えるわよ?」
「それは何とも、不思議な関係性があったものだ」
「ええ、そうなのよ。さて、あいつからの要求を伝えるわね」
青年は闇の中で小さく笑った。
ダリスから姿を消した英雄が自分にようやくコンタクトを取ってきた。
悪くない。非常に―――悪くない。
青年は待ち侘びていた。
あのデニングが生み出した風の神童は、とてもじゃないがダリスに収まる器じゃない。ダリスは衰退する国であり、もはや終わってしまった大国だ。少なくとも南方四大同盟の盟主足りえる器ではない。
「この街に隠れてる———」
「さて、お喋りに付き合ってあげるのはここまでだよ襲撃者———」
青年は己に絶対的な自信を持っている。
何せ彼は誰が相手であろうと常勝不敗のままに現在の地位まで昇り詰めたのだから。
「礼儀がなっていない―――こんな者を僕への使者に選ぶなんて、かのドラゴンスレイヤーは余程の人材不足とも見える。さあ、君の姿を見せてもらうよ」
青年は右手で左目を覆い隠す眼帯を取り外し、紅の虹彩を放つ瞳が露になる。
たったそれだけの動作が青年の全力へと繋がる予備動作。
弱い筈が無い。
何万もの冒険者の頂点に立つ存在が、このような侮蔑を認める筈が無いのだ。
「
異能を持って世界を統べる。
冒険者の頂点に立つ
精霊の力を借りた魔法でもない、それは
短い詠唱と共に濃密な闇がボッ、ボッ、と極小の炎に喰われていく。
襲撃者は息を呑み、その瞳を美しいと思った。懐かしい力、とも思えた。
視界に写るものなら、何であれ灰燼に還す神秘の魔眼。
成る程、さすがは
襲撃者、ナナトリージュは己が手塩に掛けて育て上げた三銃士の中で唯一の女性を思い出す。そういえばあの子も
「下賎ね、さいってーに下賎。レディの姿を強引に覗き視しようとするなんて……。でも、ほんとアイツの言うとおりだったわ。視界に写るものであれば魔法でも何でも着火する神秘の魔眼。とっくに失われた神話の御伽噺だと思っていたけど……」
闇が晴れ、暗闇に光が戻っていく。ギルドマスターの傍にいた大勢のギルド職員達に掛けていた静止の魔法すらも青年の魔眼によって無に還されていく。
僅かな光を取り戻した夜の世界の中でも、青年の左目に写る紅の虹彩が一際、異常な存在感を放っていた。
「驚いたよ。僕の魔眼を見て動揺しないのは君が始めてだ。それに見た目は人形のように可憐だが、内に秘めるおぞましさは消し切れていないな襲撃者」
「計画は中断よ。正直ね、アタシはアイツの計画なんてどうだっていいのよ。それにアイツの言う通りに動いてる自分が本当に信じられない、ほんと。何なの? アイツ、あの怪我で起きたばっかりだっていうのにいきなりこのアタシに命令するなんて信じられないわ。命を助けられたって自覚は無いのかしら」
「……これはまた、驚いた」
若きギルドマスターは信じられなかった。
己とギルド職員達の間に立つ少女が先ほど光を奪い去った襲撃者なのは明らかだ。
その麗しい姿を左目で捉えており、左目の魔眼は今も間を置かず彼女を襲っているというのに―――襲撃者はいとも容易く魔眼の効果を打ち消している。
恐ろしく危険な存在だ。
嘗て敵にした吸血鬼共よりもよっぽど始末が悪い。
一体、この少女は何者だ? 少なくとも南方の人間でないことは確かだ。
こんな禍々しい雰囲気を放つ闇の魔法使いが無名の筈が無い。
「このダンジョン都市の噂は聞いてたけど、アンタ達やりすぎよ」
彼女からの敵意はいつの間にか消えている。
青年は狼狽える冒険者ギルド職員に動くなと伝え、小さな襲撃者は青年とすれ違い様に声を掛けた。
青年にだけ聞こえるような、小さな声だった。
「アタシだってこの街に辿り付いたばかりで半信半疑なんだからね。でも、アイツに頼まれたから……最低限の仕事はこなすわよ、約束だし―――」
「何を―――」
「―――」
「………………ッ?」
呟かれた言葉に固まった。
目を見開き、青年は呆然と宙を見た。
常に勝者であり続けた青年は、信じられないとばかりに狼狽する。
だが、小さな襲撃者は言葉を紡ぎ続ける。
「―――、―――」
「…………馬鹿な……ッッ!」
最後に「これがスローデニングからアンタへの伝言よ。ふふ、確かにアタシがアイツの手駒って台詞、当たってるわね。忌々しいけど」と告げると、小さな少女はふわりと地面を軽く蹴り宙に飛んだ。「ま、待て!」ギルドマスターが振り返るが、もはやどこにも少女の姿を見つけることは出来なかった。
「…………冗談じゃない、冗談じゃないぞッ!」
● ● ●
「レングラム様! ご無事で!」
「ギルドマスター! 不届きものを捕らえますか!?」
「……大問題だ! 何故気付かなかった! 現在、各ダンジョンにおいてゾンビモンスターが異常発生している理由が分かった! くそッ! 何故僕は気付かなかった! 」
いつも落ち着いているギルドマスターの変貌に、ギルド職員達が慌て出す。
「ギルドマスター! どうされたのですか―――!」
言葉に暴力があるとするならば、彼女が紡いだ言葉はまさしく悪魔の言葉だった。
左目を覆う眼帯を掛け直し、ダンジョン都市ユニバースの最高権力者は気を取り戻す。混乱している場合ではなかった。
確たる理由は無いが、近頃多くのダンジョンで起きている異常な現象がそれが理由だと理解できた。いや、それ以外に有り得なかった。
そして、少女から告げられた言葉が全て真実だとすれば―――。
「引き上げさせろッ―――冒険者達をッ!! 彼らを守らねばならないッ! 今この時よりギルドマスター、レグラム・レングラムの名の下に
「何故! 突然どうされたのですか一体ッ!!」
「即座に職員を派遣し各ダンジョンに潜っている冒険者達を引き上げさせろ! いいか! 今すぐにだ!! それと―――」
報いを受ける。
管理してきた魔境から壮絶な報復を受ける。
誰よりもダンジョン都市を熟知しているギルドマスター故に理解は早かった。
「―――スロウ・デニングだ! ダリスのドラゴンスレイヤーが現在この街に潜伏している! 草の根分けてでも彼を探し出す必要があるッ!! 彼を直接僕の前に連れて来たものにはダリス王室が掛けた懸賞金の倍を出すと街に広めろ!! 恐らく彼は知っている―――! 僕たちが管理している二十四のダンジョンの中でどこで異変が起きているのかをッ! 時は急を要する! 街に滞在している
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