78豚 悪夢の魔法学園③
『皆のもの! 結界の中へ! 限界じゃ! これより先は結界の外に出ることを禁ずる!』
傷付き、魔力切れを起こす生徒が増えてきた。
現れる飛翔型モンスターも時の経過と共に明らかに強靭な身体を持つものばかりとなり、さらには門が突破されたようで大地を踏みしめるモンスターも姿を見せるようになった。
門で防衛線を張っていた第三学年の生徒達が続々と大聖堂に戻ってくる。
ビジョン・グレイトロードも結界の中へ再び避難した内の一人だった。
大聖堂の中では見知った者と声を掛け合い、いつ王室騎士達が来るのかと励まし合う姿がそこかしろに見られた。
「ビジョン様ッ! 大丈夫でございますか!」
彼は特に平民の知り合いが多かった。
同室の生徒に始まり給仕のメイドや従者達。
クルッシュ魔法学園にいる平民達の間にはいわば絆のような結びつきがあり、そこに半分片足を突っ込んだビジョンに平民の知り合いが増えていくのは至極当然のなりゆきであった。
ビジョンは恐怖の欠片などおくびにも出さず、ことさら震えている平民のメイド達に大丈夫だよと
一歩外に出れば、そこに広がるはモンスター達のテーマパークであった。
「血が……」
彼女達はモンスターの血に塗れたビジョンを見てより震え上がり、ビジョンは落ち込んだ。
名誉の負傷だというのに、戦いに馴染みの無い彼女にはこのかっこよさが理解出来ないのかと彼は悔しがった。
「それで皆さん。知り合いは全員ちゃんといますか?」
こんな時でも丁寧な言葉遣いを忘れない。
例え平民であったとしても、ビジョン・グレイトロードという少年は彼らを本当の友人として考えている。
だからこそ彼もまた、スロウ・デニングと同じように生徒を問わず、学園の平民達から好かれるようになったのだ。
「はい……あ、一人だけ見当たらないんですけど……この人数です。きっとどこかにいると思います」
「ごった返すような人の数ですからね」
「……ほんと。……どこにいるんだろうデッパちゃん」
彼女達の最後の声は大聖堂内を見渡しているビジョンには届かなかった。
大勢の人間が密集しているというのに熱気より冷気を感じる程に空気は暗い。
それに、先ほどよりも悲観に暮れている者の数が増えている気もする。
戦いを選択した勇敢な先輩達は皆、大聖堂の閉ざされた大扉周辺で横になり、苦しそうに息を吐いていた。
魔力切れの症状だ。
「あら……お帰りなさいですわ、ビジョンさん」
長椅子に腰掛けたアリシアが声を掛けてきた。
アリシアの隣に座っていた貴族の男子生徒が、ビジョンの様子を見ると席を譲ってくれた。
顔も知らない生徒だったが、ビジョンを見つめる目には勇敢な者に対する憧れが含まれているようだった。
「……アリシア様、どうされました?」
アリシアは震えていた。
「……えっと……最初は何とかなると思っていましたわ…………でも嫌だ……怖い……本当に怖くなってきたんですの……」
捨てられた子猫のように、彼女は震えている。
殊更に小さい身体のため彼女の姿はビジョンには捨てられた子猫のように思えた。
だが、普段は強気なアリシアが怖がるのも無理はない。
ビジョンは思う。
自分達は既に檻に閉じ込められた獲物だ。
逃げ道はどこにもなく、大聖堂を一歩出ればそこは地獄。
普段の力関係が完全に逆転してしまった。
「―――アリシア様、大丈夫ですよ」
きっぱりとした声に、ビジョンはそちらに目を向けた。
アリシアの反対側に座るシャーロットの声だった。
彼女の様子を見て、ビジョンは驚いた。
友人の伝言を伝えた後、彼の従者は震えていた筈だった。
モンスターへの恐怖ではなく、何かシャーロットにしか分からない理由で。
けれど、今。そこにいたのは別人だった。
「でも……皆、豚のスロウはもう死んだって言ってますわ……」
「いいえ、スロウ様はもう街道を超えている筈です」
彼女はもう震えてはいなかった。
それどころか、泣きそうなアリシアを勇気づけていた。
「……どうして。どうして、そんなことが言えるんですの……」
モンスターに囲まれつつある大聖堂内の中で息を潜める大勢の者達。
スロウ・デニングが行った街道超えなど、絶対に成功しないだろうと予測する者の方が多かった。
常時であっても数時間も掛かる街道を馬に乗って、たった一人で超える?
しかもこの状況下で?
ムリだ、無理に決まってる。
彼の友であるビジョンでさえ、命が幾つあっても足りないと思っていた。
当然、ビジョンは彼ならば成せると確信していたが。
「……アリシア様はスロウ様を信じていないんですか?」
「……信じたいですけど、状況が状況ですわ……」
シャーロットに向けられる憐憫の視線。
死んだと思われている貴族生徒、豚公爵と呼ばれた嫌われ者の平民従者。
しかし、彼女はすっきりとした顔で、アリシアの手を強く握りしめた。
彼女の顔に一切の迷いは無い。
「私、ずっと考えてたんです、スロウ様のことを。どうしてあんなことを言ったのかなとか、伝言はどんな意味なんだろうとか」
アリシアはそんなシャーロットの顔を見つめた。
あいつのことをそこまで信頼出来る理由が知りたかった。
「スロウ様は隠し事を沢山する人です。沢山自分の気持ちを隠して、隠して、少し前までは何を考えているのか分からない時も沢山ありました」
その言葉にアリシアも同意する。
あいつはカッコつけだった。
アリシアの母国であるサーキスタにも風の神童の類稀なる才能や武勇伝の噂は届いていた。
そんなあいつの婚約者であることがアリシアは誇らしかった。
だからせめて、隣立っても笑われないようにアリシアは綺麗になりたかった。
けれど、あいつは変わった。
豚と言われ、笑われ蔑まされる存在になった。
意味が分からなかったし、何を聞いてもあいつは答えなかった。
そうだ。
確かにあいつは隠し事が大好きなやつだ。
「そんなスロウ様が絶対に伝えるって言ったんです。街道を俺が超えるって。……ですよねビジョンさん」
「……ええ、そうです」
シャーロットの心の強さに、ビジョンは驚いた。
「隠し事が大好きなスロウ様が口に出したのなら、それはもう絶対なんです。絶対に絶対に、大丈夫なんです」
アリシアは呆けたように、シャーロットを見つめ、そして頷いた。
「ねえ、アリシア様もそう思いませんか?」
アリシアは確かに、と頷いた。
それから何度も何度も頷いた。
あいつはまだ死んでない。
死んでるはずがない。
オークの顔をしたふざけた水の騎士だってそうだ。
あんなにふざけてる奴が、街道超えぐらいで死ぬわけがない。
ばかだ。
アタシ、ばかだ。
アリシアは先ほどまでの自分を呪った。
あいつは自分を振り切って、行ってしまった。
それぐらいの覚悟だったのだ。
昔は婚約者だったのに、ひどい奴だ。
だから帰ってきたら怒ってやろうと思った。
「……恥ずかしい姿を見せてしまいましたわシャーロットさん。……そうですわね、あいつがそう簡単に死ぬような奴じゃなかったですわ……あの水の豚もそうですし……あんなふざけた奴ですもん……」
「そうです。それにスロウ様はとっても強いですから」
二人の様子を見ていて、ビジョンは何だか自分まで誇らしくなった。
彼女たちからこれ程慕われている友人を思い出す、そしてまあ確かにあのオーク騎士はふざけてるなと思い小さく笑った。
そんな彼らの様子を見て驚く者がいた。
その存在は人間ではなかった。
風の大精霊アルトアンジュは空中で浮遊しながら、ただ微笑むシャーロットのみを真剣な表情で見つめていた。
そして次の瞬間。
誰もが度肝を抜かれた。
”大聖堂の中がいつまでも安全なんて、そんなことは人間の勝手な思い込み”
”火炎である。何事も抗えぬ、火炎である”
「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
大聖堂が炎に包まれ、咆哮が轟いた。
「グルウウウウウアアアアアアウウウウウウグアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアグギャアアアウウウウウウグアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「鎧が溶けるぶっひィぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいい。ただのオークになっちゃうぶっひィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
今までのモンスターの叫び声など比較にならぬ、耳が割れんばかりの咆哮。
大聖堂内もまた、生徒達の絶叫で埋め尽くされる。
「キャアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
あり得ない熱量が発生した
結界を焼き尽くさんとする火炎で、窓の外が炎一色に染まっている。
そして、大聖堂の屋上に立つモロゾフ学園長のみがその存在を目に捉えていた。
「馬鹿な……そんな、馬鹿な……」
炎の中より、その存在を目に焼き付けた。
空より墜ちてきたのは、空を統べるモンスターの支配者。
帝国では災厄として数えられる、空の支配者。
モロゾフ学園長はそのモンスターを見た瞬間、敗北を悟った。
「すまぬ……スロウ君…………本当に、すまぬ……」
逃れられない死を前に、学園の守りの要たるモロゾフ学園長は降参を示すかのように、膝を付いた。
● ● ●
これより、学園が絶望に包まれる。
しかし救世主が姿を現すことはあり得ない。
救世主たりえるシューヤ・ニュケルンは未だ覚醒の兆候さえ現れないのだから。
ゆえに、彼は英雄でも、救世主でもあり得ない。
賽は投げられた。
運命は修正され、正しい軌道を回り始めた。
街道超えは繰り返される。
時が立ち、街道の上を歩くモンスターの数は先程よりも跳ね上がっている。
しかし、今度は一人ではない。
街道を超えるものは一人ではなかった。
騎士国家ダリスの国宝。
光の大精霊の加護与えられし
嘗ての騎士がようやく風の神童と呼ばれし彼と合流を果たそうとしていた。
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