79豚 再会

 工場区画から飛び出し町の石畳へと一歩踏みこんだ時、シルバは空気が変質したことを感覚で理解した。

 不穏な空気が穏やかな空気へと収束していく。

 シルバは思わず駆け出す足を止めそうになった。


(そういえばあの時も確かこんな感じだったな……スロウの坊っちゃんとシャーロットちゃんを助けた日……)


 バシャバシャと水たまりを駆ける足音だけが響く。

 月光がシルバの行く末を照らしていく。 

 石畳の坂を上っていくと、見るも無残な光景が遠方に見えてきた。

 貴族達がお金を出し、見栄のために整備された街並みがボロボロだった。


「これはひでえ。こんな有様じゃ今後ここに住みたいと思う貴族はいねえかもな」


 もっとヒドイ光景がこの先に続くのだろうことを覚悟して、シルバは高級住宅街の入り口に差し掛かった。

 意を決して進んでいく。

 けれど、目にする光景はシルバの想像とは裏腹に―――。

 ―――顔を覆って、悲しんでいる者など一人もいなかった。


「ダリス、万歳!」


 皆が空を見上げていた。

 崩壊した建物を見つめる者は誰もいない。

 崩れ去った調和に目を落とす者も一人もいない。


「光の大精霊様の声を聞いたぞ!」

「俺もだ! 光の大精霊様の声を俺も耳にした!」


 誰もかれもが両手を広げて空を見上げていた。

 シルバも同じように顔を上げて、ようやく気付いた。


「な……!?」


 雨に混じって白い結晶が空から落ちてくる。

 白いサラサラとした結晶が空から降ってくる。

 辺り一面に降り注ぐ白い結晶はまるで雪のようにも見えた。

 

「これは……」


 手を差し出し、白い小さなそれに触れる。

 それはシルバの肌に触れるとじんわりと溶け、直後に思わぬ効果を生み出した。

 身体の疲れが取れていくような、心に暖かな熱が生み出されていくような。

 言葉では形容し難い癒しの力。

 シルバはこれに似た魔法を知っていた。

 

「……水の魔法、ヒールか? いや、あれよりもずっと力強い……」

「治っていく! 怪我人が皆治っていく! 奇跡だ!」

「結晶を溶かして怪我人に飲ませろ! すごいぞこれは!」


 誰もが空を見上げ、ダリスを守護せし光の大精霊へと祈りを捧げている。 

 涙を浮かべて白い結晶を有り難がる者達の中で、何故かシルバは立ち止まった。

 もう雪のように思える奇跡なんかどうでもよく、もっと大事なものを見つけてしまった。


「あ」


 シルバは通りから少し離れた場所、恐らくは小さなお店があったのだろう瓦礫の残骸の傍で佇む者の姿を目にし、時が止まったかのように固まった。

 だぼだぼの制服を着たちぐはぐな男の子だった。

 夜の闇に隠され、月の光で横顔が静かに照らされている。

 理知的な光を瞳に乗せながら、どこかを射抜くように見つめていた。


「……やっとですか、坊ちゃん」


 シルバがデニング公爵家を出て、既に5、6年近い歳月が立っている。

 けれど、彼には確信染みたものがあった。

 記憶の中で想像していた彼の姿と大きく異なっていたが、それでもシルバが彼を見間違えることはあり得なかった。 

 黒金の髪が入り混じる、デニング公爵家が生み出した風の神童。

 目が合った。

 その瞬間、シルバは息遣いすらも忘れて彼を見つめた。

 乱れる思考を放棄して、シルバはただ彼だけを見つめ続けた。


「ん? あ……。よー、シルバ」


 シルバは言葉も出なかった。

 何年振りかも分からないため、当然の反応だった。

 唖然とするシルバの視線を感じ、先に声を出したのは彼の方だった。


「あれ、髪切った? ……うそだよ冗談、タモさん流の挨拶てやつだ。それにしても髪伸びたな」


 何てことはないかのように。

 つい先日合ったかのような気軽さで、スロウ・デニングはそう口にした。 

 シルバの胸に渦巻く万感の思い。

 多種多様な気持ちがあれど、まず何から口に出せばいいか分からなかった。

 そんなシルバがようやく口に出来たのは。


「スロウの坊っちゃん……言いたいことは色々あるんすが……痩せすぎっす。最後に目にした時は坊ちゃん、豚だったじゃないですか……」


 余りにも過去と違い過ぎる容姿のことだ。

 記憶の中にあるスロウ・デニングとも噂で聞く豚公爵っぷりとも違う。

 だぼだぼの制服を着ながらもシュッとした頬のちぐはぐな美少年。

 

「結構ダイエットしたんだよ。ランニングとかダッシュとかな」

「……そんなダイエットがあるならって坊ちゃん―――」


 続く言葉は出てこなかった。

 スロウの背後、瓦礫の上に横たわる少女に目がいったからだ。

 ダリスの王族。

 王女プリンセス、カリーナ・リトル・ダリス。

 シルバの目線に気付いたスロウは言った。


「ああ安心しろ。酷い怪我をしていたんだけど本気で治した。その余波でこんな雪まで降っちゃったけど……まあ結果オーライって奴だな」

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