71豚 カリーナ・リトル・ダリス

 ちょっとした好奇心のつもりだった。

 気持ちが悪いと言って、一人与えられた部屋で休んでいた。

 けれど部屋の前を守っていた王室騎士がいなくなり、彼らが庭に整列しているのを窓で確認した。

 最近厳しいマルディーニへのちょっとした反抗のつもり。

 ちょっと散策して、帰る筈だった。

 夜だから暗いけど、ランプの明かりに照らされた町並みは綺麗に整備されて、一人で歩いているだけで楽しかった。

 通りの脇道で見つけた少しお洒落な雑貨店に入ったのも、気分転換のつもりだった。

 お金は持っていなかったけど気に入った装飾品でもあれば、後で身分を明かしてただでもらっちゃおうと考えていた。

 それが、どうしてこんなことになったのだろう?


(うっ……頭が痛い……一体、何が起きたのよ……)


 気が付けば、自分は押し潰されていた。

 下半身の感覚が無い。

 上半身の感覚も殆ど無い。

 辛うじて首から上を動かすことが出来そうなぐらいだった。


「あ……っ」


 大きな声を出そうとして、代わりに口から出たのは大量の血だった。

 何がどうなったのか分からなかった。

 顔の下に液体が広がっていた。

 自分の血だと理解するのに時間は掛からなかった。

 見上げれば空が見えた。

 天井は、いや、店自体が無くなっていた。

 でもそのお陰で住宅街の通りを急いで走る人達の姿が見えた。


(頭がぼーっとする……炎? なに? どうして?)


 火事が起きていたみたいだけど、雨でどんどん鎮火されていっていた。

 沢山の人達が自分がさっき歩いてきた方向へ、道の上、領館に急いで向かっているようだった。

 通りからちょっと離れた場所に位置するお店に入ったから、通りからは少しだけ距離があった。


「た……!」


 助けを呼ぼうとして、大声を上げる。

 でも、声は出なかった。

 代わりに激痛が走った。

 通りを上っていく人と目が合うけれど、自分と目が合うと皆顔を伏せるばかり。

 助けに来てくれる人はいなかった。

 一人もだ。



   ●    ●    ●



 皆、こんな場所にいるわけが無いと思っているのか、傾斜の付いた石畳を上っていくだけ。

 恐らく、それ程長い時間は立っていないだろう。

 でも短い時間の中でカリーナは理解してしまった。

 霞んでいく視界の中で、彼女を助けに来てくれる人は一人もいなかった。


(……今までの報いかしら……わたくしはお姫様らしいことをしなかったから、こんな罰を受けているのかしら…………何だか眠くなってきたわ)


 カリーナ・リトル・ダリスは自分が姫としての器が無いことも、次期女王としての責務に耐えられる強い心が無いことも誰よりも理解していた。

 だからこそ、諦めるのも早かった。

 これで終わり。

 ダリスのお姫様は、訳も分からないまま死にました。

 怠け者のお姫様は、誰からも気付かれることなく死にました。


(ふふっ……もしかしたら、こんな死に方が相応しいのかも……血って暖かいのね……自分の血の海で死ぬお姫様っていうのは斬新……)


 カリーナ・リトル・ダリスは自嘲するかのように笑った。

 このまま自分は死ぬのだろう。

 身体から力を抜き、動こうとしなければ感じる痛みも弱くなる。

 騒ぎ声もどんどんと違う世界で行われているかのように遠く、小さくなってゆく。

 ぴちゃぴちゃと顔に当たっていた雨の冷たさも、いつの間にか感じなくなっていた。

 夜空に輝く月が見える。


(あぁ……世界って、綺麗なのね……手を伸ばせば届きそうな程……近くに見えるわ……)


 カリーナはもう気力も失っていた。

 余りにも突然の出来事であったが、彼女はもうそう遠くない死を受け入れてしまった。


「ひひひひーんっ」

(ふふ……可笑しな鳴き声がするわ……)


 スッと月が見えなくなり、カリーナの視界一杯に現れたのは見知らぬ誰かの顔だった。けれど、急速にぼやけていく視界ではその者が何者なのか分からなかった。


「……あなたは……だ、あ、れ」


 けれど、唯一自分に気付いてくれた人

 カリーナはせめて最後だけはお姫様らしくあろうとして―――

 ―――自分に気付いてくれた優しい人に、少しでも自分が可愛く映るように、小さく微笑んだ。

 せめてこの人にだけはお姫様らしく報いたいと思ったのだ。


「俺が何者なのかは秘密にしておこうかな。だって、その方が楽しいだろ? 恥ずかしがり屋のお姫様プリンセス



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