193豚 ―――花、開く
「ほんとに不思議ね。あれだけ嫌いだったのに、今はもうどうでもいいって思ってる。あいつの婚約者ってことで私がどれだけ迷惑して、絶対許さないって思ってたのに」
こんな状況下でも頬が緩む。
それぐらい、あの頃は楽しかった。
デニング公爵領地に行くのが一年に数回、
もっと増やしてと頼み込んだこともある。
風邪を引いた振りをして、デニング公爵領地への滞在を伸ばしたこともある。
理由はたった一つ。
―――もっともっと、仲良くなりたかったから。
「豚のスロウ―――」
アリシアは思い出した。
あれ程忙しそうにしていたあいつが私のために一晩寝ずに考えていた魔法だ。
「学園を守る貴方の姿を見たとき私がどれだけ嬉しかったか、きっと貴方は気付いてもいないんでしょうね」
それによく考えれば、デニング公爵家に届いていたであろう幾十枚にも上る婚約希望者の束から確かに彼らが、あいつが選んだのだ。
水の大精霊、そして水の使徒によって守られる南方の芸術都市。
水流と共に生きる者達が暮らす水上都市の姫を彼らは選択したのだ。
「でも、いいわ。貴方がどれだけ私を思っていたかなんて関係無い」
最後の王族と呼ばれる彼女は杖を振るった。
自然と結界が解除され、二体のリッチから発せられる敵意が剥き出しになる。
けれど彼女は恐れない。
結界の外にどれだけ恐ろしいモンスターが、小さい頃のスロウ・デニングに助けられた時とは比べものにならないぐらい強力なモンスターがいたとしても彼女は恐れない。
何故なら、あいつが私のために作り上げた魔法が傍にいる。
この杖の中には婚約者であるアリシアがやってきても、時間を作ることが難しい程の何かを行っていたあいつが、わざわざ一晩掛けて練り上げている魔法が込められているのだ。
第二王女、アリシア・ブラ・ディア・サーキスタは宝石に口付けを交す。
「豚のスロウ。この場を助けてくれれば、全てチャラにしてあげますわ」
それにしても、小さい頃からあいつは自身満々だった。
可笑しな話だが、豚公爵となってからもそれは変わらなかった。
どれだけ大勢の人達から否定されたとしても、あいつのふざけた態度は変わらなかった。
その姿がアリシアは気に入らなかった。
どうして?
どうしてそんなに自信があるの?
一体どれだけの人から否定されたら、今の貴方は間違っていると伝えれば、貴方は元の貴方に戻るの?
百人?
千人?
一万人?
それとも百万人?
けれど、アリシアには想像出来た。
誰よりも豚公爵となった彼を憎み続けた彼女だからこそ、容易だった。
あいつは変わらない、絶対に生き方を変えない。
例え何百万人から否定されたとしても、あいつはあの生き方を、堕ちた風の神童としての生き方を見直す筈が無い。
誰にも語らない。
豚になった理由は誰も知らない。
次第に一人が、次第に百人が、次第に大勢が、あれがスロウ・デニングの本当の姿だったに違いない、と信じ始めた。
でも、彼女は分かっている。
あれは、擬態だ。
● ● ●
「シャーロットの素性を生涯掛けて守るにゃあ。あの子は可哀想な子にゃあ」
「誓うよ、風の大精霊アルトアンジュ。俺が彼女を守る」
● ● ●
けれどあいつは帰ってきた。
ダリスにて謡われた風の神童は黒龍を打倒し、帰還した。
そう思うと、アリシアは苛立たずにいられない。
どうしてあんなふざけた奴になったのだとか、どうして自分に理由を教えてくれなかったのかとか、どうしてクルッシュ魔法学園でずっと自分を無視し続けたのかとか、何もあいつは教えてくれなかったから。
何度、あいつを恨んで。
何度、あいつを嫌いになって。
何度、あいつを記憶から消そうとしたかは分からない。
それでも―――。
―――それでも全をチャラにしてあげようと彼女は思ったのだ。
だって、気付くことが出来た。
モンスターが闊歩する無人の荒野に取り残された。
シューヤが可笑しくなって、今も目の前には恐ろしいリッチがこちらに向けて杖を構えているけれど―――。
やっぱり―――もう何も怖くない。
「だから貴方ご自慢の騎士を―――」
ずっと胸にわだかまりがあった。
認めよう。
宙ぶらりんになった気持ち。
これはもう、そういうことだろう。
たったあれだけの記憶。
デニング公爵領地に訪れて、楽しかった記憶を思い出しただけでこんなにも暖かい。
だったらやっぱりそういうことなのだろう。
「少しだけ―――」
この気持ちに決着をつける。
ようやく、時がきた。
ここから彼女の人生もまた始まるのだ。
アニメ版メインヒロインの名はアリシア・ブラ・ディア・サーキスタ。
ダリスの同盟国にして水霊議会に主導権を奪われた水都サーキスタの第二王女。
デニング公爵家に救いを求めた彼女達の物語が絡み合う。
それでは、唱えよう。
シルバが言っていた通り、それはたった一言だ。
この宝石に込められた魔法の意味を彼女は思い出した。
リッチをまっすぐに見つめながら―――
目を背けたくなる程に輝きを増した杖を軽く振う―――。
『アリシアちゃん、俺の剣を貸してやるよ』
「じゃあシルバさん。遠慮しませんわよ」
『構わないさ、
彼女は弱い、だから嘗てのスロウ・デニングは考えたのだ。
代わりが必要だ。
彼女の代わりに、アリシア・ブラ・ディア・サーキスタの代わりに戦える者が必要だ。
魔法の一節。
簡略化された詠唱。
神童と言われた少年と若き剣士が二人掛かりで作り上げた魔法が蘇る。
「―――
彼女の詠唱と共に蒼の憐光が弾け。
『―――
夜明けの灯火のような光が無人の荒野を包み込んだ。
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