第1話 いばら姫

いばら姫 1

 どうしてこんなことになってるんだろう。さっぱり意味がわからない。

 俺の視線の先では、女の子が二人、戦っている。


 一人は、ちょっと目のやり場に困るくらい露出された脚に、高いヒールのサンダルを結びつけ、くっきりはっきりの目元が印象的なギャル。

 もう一人は背中しか見えないけど、その黒く艶やかに流れる髪と、りんとしたたたずまいから、大和撫子やまとなでしこという言葉を思い起こさせた。


 戦っているといっても、ののしり合いとか、殴り合いをしてるってわけじゃない。カードゲームでもラップでもない。

 ええと――髪と茨で。

 他に説明のしようがなかった。実際そうなんだからどうしようもない。 

 ギャルの金髪とも呼べる明るい色の髪は膨れ上がってうねり、対する大和撫子の周りにはいつの間にか現れた茨がうごめき、両者はにらみ合いを続けている。

 付け加えるなら、歌舞伎でもプロレスでもない――と思う。他には俺以外誰もいないし。


 ただ俺は、久々に図書館でも行ってみようか、と家を出ただけだった。

 初夏の空気は思った以上に蒸し暑く、部屋で扇風機に当たりながらアイスでも食ってりゃ良かったなーとか思いながら自転車を止めて、いざ図書館に入ろうと思ったら、何だか鬼気迫ききせまる感じで路地に入っていく二人を見かけて。

 何事なにごとかと思い、追ってきたんだが――本当に何事なんだよ。

 あたりも、いつの間にか森の中みたいな雰囲気になってるし。でもここ住宅街だったはずだし。

 そうやって悩んでいる間にも、二人はにらみ合いを続けている。木の陰にいる俺のことには全く気づいてないようだ。何かあれば止めなきゃと思ってたけど、もうそんなことが出来る状況では全然なく、俺はひたすら息を呑んで成り行きを見守っていた。


 じり、と。

 大和撫子が詰めた一歩が、空気の均衡きんこうを崩す。ギャルがその目力めぢからをいかんなく発揮すると同時に、金髪が大きく波打った。


 ――危ない!


 声も出せずにいる俺の前で、まるで蛇のごとく襲いかかろうとしていたそれは、大和撫子の操る茨に弾き返される。その間を縫うように繰り出された髪を、今度は茨が絡め取ろうとするが、素早く方向転換をした髪は大和撫子の足下を狙った。

 それを地を蹴ることでかわし、ふわり、と重力に逆らうかのように空中を舞う大和撫子。

 その現実味のない光景を見ながらも、不思議と俺の中からは、これは夢だとか、幻覚を見ているんだという考えは浮かんでこなかった。それどころか、以前どこかで見たような気さえする。

 それこそ夢の中で、なのかもしれないが。


「――ぁっ!」


 急に手へと鋭い痛みが走る。たまらず口の中で声を上げていた。気がつけば、うなりを上げながら飛んでいく金の髪。

 慌てて視線を戻す。二人ともやっぱりこっちを気にしてるそぶりはなく、目の前の戦いに集中しているようだった。

 偶然なのか。それにほっとすると同時に、ずきずきと痛む赤い手が、これは紛れもない現実なのだということを教えてくれる。


 戦況は早くも膠着こうちゃくしているようだった。ギャルと大和撫子、金の髪と茨はにらみ合いを続けたまま、決定打を出せずにいる。


 どうする。――どうすればいい?

 自分も何かしなくちゃと思いながらも、何が出来るかもわからない。そもそも、どっちの味方をすればいいんだろう。

 れる心に足下が揺らぎ、じりり、とサンダルが地面を踏みしめる音が、やけに大きく聞こえる。

 上げた顔の先には、こちらを見るギャルの目があった。


 まずい。


 思った途端とたん、金の髪の一房ひとふささが鋭く尖り、今度は確実に俺を狙って飛んでくる。想像以上のスピードに、手も足も動いてくれない。動かせたのは、目蓋まぶただけだった。


 ――が、衝撃はなかなかやって来ない。


 恐る恐る目を開けると、渦を巻いた茨が、盾のようになって俺を守ってくれていた。

 俺と大和撫子の目が一瞬だけ合う。

 その表情すらよくわからない間に、彼女の体は傾き、後ろへと倒れこんだ。

 すぐに彼女は体勢を整える。だが隙を狙った金髪が体に絡みつき、その自由を奪ってしまう。


 ――くそっ、俺はいいように使われたってことか。


 金髪は、そのまま彼女をぎりぎりと締め上げ始めた。苦しそうに声を漏らすあるじと共に、従う茨もコントロールを失ったかのように滅茶苦茶めちゃくちゃに動き回る。時折金髪を攻撃しようとするものもあったが、全く効いてないようだった。


「しっかりしろ!」


 今度こそ俺も何かしなきゃと思ったのに、その茨に邪魔されて、近づくことすら出来ない。さっきは俺を守ってくれたっていうのに、今はとげであちこち傷だらけだ。

 俺が追ってこなきゃ、あの子はこんな目に合わなくてすんだのかと思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。


 あの金髪がダメなら、ギャルのほうを何とかできれば――。


 そう思って、ポケットに入ってたスマホやら財布やらを投げてみるが、そんなのが当たるはずもなく、空しく近くの茨に紛れてしまう。

 もどかしい時間が、どのくらい続いたんだろうか。暴れまわる茨が、少しずつ静かになってきた。

 その先に見える苦しげな大和撫子。これは本格的にマズイんじゃないだろうか。


 頼む――頼む! 何とかなってくれ!


 何とかって何なんだよと自分でも思ったが、俺は茨をき分けて進もうとしながら、強く願い続けた。


 それが、本当に届いたんだろうか。


 好き勝手に動いていた茨の動きがぴたりと止まった。ぐったりと落ちたのではなく、空中で静止した状態だ。

 そして、急に訓練された兵士のように統率の取れた動きで、素早く大和撫子を締め上げている金髪に、猛攻撃を始めた。

 ぶちぶちと髪が切れる音が周囲にまで伝わる。ギャルは悲鳴を上げるとたまらず髪をほどき、引き戻す。

 しかし茨はそれを執拗しつように追った。そのままぐるぐると絡み付いて離さない。

 金髪も茨もお互いに譲らず、まるで巨大な綱を引き合っているかのようだった。

 力と力の駆け引きが続き――唐突に、全部の茨がぱっと髪から離れる。


「きゃっ」


 急に解放され、バランスを崩したギャルは、地面の上に転がった。

 彼女は痛そうにうめいたが、すぐに身を起こそうと体をよじる。

 次の瞬間、その体を地面へといとめるかのように、いくつもの棒状のものが周囲へと突き刺さった。


「糸――?」


 それが何なのかはよくわからなかったけれど、その周囲に巻きついているのは、真っ白な糸だということが見て取れる。

 自分の置かれた状況を知ったギャルは、泣きそうな顔で首を小さく振った。

 身動きの取れない彼女のそばへ、大和撫子は猫のようにふわりと降り立ち、言葉を紡ぐ。


「おやすみ。――『ラプンツェル』」


 ささやくような声なのに、その甘い響きは俺の耳にもはっきりと届いた。

 そして、真っ白な糸は一気に膨れ上がり、まゆのようにギャルを包み込む。




 辺りが静かになると、そこはやっぱり、ただの路地だった。

 あのギャルは、道に横たわって動かない。俺は急いでそちらへと駆け寄る。

 その姿がはっきりと確認できるほどに近づいた時、体が安堵あんどにゆるむのが自覚できた。

 体のかすかな動きと共に、穏やかな息のが聞こえたからだ。

 髪の毛はすっかり普通に戻っていて、持ち主が呑気のんきに寝返りを打てば、同じ方向に動く。


 気がつくと、大和撫子の姿は消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る