俺の横には美少女がいる
碧木ケンジ
第1話
201×年、12月末。
日本の東京ビッグサイトで、冬なのに夏のように熱くなるほど人が集まるイベントがある。
それは知る人ぞ知るイベント、そう同人即売会だ。
ここに来るみんながみんな熱い気持ちを持ってこのフリーマーケットに参加しているのだ。
ただのフリーマーケットではない、売り手という名のサークルが創作した本を買い手がという客が、金を払いって買いに来るフリーマーケットだ。
そのイベントが今日開かれている。
そして俺、青井弘樹(あおいひろき)も売る側として参加している。
売る側もプロではなくアマチュアが目立つ、無論俺もアマもといアマチュアなのだ。
プロの人は週刊誌や月刊誌、いわゆる商業などで描いている合間に同人誌を出している。
俺達は普段の学業や仕事の合間に同人誌を出している。
大変だが客が喜んで感想なども言ったりするので、やりがいのあるものだと俺は思っている。
俺のサークルもとい俺たちのやっているサークルは3人だ。
俺の高校の卒業生で大学生である佐野さの先輩と大平おおひら先輩、そして俺の3人だ。
これまで3人で本を描き、これまで年に3,4回大きなイベントにも小さなイベントにも参加し続けている今年で創設3年目のサークルだ。
サークル名は「しばづけ。」という佐野先輩が好きな食べ物が由来だ。
今までの売り上げは…まぁ、趣味で始めたことだ聞かなくていいんだ!
聞くほどの事でもないが、島中のサークルだと、だいたいどこも同じだ。
どこも同じであってほしいと切実に思う。
赤字である。
そう赤字だ。だが、赤字が何だ!今までだって続いたサークルだ。
悲しくはないさ、3人でバイトをして出来る範囲で貯めたお金だ。
誰も文句は言えないだろう。
今回は特別に俺個人の本も1冊出してもらって、実にありがたいことこの上なしだ。
まだ午後になって1冊も売れてないが気にしてはいけない。
むしろ勝負はここからだと俺は思うことにしている。
先輩2人と俺のイラストで出来た成人向けの本もあまり売れていないが、気にしてはいけないのだ、うん。
ちなみに俺は高校生なのでイラストは健全なものしか描いていない。
しかし、俺の個人で描いた漫画は全年齢だ。
先輩に手伝ってももらったが、俺の作品である。
オリジナルで1次創作はいつもより売れない、と先輩に言われたが構わないのだ。何せ俺が作りたいから作ったものだし、文句は誰も言うまい。
自分のうちに秘めた創作への想いを、エネルギーに変換して描いた。
完成させただけでも、満足な気持ちもした。
でも、やはり1冊も売れないのは悲しかった。
俺は少し泣きたくなったので、会場のトイレに行くことを先輩に伝えて、そこへ向かった。
人の行列が並んでばかり、周りには眼鏡眼鏡と男ばかりだ。
今日は男性向けの日とはいえ、よくもこれだけ眼鏡が集まったのもだと感心する。
イベントの魔法は恐ろしい物だと思う。
欲しいものを買いたいという欲望が眼鏡達を駆り立てるのであろう。
そしてトイレも並ばなくては使えないのがイベントの悲しい所である。
俺はトイレで泣こうにも泣けなかった。
それが追い打ちのように見えて、ますます悲しくなるのであった。
※
ようやくトイレに入った頃には、涙は枯れていた。
俺は個室のトイレで静かに腰をついて、ため息をついた。
やはり同人で1冊も売れないと悲しくはなるよなっと俺は思う。
こんなはずじゃなかったと後悔する。
先輩たちの描いた今人気の魔法少女アニメの2次創作同人の方が売れているという現実に俺はなんだかやるせなくなってしまった。
先輩たちの2次創作と俺の1次創作の在庫の山を見ても売れているのは、先輩たちだと言うのは明らかだ。
1次創作とはオリジナルのことで、つまり設定もキャラクターも俺個人で作り出した創作作品のことだ。
先輩たちの2次創作は既存の作品から作り出した作品で、初めから一定の認知も人気もある創作作品である。
それだけでも宣伝効果や売り上げの差があるのは言うまでもない。
俺のオリジナル全年齢恋愛物と先輩たちの2次創作版権の魔法少女の成人向けではそもそも勝負にすらならないのだ。
改めて俺はため息をついた。
初めから売れるわけなかったんだ、もう1次創作は辞めよう。
そもそも俺は恋愛なんてしたことも無いのだ。
恋愛物なんて描けるわけがないんだ。
俺は今回の事でトイレで首をうなだれて猛省した。
隣のトイレからは興奮気味な男の声が聞こえる。
「うおおお!○○タンの2次同人!テラエロス!大正義ですぅ!」
好きなのはわかるが、場所を選んで欲しい。
俺は今その○○タンとかいう既存の2次作品に頭を悩めているのだから、せめて家に帰ってから叫んで欲しいものだ。
俺も叫べばこの苛立ちから解放されるのだろうか?
そう思うと隣の大声も自分の悲しみもだんだんイライラしてきた。
俺は思わずトイレの個室の壁に拳をぶつけた。
「くっそー!オリジナルが売れないなんてふざけるなー!!」
隣からは興奮気味な声だけが聞こえていた。
とても虚しい気分になったので、改めて俺は静かに腰を下ろしてため息をついた。
俺は今、コミケの闇というのを自ら演じているのだろうか?
売れる売れないで泣いたり、怒ったりするものじゃないはずだ。
いつかオリジナルで売れて、多くの人に認知される日がきっと来る。
それまで俺はあきらめずに1次創作を描き続けていこうと今日誓った。
現にオリジナルで売れている人だって、商業やこのコミケでもいた。
何も不可能な事じゃない、あるのは俺の技量なのだ。
何か忘れていることや磨いていないものがあるから売れなかったのだ。
ただ単に宣伝不足が原因かもしれない、それで売れなかったらきっと笑い話になるだろう。
頑張れ、俺。お前はこれからだ。
今日はたまたま運が無かったんだ。いつもの事だ。
クリエイターに運はかなり大事なスキルな気もするが気にしてはいけないのである。
そう言い聞かせ、いつの間にか流れていた涙を拭いて落ち着いてからトイレを出ることにした。
※
俺のサークルに戻ると佐野先輩から声を掛けられた。
「弘樹よ、お前の本1冊売れたぞ」
その言葉に俺は驚く、大げさだが神は存在したのだと言う啓示すらあったように思えた。
俺はその人を見ないままトイレに行ったことを悔やんだ。
一体どこの天使だったのかと思うほどだった。
少しだけ救われたような気がした。
そうすると当然1つの疑問が浮かんでくる。
まるで殺人事件の犯人捜しのように考え始めてくる。
俺の同人誌を買ってくれた人は?
一体誰だろう?
あそこにいるスタイルの良い美人のレイヤーさんだろうか?
可愛い売り子の子が非番の時に買いに来てくれたのだろうか?
いつしかそれは俺の妄想に変っていった。
ああ、俺の本を買った可愛い美少女が隣にいればなぁ。
そんな都合の良い妄想をしていたら、ちょうどコミケの終了のアナウンスが鳴った。
このアナウンスと共に俺たちの1年は人より早く終わるのだ。
コミケ終了アナウンスが同人作家たちの1年の終わりといってもいい。
そう同人を買いに来た戦士と呼べる客も、このアナウンスで人に戻らざるを得ないのだ。
多少オーバーな言い方かもしれないが俺はそう思っている。
言ってみればコミケは戦争だ。
たった3日の期限で億と言う金が動くフリーマーケットとしてマスコミにも注目を受けていた時期もあるし、大学生が経済をテーマに論文を書くほどの目が離せない規模にもなっている。
悪い意味で言えば犯罪で取り上げられることもあるのだ。
ニュースで的外れな評論家がコミケは犯罪を助長する有害なものと勝手に論じては評して散々な目にも遭う。
良くも悪くもそれほどの注目度を浴び、また欲しいものを手に入れるために客はこの日のために貯めたお金を使いにくる魔力を持っている。
俺こと青井弘樹もそんな魔力に魅せられてここに来たのかもしれない。
そんな場所で俺たちは一年最後をアナウンスで確認する。
来年決まるのは今年の打ち上げの日取りだけだ。
これがまた作り手側にとっては唯一の慰めかもしれないと俺は思う。
そうして俺達3人は打ち上げの日取りを決めた。
その後の帰りの列を見て、地元の駅まで長く先輩の車に揺られ辿り着き、そこで一時解散することになった。
その後だった先輩たちから強烈な一言が来たのは、
「俺達来年3年で大学が就活シーズンだからサークル解散だ。おつかれ」
打ち上げで一時解散に思えたこのサークルが、本当に解散したのだった。
「何ですってぇ~~~~!!!!」
思わず俺は叫んでしまった。
佐野先輩から
「声が大きいから静かに」
と注意されたが、そんな事は俺にはどうでもよかった。
俺は頭が今外で降っている雪よりも真っ白になっていたからだ。
俺は無気力なまま、先輩が車に乗って帰っていくのを見た。
雪で埋もれた道路に足跡をスタンプのように作りながら、トボトボと家に向かって歩いていく。
家は本屋のあるマンションの上の階の1室だ。
今日は実家に帰る気分でもなかったが、今日の朝一番に親に顔を見せて友人の家に泊まりに行くと嘘を言ったので、俺は大人しく上の階のマンションに向かった。
そう俺は1人暮らしで実家は目と鼻の先ほど近くにある。
だが、今日の様々な出来事で、俺はストレスやらショックやらでどうにかなりそうだった。
言い換えれば立ち直れそうにない状態と言った方が正しい。
まさにそんな心境だったが、家につきたい気持ちも僅かにあって俺は歩いていた。
結局家で大人しく寝るに限ると思い、マンションの階段を上がってすぐ近くのドアに鍵を差し込んで部屋に入った。
何もかもが終わって、もうどうでもよくなっていた。
ドアが閉まると同時に俺の心も部屋の明かりも真っ黒だった。
スマホの電源を付けて、光を頼りに電灯のスイッチを探して明かりをつけたが俺は玄関で立ち尽くしたままだった。
部屋の明かりをつけると無造作に積み上げられた漫画が存在を高く主張している。それも1つや2つでなく、5つか6つほどの漫画本の塔が積み上げられている。
本棚が無い代わりに段ボールの箱に同じようにあまり読まない漫画が入れられていた。
漫画以外にカーテンのしまった窓際にはコタツがあり、学校の参考書や書き途中の冬休みの宿題が中途半端に作業を終えたまま残っている。
隅っこにコタツから見えるように小型液晶テレビがあり、ゲーム機のプラグが差し込んだまま同じように放置されていて、窓のない端っこの壁際には小学校から使っていた学習机と描き途中の原稿が茶封筒で机の上に置かれている。
その学習机の隣に同じ高さくらいの机があり、その上にはパソコンの液晶画面とキーボードにマウスが机の上に配置されていた。
俺は玄関横の風呂場のドアの前で衣類を脱ぎ、そのまま衣服をキッチン横の洗濯機に入れて、洗濯機に洗剤を入れて起動する。
ここまで機械的な動作で何の感情もわかずに、そのまま洗濯機に衣類を入れると生まれたままの姿のまま風呂場でシャワーを長い時間浴びた。
風呂場から出て、濡れた体をバスタオルで拭き、そのままバスタオルをカゴに放り投げて、俺は寝巻に着替えてコタツの隣にある布団に入った。
今までの事を思うと寝ようにも寝れなかった。
仕方なく俺は積み上げられた塔から買ったばかりで読んでない漫画を読むことにした。
それは下の本屋でまとめ買いした昨日完結したばかりの巻が出た10巻ほどの恋愛漫画だった。
嫌なことも良いことも漫画が気を晴らしてくれた。
そう信じている自分もいれば、逃避している自分もいた。
それでも眠れないので俺は恋愛漫画を読んでいた。
俺の好きなジャンルだったからこそ色々読みたかった。
そのまま深夜の時間を過ぎ、新年を迎えるころには6巻を読んでいる途中だった。
そのまま全巻読み終わり、眠れないので横になって目を閉じた。
浅い睡眠だが、2時間くらいは眠れるだろう。
そう思って、俺はそのまま寝ることにした。
これが去年の俺の年越しだった。
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