なんで高校生の俺がアパートの管理人見習いになったんだよ?
碧木ケンジ
第1話
3月26日、この日俺は埼玉県の親戚のアパートに住むことになった。
俺こと松本司(まつもとつかさ)は、今年で高校生になる。
来月の7日は合格した高校の入学式だ。
俺は地元の長野から卒業式を終え、荷物はバッグ1つで済み、新幹線に長く揺られながらスマホをいじっていた。
新幹線の中でこれから住む場所の事を想像していたが、あまり嬉しい気分ではなかった。
理由は昨日親が離婚したからだ。
うちの親は俺が中学を卒業するころに、前々から離婚のことで揉めていた。
そして両親は俺に高校からの自立生活を強制し、埼玉の父親の親戚の家に預ける話になった。
離婚の原因は解らないが、どうせロクな理由じゃない。
両親も喧嘩が長引き、俺の事を忘れていたと言うか気にしていなかった。
松本家はもう亡くなったものとして、俺は割り切った。
俺は心が冷めていた。
過去の事を思えば、俺の家は親が喧嘩ばかりだった。
親父は建設会社の社長で女たらしで酒ばかり飲んでいた。
母親は看護婦で家に帰らないことが多かった。
小学校の頃は家事は俺が1人でしていた。
と言っても洗濯と簡単な料理だけの家事だった。
朝は誰もいない朝食、学校に帰ればテレビとインターネットばかりする母。
夜になれば酒を飲んだ親父が罵声を母に浴びせる。
母は母でそれが嫌になると、隣の駅に住んでいる母の弟の家に泊まりにいった。
こんな家を早く抜け出したい気持ちも強かった。
その時から俺の自立心は強くなっていた。
学校での人間関係もドライだった。
あんな家だから友達も招待したことも無い。
俺の生活もほとんど親に関わりたくない日常だった。
12歳になるまではまだ親の世話があったが、中学に進学してからは家は荒れていた。
中学に入学するころには父親から毎月5万で生活をしろ言われ、暗証番号の書かれたメモ紙とキャッシュカードを渡された。
金以外は全て自己責任で生きろ、俺に恥をかかせるな、高校に上がったら1人で自立しろ、2度と顔を見せるな、お前は優秀でもない、覇気も無い、勝手に生きて勝手に死ね。
中学の1年の時に酔った父親に言われた言葉だった。
その頃には親の暴力も酷くなってきたので、家はただの寝る場所に過ぎなかった。
だから俺は1人で生きていこうと決めていた。
俺の中学入学から卒業までの日常はこうだ。
朝7時に起きると父親が寝ているあいだに身支度をすませ、財布を持って鍵を閉めて、学校に行くために外に出る。
コンビニで食料を買い、ATMでお金を引き下ろして、徒歩で学校へ行く。
一緒に住んでいるのに手渡されないお金をATM経由で毎月送られる。
仕送られるお金は毎月5万円だ。
中学生には大金かもしれないが、これには食費と生活費が入っている。
うちの親は何があっても生活費はこれ以上出さない。
まず団欒の時間が無いし、父親が夜に酒で酔っていることが多く、まともな会話が成立しないからだ。
服も医療費も雑費もすべて入っての5万だ。
だから俺は部活もしない、趣味もない。
ただこの毎月送られる5万で生き延びるしかないのだ。
小学校の頃から親にはどこにも連れて行ってもらえなかったし、自立するように言われ続けた。それこそ呪いの言葉のように言われ続けた。
時には殴られることもあった。
悔しかったら1人で生きてみろと父親は言う。
父親を本気で殺したいと言う気持ちもあったが、家を出る方が気がまぎれることに気がついていた。
ここから脱獄したいと言う気持ちが日増しに強くなった。
俺はそういう気持ちで毎日学校に行った。
教室に着くころには7時半になっていることが多く、教室で飯を食べながらホームルームを待つ。
授業を終えるとまっすぐ家には帰らない。
学校が終わった夕方ごろに家に帰った時に、母親が夜勤から帰って、他の若い男と居るのを見てから家には帰らないことにしている。
理由は単純だ。
若い男はただの客ではない、なぜなら2人とも裸だった。
そういうこともあって、学校の視聴覚室でインターネットをして残ることが多かった。
しかしそれでも授業が終わって、先生に許可を貰って教室を借りたとしても5時半には下校する決まりで学校から出るしかなかった。
出た後は家には母親がいるので帰りたくもない、
そういうことで俺は学校から離れた駅のトイレで鞄にしまっている私服に着替える。
図書館を借りて勉強し、図書館が閉まるとゲーセンやネットカフェで時間をつぶして家に帰るのはだいたい夜の8時だ。
母もその頃には夜勤の仕事に行っていることが多い。
ゲーセンでは未成年は6時には家に帰る決まりがあるが、8時まで居ても特に店員からは何も言われなかった。
帰りに警察に職質されるときは嘘をついた。
たまに行くネカフェは不景気なのか金を払えば中学生でも遅くまで利用できる場所だった。
そこでネットサーフィンをして、1、2時間時間を過ごす。
家に帰ると親父が帰る時間までに急いで風呂に入り、部屋の鍵を閉めて、コンビニで買ったご飯を食べて、スマホでインターネットをして寝る。
夜中にトイレは行けない。
9時か10時ごろにいつも父親が帰ってくる。
母親の名前を大声で呼びながら、壁を蹴る音が聞こえるのがその時間帯だった。
いつも父親は酔っているし、母親は仕事か他の用事で帰らない。
夜中にトイレに行けない理由はドアを開ければ、喧嘩になるからだ。
いや喧嘩ではない、一方的な親の暴力だ。
そう言った事もあり、家に帰る前は離れた公園のトイレで済ませるようにしていた。
どうしても家でトイレに行きたいときはペットボトルで済ませて、朝ゴミ袋に入れて捨てる。
図書館での勉強と気晴らしのゲーセンとネットカフェ以外は何もなかった。
修学旅行やイベント行事は大抵病欠し、先生が家庭訪問に来ても俺は相手にはしなかった。
事情を学校の相談室で話したら、閉鎖的な学校の対応としてはイベント参加は無しという話で終わった。
教師が生徒の家の事情に関与できることなど今時薄っぺらくて、たかだか知れている。
夜に歩いている時は、制服は着替えていたから呼び出されることも無かった。
学校側もせいぜい問題を起こさずに進学してくださいという対応だった。
学校自体も体制に問題があったが、俺にとってはそのほうが楽だった。
休日は6時に起きて、外に出て少し歩いた先にあるコインロッカーへ1週間分の洗濯物を入れる。そこで洗濯物が乾いて、一度家に戻る。
まだ寝ている両親を起こさずに自分の部屋からトートバッグに教科書を入れて抜け出す。
コンビニで飯を買って、少し歩いた先にある公園で食べる。
自然に囲まれた大きい公園なので人のいない天井とテーブルのある休憩所で大抵は済ませる。
食べ終わってからは朝の9時になるまで公園でスマホをいじる。
そして朝の9時から開く図書館で可能な限り勉強や読書をして時間をつぶす、それこそ閉館の6時までいる。
6時から8時までゲーセンかネカフェに行き、この休日の期間だけはネカフェのシャワーを借りる。
8時半になると親に見つからない様に玄関を開けて、すぐに玄関の前にある自分の部屋のドアに入り鍵を閉める。
親もさすがに部屋までは入ってこないため、あとはベッドと床に置いてある服や下着以外何もない部屋でスマホを充電して、いじりながら寝る。
そうして俺の休日は終わる。
これが中学までの3年間だった。
はっきり言ってロクな生活じゃない。
ただ生き延びて、高校へ上がって1人暮らしをするまでの日々だった。
俺がこういう生活をしていたためか、両親の離婚も無事に高校進学まで長引いてくれた。
今まで離婚が無かったのが不思議だったが、金以外あまり手がかからない息子のせいか好きなように家で出来たのだろう。
素面で不機嫌な親父が親戚のおじさんを連れて、家で話し合いをしたのが3年の卒業式を終えて次の日だった。
親父は親戚の克也おじさんを簡単に紹介して、俺にこう言った。
「お前の入る高校の近くに住んでいるから、おじさんの下で生活しろ。市役所で手続きを済ませて、おじさんと一緒に行って来い」
そういって話をすると強引に市役所に親父と一緒に行き、お互い話もないまま手続きが終わり、その次の日には克也おじさんと一緒にタクシーに乗って新幹線に乗っていた。
見送りは1人もいなかった。
長野には2度と戻らないと俺は決意した。
これからどうなるか解らないが、親の事を気にせずに高校生活か送れるのは嬉しかったかも知れない。
新幹線のトイレから戻ってきた克也さんが俺に話しかける。
「司君、もうそろそろ駅に着くからね」
「わかりました」
タクシーに乗っている時から克也さんは色々と話してくれた。
親父のような乱暴な人ではない、むしろ大人しい人で年は37歳だと言っていた。
安心できる人だった。
聞いた話では妻が他界して、娘は全寮制の中学に入っていて、克也さん自身はアパートの大家をしているそうだ。
俺は克也さんと同じ部屋で暮らすことになっている。
狭いが俺の部屋もあるそうだ。
克也さんの話では2階建てのアパートは6部屋あり、部屋は全て満室だそうだ。
なんでも最近引っ越してきた女の子が俺と同い年で、同じ学校に通うそうだ。
他にも別の部屋では同じ高校の先輩で女性の人も住んでいるらしく、他にも男の大学生や30歳になる男性にOLの女性も住んでいるらしい。
克也さんが言うにはみんな人が良いそうだ。
どうしてアパートに住んでいる人のことを俺に説明したのかわからないが、克也さんの次の言葉でなんとなく理解できた。
「司君にはみんなと仲良くしてもらいたいんだ。みんな色々と事情があるけど、よく家賃を払いに行くついでに私の部屋で遊びに来ることが多いからね。新しく来る子も君と同じで緊張しているから仲良くしてあげて欲しいんだ」
克也さんはみんなに慕われていることが解る言葉だった。
「わかりました。出来るかどうかは解りませんがやるだけやってみます」
克也さんは俺の言葉を聞くと鞄から飲み物を取り出して、俺に渡した。
俺はお礼を言って、渡されたペットボトルのカルピスを飲んだ。
「君の家の事はおじさんは何も言えないけど、これから君と一緒に暮らすからにはルールがあります」
飲んでいる時に克也さんがそんな事を言った。
ルール?アパートの決まり事や簡単な注意だろうか?
克也さんが言葉を続ける。
「君には管理人の私の代わりに管理人見習いとしてアパートの皆さんと触れ合ってほしいのです」
予想もつかない言葉が出てきた。
「なぜ高校生の俺がアパートの管理人見習いになるんですか?」
「管理人見習いと言っても皆さんの部屋に入って簡単な日常話をするだけですよ。後は家賃支払いの呼びかけをするだけの仕事です。それだけで充分です」
俺が管理人?上手くやっていけるのだろか?そもそも何故俺にそんな仕事を?
克也さんが俺の表情から察したのか、疑問に答えてくれた。
「みんな君のような若い子に触れ合いたいんですよ。私では出来ない仕事です。無理なら話をしてあげるだけでもいいですから」
俺に会って何か意味があるのだろうか?
「君にとっても彼らにとってもとても大事な意味のある仕事です。言葉で説明するよりもやってみればそのうち解りますよ」
克也さんは笑顔で答えた。
断ると困るだろうし、何より家で一緒に住むことになる強制なのだろうと俺は思い。引き受けることにした。
「いえ、大丈夫です。話すだけで良いんですね?」
「ええ、それだけでも大丈夫ですよ。頑張ってください、あなたなら出来ますよ」
克也さんがそう言った後、新幹線のアナウンスが目的地の駅名を告げた。
「歩くと結構な距離になりますし、ここからは私の車に乗ってアパートまで行きますね」
そう言って、克也さんは新幹線を下りた。
「なんで最初から車で長野まで行かなかったんですか?」
俺がそう質問すると、克也さんは笑って答えた。
「あはは、実はこの前旅行に行って、ガソリン代がちょっと足りなくてね。しかも車に乗り続けて、疲れが出ちゃったからたまには電車で行こうと思ったんですよ。いやー、やっぱり自分以外の人が運転していてくつろげるのは良いものですよー」
その言葉を聞いて、変わった人だと思った。
それと同時にちょっと安心感が出てきた。
俺はこれから先のアパート生活が楽しくなるようにと心のどこかで願っていた。
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