PARTⅢの14(32) 妖怪ガメツカメ2

 しかし利助は貞を気遣きづかうでもなく、「あいつ、なんか言ってたか?」と丁稚のことを尋ねた。貞は「いいえ」と答えた。


 利助は単に『あいつは良心の呵責かしゃくで逃げたんだろう。使えない奴だ』などと思ったようだった。


 自分を恐れていた丁稚が貞に秘密を話すはずがないとたかくくっていたのさ。貞は咲の死については、


「旦那様、結局死んでしまいましたが、咲は旦那さんに感謝していると思います。あたしも本当に感謝しています。


 それなのに、流産してしまって本当に申し訳ありません」


 と口では言いながら、心では深く恨んでいたんだ。


 利助は、


「なんだ、いいお嬢さんにしつけて嫁にしてやったのに、昔ながらの百姓の歩き方がぬけてなくて、すそでも踏んだんじゃないのか」


 と貞に面と向かって嫌味を言って、そのまま遊郭ゆうかくに行ってしまった。


 その後も貞を商売に利用し続けはしたが、夫としてはひどく冷たく、遊びも更に激しくなり、貞にとっては耐えられない毎日になった。


 そんな矢先に厨房で、ここに来て以来ずっと世話をしてくれている下女がほかの下女にこんな話をしているのを偶然立ち聞きしてしまったんだ。


「奥様ってのは、ど田舎のどん百姓の娘だったのを、旦那様が連れてきて嫁にしたのさ。いいとこのお嬢さんなんて真っ赤なウソさ。


 最初ここに来た時はボロを着てて、手もゴツゴツで汗のにおいのする粗野そやな女だったんだよ。


 それを旦那様が酔狂すいきょうで磨いて、先代の決めたお育ちのいい許嫁いいなずけがこの娘だなんて世間様に嘘をついて嫁にしたんだけど、


 ほんとはあたしらよりもなんかよりもずっと低い身分の出なのさ。


 嫁になったからみんな持ち上げてるけど、地金は泥のこびりついた田舎ダイコンさ」


 下女たちはゲラゲラ笑った。別の下女が調子に乗って言った。


「でも、うちの旦那だって最低じゃないか? どうしようもないぼんぼんで遊び人だし、外に何人も女を作っていて、


『貞が流産して、もう子供を産めないかもしれないから、ほかの女に跡取りを産ませるって言って、外で励んでる』


 ってあたしゃあ聞いてるよ」


 下女たちはまたゲラゲラ笑った。最初の下女が言った。


「だんなは女遊びだけじゃない、人殺しだってしたことがあるんだよ。


 先代がまだ生きていたころ、博打ばくちで喧嘩になった男を刺し殺して、大旦那が役人に金をつかませて収めたって噂も聞いたことがある。


 奥様の妹だって、平気で見殺しにしたらしいじゃないか。


 それを考えるとちょっとは奥様が可哀そうにも思えるけど、


 でもね、あの女、卑しい田舎の出のくせに、あたしたちより賢くて、若旦那が商売上手になったのも、あの女の入れ知恵だって噂だよ。


 そのうち、この家を乗っ取るつもりなんじゃないかって思わないかい? 意外とあざといところのある女なんじゃないのかしらね?」


 貞は利助や下女たちに対する怒りで爆発しそうになった。そして、決心したんだ。


『今まで直接お金に触らせてもらったことはないけど、あたしがいなかったら、今ごろこの家はつぶれてたはず。


 この家を取り仕切ってきたのは結局あたし。いいわ、下女の言う通り、この家はあたしが乗っ取ってやる。


 妹を見殺しにした亭主は毒を少しずつ盛って殺してやる。下女達にはみな暇を出して、新しいのに替えてやる』ってね。


 その日以降、旦那は少しずつ弱っていった。


 利助は「あの名医のところに連れてってくれ」と頼んだ。


 が、貞はあの先生は天子様てんしさま御殿医ごてんいに出世して上方かみがたに行ってしまったと嘘をつき、別の凡庸ぼんような医者のところへ連れて行った。


 その医者は「原因不明」と診立みたて、やがて利助は死んだ。そして下女達も全員入れ替えられたのさ。


 夫を殺し、下女を入れ替え、家の実権を握った貞は水を得た魚のように財を増やし、役人、大商人とのこねもでき、


 ついには大名や幕府の役人たちにも金を貸すようになった。


 そうなっていくうちに貞の心はすっかり干からび、唯一ゆいつお金だけを信奉しんぽうするようになって行った。


 死んだ妹や流産した子供の代わりにお金を愛するようになり、性格も顔もますます夜叉やしゃのようにきつく激しく冷酷れいこくなものになって行き、


 人間を産んだり育てたりする代りにお金をどんどん際限なく増やしていった。


 夫を毒殺した貞は利助よりも強欲な幕府の勘定方かんじょうがたの役人と打算でねんごろになって、


 その役人から入ってくる情報を利用して穀物や絹やなんやかやの相場でも大儲けした。


 彼女は自分で地下の隠し部屋を設計し、店の裏にある広い屋敷の地面に深い穴を掘らせて隠し部屋を作らせた。


 そこに行くためのからくり扉も自分の居間の壁に作らせ、その向こうに梯子はしごも作らせて隠し部屋に降りて行けるようにさせた。


 隠し部屋の穴の底には大きなかめを置かせ、穴を掘った人夫をはじめとして秘密を知っている人間全てを金で雇った刺客に始末させた。


 そのうえで今までに儲けた大判・小判を大甕に入れて、更に多くの大判・小判を稼いでその中に入れながら、


 昼でも夜でも暇ができるとしょちゅう隠し部屋に行って、


「かわいい子供達、増えなさい、育ちなさい」


 とつぶやきながらそれらを手に取り抱きしめたのさ。


 貞は地下室に通気口を作り、


 いくつもの鏡を利用して、それらを操作することによって太陽の光がその通気口を伝わって地下の甕の中の大判小判に当たるような仕掛けも作らせた。


 そのようにして、大判小判が光り輝くのを見るのが唯一にして最高の生きがいとなっていた。


 それらは貞にとってはかわいいわが子であり、その輝きは彼女にとって最愛の子供たちの微笑みにほかならなかった。


 彼女は頭がほとんどおかしくなっていたのさ。


 しかし、その勘定方の役人には別の愛人ができ、その愛人が立てているらしい、こんな噂が貞の耳にも入ってきた。


「あの金貸しの夜叉女の貞は元々はどん百姓の娘だったんだって。


 それでも器量良しでずる賢かったから、利助をたぶらかして取り入り、金をせしめて、店を乗っ取って、だんなも殺したってさ。


 全く、恐ろしい女だね、くわばら、くわばら。


 でも、御役人があの夜叉女をつかまえて火あぶりにしようとしてるらしい。悪いことはできないもんだね」


 この噂を耳にした貞は、


『彼はあたしを裏切って自分を捕えて殺したあげくあたしのかわいい子供達を奪うつもりになったに違いない』


 と、ほとんどおかしくなっていた頭で考え、食料と水を持って隠し部屋に隠れたんだ。


 噂通り、役人は貞を捕えさせ、彼女が家のどこかに隠しているに違いない金を探し出して奪うつもりだった。


 彼は配下の役人を従えて貞の家に踏み込んだが、貞は消えており、お金も、広い屋敷内を隈なく探したが全くみつからなかった。


 それでも役人は「金は必ずこの屋敷の建物か敷地内のどこかにあるに違いない」と考えて、


 屋敷も敷地も没収して自分の管理下に置き、その後も広い庭を中心に探したが、見つからなかった。


 それから一年して、まだあきらめきれなかった役人は偶然、貞の居間だった部屋の壁にあったからくり扉を発見した。


 彼はそれを開き、梯子を伝わって隠し部屋に降り、そしてギョッとしたんだ、


 大きな甕の中の、鏡を伝わってきた太陽の光の陽だまりに妖しく輝く大判小判の中に埋もれ、


 髑髏しゃれこうべだけ外に出しながら死んでいる、見たことのある着物を着た白骨死体があるのを発見して。


 それは発狂し、外に出ることを恐れて立てもり、寒くなって、だんを取るつもりで大判小判の中に入って死んだ貞だったのさ。


 役人は配下の者に大判小判を全て運び出させ、貞の白骨死体は大甕に放り込んで蓋をし、地下の隠し部屋を甕ごと埋め尽くさせ、


 屋敷に火をつけ、更に自分の息のかかった役人やその下働きの者達に火事の後始末をさせて証拠をすっかり隠滅いんめつしたんだ。


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