PARTⅢの8(26) 母は涙の告白を
バスに戻った神戸岩彦はヒカリにリュックを返した。ヒカリはリュックの中に向かって「ありがとう」とお礼を言った。
「リュックの中には一体何が入ってるんだね?」
一徹が尋ねると、ヒカリはリュックの中からナマケモノのぬいぐるみを取り出し、「これだよ」と通路側に出して見せた。
「これがあのすごい光の発生源だったとは ・・・」
一徹は感心したように呟いた。バスに乗っている他の人達もみな身を乗り出しそれを眺め、
「ほんとにぬいぐるみなの? 生きてるんじゃないの?」「そんなわけないでしょ」「いや、ナマケモノって動きがとってもにぶいから」
など、ワイワイとガヤガヤと話し合った。
それを見て、昔自分が飼っていた本物のナマケモノを思い出していた女性がいた。
彼女は水色のリュックのことも気になっていたが、
――ただの偶然よ。
と自分に言い聞かせた。ヒカリはおもむろにそれをリュックにしまって、棚に乗せた。
バスは東名高速を西に向かってどんどん進んだ。神戸岩彦の仲間の天狗達は隠れ蓑に身を隠しながらバスを護衛して進んだ。
岩彦も神経を
窓際に座っていたヒカリは「いろいろあったから、ぼく、疲れちゃったよ。お休み」と言って窓側に顔を伏せてすやすやと眠り始めた。
謡はぼんやりと窓の外を眺めていた。
――頭に取り憑いて、人間を操る金のコウモリ ・・・ 人の姿になって、襲って来たカード ・・・ 今の金の巨大コウモリ ・・・ 金とかカードとかで連想するものはまず第一にやっぱりお金 ・・・
そこまで考えた謡の脳裏に、さっき広尾のレストラン楽天人で、
「金の光とか、カードとか ・・・ どうやら私達、お金の魔力にやられたみたいね、謡ちゃん」
と声をかけて来た女性が浮かんだ。銀金レイ子と名乗った彼女は、
「あなたの母親です」
とも言った。
そのあと危険が迫って脱出し、バスに乗ったら巨大コウモリに襲われ、その問題について想いを巡らす余裕は今までなかった。
彼女は楽天人からずっと行動を共にし、今は同じバスに乗っているのだった。
謡はどこに彼女が座っているのかチェックしようと思って顔を後ろに向けた。その目に、当の銀金レイ子が通路を歩いて自分の方に近づいてくるのが見えた。
眼と眼があった。レイ子は微笑みながら会釈した。謡もぎこちなく微笑みながら会釈を返した。レイ子は謡の脇に来て、
「少し話してもいいかしら?」
と許可を求めた。謡がうなずくと、レイ子は補助椅子を倒して座り込んだ。
「あの、なんというか、えーと、その、ほんとに、おかあさん、なんですか?」
「ええ、そうよ。高志さんや粟乃おかあさんからは聞いてなかったの?」
「出会って、結婚して、離婚するまでのことは聞きました。そのあとのことは、全く情報が入らなくて、
再婚したかどうかとか、全くわからないって、おとうさんは言ってました」
「そうだったの。ごめんなさい。私もあれ以来ずっと連絡しなかったから」
レイ子がひどく悲しそうな顔をしてそう言ったのを、謡は見逃さなかった。
「あれ以来、仕事一筋で、とは言っても、気晴らしの恋人がいたこと位はあったけど、でも、再婚はしなかったのよ」
「そうだったんですか。あたしはずっと自分を産んでくれた人がどんな人か知りたかったんです。
できれば会いたいって思う気持ちを抱えてきょうまできたんですけど、おばあちゃんが母親代わりになって一所懸命に私を育ててくれたこともあって ・・・。
おとうさんは家にいないことが多くて、自分から聞けないまま育ったんです。
おとうさんが出会いから離婚までのいきさつを話してくれたのも、つい最近のことなんです」
「ごめんなさい。本当に。今まで、連絡さえもしなくて ・・・」
レイ子は涙を流しながら謡を横から抱きしめた。謡は『この人は本当にあたしの母親なんだ』と思って、相手を抱き返した。
でも、そういう彼女の中にも『なんで今まで連絡もくれなかったのよ』という
それを押さえながら、謡は言った。
「いいんです。連絡もできなかった事情があったんだろうって、あたしは思うし ・・・」
「ありがとう。そう言ってくれて。あなたに連絡したり、会ったりしたいという気持ちはなかったわけじゃないけど、でも ・・・」
レイ子はさめざめと泣き始め、
「私は母親失格だって ・・・ あなたに連絡したり、会ったりする資格はないって ・・・」としゃくり上げた。
――何があったの、おかあさん?
謡はレイ子の肩を抱いてやりながらそう思い、
相手のことを心の中で「おかあさん」と呼んだ自分に気付いた。
バスの中の者達はみなシーンとして、二人のやりとりを聞いていた。少しして、レイ子は涙を拭いながら先を続けた。
「実は、離婚したあとすぐに妊娠していることがわかったのよ。もちろん、父親は高志さんなんだけど」
「ほんとに?」
「ええ、で、母からは『堕しなさい。あなたには子育ては無理』って言われたんだけど、産んだのよ。
私、赤ちゃんだったあなたが可愛くて、仕事から帰ってくると癒されるっていうか、そんな感じだったから。
あなたを粟乃おかあさんに任せて離れて暮らすようになったことが悔やまれて、そんな時に妊娠してるのがわかったから ・・・。
育てることはベビーシッターとか家政婦さんとか、他人にお願いすればいいから、とにかく産んで家族の一員になって欲しかったのよ。
あとになって考えれば
それでその子が生まれて、とにかく子供と同居したいっていう願いが叶って、三カ月は産休をもらってお乳で育てたのよ。
でも、私の母から『子育ては人に任せて早く仕事に復帰しなさい』と何度も言われてたので、
三カ月してお乳が出が悪くなってきたのを機会に住み込みのべビーシッターを雇って、また忙しい仕事に戻ったのよ。
朝から晩まで仕事してて、短い時間しか触れ合えなかったし、夜なんかも遅いことが多くて寝顔を見ることがせいぜいの日が多かったけど、
でもあの子に会うのが楽しみで、
それで、あなたのこともいつも思い出してたけど、忙しさにかまけて、ずっと連絡もしないでいたのよ。
いずれタイミングを見て連絡して会いに行こうって思ってはいたけど、とり返しのつかないことが起こったのよ」
「どんなこと?」
「それが、あの子の通っていた幼稚園で園児たちのお芝居の発表会があって、
年長組のあの子もお芝居に出ることになって『絶対
ところが発表会の当日の日曜日になって、アメリカから来日した金融界の超大物が
その人は、私が十二歳くらいの頃に日本の大学に来て勉強していて、その頃私も何度か会った覚えがある人だったの。
母の大事な
その人が母に『今日本に来ている。時間が空いたので、これから会えないか?』とその日曜の朝突然電話してきて、そして、母は私に言ったのよ。
『彼は私に恩を感じているし、私のビジネスの才能を深く尊敬していると電話で言ってた。
私のカンでは、近い将来、今までとは
世界を動かす
彼が少女時代のあなたのことを覚えていて、あなたにも是非会いたいと言ってるから、是非一緒に来て』ってね。
母も将来のことを考えて、私を自分の跡継ぎとしてあらためて紹介したかったらしいのよ。
私には母ほどの凄い才能も政治力もないけど、でもそれなりの自信は当時既にあったから、決して損にはならない話だと思った。
ホテルで朝十時から三十分ほど会うということだったので、それならあの子の出番にギリギリ間に合うと思ってオーケーしたのよ」
「その金融王の跡取りって人はもしかして、ロックフェラーとか、ロスチャイルドとか、そういう筋の人?」
謡は、詳しくは忘れたがとにかくそういう筋の人が日本の大学に来ていたということを、テレビで見たことがあるのを思い出した。
「そう。ほんとにほんとの大物。それで、母とホテルに行って話したんだけど、
案の定、今の私達の会社の発展にもつながるようないい再会になって、満足した私はタクシーで幼稚園に向かったの。
ところが途中で大渋滞に巻き込まれて、三十分も遅れて着いたのよ。
その幼稚園は渋谷にあって、門の前は広い通りだったの。
タクシーは門のあるのと反対側の車線を走っていて、私は幼稚園の先の信号でUターンしてもらって、門の前で降りるつもりだったのよ。
ところが反対側を走って行ったら、門の外にあの子が家政婦さんといたの。
あとから家政婦さんに聞いたところによると、もう芝居が終わった後で、
それでも『ママ、絶対に来るから、お迎えする』って言って門の外に出て待っていたのよ。
それで、あとになって『そんなことしなければよかった』と本当に後悔したんだけど、
私は運転手さんにタクシーを停めてもらって、右の窓をあけて、
『遅れてほんとにご免なさい。今、そっちに行くから』って大きな声で謝ったのよ。そしたら、ああ ・・・」
レイ子はそこまで言って泣き崩れた。謡にはその先がわかった。彼女はまた母親の肩を抱きながら尋ねた。
「道を渡ろうとして、
レイ子は泣きながらうなずき、涙を流しながらやっと先を続けた。
「そ、そうなのよ。私のせいで ・・・」
「そうだったんですか ・・・」
謡の眼にも涙が
「それで、私、すっかり母親としての自信をなくしちゃって。そんなの、元々あんまりなかったんだけど、でも、それ以来すっかりなくして。
で、罰というか、あなたにも、こんな私には連絡したり会ったりする資格なんかないって思って、
それで今まで連絡もできなかったのよ、ご免なさい、本当にご免なさい」
謡はレイ子の肩を強く抱きしめた。レイ子も謡に手をまわして来た。謡は涙を流したまま言った。
「でも、こうやって今は会えて、あたしはやっぱり嬉しいです」
「ありがと、ありがとう」
レイ子は泣きながらお礼を言った。
二人のやりとりを聞きながらバスを運転していた山岡も、奏も一徹も大浜も神戸岩彦も、
すやすやと窓際の壁に額をつけて眠っているヒカリ以外の全員が涙していた。
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