PARTⅠの6 大学生ゲーム依存症候群
6 授業
謡は奏と別れたあと、午後の三限の大きな階段教室での授業に出た。
その授業は異様だった。授業のベルが鳴ると、謡を除いた教室中の学生達は全員一斉に自分の携帯をいじり始めたのだ。
教室に入って来た教授はそういう学生たちを見ても叱りもせずに、演壇に登ってテーブルにノートを広げそれを読み上げながら機械のように講義を始めた。
教室の中ほどに座っている謡の右隣には男子学生が、左隣には女子学生が座っていた。
それぞれの携帯を覗き込むと、男子学生は有料のゲームを、女子学生は「お
「ねえ、ちょっと、顔を上げてよ。ねえ、ねえ、どうしたの?」
小声で声をかけてみたが、二人とも謡の声が聞こえないかのように携帯をいじり続けるだけだった。
「すみませ~ん、先生、質問があります」
謡は教授に大声で声をかけてみた。しかし、教授もまた彼女の声が聞こえないかのようにただひたすらにノートを読み上げるだけの講義をし続けた。
謡はバッグを持って立ち上がり、前や後ろの学生は携帯で何をしているのかチェックした。やはり男子学生は何らかの有料ゲームを、女子学生はなんらかの「お金あげます」系の出会い系サイトをやっていた。
――多分、他の男女達も同じパターンで携帯をいじっているに違いない。よし、撮って独りレポートして局に送ろう。
「ちょっとごめんね」
謡は十人掛けの席と席の間の階段に出て、バッグからオレンジの携帯を取り出し、
階段教室の全景、携帯に熱中している男女学生たちの表情、彼らがやっている携帯の画面、機械のように講義し続ける教授を撮影しながら独りレポートもした。
一通り取材し終えた謡は教室の中からイブニングニュースの担当ディレクター、山岡に電話をかけた。
他の生徒達も先生も自分のやっていることに熱中していたので、謡は普通の大きさの声でしゃべって状況を伝えた。
「これからこの教室のレポートを送ります。それから他の教室もレポートして、また連絡します」
映像と音声を送り、階段教室を出て、隣の教室から順に回りながら携帯で取材を続けた。五つほどまわってみたが、どこの教室も同じ状況だった。
構内の図書室やコンピュータールームの中では携帯を持っていない、又は持ってきていない学生達や職員がパソコンで同様のアクセスを行っていた。
通路や、庭や学食のあちこちに腰掛けて、ノートパソコンを開いている者もいた。
中には、携帯がないだけでなくパソコンも扱い慣れていないのか、イライラしながらパソコン本体やネットブラウザの立ち上げ作業を試みながら、必死で隣の人のパソコンを覗き込んでいる人もいた。
それから、事務室、研究室などの取材もしてみたが、やはり同じような状況だった。
事務室の男女は自分のパソコンがあるものはそれで、ないものは携帯で、教室の男女学生と同じように有料ゲームや出会い系サイトに没頭していた。
事務室のカウンターに来ていた出入り業者なども同様だった。
研究室を取材すると、授業がなくて研究室にいた教授たちは独り講義をしており、院生や助手は学生と同様に携帯をひたすらいじっていた。
正門を入ったところにある守衛所でもガードマンが有料ゲームに熱中していた。
正門をくぐったどこかの業者の車はその場で停車し、運転していた若い男が携帯を始めた。
有料ゲームや出会い系サイトに没頭している者達は一様にうつろな眼をしているように、謡には見えた。
謡はいったん取材に区切りをつけ、試みに大学の代表番号にかけてみたが、誰も出なかった。
普段だったら電話に出る事務の人達が有料ゲームや出会い系サイトにはまっているから、出るはずはないと思って、確認のためにかけてみたのだった。
謡は山岡ディレクターに電話を入れた。
「階段教室も入れて六つの教室が同じ状況です。事務室や、研究室も ・・・。多分、どの教室もみな同じ状況なんではないかと思いますが、その確認作業を続けましょうか?」
「全部は大変でも必要十分と思うだけやってみてくれ。こっちも早速できるだけ多くの大学の確認・取材作業をやってみるから」
「お願いします。あと、念のため、できるだけ多くの小学校、中学校、高校にも、電話で取材してみていただけませんか。
皆が携帯を持ってきていて同じようなサイトにアクセスするというのは、特に義務教育では考えづらいですけど、なにか似たような状況になっていたら、授業中に電話しても誰も出ないと思いますから」
「わかった。それで、君の大学の確認作業が終わったら、ぼくにその旨電話を入れてくれ。このネタのレポートを君にどこでどういう風にやってもらうか、それまでに考えておくから。
イブニングニュースの放映時間だと大学の授業は終わってるから、二時からのワイドショーでやるように交渉してみるよ。
オーケーが出たら、そちらへ中継車を向かわせる方向で考えるから、正門前でイントロやったあと、授業中の教室へ突撃取材敢行って感じでどうだろう」
「いいですよ」
「一つ問題なのは ・・・ 学内に入ると君以外の人間はみな有料ゲームや出会い系サイトに
「ええ、そうなると思います」
「じゃ、やはり君がワイヤレスカメラを持って独りレポートするしかないけど、それで行けるかな?」
「やります」
「よろしく頼むよ。あと、一つ心配なんだけど、そこって君の大学だよね? 今回この状況では無許可で突撃取材するしかないし、大学の異常事態を報道するわけだから、あとで君が問題になって処分されたりしないかな?」
「あたしは構いません。パチンコパーラーの件といい、今回の件といい、何か世の中全体がひどく狂い始めているとしか思えない時に、処分なんて気にしてる場合じゃないと思います」
それは思わず口をついて出た言葉だった。そう山岡に言ったあと、謡は『うん、全くその通りだ』と心の中であらためて納得した。
「わかった。ところで、三限の授業は何時まで?」
「二時五十分までです。ここは高速のインターから近いですから、今の時間なら局から四十分もあれば着くと思います」
「わかった。じゃ、いったん切るよ。またすぐ電話すると思うけど ・・・」
さっそく謡は残りの教室を駆け足でチェックしはじめた。どの教室もやはり同様で、全教室、いや全学内がそういう空間になっているのはあきらかだと思った。
途中で山岡から電話が入った。
「二時三十五分から生中継ということで、中継車がもう向かっている。十分前には正門の外にいられるか?」
「了解です。服やメイクはこのままで構いませんか?」
「いいよ。異常事態に遭遇して急きょレポートするってスタンスでやってくれ。
事実その通りなんだから」
「わかりました」
「君に送ってもらった学内の素材は編集して臨機応変に流せるようにしておく。万一学内に入った時にみんなが正常に戻っていても対処できるようにしておくから、君もそういう時は臨機応変にレポートしてくれ」
「はい」
謡は早めに正門前に行き、中継車の着くのを待ちながら携帯のテレビでJBCの午後のワイドショーが始まるのを確認した。
テーマミュージックと共に始まったオープニングの中で「大学に異常事態!?」というテロップと共に謡が先ほど局に送った階段教室の映像が早くも流されていた。
中継車が到着し、中継用のインカムを付けた謡は山岡ディレクターとの打ち合わせを済ませ、予定の二時半に彼女のレポートが始まった。
初めはカメラ、音声などのクルーが一緒だった。彼女はレポートを始めた。
「こんにちは。私はイブニングニュースのレポーター、天波謡です。
ここは私の大学なんですが、さきほど一時過ぎに午後の授業に出ましたところ、教室が、学内が、とんでもないことになっていたので、急きょ私がお伝えすることになりました。
午後のワイドショーは初登場ですが、どうぞよろしくお願いします。それではクルーと一緒に早速学内へ入ります」
謡はいきなりカメラクルーからカメラを受け取り、
「では、私がカメラさん、音声さんを映しながら学内に入ります。カメラさん、音声さん、私の、前を歩いて正門をくぐって下さい」
謡のカメラが映す中、クルー達が正門をくぐり、それをカメラを持った謡が追う。正門をくぐったクルー達が立ち止り、いきなり機材を地面に置いて携帯を出していじりはじめる。
これは山岡ディレクターから指示された演出ではあったが、嘘ではなかった。
「これは演技ではありません。学内に入ると私以外の人間で携帯を持っている人達はみんなこのように、携帯をいじりはじめるのです。守衛さんも、車の中の人も、さきほど授業に大幅に遅れて正門を入った女子学生も」
謡は次々に携帯をいじる人達を映しながら独りレポートをした。
「いったいなにがどうなっているのか一番わかりやすいのが大きな階段教室です。今からそこへ向かいます。走ります。少し時間がかかりますが、どうぞお付き合い下さい」
謡は思いカメラを構えながらハーハー息をしながら揺れる廊下を走って行き、扉をあけて階段教室に突入した。
「見て下さい。みんな授業中にもかかわらず、携帯に没頭しています。何をしているかというと、男子学生はみな有料ゲーム、女子学生はみな出会い系サイト。
今から何人か映します ・・・ この教室の中の学生約二百人がみな、そんなことをしているのです。
私も信じられません。でも本当です。携帯を持っていない学内の人達はみんなパソコンで同じことをしています。
先生はというと、あのように、学生達のことを気にせず淡々と講義をし続けているんです。
先生も学生達も、声をかけても決して顔を向けようとはしません。試しに、まずこの男子学生に声をかけてみましょう。
もしもし、もしもし・ ・・・ ほら、声には全く反応しません。
こちらの女子学生にも試してみましょう。もしもし、もしもし ・・・。
こんな大きな声をかけても全く反応しません。
では、講義中の先生にも、近くへ行って声をかけてみましょう ・・・ 先生、先生、先生! 反応がありません。
この先生は普段は学生が授業中に携帯を見ているのを見つけるとビシッと注意する先生なんですが ・・・。
そしてこの現象、先日私がイブニングニュースでお伝えしまして、現在全国に
そこでスタジオの映像に切り替わり、男性のメインキャスターがカメラ目線で口を開いた。
「この話題はまだ続きます。今回この現象を番組が取り上げるきっかけとなったのが、今レポートした天波謡さんからの連絡だったんです。謡さん、あなたはその大学の学生さんでしたよね?」
呼びかけられた謡は「はい」と答えた。
テレビ画面の左下側にピクチャー・イン・ピクチャーで、謡の映す階段教室の四角い中継画像が現れた。謡は撮影しながらレポートを続けた。
「きょうの午後の三限目に、この教室に来たら、このようになっていたのです。もうすぐ三限が終わるので、終わってもこの現象が続くのかどうか、私はこの場で確かめたいと思っています」
「わかりました。実は謡さんから連絡があったあと、私共の番組は手の空いているスタッフ全員でできる限り多くの大学の状況を確認してみました。
近くの大学や短大には直接スタッフを派遣しました。
またそうでない大学や短大には代表電話を入れてみました。
この現象が発生している大学や短大の学内では全ての人間が携帯に没頭していて、電話をかけても全く出ないという前提のものでの電話リサーチで、
電話は一つの大学に三回ずつ、一回につき呼び出し音で三十回までかけ続けるというやり方です。
その結果、I大学も入れて現在までに直接スタッフが確認した七つの大学や短大全てにこの現象が発生していることが確認され、
また、先の方法で電話した結果、現在までに電話した都内の二十五の大学や短大が全く電話に出てきませんでした。
別のスタッフが東京都以外の大学や短大に電話をいれてみたかぎりでは、現在それらの大学や短大ではこの現象は発生してはいません。
ところでそろそろ三限が終わる時間ですね、謡さん」
テレビ画面左下の小さな謡の映す教室の映像が大きくなって全画面になった。
「はい、もう授業が終わると思います。 ・・・ 今、ベルが鳴りました ・・・ あ、みんながざわざわしだしました。
携帯を見てボウッとしている人、首を傾げている人、テキストやノートやパソコンをしまい始める人 ・・・ 先生も、ノートをしまっています。今から、まず、先生にお話を聞きます」
映像は教授に向かって突進し、「先生」と声をかけられて顔を上げ、ビックリしている教授が映し出された。
「君は、天波君じゃないか。どうしたんだ? 映してるの?」
「はい。今授業が終わったんですが、どんな授業だったか覚えてますか?」
「え? ・・・ あれ・・・ いやあ、そう言われると ・・・ 覚えてないな ・・・」
「なんか、変な夢を見ていた感じってありませんか?」
「夢 ・・・ ああ、そう言えば、学生達がみんな携帯いじっていたような ・・・ ああ、ぼく、もしかして寝てた?」
「いえ、眠ってたわけではないんですが。ありがとうございます。では、学生達にも聞いてみたいと思います ・・・」
インタビューされた学生達はやはり口々に「よく覚えていない、でも、なんか携帯をいじってる夢を見ていたような ・・・」などと答えた。
「主婦のパチンコパーラー殺到現象とこの現象には同じ根があるように感じます。この現象もまた全国的に広がっていくのではないかという気がします。
今まず第一に必要なのは、これらの現象の根が何か、どういうものか、はっきり見極めていくことではないでしょうか?
これまでも、主婦のパチンコ依存や学生の携帯依存ということはありましたが、これほどまで際立って現象化したことなど前代未聞なのです」
謡はそのようにレポートをしめくくった。スタジオのメインキャスターがあとを受けた。
「確かに、主婦がパチンコにハマったり、学生が携帯などでゲームや出会い系サイトにハマったりすること自体はこれまでにもあったわけですが、
今回のような極端なハマり方と広がり方はかつてなかった現象です。
天波レポーターが『根』という言葉で表現したものの正体を見極めていく必要があるように私も思いました」
沢山の視聴者がこの放送を見ていた。
銀金トミも彼女が会長を務める投資ファンド&コンサルタント会社「マザー」の会長室の壁の大型モニターでそれを見終わったところだった。
――あの火事以来の一連の騒動のお陰でこの子も随分と顔が売れたみたい。ギャラも少しはアップしたのかしらね。視聴率アップで会社の株価にも多少いい影響もあったみたいね。
でも、悪いけど、もうそう長くは続かない。
「遊びは楽しいからもうしばらく続けるとしましょう。ああ、メディアという社会の目耳、お金という社会の血液を弄ぶのは楽しいこと」
そういう″マザー″の声をトミはけさ確かに聞いた。
いつものように荘厳な声だった。しかしその言葉の調子は何かいたずら好きの子供のそれのように感じられた。
″マザー″を母なる神として崇拝しその司祭としての役割を忠実に果たしてきたトミにとっては、そんな風に感じられたのは初めてのことで、何か違和感を感じた。
だがトミはそんな違和感を感じたことをすぐ忘れた。それを察知した″マザー″によって即座に消去されたのだ。
謡のレポートを見たあと、トミは急に呼ばれたような感覚を覚えた。
会長室を出て同じ建物にある自分の寝室へ行き、黄金の
″マザー″はお告げを下した。
「JBCの株価はあさってには
トミは恭しく拝礼したあと会長室に戻り、会社の社長を務めている娘の銀金レイ子を会長室に呼んだ。
この親子は仕事の時は「会長」「社長」と呼び合っていた。
「会長、なんでしょうか?」
レイ子の質問に、トミは″マザー″のお告げをそのまま口にして答えた。
「JBCの株価はあさってには大暴落します」
「わかりました」
レイ子は答えた。
何をすべきかもちろんわかっていた。仕事のことについて今までトミの言ったことが間違ったためしはただの一度たりともなかった。
大きな儲けが期待できるマネーゲームがまた一つクライマックスを迎えようとしている。そんな思いに彼女はワクワクしていた。
「あと、社長、あんたに見せたいものがあってね」
トミは今録画しておいた謡のレポートを見せ、見せ終わってから尋ねた。
「このレポートを見てどう思った?」
「そうですね、それだけ見た感想だと視聴率が稼げそうなセンセーショナルな報道で、JBCに悪い材料には決して思えませんが ・・・」
「そうだろうね」
「あさって株価が下がることと関係あるんですか?」
「まあね。こんな風に異常なことが続いて起こるような流れの中でそういう株価の下落も起こると思って、まあ見ていなさい」
具体的に何が起こるかまでは、トミも告げられていなかったのだ。
「わかりました」
「ところで社長、あんた、謡に会いたいとか思ってるんじゃないの?」
「いいえ、そんな ・・・」
レイ子は口では否定したが、表情は動揺していた。トミはそれを見透かしたように突き放した笑いを浮かべた。
「あら、ご免なさい。つい、そんなこと聞いてしまって ・・・ いいのよ、あたしは、あんたがそうしたいなら会ったって ・・・」
トミはレイ子が娘に会えない理由を知りながら、あえて尋ねたのだった。
″マザー″の影響が以前よりもはるかに強まっている今のトミは、レイ子の謡に対する母親としての感情を無価値な邪魔物のように考えていたのだった。
「いいんです。では」
レイ子は一礼して会長室を出た。
――なんであれ、人間的な感情はマネーゲームには無用で邪魔なものだとでも言いたいのかしら? いくらなんでも極端すぎるんじゃ ・・・。
レイ子は思わず唇を噛みしめ、それ以上考える代わりに、JBS株のことを考えた。
おととい、中国系のファンドがJBC局の所有権を手中に収めるために株を買収し、すでにその全株式の三分の一を手に入れていると発表した。
これに対してきのう、アメリカ系のファンド四社が合わせて全株式の三分の一を所有していると共同発表した。
JBC局も含めた株式会社では
また重要な
だから、会社の株式の
中国系のファンドと、共同戦線を張っているアメリカ系のファンド四社は話し合いを続ける一方で、きょうの株式市場での買い付けを進めて双方とも更に
そのためきょうのJBC局の株価は一気に上がり、今後短い期間にJBC局の株価は更にどんどん上がっていくことが予想されていた。
それがあさってには大暴落するというのだ。
共同戦線を張っているアメリカ系ファンド四社を動かしていたのは銀金トミだった。
実際その四つのファンドのうちの一つのオーナーは彼女であり、他の三社についても裏コンサルタントとして実質的にJBC株の買いをとりしきっていた。
更に言えば、中国系ファンドの今回のJBC敵対的買収の動きについても、その本当の黒幕は彼女だった。
銀金トミはこれまでも″マザー″のお告げに基づいて様々なマネーゲームを演出してきたのだった。
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