5

「……あーあ、この局ももう駄目か。もう少し長続きすると思ったんだけどなあ」


 俺は、リビングの円形のガラステーブルに頬杖をしながらリモコンでテレビのチャンネルを変えていた。

 そして、軽く溜息をつく。テレビはザーザーと耳障りな鳴き声をあげていた。


「朝はちゃんとニュースやってたのに……。勿体ない」


 俺はリモコンをテーブルの上に置き、立ち上がって背伸びをする。


「うーん、これでテレビ局は全滅か。有線はどうか知らないが……」

 俺はベランダに向かった。カーテンを開いてそこから外の景色を見る――とは言っても寮が五階建てだからそこから見える景色なんてものはあまり良いとは言い難いけれど。


 というか、五階建てではなくても窓から見える景色は良いものだとは言えないか。


「……」


 俺の目に映っているのは、荒廃した町だ。道路は舗装されておらず、信号も光を発していない。辺りを見ても、人は歩いておらず、閑散としていた。実はもう世界なんてものは崩壊しているのかもしれない――俺はそう思った。


「……食料は最後の日まで持つか。小麦粉卵砂糖水の減るスピードが尋常じゃないけれど、最悪食事は三日一食で保つだろう。電気は太陽光発電、問題は水道だな。最近雨が降っていないから……あー、本格的にやばいな。これは。つーか、ここまで生きてこれた俺って実はスゴイヤツなんじゃね?」


 はっはっはー。


 俺は笑っていた。何で笑っているのかわからない。自分でもわからない。


「なんで俺ってヤツはこうも無駄に生きてるんだろうなあ。というか何のために生きているんだ俺は。――いや、そんな質問はもうどうでもいいか。今考えるべきは――いや、考えて何がある? 俺はこんな世界にどうなってほしいんだ? はっはっはー。さっぱりわからん。誰か教えてくれないか? くれないか。くれないな、うん」


 だって誰も居ないしな。いや、居はするんだろうけれど、誰も不用心に外に出ることはないだろう。


「さて、もう半分滅んでいるような世界だが――果たしてこの世界は救われるだけの価値があるだろうか」


 世界を救う方法が一つある。


 必木先輩はそう言っていた。


 俺はその方法を訊いたのだが、その方法を使っても世界が救えるとは思えない――そもそも先輩が何を言っているか殆ど理解できなかった。


 というか、色々無視できない出来事が重なりすぎて今起こっている状況そのものがよくわかっていない。


 ……待て待て。じゃあ一つずつ、話を整理していこう。


 まず、現状今のままじゃ世界は滅ばない。


 これは『予言者』であるミコトが俺に世界を滅ぼしてほしいと言っていることからそう推測できる。だが、俺以外に候補がいる可能性もある。というかそちらの方が可能性は高い――待てよ。それなら最初会った時に断られた時点で見切りをつけて次の候補者の処へ行くはずだ。時間も限られているし、俺に執着している時間はないはず。なら世界を滅ぼすには俺という存在が必要ということになる。だけれど俺は特殊技能も何もない。強いて言うなら勉強ができるくらいだ。でも勉強ができるからと言って世界を滅ぼせるわけではない。ならばきっと俺が絶対候補である条件は俺以外にあるのだろうか。俺自身の能力以外での俺が必要なこと……俺としか会話しない人間がいて、そいつが世界を滅ぼす力を持っている、という場合なら俺自身が必要でなくとも俺が必要という状況にはなる。しかし、俺の周りにそういった奇想天外な人間はいない――ん? 必木先輩は――いや、違うな。ミコトと必木先輩は知っている仲だろうし、俺が仲を取り持つ必要はない。


「じゃあ何で俺が必要なんだ……?」


 ここはミコトに直接訊くしかないだろう。俺でなければならない理由を。

 ではこの問題はミコトに訊くとして、次にそのミコトと必木先輩との関係の問題だ。


 何故二人はお互いの存在を知っているのか。……なんだかこれも必木先輩かミコトに訊かなくてはならないようだ。


 ではまた次の問題の整理に入ろう。


 何故世界が滅ぶのが八月二十六日でなければならないのか。これも疑問だ。タイムリミットなんか決めずにゆっくり世界を滅ぼせばいいのに。……いや、予言を言うためには正確な日付が必要なのか。でも何故八月二十六日なのだろう。なにか理由があるに違いない。

 しかし、今のままじゃこれはわからない。これもミコトに訊くか。


「……あれ? 俺ミコトに訊くこと多くね? つーか今までの俺、ミコトから全然情報引き出せてなくね?」


 ミコトと出会ってもう暫く経ったと思うが……うーん、まあ、これは仕方のないことか。過ぎ去ってしまった時はどうしようもない。


 次の問題のことを考えよう。そうだ、そうしよう。


 ――ミコトは二重神格、らしい。


 神にも二つの人格、いやこの場合は神格、が宿るというのは疑問に思うが、まず神格があるという時点で二重神格もあり得るだろう――いや、何言っているんだ俺。


 さっきから予言者がどうのこうの神格がどうのこうのって、バカみたいじゃないか。 


 そうだ。そもそもこの出来事自体が必木先輩とミコトの悪戯だということもあり得る。というか神格とか信じるよりもそちらの可能性の方が圧倒的に高いじゃないか。


 なんだなんだ。世界滅亡を予言した『予言者』なる存在は別にいて、必木先輩がミコトと結託して俺に悪戯を仕掛ける――そんな話の方が信憑性が高いじゃないか。


「は、ははは。何を考えているんだ俺は。そうだよ、これは悪戯だ。必木先輩もミコトも俺を驚かそうとしてやっているんだ。はは、なんだなんだ。簡単なことじゃないか。まったく、世界が滅びる腹いせに俺をこんな笑えない悪戯に付き合わせるとかマジあり得ないぜ。あり得ていることが不思議だぜ。ははは――は?」


 いや、それだとしたら、もしこれが悪戯だとしたら。


「俺が見た白の世界は何だったんだ――?」


 そうだ。もしこれが悪戯ならその部分が説明できない。俺がミコトに触れようとした瞬間に見たあの白の世界はどうやっても説明できない。


「……悪戯にしては手が込んでいる。だけど、逆に悪戯じゃないとしたらあの白の世界はミコトということになる。―—どういうことなんだ? 必木先輩はあの白の世界そのものがミコトであると言っていたけれど、それがどうもつっかかる。そして、白である理由――目くらまし? 姿を見せないため? だが俺はミコトを知っている。今更顔を隠されたって――待てよ、あれが二つ目の神格、ミコトの『予言者』である神格の何かを隠すため、という理由ならわかるかもしれない。必木先輩はあの白の世界そのものが二つ目の神格だと言っていたけれど、それはそのままの意味ではないんじゃないか? ミコトの二つ目の人格が生み出した白の世界がミコトにとってとても重要な何かを意味していているからああいうことを言ったのかもしれない。……つまり、あの白の世界はミコトの神格そのものというわけではなく、二つ目の神格の何かを隠すためのもの、ということなのかもしれない」


 なるほど、それなら納得できそうだ。


「ん? 二つ目の神格を隠す理由――あるとすればそれはなんだ? というかそもそも違うのは神格、中身だけだろ? ミコト自身の見た目は何も変わらないはずだから――中身、神格によって変化するもの。もしかして見られたくないのは態度や表情とか、そういうものか?」


 態度、表情。そういったような内面を表す外観なら神格の違いによって変化するかもしれない。ミコトは神格によって変化した姿を見られたくなかった、ということなのだろうか。でもたかが態度や表情一つに視界を白に染め上げるほどのことがあるだろうか。


「……駄目だ。今はここまでしか見当が付けられない。取り敢えずこのわけのわからない状況は悪戯ではなく、実際に俺が立たされている最悪の場面だ、ということか」


 ……なんてことだ。これが悪戯じゃないということは、俺は今世界を救うか滅ぼすかを選ばされている立場にあるということか。


「本当に俺に世界の命運が託されているってことか……? 荷が重すぎるぞ、おい」


 俺はそんな重要な仕事ができる人間じゃあないんだけどな――


「どうしたの? テレビが映らなくなっちゃった?」


 俺は振り返る。ミコトが覗き込むようにテレビを見ていた。


「……ああ、どうやら俺のお気に入りの局ももう駄目らしい。最後の日までやってくれると期待していたんだけどな。時代の波には勝てないみたいだぜ」


 時代の波、というか時代そのものが幕を閉じてしまいそうなんだけどな。


「へえ……なんだかさみしいね」


「さみしいね、って……」


 こんなことになったのはお前の予言の所為であるということをこいつは気付いているのだろうか。気付いているのだとしたらなんと性格のよい奴だろう。すぐに嫌われ者として名乗りを上げそうだ。気付いていないならただの馬鹿だが――こいつの場合は後者なんだろうな、きっと。


「そうだっ、そうそう! あのねっ、ちょっと聞いて?」


 ミコトが手招きしながらそう訊いてきた。可愛い仕草ではあるが、なんかもう、嫌な予感しかしないのは俺だけだろうか。


「……はいはい、どうかしましたか」


「あのねっ! 私、お風呂っていうものを試してみたんだけれ


 バァン!


 音速の速さで俺は風呂場へと向かった。


「あ、ああ……」


 風呂場の扉を開け、浴槽の中を覗き込むと、なんと浴槽には容積の三分の二は超える量の水が入っていた。


「お風呂って気持ちがいいんだねっ! 初めてお風呂に入ったんだけど、こんなに気持ちがいいものだと思ってなかったっ!」


「……お、お前」


 なんてことをしてくれたんだ。


「いやー、お風呂に入らなくても体の汚れは自分の力で落とせるから今まで入らなかったんだけど、こんなに気持ちのいいものなら毎日入りたいねっ!」


「ミコトさん⁉ 貴女は今水がヒジョーに大事な物であることを理解しているのですか⁉ 水道が止まっているんですよ⁉ おわかり⁉ アンダスタァン⁉」


「……?」


 可愛く首を傾げられてしまった。確かにお前のその仕草は可愛くて思わず全てを許してしまいそうになるが、流石に今回ばかりは許せそうにない。

 水だぞ、水。生活必需品。

 お前はちゃんとそれを分かって使っているのか?


「……あのなあミコト、今現在水道は止まっていて、水が人の手によって供給されない状態なんだよ。水を確保するには雨乞いをして、尚且つ運良く降ってきた雨水をタンクに貯めるということをしなければならないんだ。個人でペットボトルの飲料水は各自持っているだろうけれど、それは最終手段。基本はタンクの水を分け合っているんだよ。だから大変貴重なものなんだよ水というものは。わかるかね?」


「えーっと……もしかして、私。大変なことをしでかしちゃった?」


「そうだよ! 大変も大変だよ! いいか! この寮の雨水は共有しているんだよ! タンクが共有なの! つまりミコトさんは俺だけではなくこの寮にいまだ残っている生徒全員の貴重な水をこんなに使ってしまったんだよ! あーもう反感を買うのは俺なんだぞ! まったくもう……」


 考えるだけで嫌な気分になる。寮の誰かに問われたら俺じゃないと否定してしまおうか。そうだ。それがいい。そうしよう。悪いのは俺じゃないしな。


「ごめんね、ごめんね……こんなことになるって、思ってなくて……」


 涙目になったミコトが頭を下げてそう言った。……まったく、俺が悪いみたいじゃないか。なんだか自分自身でもそんな気がしてきたぞ? あれ? おかしいな?


「まあ、もう起こってしまったことはどうしようもない。対処法を考えよう。そうだな、この残った水を洗濯とトイレに使って節約を――だから、頭を上げろミコト。俺はこんなことで激怒するほど器が小さくない……筈だ」


 俺はミコトの頭を撫でた。……最早器が大きいというよりも甘い。俺はどうもこういった奴が苦手のようだ。


「ごめんね、」


 ミコトが顔を上げる。まだ目にはうっすらと涙が見える。


「まったく、お前という奴は。ミコトという奴は。どうも扱いにくい」


「?」


「気にすんな。独り言だ――ところで、ミコト。風呂に入ったと聞いたけれど、何時の間に風呂に入ったんだ? というかいつ体を拭いたんだ? 今のお前は全く濡れている様には見えないんだけれど」


「えーっと、それはね……乾いた?」


 何故疑問形?


「……そうですか。はいはい」


 ミコトとの会話も慣れたものだ。というより、俺がミコトのよくわからない謎発言をスルーすることに慣れたという方が正しいのだけれど、この際大して意味が変わらないから良しとしよう。


 俺は溜息をついてリビングに向かった。ミコトも俺の後につく。……なんだか一気に疲れた。座りたい。ミコトと一緒にいると疲れてばかりだ。こいつは必木先輩とはまた違った疲れを俺に感じさせる。


 テーブルの前まで着くと俺は座り込み、頬杖をついた。

 ミコトはとてとてと歩いて俺の向かい側に座った。


「とりあえず、これからは水の扱いには気を付けること……というよりも、ミコトさん? いい加減俺の部屋から出て行ってくれませんかね? 俺のところに居ても時間の無駄になるだけだと思うぞ?」


「だーめ、君には世界を滅ぼしてもらわないと困るの」


「……あのなあ、だから、何で俺なの。俺じゃなくてもそこらへんにいるヤツを捕まえればいいじゃねーか」


 何故俺でなければならないのかがわからない。俺にできることは大抵他の人間にもできるだろう。それなのに何で俺なのか理解できない。


「だーかーら! 君じゃないと駄目なの! だって君は……」


「君は?」


「君は……世界が滅んでもいいと思っているから」


「……お前もそんなことを言うのか」


 必木先輩も言っていた、その一言を。


「……」


「ねえ、君は――『信仰の力』って信じる?」


 ミコトは突然そんなことを言った。


「は? 信仰の力?」


「うん、ほら、よく言うでしょ?『信じる者は救われる』って」


「それは聞いたことがあるが……」


 それってキリスト教か何かの宗教の言葉じゃなかったっけ?



「私はね、信仰の力によってできてるの」



 ミコトは胸に手を当てて言う。


「私はね、私というフミダラノミコトはね。とある宗教の神様なの。とある新興宗教の、予言の神様。私がこうやって具現化できているのは、私を、私という神様を、信仰してくれている信者の人達がいるからなの」


「宗教の……神? イエスとか、アッラーとか、そういう類の?」


「格、といか、ランクというものは大きく違うけどね。大きく分類したら同じ位置にはいるかも」


「……うーん、しかしよくわからないな。信仰の力でできているってどういうことだ? なんかこう、信者からエネルギーをもらっているとか、そんな感じなのか?」


「まあ、簡単に言えばそんな感じかも。信者が私という存在を信じてくれているから、私はここにいられるんだよ。また、信者じゃなくても私という存在がいることを理解している人がいても、私は力を得られるんだ」


「……つまり、信じられれば信じられる程、ミコトの力は強くなっていくってことか?」


「うん、そうだね」


「……なんとも信じがたい話だが、待て、ちょっと考える」


 聞いた話を整理すると、ミコトはとある宗教の神様で、その宗教の信者から力を貰って具現化しているらしい。しかも信者のみならずミコトを知っていればそれだけでミコトの力になるのか。……うん? あれ、何か頭に引っかかるぞ。


「おい、ミコト。お前――『予言者』じゃないのか?」


 そうだ。それだ。必木先輩もミコトも神様神様言っていたからつい忘れていたけれど、こいつは初めて俺と会った時に自らのことを『予言者』だと名乗っていたじゃないか。神様と予言者。何か、関わりがあるのだろうか。


「そうだよ。私は『予言者』。みんなにはわかりやすくそう言っていたの」


 ミコトは俺の質問にあっさりそう答える。


「は? みんな? みんなって……それはもしかして、お前の予言を信じている人達のことを言っているのか? その、『予言者』の方での信者というか、そんなやつ?」


「うん。『予言者』の方面での私を信じてくれている人。ほら、いきなり『神様』なんて言っても誰も信じてくれないし、まずは『予言者』という謎の人物を作り上げるてからかなと思ったから、私はそう名乗っていたの」


「それはそうだろうが――何故お前は『予言者』なんてことをやったんだ? 信じられれば強くなるなんてことを言っていたが、自分をより多くの人間に知ってもらえば自分の力が強くなる……からなのか?」


「うん、そうだよ。私は力が欲しかった。世界を滅ぼせるほどの強大な力が――だから私の得意分野の予言で世界中のみんなに私の存在を知らせた。みんなの意識に、私という予言の力を持った存在を置くことで、私は莫大な力を得たの」


「なるほど。とても信じられないような話がバンバン飛び交ってきているがなんとなくわかってきた。――だがまだはっきりしないな。お前はその、『信仰の力』っていうヤツで力を手に入れたんだろ? だったら何で俺に世界を滅ぼすことを依頼するんだ? 自分の手で滅ぼせそうな気がするんだけど」


「……それはね、なんとうか、向いてなかったの」


「向いてなかった?」


「そう、向いてなかった。私は元々予言の神様だから、莫大な力を手に入れてもその力の使い方を予言以外の方法で知らないの。いや、正しく言えば使い方をわかってはいるんだけど、上手く使いこなせないって感じなのかな」


「ふーん、なるほどね。……でもさ、だからといって俺に頼むのはおかしくないか? そもそも俺は誰かに信仰されているわけじゃないし、世界を滅ぼす力なんて持ってないぞ?」


 そう、そもそも前提段階で俺には力がないのだからどうしようもない。

 しかし、ミコトは俺の質問に自信満々にこう言った。


「それは大丈夫だよ! 私が力を君に分けてあげるから!」


「は? 分ける? その『信仰の力』ってヤツをか? そんなことができるのか?」


「うん! 私がうまく使いこなせない『信仰の力』の暴力的な部分の一部を君に渡すの。そうしたら私の力はそのままに、君は莫大な力を手に入れて世界滅亡が望めるんだよ!」


「……いや、それだったら別に対象が俺じゃなくてもよくないか? やっぱりそこら辺にいるやつでも――」


「いや! 君じゃないと駄目なの!」


 ミコトが突然語気を強くして、俺にそう言った。


「な、なんでだ? 何で俺じゃないと駄目なんだ?」


 俺は少しミコトの熱気に押され気味にそう言う。そうだ、別に今の話だと対象が俺じゃなくてもいいような気がするんだけれど……


「……さっきも言ったけど、『信仰の力』には向き不向きがあるの。それは力を分け与える人にも関係しているから、力を渡せる人も限定されるの。そして、この世界を滅ぼす力を受け取れる人間。それは――『世界が滅んでもいい』と本気で思っている人間。つまり、君のことなの」


「……は? なんだって? 俺が、世界が滅んでもいいと思っている人間だって? んなバカな。そんなことあるわけないだろ。だって俺は――」


 ――俺は? 俺は、何だ? 俺は何を言おうとしている?


「俺は……」


 俺は、世界に滅んでほしいのか?


 必木先輩もそう言っていた。『世界が滅んでほしいように見える』と。

 俺は本当に――そうなのか?


「……」


 俺は、ゆっくりと立ち上がって部屋の奥へと向かった。


「ど、どうしたの?」


 ミコトが心配そうにそう言う。


「……」


 俺は部屋の奥にある押入れの前に立つと、押入れの取手に手をかけ、扉を勢いよく開けた。


『まるで自分が世界の中心に立っているかのような顔をしているね――吐き気がする』


 誰かの声が聞こえる。いや、これは過去に俺が聞いた声か――


『誰も救っていないのに誰かに救われるわけがないじゃないか。誰も救わない人間は誰にも救われないよ』


 そして俺は押入れの中の物を一つずつ取り出す。大量の生徒手帳、貯めている食料と飲料水、懐中電灯、その他諸々。


『まあ、取り敢えずくだらないことで絶望しているくらいなら本でも読みなよ。少しはマシになるだろうさ』


 一つずつ取り出して、一つずつ床に置いて、そして押入れの奥にあるものが見えてくる。


「……見えた」


 押入れの奥にあったのは――本棚だった。日本の有名な作家から外国で著名な作家、それにライトノベルまで。あらゆる種類の本がその本棚に入っていた。


 そして俺は本棚の中から一冊の本を取り出した。

 それは、


「ねえ、それは何の本?」


 背後からミコトの声がする。気になって俺の後ろから見ていたようだ。


「……ああ、これは『罪と罰』っていうタイトルの小説だよ」


『罪と罰』。著者はフョードル・ドストエフスキー。ロシアの小説家だ。


「小説? どんなお話なの?」


「ミコトには難しいかもしれないな」


 そして俺にも――難しい。


「……これはな、現実と理想との乖離や論理の矛盾・崩壊などを描いた話――らしいんだけれど、俺にはいまいちよくわからない。最後まで読んでみたけれど、俺程度の理解力では人は一辺倒じゃいられないってことくらいしか――あ?」


 現実と理想との乖離や論理の矛盾・崩壊?

 もしかして俺は、大事なことを見逃していたのか?


「……でも、だとすると、まさか」


 俺は本を棚に戻し、ある場所に向かう。


「まだ、あるはず……あった! これだ!」


 俺はゴミ箱の中から一冊のパンフレットを取り出した。それは、俺が以前投げ捨てた新興宗教の勧誘のパンフレットだった。

 俺はビニールを破き、中の冊子を取り出す。


「ふむふむ、なるほど。そういうことだったのか。確かに――それなら納得できる」


 俺はパンフレットのページを捲りながらそう呟いた。


「そうだよ。理論なんてそんなものは最初からなかったんだ。最初からこの話は、この物語は矛盾していて、崩壊していた――」


 俺はパンフレットを閉じ、ミコトにこう問いかける。


「ミコト、これが最後の質問だ。お前、何で世界を滅ぼしたいんだ?」


 ミコトは俺の質問に、こう答えた。



「……それは、復讐のためだよ。私の大切な人を奪った、世界への……復讐」



「復讐か。ああ、実にシンプルでわかりやすい。くそ、最初からシンプルに考えていればもっと楽だったかもしれないのに」


 そして、やっとわかった。

 ベランダでやった自問自答の答え。

 必木先輩が言った世界を救える唯一の方法、その真の意味。

 そして、俺が世界をどう思っているのか。

 なんだ、簡単じゃないか。

 答えは最初から用意されていた。

 矛盾だらけで筋の通らない答えが。

 どおりで矛盾をなくそうとしても消えないわけだぜ。


 ――でも、待て。

 わかった、とは言ったがこれが100%答えであるという保証はない。矛盾は矛盾したまま残っているし、証拠も状況証拠だけできちんと確信が持てるというわけじゃない。それに、もし、もしこれが、俺が辿り着いたこの答えが本当に正解なのだとしたら――きっと誰も救われない。


「……」


 今が覚悟を決める時なのかもしれない。これが正解ならば、行きつくところまで行ってしまう可能性がある。けれども、それでも俺は今、決断するべきなのかもしれない。


 俺に、全てを失う覚悟があるか。


「……っ」


 手が、震えていた。


 おそらくこれからの人生に、ここまでの大きな決断を迫られる時はないだろう。

 目の前にある選択肢。

 俺はどれを選べばいいのか――


「すーっ、はーっ」


 俺は大きく深呼吸をした。

 落ち着け。

 今ここで選ばなければ、何時まで経っても前には進めない。

 だから、俺は選ばなければならないのだろう。

 たとえそれが最悪の結末を迎えることになるとしても。

 前に進もうとしなければ、救えるものも、救えない。

 だから俺は決断する。


 俺の答えを――出す。


「……あのさ、ミコト。突然だが、変な話をしてもいいか?」


「どうしたの?」


「いや、懐かしいことを思い出してさ。……俺はさ。昔、特別な人間になりたかったんだよ。誰かに慕われて、誰かに評価されて、誰かに認められてさ。俺はそんな人間になりたかったんだ。何故かはわからないけれど、そんな人間になりたかったんだ。でも、俺がそんな人間になれるわけがないだろう? こんな、誰がどう見てもダメ人間だと思うような奴が、特別になれるわけがないだろう? だから俺は絶望したんだよ。身勝手に、自己中心的に。世界が悪いのだと。自分を慕わない自分を評価しない自分を認めない世界が悪いのだと。でもさ、それって仕方がないと思わないか? 仕方のないことなんじゃないか? でも、そうだとしても……なあ、ミコト。この世界は残酷で無慈悲だ。人がどれだけ頑張っても評価してくれないし、認めてくれない。大人達は子供達に道を勝手に示して去っていき、また、その道を否定もする。苦しい状況に陥っても誰も助けてくれない。皆言いたいことを言うだけ言って手を差し伸べずに去っていく。そんな、くそったれな世界だ」


 俺からしたらこんな世界は滅んでも構わない――

 はっきり言おう。



「だからさ、わかったよミコト。お前の望み通り――世界を滅ぼそう」



 この世界に、価値があるか。


 俺の答えはNOだ。

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