無題

橘 叶

第1話

ー1ー

「大丈夫かい? 」


今も忘れない。桜吹雪の中の入学式の日。それが先輩との出会いだった……



ー2ー

私は唯。笠間 唯かさま ゆい


今年の3月に南中学校を卒業して、このとどろき高校に入学し、晴れて高校生になった。高校は何もかもがきらめいていた。新しい制服、新しい校舎、新しい友達…… どれも私には新鮮で新鮮で…… とても楽しい日々が待っていると思ってた。


中学時代は陸上部。部長もやっていた。県内でもトップクラスの実力もあった。もちろん高校も陸上部。部活に入った頃は “期待の新人” とか呼ばれてたけど…… 今となってはただの部員のうちの1人。周りがそれはもう県大会で見たことのあるような人がうじゃうじゃいるような状態だ。その中に私はどんどん埋もれていった。記録がなかなか伸びなくて悩んでる。先輩はみんな優しいけれど、中学から部活命だった私としては今の部活はあまり楽しいものじゃない……



ー3ー

ある日、私は部活の休憩時に水を飲みに水飲み場へ行った。


私の目に1つの人影が映った。


「あっ」


三枝さえぐさ先輩だ。先輩はサッカー部だけれど、私の知る限りではAチームと呼ばれるレギュラーチームではなく、ずっとBチームと呼ばれるサブチームにいるらしい。


「あぁごめん。使う? 」


先輩はそう言って私に場所を空けてくれた。


「あ、ありがとうございます」


ぺこりとお辞儀をしてその場を使わせてもらった。


先輩はその場を離れることはなく、優しく私に話しかけてきた。


「何か悩んでる? 」


先輩はぱっと見冴えないけれど、とても優しく、小さなことにもすぐに気づくとても鋭い観察眼を持っている。


「…… 」


私は答えることができなかった。


“期待の新人” と言われてたことが今の私を苦しめてるなんて先輩には言えない。期待されていなければ、記録が伸びなくてもここまでは落ち込まなかっただろう。1度半端に期待されていただけにそれが大きなプレッシャーとなって私に襲いかかってくる。そんな悩み贅沢すぎる。


「言いたくなかったら無理して言わなくていいよ。まぁ俺なんか人の相談に乗れるような奴じゃないけど。一応人生の先輩として、ね。いつでも相談には乗るから、気軽に言って。じゃあね」



先輩はそう言ってその場を離れた。遠く離れていくその広い背中を私はただ見ることしかできなかった。


ーーー先輩は優しすぎるーーー


私はいつもあの優しさの前ではまともに話すことが出来ない。あの優しさにちっぽけな私が包まれて身動きが出来なくなってしまう。


「ちょっと唯。いつまで休んでるの? 」


名前を呼ばれ、顔を上げた。行き場をなくした水は蛇口から噴水のように出ては落ちていった。


「あぁごめん。考え事してた」


「また三枝先輩のこと? 」


「違うって」


さっきから私に話しかけているのは親友のアキ。小学校に入学する前からずっと一緒。いわゆる幼馴染みというやつだ。アキも中学時代から陸上部で活躍していた。副部長だったのだが、私よりも速くて、少し嫉妬していた。


「ふーん。ま、その恋実るといいねぇ」


アキはニヤニヤしながらそう言った。アキはこういった恋の話が大好きだ。


「だから違うって…… 私にとって先輩は…… 」


そこまで言ってそれ以上話せなくなった。


私にとって先輩はなんなんだろう。少なくともこの感情は恋じゃないと思う…… 多分……


「恋じゃないならなんなのよ」


恋じゃないならこの気持ちは……


「憧れ…… かな? 」


「憧れ? 」


アキは本当にわからないというように首を傾げた。


「いや、サッカー部のエースの高城たかじょう先輩ならわかるけど、よりによって三枝先輩に? どこに憧れる要素があるのさ」


ハハハハと笑いながらアキは私の先を歩いて行った。


「確かに三枝先輩は冴えないし、Bチームだけど、あの人が練習を真面目にやってないとこ見たことないもん。それに、優しいし…… 」


「ふーん。青春だねぇ」


「おーい、2人ともいつまで休んでるんだ‼︎」


部長から怒られてしまった。


『はい、すいません‼︎』


私達は走って部活に戻った。


私にとって先輩って……やっぱり憧れかもしれない。ううん。憧れだ。報われなくても必死で頑張ってるあの姿に私は憧れているんだ。


ー4ー


部活が終わり、あたりもすっかり暗くなった。


「おーい三枝。一緒に帰ろうぜ」


「高城。あぁいいよ」


高城は凄い奴だ。ルックスはいいし、サッカーは上手いし、頭はいいし、毎年バレンタインデーにはとんでもない数のチョコを貰っている。俺も高城みたいだったらもっと人生楽しかったのかな。


「なぁ三枝。お前あの子と付き合ってるのか? 」


「あの子? 俺に彼女はいないけど……」


「ほらあの子だよ。あの子。お前が今日水飲み場で話してた1年生」


「あぁあの子か。別に付き合ってないけど。な

んか悩んでそうだったから聞いてあげようかなって思って。人が悩んでるとついつい助けてあげたくなっちゃうんだよね」


「ったく。お前は本当にお人好しだよなぁ」


高城は頭をかきながらそう言った。


俺は決してお人好しなんかではない。ただ単に困ってる人を放っておけないだけなんだ。


「おい。三枝。噂をすればなんとやらだ。ほら、その子がいるぞ。おーい」


「おい。やめろって。迷惑だろうが」


こいつは少し人のことを考えるべきなんじゃないか。


「え? あっ。先輩。こんにちは。帰りですか? 」


確かこの子は笠間さんとよく一緒にいるアキさんだっけ。


「うん。そうだよ。一緒に帰ろうぜ」


「え⁉︎ はい。ぜひ‼︎ 」


まったく。高城は可愛いと思ったらすぐ声をかけるんだから。それにのっちゃうアキさんもアキさんだけど…… 俺はそう思いながらも、少し歩いて笠間さんの隣まで移動した。すると、高城もこちらに歩いてきて、笠間に何かを耳打ちしていた。そして、また元の場所に戻って行った。


「じゃあ俺アキちゃんと先に帰ってるから。じゃあね〜」


「は? おい。まてよ。おい」


高城の奴は何を考えてるんだ?


ハハハハ。と隣で俯いてる笠間さんに向かって笑うことしかできなかった。笠間さんはフリーズしていた。


ー5ー


三枝達が帰宅しようとしている頃、唯達も家路に着こうとしていた。


「部活疲れたね」


部活はただでさえ辛いのに、今日は給水から戻ってくるのが遅いという理由で私達だけ別メニューになり、余計に疲れた。


「うん。もうくたくただよ」


私は少し大げさに疲れた素振りをした。アキはそんな私の格好が面白かったらしく、腹を抱えて笑った。アキの笑いの沸点はとても低い。私がちょっと変わったことをするとすぐに笑う。お笑い番組だってアキはずっと笑っている。授業中もこんなんだから私もつい、つられて笑ってしまう。授業中だけは本当に勘弁してほしい。今日だって授業中に笑っちゃって先生に 「何がそんなに面白い」 って怒られちゃった。それなのにアキは怒られなかったのだから何だか腑に落ちない気分だ。


「おーい」


後ろの方から声が聞こえた。アキはすぐにそれが自分たちを呼ぶ声だと感づいたらしく、さっと振り向いた。


「え? あっ。先輩。こんにちは。帰りですか? 」


この時間は “こんにちは” というより “こんばんは” ではないだろうか。そう思ったが問題はそこではない。なぜ皆のである先輩が私達に話しかけてきたかだ。


「うん。そうだよ。一緒に帰ろうぜ」


は?



危ない危ない。つい本音が出そうになってしまった。今この人はなんて言ったんだろうか。もしかして、一緒に帰ろうとか言ってた? 先輩が? こんななんの取り柄もない、漫画や小説ではモブキャラとして扱われてそうな私達と? 凄い失礼だけど、先輩頭大丈夫かな?


「え⁉︎ はい。ぜひ‼︎」


ちょっとアキ。と言う暇も余裕もなかった。頭が状況についていけてなかった。


そんな状態の私に高城先輩がこっそりと耳打ちしてきた。


「俺はアキちゃんと帰るから、君は三枝とよくやるんだよ」


へ?


ますます状況についていけなくなってきた。そんな私をよそに高城先輩は話を進めていく。


「じゃあ俺アキちゃんと先帰ってるから。じゃあね〜」


もう先輩がなんて言ってるのかわからない。私の頭の容量を遥かに超えている。


「まったく。高城には困ったもんだな」


えっと。状況整理しないと。私は部活が終わって、アキと帰ろうとしていて……


「おーい。 大丈夫?」


はっ。


「あ、すいません。ちょっと混乱しちゃって」


あぁ〜。私としたことが。よりによって三枝先輩の前でこんな姿を……


恥ずかしい。穴があったら入りたい。そうだ。なければ掘ればいいんだ。


「先輩」


「ん?」


「スコップかなんか持ってますか? 」


……


私と先輩との間に空白の世界ができた。その時間は静寂に包まれ、真っ白な世界に2人だけというような錯覚をも催すほどだった。


「えっと…… 今は持ってないけど……家に帰ればある……かな? 」


「……」


真面目に答えないでください。


今はその優しさが辛い。


私の顔は羞恥心と私への憤怒によって真っ赤に染まった。




「あの、先輩」


「ん? どうかした? 」


先輩には失礼かもしれないけど、私はこの悩みを誰かに聞いてもらわないと悩みに押し潰されて死んでしまいそうだ。


「あの。相談があるんですけど。図々しいかもしれないですけど聞いてください。私今陸上で記録が伸びなくて……1年の最初の頃は “期待の新人” とまで言われてたのに……もう最近は走っても走ってもまったく楽しくないんです。私、どうしたらいいんでしょうか」


「うーん。そうだねぇ」


三枝先輩は真剣に考えてくれている。こんな悩みでもしっかりと親身になってくれる。


「1度陸上から離れてみたらどうだろう。そうすれば陸上の楽しさにまた気付けるんじゃないかな? よければ来週の日曜日サッカーの試合があるから見にこない? なにかわかるかもしれないから」


来週の日曜日。確か部活はoffだったはずだ。


「わかりました。来週の日曜日ですね。楽しみにしてます。頑張ってください」


「うん。頑張るよ」


先輩に話して何かが劇的に変わったわけではないが、少し、ほんの少しだけ気が楽になった。やはり、相談してみるものだ。悩みというものは誰かに聞いてもらえるだけでこんなに変わるものだったのか。

















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