第20話 ゼルダ 外務局にて
ジャクソン。
彼は若き右派のリーダー、トニオの優秀な右腕であった。
年はトニオより少し上。養子に入った父は軍人で自分も軍人あがり。そして軍人だった父の親友は、自分と同じように跡継ぎにとトニオを養子にした議員だった。
と、要するにトニオが軍に幅をきかせることに貢献していた中の一人であった。
その彼は今、外務局のとある一室でソファーに座りながら待ち続けていた。
机の上にはコーヒーが半分ほど残っており、すでに冷めていた。
アポイントメントの時間は余裕のあるほどとっておいたのに。
ジャクソンは舌打ちした。
これは、今自分が会おうとしている人物の自分に対する評価だといっていいのか。
それならば、ずいぶんとなめられたものだ。
「失礼」
その時、いきなりドアが開いた。
ジャクソンは立ち上がる。
「やあ」
一人の秘書らしき男に続き、待ち望んでいた人物が入ってきた。
「ご多忙のところを」
手を差し出すジャクソンにむかって手をのばし
「すまないね、ご存じだと思うが部下が二人も消えてしまってね。仕事が3倍になっちゃったんだよ」
と、キルケゴール長官はちっともすまなそうではない表情でにっこりと笑った。
派手な黄色に染めた髪、なれなれしい態度。
ジャクソンはもともとこういう男が外見からして不快であった。
「お二人とも、ご災難でした。まだ行方知れずとか」
「本当にね、まあ、代役が早く仕事に慣れてくれればどうってことないんだけどね。今は、あの二人は優秀だったなあ、なんてしみじみ思っているところなんだよ」
こういうあっさりしたところを平気でだすのだから。どうしてこの男が、部下からの人気が高いのか、謎である。
「じゃあ、本題に入ろうか」
キルケゴールはジャクソンの向かいに座った。
「わたしは、君たちの傘の下には入ろうとは思わないよ」
腰をおろすなり、キルケゴールが先に口を切った。
「……それは、あなたが新進党と自評する輩側へつくということですか?」
ジャクソンは表情をかえることなく、言う。
「最近、彼らの方からの口添えが来たんだけどね。君たちよりも、少し早くね。フォークナーは強引だったね」
キルケゴールはソファーに背をうずめながら言った。
「わたしはどちら側にも属しはしないよ」
「そういうわけにはいかないと思いますが」
「そうかね?」
キルケゴールはジャクソンをのぞきこむ。
「私が支持するのは、穏健派のサマリ―ル氏だ」
「サマリール?」
ジャクソンは嘲笑った。
「風前の灯の党ですが。まだ残っているのが、不思議なくらいです」
「だがまだ存在している。君らにとっちゃ、ノミほども気にしない党だがね。君らのどちら側にもついていない唯一の人物さ、私と同じで」
キルケゴールは含み笑いをする。
「一体、どういうお考えで。サマリール氏とは親しいのですか?」
「いや、これから親しくなるつもりだ。今日、実は私からアポをとった。……君との会合の直前にね。つい、先ほど、彼と初めて話したばっかりなんだ」
ジャクソンのこめかみが脈打つ。遅れた理由はそれだったのだ。
「理由をお聞かせ願いたいですね。私たちと、フォークナーたちの両方につれない態度をとったわけを」
「君たちが両方とも嫌いなんだ」
あっさり、キルケゴールは答えた。
傍らに控えていた代役の秘書の男が吹き出した。
「失礼だよ、君」
いけしゃあと、キルケゴールは秘書に眉をひそめて言う。
ジャクソンは首筋とこめかみに血管が浮き出るのを感じた。
「じゃあ、現実に私が君たちを好きになれない点をいくつか挙げようか。……二人とも、極端なんだよ」
キルケゴールは子供をあやすかのような口調で言った。
「年齢からしてね。トニオ氏は若すぎる。政界からみれば、まだヒヨコの段階だよ。たしかに彼の力量は認めるが、こういうことは経験の量がものをいうと思うんだよ。彼は政界に入ってからの年月が浅い。父上の功績と君たちバックが強いおかげだろう、実際彼があの地位を保っているのはね。そして、フォークナーだが、彼は私の父親にもなれそうなお年だ。いつ死なれるか分かったものではないよ。サマリール氏は安心だ。私と同年の中年男だからね」
「あなたが、年齢で人を判断なさるとは存じませんでした」
「まだ、あるよ。トニオ氏は清廉潔白だ。見事にね。血統も申し分ない。私にしてみれば、気おくれを感じる存在さ。……フォークナー氏は反対に前科者だ。悪評ある私より、さらにタチが悪い。できれば、近寄りたくないね。サマリール氏はグレートルイスの女優との関係がばれて雑誌をにぎわせたこと。…これくらいの前科だ。わたしと同じだね」
何か言おうとしたジャクソンを遮り、彼は続ける。
「で、二人が目指す方向だ。トニオ氏はがんとして動かない保守派だ。時代が変わるのをよしとしない。私は変化を望むんだ。トニオ氏の味方にはなれないね。……フォークナー氏に味方してあげたいところだが、いかんせん彼は激しすぎるんだよ。私に言わせれば彼の言葉全てが空想的だね。非現実的だ。それよりは、漸進的に地道な自由を目指す、サマリール氏を選ぶ。これが、理由だよ」
ジャクソンは口をつぐみ、視線を落とす。
「……しかし」
彼は顔を上げた。
「どう逃げても我々はあなたを捕まえるでしょう。あなたはそんなに欲しいのです」
「どうして、そんなに欲しいのかわからないね。私は小組織の名ばかりのトップを務めるしか能のない男だよ、しかも節操のない」
秘書が口の端をにやりと上げたが、ジャクソンにはもうそれを気にするゆとりはなかった。
「あなたの力は独特で、強力だ。民衆はすべてあなたを支持する。世論はあなたの味方。メディアもあなたにつきっきり。事実、あなたが今度の大統領選に出たら当選は確実だ」
「そこまで言ってくださるなんて、うれしいね。私も大きく見られたものだ」
キルケゴールは微笑む。
「だけどそんな大それた気は私にはないからね。この地位で十分さ」
「あなたには、カリスマがあるんです。トニオ氏にもフォークナーにもそれにはかなわない。だから、あなたが欲しい」
キルケゴールの瞳をジャクソンは見つめる。
常人をはなれた、さめるような青い色。これもそのカリスマの一つであろう。
「私の答えは変わらないよ」
「承知です」
ジャクソンは立ち上がった。
「もうこれ以上ここにいても、私は無駄でしょう。これで失礼いたします。……あなたがサマリール氏の支持を発表なさったら、サマリール氏の党は一気に膨れ上がるでしょう。それは目に見えている。しかし」
ジャクソンはキルケゴールを見下ろす。
「我々は甘く見られているようだ。両方からプライドをかけて、サマリール氏をつぶすでしょう。……その時は我々側についてくれることを望みます、長官」
ジャクソンはドアを荒々しく開けた。
「お手柔らかにね」
キルケゴールは声をかける。
ジャクソンはそのままドアを閉めた。
「彼は、血の気が多いね。まあ、軍人上がりとはそういうものだが」
「わざと、逆撫でしてらしたようにお見受けしますが、閣下」
中肉中背で並みのルックスの若い男はくすくす笑いながら言った。
「おや、そうかね」
キルケゴールは目を丸くした表情をつくって
「それよりも、時間が空いたね。思ったよりも早く終わってよかった。君、コーヒーを持ってきてくれないか」
と、ソファーに身を預けくつろぐ。
「かしこまりました」
秘書が出て行ったあと、彼は机に近づき電話の受話器を取った。
「ああ、わたしだよ。……たのむ、秘書を明日から代えてくれないか。理由?気が利かないんだよ。ルーイならコーヒーを言わずとも出した。それに、彼には笑いすぎの癖があってね。ああ、次はもっとルックスがいいのがいいね。いや、もちろん、キースほどのは期待してないよ、宜しく」
受話器を置き、キルケゴールはため息をつく。
「キースの容姿と毒舌、ルーイのまめさと純真さは貴重だったなあ。ああ、なつかしいなあ、いや、まったく残念だ。惜しいことをした。二人ともまだ若いのに。かわいそうにねえ」
と、勝手に二人を殺しては、キルケゴールは哀惜の念に浸るのだった。
と、目の前の電話が鳴る。
「はいはい」
キルケゴールは手を伸ばして受話器を再びとる。
『閣下。シアン・メイ氏からお電話です』
「ああ、いいよ、まわしてくれ」
にっこり、とキルケゴールは微笑んで、次の瞬間甘い美声を出す。
「どうしたんだい、ハニー。君の時間では今真夜中のはずだがね」
『ハニーじゃねえよ! おっさんよ!』
いきなりの怒声にキルケゴールは受話器を耳から離す。
『この一大事に悠長に寝ていられるかってんだ! どういうつもりだあ、おっさん! キース一人を身代りにおっさんはのんびりかよ!』
「すまないが、ボリュームを下げてくれないか。あと、茶々をいれるようだが、キースだけじゃなくルーイも行方不明だよ」
『わかってるよ、そんなことは! どうなったんだよ! ジャングルで無事保護されたんだろう? なんでまだ連絡がないんだよ!』
「私にもわからないんだよ。シアン。落ち着いてくれないか、たのむよ」
『これが落ち着いていられるかってんだよ、クソおやじ!』
彼のアルトとテナーの中間の声はびんびんと空気が震えるほど響き、キルケゴールは耳をおさえる。
「シアン君、君ほどのエトワールがそんな下品な言葉を使っちゃ品位が下がるってもんだよ。よしなさい」
『なにいってんだよ、そんなワケあるか! ……《君はその美貌だけで歴代でもNo.1の地位は約束されたようなものだ》って言ったのはおっさんだろ! しかも、《君が外見とは反する言動をとることで、その魅力は倍になる》ってぬかしたのも、おっさんじゃねーか!』
何時、如何なるときも、自分の美しさを押し通すシアンであった。
キルケゴールは以前キースがシアンのことをしつこい、と言っていたのを思い出し、そのとおりだなあ、とぼんやりふける。よくもこう、自分が言葉にしたことをきちんと覚えているものだ。コティ並のしつこさだ。
『とにかく、オレの品位が下がるなんてことはありえないし、それにそんなこたどうでもいいんだよ! 今どういう処置をとってんのか、教えてくれさえすりゃいいんだよ!』
「……こっちの答えによっちゃ君がどんな反応を取るのか、それを聞くのが恐ろしいねえ」
のんびりと言うキルケゴールの言葉に電話の向こうでシアンが息をのむ気配がした。
『……なんだよ、そんなにやばいっていうのかよ』
「まだ結論が出ないし、君に不必要な思いをさせたくなかったから、しばらく黙ってようと思ったんだがね。……二時間前、うちの機関から入った情報だ。ジャングルで彼らの乗っていた車を見つけたんだ。谷に落ちこんでいて、真っ逆さまになっていた。数個の銃弾跡と、車内には血痕があったが、人はいなかった。……つまり、何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとみていいだろうね。うちの機関が続けて調査しているが、手がかりはまだつかめない」
シアンは無言だ。
「シアン? 大丈夫かい?」
やさしくキルケゴールは呼びかける。
「彼らが無事な可能性は十分にあるさ。彼らの地位が幸いすると思うよ。よほど無知な人間以外は、彼らに対して無謀なことを起こしたりしないよ」
『……キースがもし死んでいたら……』
シアンの声が静かに震える。
『二度とおっさんを客にはしねーからなっ!!』
ありったけの声でシアンは叫ぶと、電話を叩き切ったらしい。
「あー、痛いねぇ」
眉をひそめて、キルケゴールは耳に手をやる。
「それは困るなあ。キースの奴には是非帰ってきてもらわんと。……わしの、老後の楽しみのひとつが消えることになるからねえ」
キルケゴールは深刻そうにつぶやいた。
「……まあ、キース。あいつも果報者だねぇ」
かと思うと、にやりと笑う。
「うまれながらの罪作りな男だ。更にそれを認識していないってのは、わしよりタチが悪いと思うんだがなあ。そう思わないかい、シアン君?」
空中に向かい、笑みを浮かべたままキルケゴールは話かける。
「しかしやっぱり、ルーイ君はシアン君にとってはどうでもいいことなんだねえ。気の毒になあ。わしだけは君のことを待っているよ、ルーイ」
回転椅子にもたれて、回りながら発するその声は、同情というよりは、楽しんでいるといった言葉が似合うのだった……。
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