グレートルイス 密林編

第9話 取引現場

「……暑い」


 眼鏡のレンズに水滴がついている。ルーイはあやしく光る眼鏡の奥でキースを見た。


「……いったい、どうしてこんなことになるんです」


 車の外は土埃の舞う地道。白く焼けた砂にじりじりと太陽が照る。

 街中ではない。ここは、どこだ。


 道の両側からのぞくのはうっそうと茂った熱帯林であるから、ジャングルを突っ切った道ということになる。


 三日前から続いた環境部希望の会議は終了し、今日キースたちは帰路につくはずだった。

 ところが、グレートルイスの首都キッドからゼルダの首都セパへフライトしたのはいいが、途中エンジンに支障がみられ、やむなくグレートルイスとキエスタ国境のジャングル付近へ不時着したのだった。


 グレートルイス人の機長は現地人に手をまわして、車と運転手を探してくれたのはいいが……、冷房完備ではない車と、村の猟師とはあまりといえばあまりのあつかいである。


「ああ、暑い」


 窓から入ってくる風に顔を当てながらルーイは悲鳴をあげる。


「暑いなら脱いだらどうだ。暑苦しい」


 キースが言うとルーイは答えた。


「いいえ、まだ大丈夫です」


 彼は窮屈に制服を着込み、ゆでだこのように真っ赤な顔をしていた。

 彼のカールした黒髪は汗で額にへばりついている。

 どうやら彼は彼なりの規律というものをもち、守り通しているらしい。


 キースはといえば、制服のボタンは全部外していた。


「やっぱり、カチューシャからセパ行に乗り換えるべきでしたね」


 ルーイはため息をついた。

 ゼルダ、グレートルイス、キエスタ三国に接する土地に、宗教都市国家、カチューシャ市国がある。

 独自の宗教と、永世中立を掲げ、その立場上、周りの三国から利潤を得ている。


『教育をうけるならゼルダ。娯楽ならグレートルイス。女性はキエスタ。暮らすならカチューシャ市国』


 という言葉があるほど、カチューシャ市民は豊かな生活をしており、高級志向でサービスもほかの国より質が高い。


「そうしたら、今頃はファーストクラスで機内食でも……」

「我慢しろ。密林を間近で拝める機会なんて、そうそうないぞ」

「いやですよ、できれば密林なんて来たくなかった」


 ああ、とルーイは何度目かの息を吐く。そして、帰ったらずさんな対応を訴えてやる、とつぶやいた。

 キースは前にいる運転手の隣の機長に聞く。


「近くの町まであと、どれぐらいかかるか」

「さあ、おそらくあと、半日は」


 苦笑いして機長は答えた。

 半日。

 うんざりしてキースは狭い座席に座りなおした。キースも暑さと湿気には参っていた。冷涼で乾いた気候のゼルダに生まれた者にはきつすぎる。ルーイのように文句を言いたいのもしょうがない。


 グレートルイスに来る前に感じた予感はこのことだったか。


 キースはぼんやりと思った。なんて、ついてない。


 これでは帰った時、我が長官はどんな様子で自分たちを迎えるか……。想像して、キースは気分を害した。


 どうも、我らが長官キルケゴールは強運の持ち主としか思えない。


「兄ちゃんたち、どこの軍服だい、それ」


 いきなり運転していた男が声をかけてきた。


「軍服ではないが、ゼルダ……」

「悪いね、こんなおんぼろ車でさあ」


 キースが答えるよりさきに、男は話し続けた。


「こら、なんて口を」


 機長が口を出したが、キースはいい、と目で制した。


 それから、男は収入やこのあたりの気候、妻や子供のことをとめどなく話した。しゃべりずきの男らしく、一分の間もあかない。

 ゼルダには少ないタイプの人間なのでそれなりには聞いていたが、少々飽きてキースは目を閉じた。


「あ、そうだ、知ってるかい、この話」


 男はしゃべり続ける。


「原住民にこんな伝説があってさ。密林の中に、女だけの一族がいるらしいとよ。その一族は深い森の中にひそんでいて、今でもひっそりと暮らし続けているんだそうだ」

「うそだね、女性だけなんて。暮らしていけるわけがない。第一、どうやって子孫を増やすんですか」


 それまで黙っていたルーイが口を挟んだ。


「そうよ、それがよ兄ちゃん。奴らがすることは、男をさらうってことだ。男をさらって、寝るのさ。うわさじゃ怪力を持って、男以上の力らしいってね。ああ、おそろしや」


 たのしげに男は話す。


「まあ、うわさだけどね。欲求不満の男たちがつくった伝説にちがいないけどさ」


 キースは車の前方を見た。


「おい、前の奴らはなんだ」


 運転手は車を止めた。前方に薄汚れたトラックが3台、道に置いてあった。当然道はふさがれていて通れない。


「密猟者たちかね。ああ、話をつけてくるよ」


 運転手は車を降りるとトラックの方へ歩いて行った。


「大丈夫なのか」

「ああ。あのオヤジと顔見知りの者も多いんじゃないですか」


 機長の言葉に


「いやだな、こっちは身分隠してるんですよ。ばれたら、どうするんです」


 ルーイは心配そうに言う。


「それくらい、あのオヤジには分かってますよ。第一あんなに金を払った……」


 パン。

 その矢先、銃声がして、オヤジが倒れるのが見えた。

 ぱらぱらとトラックから人影が出てきた。


「……おい、車は運転できるか」


 キースは前を見たまま機長に声をかける。


「ええ」

「たのむ」


 機長はあわてて運転席にもぐりこんだ。

 ルーイは信じられないとばかりに目を見開いている。


 相手はあの大人数だ。こっちにも銃はあるが、かなうわけない。逃げるのが得策だろう。男たちがこっちに気づいた。


「いけ!」


 キースの言葉に、機長はアクセルを踏みこむ。

 がくん、と車が揺れ急激に車は後ろ向きに走り出した。


「ルーイ、後ろみてろ」


 男たちがトラックに乗り込むのが見えた。


「くそ、追ってくる気か」

「しまった、シャチの奴らか」


 機長がつぶやいた。


「何?」

「シャチですよ、マフィアの。知りませんか!?」


 機長は悲鳴のように叫ぶ。


「あいつらが、そうだって?」

「そうでなきゃ、テロリストのどっちかですよ! なんてこった! 運が悪すぎる!」


 シャチとはグレートルイスの闇の世界では、有名な王だ。麻薬、武器の密輸入、輸出はすべて彼の組織が行っていて、莫大な財を得ているらしい。


「奴ら、ここを取引の場にしてたんですよ、きっと、ああ! くそ!」


 機長は再びうめく。


「この先二つに道が分かれていたな。そこで、方向転換するか」

「ああ、まだ死にたくない! 神よ!」


 逃げられる確率はないに等しかった。そして、捕まえられれば殺されることはまず間違いない。


「おい、機長」

「なんです!」

「この川にはワニがいるのか?」


 さきほど通り過ぎたところに、橋があった。下には広大な川の支流が流れていた。


「……飛び込むおつもりで?」

「キース様!」


 ルーイが叫んだ。


 は、と前を見やったキースはトラックから身を乗り出した男が銃をかまえているのに気づく。


「伏せろ!」


 ルーイの頭をわしづかみにし、キースは頭を下げた。

 銃声が続き、車は回転しながら、道の端に落ち込んだ。坂になっていたらしく、そのまま車はずり落ちる。衝撃をくりかえしながら、車は落ち続け、やっととまった。


「……ルーイ、無事か」


 体勢が逆になっていたキースは起き上がるとルーイに声をかけた。


「はい」


 ルーイも起き上がる。


「機長」


 返事がない。


「キース様!」


 ルーイが声を上げた。

 だらり、とハンドルにうなだれたままの機長が見えた。首から血が流れている。

 キースは目をそらすと、車の窓からはい出した。ルーイも続く。

 転げ落ちたと思われる場所を見上げたが、トラックは見えない。


「ルーイ」


 車の陰に身を隠しながらキースは呼びかける。


「銃は持っているな」

「はい」


 ルーイはあわてて銃を取り出す。


「まだ、奴らは俺たちに気づいていないかもしれない。なら、助かるかもしれない」

「……はい」

「……ルーイ、別れよう」


 ルーイがおどろく気配がした。


「お前が思うとおりに逃げろ。俺もそう逃げる。……先に逃げたほうが大使館に訴える。いいな」

「え、そんな、キース様」

「いくぞ」


 ルーイの言葉を無視して、キースは密林に飛び込んだ。


 後に取り残されたルーイ君はしばし、呆然とした。


 分かってる。自分が足手まといだからキース様は一人で行ったんだ。

 ひどいじゃないか、僕はどうなるんだ……!

 泣きそうになったとき、上方でトラックが止まる音がした。


 ルーイは後もみず、キースとは反対方向の森の中へ飛び込んでいった。

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