緑の目の人々

 オネーギン邸宅には中庭に噴水があり、手入れの行き届いた観葉植物が植わっていた。

 廊下を歩いて庭の花々を見やっていたドーニスは、噴水の傍らのベンチに見覚えのある男が座っているのに気付いた。


「よお」


 男の方から、先にドーニスに手を上げて合図した。

 彼の名はベルベル。大学の同期生だった。

 石油商人の息子だ。

 白い貫頭衣にサンダルのあっさりしたいでたちだが、身に着けている貴金属は億単位で手首につけている巨大な時計はダイヤがちりばめられている。


「どうしたんだ」


 ドーニスは、廊下から庭先に出た。真昼の日差しのもとで、まぶしそうに眉をひそめているベルベルのもとに近づく。


「親父の付き添い。暇だから、逃げてきた」


 屈託のない笑顔で、そう告げる褐色の顔を見てドーニスは、グレートルイスのレン=メイヤ=ベーカーを思い出した。裕福な家庭に生まれ、何不自由なく育つと、人は皆彼らのように底抜けに明るく人懐こい性格になるのだろうか。


「お前は、これからどこ行く?」


 ベルベルの言葉に、ドーニスは間を空けて答えた。


「急に午後から暇をいただいた。……閣下は、誰かと会うらしい」


「へえ。お前ナシでか。珍しいな。なんか、あったのか」


 ずけずけと何のためらいもなく、聞いてくる。

 ドーニスは答えなかった。

 閣下は、時折、自分を遮断する。

 そういうこともあるだろうとドーニスは理解していた。


「まあ、いい。これから遊びに行くか。いいとこ連れてってやる。お前、相変わらずカタい生活してんだろ」


 ベルベルは立ち上がって、同じくらいの背のドーニスと並んだ。


「結構だ。……図書館に行く」


「またか。お前は本好きだな」


 ベルベルは苦笑いした。


「本から知識は入るが、女は出てこないぞ。……それとも、あれか。また女学生ねらいか」


 見返したドーニスの鋭い目つきにベルベルは肩をすくめておどけた。

 学生のころ、ベルベルと図書館に通いつめたことがあった。

 ベルベルは、女学生が目当てだったようだ。かくいう自分も実は気になる女学生がいた。

 十歳から男女はそれぞれ校舎が分かれ、それからのちは男子校、女学校へと徹底的に区別されるのがキエスタだ。

 勉強という名目で、男女共用の出会いの場所となるのは、図書館だった。

 ベルベルは、派手な外見の女学生との交流を楽しんでいた。

 自分は彼女が静かに席に座り、勉学しているのを見るだけで、満足だった。

 時折、わざと彼女の後ろを歩いてみたりした。

 立ち起こる大輪の花のような甘い匂いに、胸が高まった。


 ――彼女は、サジだった。

 あの時の彼女は高嶺の花だった。

 まさか今、こんなにも身近な存在になるとは思ってもみなかった。――


「お前はギール派だな」


 ベルベルが笑って言った。


「メイヤ教徒はお前のような奴のことをそういうんだ」


 知っている。そんなことは。


 清貧、禁欲の代名詞、テス教の使徒ギールになぞらえて、グレートルイス人はストイックな人物をそう言って揶揄する。


 ベルベルは、グレートルイスによく滞在している。あちらにいる時間の方が、祖国にいる時間より長いのではないか。


「お」


 ベルベルがドーニスの後ろに目をやり、声を上げた。

 ドーニスが彼の視線の先をたどって振り返ると、廊下から二人の人物がこっちへ歩いてくるところだった。


 二人とも頭から足先まで深い紺の布で、身体を覆っている。目の上も、メッシュの生地で覆われている。

 美しく染めた濃紺の色が、太陽光のもとで輝いた。


 高い。


 と、自分とベルベルの横を通り過ぎる二人連れにドーニスは目を見張った。

 ベルベルと自分はキエスタ人にしては背丈があり、180はある。

 二人連れのうちの一人は、自分たちと同じくらいの身長であり、もう一人は更に高かった。

 190近くあるのではないだろうか。

 二人は軽くドーニスとベルベルに会釈すると、そのまま前を通り過ぎ反対側に位置する廊下へと向かった。

 噴水の縁でまどろんでいた猫が、にゃ、と鳴いて飛び下りると背の高い人物の足元に駆けて行った。

 歩く速度に合わせて、尻尾をふりふり急ぎ足でついていく。


「女じゃないよな、あれ」


「あんなバカでかい女がいてたまるか」


 ベルベルの言葉にドーニスは答えた。


「『緑の目を持つ人々』か。そうだよな。あの紺の服はそうだろ。一度、兄貴と東部に行ったとき遠くからみたことあるけど」


 ベルベルは彼らの姿を見つめながら言った。


『緑の目を持つ人々』と呼ばれる特殊な民がキエスタ東部に存在する。

 彼らは、男も女も同様に全身を紺色の布で覆う。他の民との交流は少なく、同族間での婚姻が基本であり、それでキエスタでは珍しい緑色の瞳を代々保っていると聞いた。


「薄気味悪いよな、あいつら。赤ん坊が女だったら、生贄にするんだろ」


「それはとっくに、国で禁止されてるはずだ。実際、今でもどうかは知らんが」


「あんなに、大柄な一族だったのか。もとは密林で暮らしてたのを外へ出てきた奴らだろ。サルみたいに小柄なやつばかりだと思ってたぜ」


「そうだな。俺もそう思ってた」


 言って、ドーニスは廊下に入り歩き去る背の高い人物の後姿を見つめた。

 キエスタであれほどの大柄な身体が存在する民族と言えば、西部の北に住むヤソ人ぐらいだと思っていた。


「なんで、あんな奴らがここにいるんだ。……閣下に会うのは、もしかして奴らか」


 ベルベルの言葉に、そうかもしれない、とドーニスは心の中で答える。


「……グレートルイス人の女は、たまにびっくりするようなでかい女がいるぜ。モデルの女なんて、そんなやつらの集まりだ。顔は綺麗だが、身体は棒切れ抱いてるみたいで味気ないもんだ」


 ベルベルが饒舌に語りだした。


「……そういやこの間、シェリルシティのカジノに行ったんだが。背の高いイイ女がいたんだ。カチューシャ教の礼拝服着てたんで、てっきりカチューシャ市国の女だと思った。笑った顔がすごくかわいかったんで、声かけたら……やばかったぜ。マフィアのシャチの女だった。さっきみたいにバカでかい男が、すぐそばに控えていて俺を脅しやがった。俺より若い、まだガキのキエスタ人だったが、あれにはびびったな」


「……気をつけろよ」


 ドーニスは遊び好きの友人を見やり、あきれる。


「ああ。今年いっぱいで射ちどめだ。来年、親父が選んだ女と結婚する。……俺は、他の奴らに比べると恵まれてるな。ラミレス神に感謝だ。親父もグレートルイス人の女相手なら大目にみてくれる。せっかくだから、他の国の女をできるだけ知りたい」


 キエスタ人は、死別がない限り、生涯一人の相手と添い遂げるのが普通だ。

 裕福な男性は、妻を何人ももつことがあるが、一般的なキエスタ人の男性は妻となる相手の女性一人しか知らず一生を終える。


「お前の方は、話はまだか。サジ嬢をもらうのは時間の問題だろ」


 以前、サジを自分がもらうことになるだろうと言ったのは、このベルベルだった。


「……まだ、分からん」


 淡い期待を胸に、ドーニスは答えた。

 彼女が自分の妻になれば、自分は神に愛されている恵まれた人間だと思った。



「じゃあな。また」


 身を翻して背を向けるドーニスに、ベルベルが声を掛ける。


「お前、俺が持ってるマンションに来いよ。いい部屋とってやる。いい加減、身の丈に合ったところに住め。あんなチンケなところさっさと出ろよ」


「……あそこが気に入ってる。ありがたいが、気持ちだけ受け取っておく。すまない」


 ドーニスは振り返らずに答えると、そのまま庭を出て行った。






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