中幕 ゼルダ セパ

ゼルダ セパ 〜ウー〜

 ウーはキースの寝室のベッドに横になり、丸くなって膝をだいた。

 ベッドサイドに置いてある目の前のスノードームを見つめる。丸いガラスの中は、駅舎とひかれた線路、山のトンネルからは列車が顔をのぞかせている風景だ。雪が降り積もった中、駅舎の横の雪だるまのそばで二人の子供が遊んでいた。


 ――以前、歓楽街(パラダイス)のキャロルがスノードームを持っていたのを見て、ウーは一目で欲しくなった。

 ウーは何も言わなかったが、キャロルのスノードームに惹かれてずっと見つめているウーの様子にキースが気付いたのだろう。数日後に買ってきてくれた。キャロルのものより大きくて、高価だと思う。

 目の前に置かれたとき、嬉しくてびっくりしてウーはスノードームに見入ったままだった。

 しばらくしてふと気づくと、キースが自分を見つめていた。

 彼がなにかを待っているのだと思った。

 ウーはありがとう、と礼をいい、両頬をキースの頬に合わせた。ゼルダ式の慣習を終えてウーがキースを見上げると、なんだか彼がまだなにかを待っている気がした。

 ……ウーは思案した結果、唇を彼の唇に寄せた。そっと触れて顔を離した。

 途端にキースが自分を抱きしめてきた。

 そのまま行為におよぶのかと思ったが、キースは自分を抱いて髪をなでるだけだった。でも彼が喜んでいることを感じた。

 それから、ウーはキースに礼を言うときには両頬を合わせるのと同時に口づけるようにした。――


 真夏に、スノードームなんて季節外れもいいところだ。

 他には雑貨のひとつもないキースの寝室に、ひとつだけ置かれたスノードームは奇妙だった。

 ウーは小さくあくびをした。開け放たれた窓からは、心地よい涼風が流れてきた。

 湿気もなく過ごしやすいゼルダの夏は、この国で一番いい季節だと思った。

 夜の十時になるが、白夜であるこの時期はようやく窓の外が薄暗くなってきた程度である。

 こんな時間なのに、まだ夕方のような気がする。

 早寝早起きのウーだったが、最近はその習慣が崩れてきたようだった。


 ウーはごろん、と今度は反対側をむいた。


 ……白いシーツの上にいると、リックを思い出した。

 キースより、そういう思い出は彼の方が鮮明だった。彼の感触はいまでも昨日のことのようにまざまざと思い出すことができた。

 今にして思えば、肌の質感や、声、彼の行動のすべてがはるかにキースより自分には合っていて、良かった。

 なぜ、キースだと思い込もうとしていたのだろう。彼は全然違うのに。


 自分は彼が好きだったのだ。

 ウーはリックがいなくなってから、そのことに気付いた。

 キースがいなくても彼さえいればよかったのに。


 ウーは涙がせりあがってくるのを感じ、目を閉じた。


 死ぬなんて思わなかった。

 自分の言った一言が、彼を死に追いやるなんて思ってもみなかった。まさかあのまま自分の前からいなくなるなんて。

 彼が自分の為になにかしようとしてくれて、それで事故に巻き込まれたのだと思った。

 シアンは感情にまかせてウーを責めたあと、すぐに謝ってきたが、ウーの罪悪感は消えなかった。

 自分のせいで自分は彼を失ったのだ。


 すべてが自分から離れていくと、ウーは感じた。

 大事だと思ったものが、すべて。

 シアンでさえ離れていく。

 彼女はいずれ、この国を出て行く。


 ……シアンはキースが生きていると言った。

 自分を喜ばせようとして笑顔で告げたシアンは、自分の反応を見てあてが外れたように口をつぐんだ。

 彼が生きていたと聞いたが、ウーにはキースという人物がもう遠い国の人物のように思え、心が動かなかった。

 生きていたとしてどうなのだろう。彼とはもう会うことはないのだから。


『会いたいなら、いつか、絶対会わせてあげるから、ウー』


 ためらいがちにシアンが言ったが、ウーは答えなかった。


 確固たる存在が欲しいとウーは思った。

 密林にいた時は、その存在はニャム族の女王だった。特別な、自分が自分であるという意義を思いださせてくれる存在。

 シアンがグレートルイス人になるということを知って以来、その思いは日増しに強くなっていった。


 |それ(・・)が、欲しい。

 だが、この国にいるかぎりそれはかなわない。


 ……主治医は自分が排卵しているといった。

 もう、自分の身体は成熟した一般女性となんら変わらないだろうと。


 ウーは起き上がり、ベッドから下り立つと寝室を出た。隣のリビングに入り、床に座り込んだ。

 キースが消えてから調査局が立ち入り、部屋の中のすべてのものが調べ上げられた。調査局が持ち去ったものもあるし、そのままに放っておかれているものもあった。

 たとえば今、床に雑然と積み上げられている日記。

 キースの日記ではなく、アレクセイの記した大量の日記だった。

 キースとシアンがドミトリーを帰省してから程なく、段ボールに入った大量の日記がキースの部屋に届いた。

 明らかに部屋の収納スペースに収まる余裕はなく、キースは新しく棚を買うか、とため息をついていた。

 結局、棚は購入されず日記は段ボールに押し込められたままクローゼットに収めることとなったのであるが、ウーが興味を惹かれ中からそれを引っ張り出した。

 文字を読むのを習得するにはちょうどいいと思ったのだろう。キースは必ず毎回きちんと元に戻すようにと言ったうえで、ウーに日記を読むのを許可した。

 キースは特に乱雑を嫌った。ウーはキースの言葉に従ったが、そんな彼をわずらわしく思った。

 だから彼がいなくなった今、アレクセイの日記は全部箱から出され、リビングの床に散乱していた。

 ウーはそれを読むために、たまにキースの部屋に出入りしていた。


 アレクセイ――彼の日記は、冒険家であった彼の冒険譚だった。

 わくわくしながら音読するウーの話を聞いて、キースも日記の内容に心惹かれていたようだった。

 キエスタ、グレートルイス、ゼルダの秘境。絶景の地。物珍しい動植物。

 いつか、ここに行きたい。と、目をきらきらさせながら訴えるウーに、冬が終わって暖かくなったらな、とキースはその度に言った。――


 ウーは床に寝そべって、日記の続きを読みだした。

 彼――アレクセイが今回訪れたのは、グレートルイスの南西部、シェリルシティ近くの森だ。


 ――シェリル族の人々は、変わった服を着ていて、民族特有の言葉を話す。彼らは独自の宗教観を持っており、森の精霊と会話する。森には古代のシェリル族の民が石を並べた聖なる土地が存在し、彼らはそこでたびたび儀式を行う。おのおの自分を守護する精霊(動物であることが多い。私が親しくなったシェリル族のある男性は、自分を守護するのは狼だといった)をもっており、彼らは精霊に対して畏怖と敬愛心を持つ。ちなみに彼は私の守護神を、豚だといった。どういうことかと聞くと、将来自分の姿を鏡で見てみるといい、そのときに分かるから。と彼は答えて笑った。どういうことだろうか。私は、将来豚のような体型になるということなのだろうか。失礼だろう。私は美男子でとおっている。身体だって、そこらへんの男より鍛えてる。ラリーの分身である私が、そんな男になるはずはないだろう――


 殴り書きされた文を読んで、ウーはくすりと笑った。

 キースからアレクセイがどんな男であったか、晩年の彼の写真を見せられて知っていた。

 およそ同じ分身であるキースとは似ても似つかない、巨漢の男だった。


 次のページをめくった時、間から写真が出てきた。

 白黒の古ぼけた写真だったが、それを見てウーは目を見張った。

 母、シャン・セイラム……いや、ちがう。祖母のリー・ユンファ女王だ。


 こみあげるなつかしさのあまり、胸になにかがつまった。

 祖母のユンファは美しかった。母のセイラムより美しいかもしれないと思った。

 彼女は、木の玉でつくった装飾品を首や髪にこれでもかというくらい飾り付け、こちらを見て微笑んでいた。アレクセイがニャム族で滞在したときに、撮ったものだろうか。


「彼女が一番美しいな」


 頭の上から声が降った。


 全く、彼が部屋に入ってきたのに気がつかなかった。

 ウーが見上げてとらえたその顔は、口ひげの下で笑みをたたえたキルケゴールだった。



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